ゴング前から探り探られ
バスに揺られること数時間。A組は試験会場となる、国立多古場競技場に到着した。会場の入口前には既に何百人以上の学生の姿があった。その誰もが、雄英生に気付くと視線を向けてくるため、水世は居心地悪そうにクラスメイトたちで身を隠した。
「試験って何やるんだろう……ハー、仮免取れっかなァ」
「峰田。取れるかじゃない、取って来い」
「おっ、もっ、モチロンだぜ!」
緊張感からソワソワしているクラスメイトに紛れて、水世はゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせる。魔法陣の調整に手間取ったため、必殺技自体の特訓は急ピッチとなってしまいはしたが、それなりの形にはなっている。エクトプラズムに接近戦での弱さも指摘されたため、相手もしてもらった。付け焼き刃ではあるものの、以前よりは少しは前進している。そう言い聞かせながら、水世はまた息を吐いた。
「水世、緊張してんのか?」
「そう、だね。ちょっと緊張してるかも。でも、やれることをやるだけだから……」
「だな。この日のために特訓も頑張ったわけだし、それを発揮できなきゃ意味ねえしな。胸張って、堂々としてようぜ!」
「うん」
お互い頑張ろうな。そう笑った切島に、水世も笑みを返して頷いた。それと同時、相澤が静かにするよう生徒たちに呼びかけた。
「この試験に合格し、仮免許を取得できれば、おまえら
相澤の激励の言葉に、生徒たちはこれから始まる試験への期待、興奮から、うずうずとしているようだった。全員で気合いを入れるためにも、いつもの掛け声を決めようと誰かが言い出して、A組はその場で円陣を組み、拳を挙げる準備をした。
「せーのっ、“Plus 『Ultra!!』」
「え、誰!?」
A組の誰よりも大きな声が、掛け声に混ざる。いつの間に輪に入ったのか、高身長で体格の良い、帽子をかぶった男子生徒が切島の背後に立っていた。周囲が困惑して彼を凝視するなか、水世は瞳をぱちくりとさせて、彼を見つめていた。
「勝手に他所様の円陣へ加わるのは良くないよ、イナサ」
「ああ、しまった!どうも大変失礼致しましたァ!!」
大きな声量で、腰に両手をあてたと思うと、ものすごい勢いでその生徒は頭を下げた。あまりの勢いに地面と額が激突している。そんな彼の迫力を、「テンションだけで乗り切る感じの人」「飯田と切島を足して二乗したような」と表した上鳴と瀬呂に、割と的確だと水世は少し笑った。
「ねえ、あの制服……!」
「マジでか……」
「アレじゃん!西の!有名な!!」
不意に、周囲がざわめきはじめた。頭を下げた生徒の後ろにいた学生集団に注目しているようだったが、彼らは特に気にした様子はない。
「東の雄英、西の士傑……」
爆豪が独り言のようにこぼした言葉を、水世の耳はしっかりと拾っていた。
数ある学校のヒーロー科の中でも、最高峰を誇る雄英に匹敵する難関高、士傑高校。それが今、A組の目の前にいる学生たちであった。
「一度言ってみたかったっス!プルスウルトラ!自分、雄英高校大好きっス!!」
頭を下げていた男子生徒が、グアッと頭を上げた。彼は額から血を流しながらも、それを気にすることなく大きな口を開けて、カッと目を開いて雄英生を見ている。
「雄英の皆さんと競えるなんて、光栄の極みっス!よろしくお願いします!!」
あまりの迫力や勢いに呆然とする雄英生を置いて、士傑高校の生徒たちは会場の入口へと向かっていく。水世は出血をそのままにして去っていこうとする男子生徒に、慌ててハンカチを取り出して、彼に駆け寄っていった。
「イナサくん!」
ぴたりと、巨体が止まる。振り返った彼――夜嵐イナサは、水世の姿を見ると、パッと笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。そして彼女の目の前まで来ると、水世の脇の下を掴み、子どもを高い高いするかのように、軽々と持ち上げた。
「水世ちゃん久しぶりっス!元気だったスか?」
「うん。イナサくんも元気?」
「めちゃくちゃ元気!水世ちゃんに会えたから、もっと元気になった!伊世や重世さんも元気?」
「うん」
