- ナノ -

不安な顔とはさようなら


前方に長方形の大きなモニターがある密閉空間に、仮免試験を受ける生徒たちは集まっていた。数百人なんてものじゃなく、千は超えてそうな密集具合に、水世は驚いてつい辺りを見回し、縮こまった。

モニターの下にあるステージには、ヒーロー公安委員会の人間である目良が立っているが、彼は演台に上体を預けるようにして、好きな睡眠について話したと思うと、多忙で眠れない、人手が足りない、眠たい、と心の声を赤裸々にこぼしている。恐らく本当に眠れていないのだろう、目の下には隈ができていた。そんな彼は、演台上で組んだ腕に頭を乗せたまま、ようやっと説明を始めた。


「ずばり、この場にいる受験者千五百四十人一斉に、勝ち抜けの演習を行なってもらいます」


現代はヒーロー飽和社会と言われており、現代のヒーローの在り方に異議を唱えていたヒーロー殺しステインが逮捕以降、ヒーローの在り方に疑問を呈する動きも見えはじめていた。SNSや掲示板などで、彼の唱えていたヒーロー回帰について議論が交わされることも少なくはない。

水世自身、ヒーローが見返りを求めることに反対しているわけではない。仮に、ヒーローが職業として法的な認可などなく、ボランティアのように自身の善意から見返りなく人々を救うのであったなら、ここまで世の中はヒーローで溢れ返ることはなかっただろう。理想だけで食べていけるほど世の中は甘くないし、何事にも金銭は付き物だ。今仮免を受けている受験者の中にも、見返りあり気での動機の者はいるだろう。

しかし、やはり、「人を救いたい」からヒーローをしている人たちは、彼女の目には輝かしく映る。水世自身、目指すべきはそういったヒーロー像だ。お金が貰えなくとも、自分がどれだけ傷ついても、誰かを救えるのなら、それでいいと思えた。


「まァ……一個人としては……動機がどうであれ、命がけで人助けしている人間に“何も求めるな”は……現代社会に於いて無慈悲な話だと思うわけですが……とにかく……対価にしろ義勇にしろ、多くのヒーローが救助・敵退治に切磋琢磨してきた結果、事件発生から解決に至るまでの時間は今、引くくらい迅速になってます」


今後仮免許を取得すると、その激流に身を投じることになる。そのスピードについていけないとなると、たとえヒーローになっても埋もれていくだけとなるだろう。


「よって、試されるはスピード!条件達成者先着百名を通過とします」


その宣言に、途端に空間がざわついた。この場には約十五倍もの人数がいるのだ。それを、半分以上が落ちることになる。


「おい、なんだよそれ!ふざけるな!」

「これだけいる中でたった百人……?そんなのおかしいじゃない!」


その過酷で残酷な事実に、様々なところから文句や怒号にも似た言葉が上がっていく。しかしそれを気にせず、運がアレだったと思ってアレしてくれとなんとも曖昧で適当に流した目良は、淡々と試験のルールについての説明を始めた。

彼がターゲットとボールを取り出すと、後ろのモニターにも映像が映し出された。ルールは単純なもので、受験者は体の好きな場所にターゲットを三つ取り付け、ボールを六つ携帯し、他の受験者のターゲットにボールを当てて倒す、というものだ。

ターゲットを装着する場所は、常に晒されている場所。そのため足裏や脇など、隠れるような場所はアウト。ターゲットはボールが当たった場所のみが発光し、三つ全て発光した時点で脱落。三つ目のターゲットにボールを当てた受験者が“倒した”こととなり、二人倒した受験者から勝ち抜き。

雄英の入学試験と少しばかり似ているが、しかし対人と対ロボでは話が違う。ボールの所持数は合格ラインにピッタリな数だが、あくまで三つ目のターゲットに当てた受験者のポイントになる。そう考えると、入試以上に苛烈なルールとなっていた。


「えー……じゃ、展開後ターゲットとボール配るんで、全員に行き渡ってから一分後にスタートとします」


展開?水世が首を傾げていると、地響きのような音がした。音の出所を探すように辺りを見回せば、天井に徐々に隙間が開いていった。皆が視線を天井を向けていると、天井がまさしく“展開”していった。

壁が全て開いたと思うと、周囲にはビルの建ち並ぶ市街、聳え立つ山のようなものもある岩盤、煙突から煙を吐き出している工場地帯など、様々な地形が用意されていた。

驚いて呆然とする水世に、黒いスーツを着た男性がターゲットとボールを手渡してくれた。それを慌てて受け取った彼女は、右足の付け根、左胸の下、右肩にターゲットを装着した。