抱えられたまま会話を続ける二人の姿に、周りは異様なものを見る目を向けている。それは雄英生も同様で、水世のクラスメイトたちは驚いたように彼女を凝視していた。
夜嵐イナサ。昨年度――水世たちの年だ――の推薦入試でトップの成績で合格をするも、入学を辞退した人物。すなわち、あの轟と八百万を押さえてのトップという、確かな実力者である。そんな彼と、クラスメイトである水世が仲睦まじげに話をしている。水世の表情や雰囲気も普段に比べて明るく、笑顔も年相応で幼く、そんな彼女の姿に驚くばかりだ。
「イナサくん、怪我大丈夫?」
「平気っス!」
「痛くない?」
「痛くない!」
心配そうに眉を下げながら、心なしオロオロした様子で、水世はイナサを見下げている。そんな彼女にイナサは眉を下げた笑顔で対応しながら、挙げていた両腕を下ろし、水世を自分の目線に合わせた。
「でも、血が出てる」
そっとイナサの額に手を伸ばした水世は、手にしていたハンカチで彼の血を拭った。イナサは大人しくそれを受け、彼女の手が離れていくと、笑ってお礼を伝えた。
「イナサ、行くぞ」
中々ついてこないイナサに痺れを切らしたのだろう。前髪で左目を隠している男子生徒が、少し苛立った声でイナサを呼んだ。あっ!と声を上げたイナサは、そっと水世を下ろす。彼女が引き止めたことを謝れば、イナサはなんてことないと笑った。
「じゃあ、会場でまた!」
「うん。お互い頑張ろうね」
大きく頷いたイナサは、水世にブンブンと手を振りながら、士傑の集団を追いかけていった。イナサがこちらを見なくなるまで手を振り返していた水世は、イナサが向かった方向を見つめ、緩みそうになる頬を抑えるように手をあてた。数秒そのままの状態だったが、水世は表情を引き締めると、クラスメイトたちのもとへ戻っていった。
「水世、あの士傑の人と知り合い?」
「めっちゃ親しげだったけど……」
「どんな関係?」
困惑と、少し興奮気味な色も見え隠れする表情で尋ねられた水世は、幼馴染だと笑った。
「え、じゃあ噂の幼馴染くんって……あの人!?」
「でも確かに、水世ちゃんから聞いてる幼馴染くんの像にピッタリだわ」
「あれは熱血系だね」
「真面目で素直、でしたわ」
「初対面でも物怖じしなかったし……」
「ガタイもよかった!」
「背も高かったわね」
「確かにずっとニコニコしとった」
以前水世が挙げた特徴に当てはまる、と女子たちが頷きながら呟く。しかし水世とイナサが並ぶと身長差や体格差、互いの性格も相まって、見るからに凸凹コンビであった。
「いつも、その……あんな感じなん?抱っこされとったけど」
「うん。小さい頃は私の方が背が高かったんだけど、イナサくんの方が大きくなってからは、なんか嬉しいみたいで。それに身長差がありすぎて、首が痛くなるだろうからって。だから、基本あんな感じ」
最初は恥ずかしさがあった水世ではあったが、毎度されていればそれにも慣れて、今では抱きかかえられた状態での会話も平然とできるようになっていた。それでも人前でされるのはやはり恥ずかしいが、イナサが嬉しそうだからという理由でやめてほしいとは言わないでいたりするのだが。
「なんか、大型犬って感じだったね」
「飼い主に懐いてるわんこだったよね」
芦戸や葉隠は、二人のやりとりを思い出しながら、うんうんと頷き合っている。きっと破天荒な幼馴染と、それを見守る水世という関係性なのだろう。そんな予想をしているとは微塵も知らない水世は、不思議そうに首を傾げた。
「イレイザー!?イレイザーじゃないか!」
前々から何度か話は聞いていた水世の幼馴染の存在の意外性に驚く面々の空気を変えるように、女性の声が入ってきた。その声に、相澤の表情が歪んだ。
相澤を呼んだのは、頭にバンダナを巻いた気さくそうな女性だった。どこかで見たことがあると水世が記憶を掘り起こしていれば、彼女は軽く手を振って相澤の前に来た。
「結婚しようぜ」
「しない」
単刀直入に驚きの発言をした女性に、相澤は一切の躊躇もなく切り捨てた。それに気を悪くするでもなく、女性は思いきり噴き出して笑っている。
「あの人は……!スマイルヒーロー『Ms.ジョーク』!」
「その人って確か、笑いながら逮捕された銀行強盗事件の……」
思い出した、と水世は数ヶ月ほど前のテレビニュースの映像を脳内から掘り起こした。笑いの止まらない様子の銀行強盗犯が警察に連行されていく姿は、中々に衝撃的な映像だったのだ。その時に事件を解決したヒーローが、Ms.ジョークだった。彼女の“個性”である「爆笑」は、近くの人を強制的に笑わせ、思考と行動を鈍らせるという、絵面的には中々にシュールな状況を作る“個性”であった。
ジョークは冗談なのかそうでないのか――恐らくは前者だろう――わからない告白をしながら、相澤に絡んでいる。なんでも以前事務所が近くだったこともあり、旧知の仲だったそうだ。相澤はうんざりしたような顔を隠すことなく、「おまえの
「そうそう。おいでみんな!雄英だよ!」
彼女が振り返ると、少し離れた場所から歩いてきていた学生たちが、こちらに歩み寄ってきた。嬉々としていたり、無愛想だったりと反応は様々ではあるが、体育祭の影響もあり、彼らは雄英生の顔を知っているようだった。
「傑物学園高校二年二組!私の受け持ち、よろしくな」
確か、ヒーロー育成でも一定の評価を受けている、私立高校。水世がぼんやり思い出していると、黒髪の好青年そうな見目の生徒が、緑谷の両手を握りながら声をかけた。
「俺は真堂!今年の雄英はトラブル続きで大変だったね」
「えっ、あ……」
「しかし君たちはこうしてヒーローを志し続けているんだね。すばらしいよ!」
真堂と名乗った生徒は、好意的な態度で上鳴や耳郎など、他の人とも握手を交わしている。それを見て、水世は少し後ろに下がって握手を回避した。
「不屈の心こそ、これからのヒーローが持つべき素養だと思う!」
ウインクをして爽やかに言った真堂に、満月がおかしそうな笑い声を漏らすのが聞こえた。水世がどこに笑う要素があったのかと不思議がっていれば、真堂は「中でも……」と爆豪を名指しした。
「君は特別強い心を持っている。今日は君たちの胸を借りるつもりで頑張らせてもらうよ」
スッと片手を差し出した真堂を見て、爆豪はその手を払い除けると、「台詞と面が合ってねえ」と、以前水世にも言ったようなことを彼に吐き捨てた。そんな爆豪の態度に切島が代わりに謝るが、真堂は気にした風はなく、笑顔で対応している。少し離れた場所では、中瓶が轟にサインを求めており、存外友好的に接してくれていた。
「おい、コスチュームに着替えてから説明会だぞ。時間を無駄にするな」
先に会場の入口へ向かっていた相澤が、振り返って生徒たちに告げる。それに元気な返事を返した面々は、少し緊張が解れた様子で相澤とジョークの後ろをついて歩いた。
「君、誘さんだよね?」
荷物を持ち直した水世の顔を覗くように、真堂の顔がヌッと現れた。突然のことに驚いた水世が大袈裟に肩を跳ねさせると、いつの間にか隣に来ていた彼が「ああ、驚かせてごめんね」とこぼした。
「体育祭、すごかったよ。君の“個性”には驚かされた。思わず目を奪われちゃったよ」
「えっと、ありがとうございます……」
少し、苦手だ。目の前で彼を見て、直感で、水世はそう感じた。こちらに好意的に接してくれてはいるが、しかし、違う。苦笑いを浮かべた水世は少しだけ歩調を速めて、前を歩いていた障子の隣に並んだ。
《どうして、笑ってたの?》
そんな疑問を尋ねられた満月が笑った空気がしたと思うと、彼は愉快そうな声音で言葉を吐き出した。
《アレは腹に黒いの抱えてやがるからさ。胸を借りるとか言いながら、心の中じゃあこっちを蹴落とす気満々だぜ。こっちの出方を窺ってやがる》
《つまりは、外面が良いってこと?》
《そんな感じだな。だからおまえも苦手だと思ったんだろ。おまえは他人と線を引く時には、咄嗟に笑みを作る。向こうも腹黒さを隠すためにあんなチャチな表情飾ってやがる。理由は違えど、似たようなことをしてたから、勘付いたんだろ》
真堂は、一見友好的で爽やかな好青年だ。しかし、確かに、そう言われてみると、漠然としていた違和感が表情からくるものだと水世は気付いた。目の奥にある、こちらを見定めるような視線が苦手だ。なるべく関わるのは避けたい。そんな少し失礼なことを考えながら、水世は会場内に足を踏み入れた。