「先着で合格なら……同校で潰し合いはない……むしろ手の内を知った仲でチームアップが勝ち筋……!みんな!あまり離れず、一かたまりで動こう!」


ざわつき、慌てながらも各々が移動していく中で、クラスメイトに呼びかけるように、緑谷が振り返った。だが爆豪と轟は早々に単独行動に走り、輪から抜けていく。体育祭が全国放送されている以上、他校に手の内がバレている雄英は狙われやすい。それを考えれば、確かに単独よりは一かたまりの方がいいだろう。水世は緑谷の考えを察し、彼らと共に動こうとした。だが、遠目に周囲と頭一つ分以上抜き出たイナサの姿を見つけ、水世は足を止めた。


「ごめん……私も、ちょっと、離れる」

「え?誘さん!?」


水世は市街地の方へ向かうイナサを追いかけて、そちらへと流れる人混みに紛れる。目良のカウントダウンを聞きながら、水世は“個性”を発動させた。


『START!!』


試験開始の声が会場に響いた。瞬間、水世は風を両足にまとわせてふわりと浮遊した。これは圧縮訓練時にエクトプラズムからの助言を受け、できるようになったことだ。当初は上手くバランスが取れずに転けてしまったり、落下することもあった。

近場の建物の屋上に降りた彼女は空中に視線を送りながら、屋上を転々として、徐々に上へと向かっていった。


「風……?」


不意に、水世は巻き上がるような風に眉を寄せて、咄嗟に自分を覆うようにバリアを張った。風に乗せられて、受験者が持っているボールも上空へ飛んでいき、一ヶ所に大量に集まっている。水世はバリアのおかげでボールを奪われることはなかったが、彼女のボールがなくとも、既に数百というボールが一ヶ所に収束していた。


「俺、ヒーローって!!熱血だと思うんです!!皆さんの戦い!!熱いっス!!俺、熱いの好きっス!!」


響くような大きな声が聞こえて、水世はバリアで自身を覆ったまま急いでそちらへと飛んでいった。近付いていけば、屋上に人の姿がある。筋骨隆々な体にそぐわぬ厳ついコスチュームをまとい、片手で強風を生み出している。その正体はやはり、イナサであった。


「この熱い戦い!!俺も混ぜてください!!」


彼が勢いよく腕を振りかぶったと同時。彼が作った強風とそれに巻き込まれている大量のボールが、地面に向けて勢いよく叩きつけられた。地面から鳴る凄まじい衝撃音を聞きながら、水世は一瞬だけ“個性”を解いた。

すぐさま“個性”を発動し、彼女はイナサのいる場所に瞬間移動した。彼の頭上に移動した水世は、風を使ってくるりと回転すると、イナサの右肩に装着されたターゲットにボールを握る腕を伸ばした。

ハッと顔を上げた彼の驚く表情を尻目に、ボールが彼のターゲットに当たった。


『脱落者百二十名!一人で百二十人脱落させて通過した!!』


ピコン、とイナサのターゲットが発光した。しかし彼女が当てていないターゲットを含めて青く発光し、そこからアナウンスが聞こえてきた。イナサの肩に手をついて、一回転して彼の前に着地した水世は、彼を振り返って苦笑いを浮かべた。


「奇襲仕掛けないと難しいだろうなって思ったけど、遅かったみたい」


体もイナサの方へ向けた水世は、おめでとうと素直に彼の通過を称えた。先の腕の一振りだけで百二十人を脱落させたその実力と、彼の“個性”の威力は、やはり尋常ではない。流石だと笑った彼女に、イナサは目を瞬かせて、安心したように笑った。


「水世ちゃん、俺を安心させるために、来てくれたんスね」


ぱちりを目を瞬かせた水世は、微笑んで一つ頷いた。


「私と会ったとき、イナサくん、私の怪我のこと心配してるように見えたから」


イナサは水世の怪我を直で見たわけではない。しかしどんな怪我を負っていたのかは本人から直接聞いていた。そのため、実際に会って水世の体に傷痕一つ残っていなかったとはいえ、まだ痛みが残っているのではないか、後遺症のようなものがあるのではないかと、僅かな不安があった。それを察知した彼女は、もう自分は大丈夫だと、イナサに伝えたかったのだ。


「よかったっス、水世ちゃんが元気で」

「ごめんね、心配かけて」


水世は不安が消えた幼馴染の姿を見て安心しながら、フッと息を吐いた。不意にイナサのターゲットから聞こえる声が、控室への移動を急かしているのが聞こえた。


「頑張ってね、水世ちゃん」

「うん。私、頑張る。頑張るよ。頑張って、少しでも、進んでく」


表情を引き締めた水世は、じゃあね、とイナサに手を振って、屋上から飛んだ。この勝ち抜けを通過するには、二人以上を脱落させなければならないのだ。このビル街にいた受験者はイナサが一掃してしまったため、他の場所に移動した方がいい。


「みんなに合流した方がいいかな……」


呟いた水世は、クラスメイトがいるであろう岩盤地帯へと移動をはじめた。