- ナノ -

君と僕だけの世界がいい


気持ちを落ち着かせるように、水世は深呼吸をした。昨夜の緑谷との会話を思い出しながら、彼女は“個性”を発動させる。

意識するのは「出口」と、そして「入口」。出てきた鎖が入る扉を用意する。鎖の射出線状に「入口」となる扉を置く。頭の中で詳細なイメージを浮かべながら、水世は魔法陣を直列に展開させた。

もう一度呼吸を整える。フッと息を吐いた水世は、普段通りに、魔法陣から鎖を噴出させた。


「あ……」


勢いよく、魔法陣から鎖が飛び出す。それは今までと変わらないことだが、今までとの大きな違いもあった。昨日までは両方の魔法陣から鎖が飛び出て、互いにぶつかっていた。しかし今日は、鎖が飛び出たのは一つの魔法陣からだった。まっすぐに飛び出した鎖の先は、進行方向にあるもう一つの魔法陣の中へと、吸い込まれるように消えていったのだ。

ぱちりと、水世は目を瞬かせた。信じられないものを見るような目で、そばにいたエクトプラズムの方を向くと、彼も少しばかり驚いている風だった。だがすぐに水世を見て、満足げに頷いた。


「デキタジャナイカ」

「……できたん、ですか?まぐれじゃなくて……」

「信ジラレナイノナラ、モウ一度ヤッテミルトイイ」


戸惑いがちに頷いた水世は、改めて魔法陣を展開させると、もう一度同じことをした。やはり鎖が出てきたのは片方の魔法陣からで、それはもう一方の魔法陣に飛び込んで、消えていった。

そうか、できたんだ。二度目でやっと成功を実感した水世の頬が、僅かに高揚していく。途端に振り返った彼女は、誰かを探すように視線を巡らせたと思うと、その瞳は緑谷を捉え、止まった。水世は何を言うでもなく、エクトプラズムとの組手を交わす彼を見つめる。緑谷が一度尻もちをついたと思うと、不意に彼の丸い瞳も吸い寄せられるように水世を向いた。

見つめ合って数秒。水世が彼に笑みを見せて、ピースサインをした。ぱちりと目を瞬かせた彼だったが、その表情と仕草の意味に気がついたのだろう。彼もまた、笑って親指を立てた。


「何カコツヲ掴ンダカ?」


エクトプラズムに声をかけられ、水世は緑谷から視線を外して、エクトプラズムに向き合うと、彼女は首を横に振った。


「そもそもの認識が間違ってたんだって、気付いたんです。もっと単純な考えでよかったんだなって」


魔法陣は「出口」であり「入口」であったこと。それに気付くことができたのが、今回の大きな鍵だった。「出口」としか使わなかったために「入口」としての機能を忘れていた。考えてみれば、瞬間移動なんかは「入口」としても「出口」としても使用しているというのに。エクトプラズムに説明した水世は、恥ずかしそうに笑みを見せた。


「デハ、コレカラハ必殺技ノ特訓モ、近接戦闘ノ訓練ト並行シテイク。先程ノ魔法陣ノ使イ方ヲ応用スレバ、ヨリ必殺技ノ範囲ハ広ガルダロウ。何カ案ハアルカ?」

「そう、ですね……案は浮かんでいます。上手くできるかは分かりませんが……」

「ビジョンガ見エテイルノデアレバ話ハ早イ。試験マデ残リ僅カ、ソノ必殺技ニ集中シタライイ」


はい。大きく頷いた水世は、すぐに必殺技の練習に取り掛かった。











「誘。おまえ、妹の成長を止めようとしてないか?」


見定めるような、しかし確信を抱いている瞳に射抜かれる。鋭い眼光だが、不思議と恐怖はなかった。尋ねられた言葉を訝しむような表情を浮かべれば、僅かに眉間のしわが深くなる。まるでシラを切るなと言わんばかりだ。


「何故そう思ったんですか?」

「妹とおまえの“個性”は、根本的には異なるものだが能力的には似たものだ。だが向こうに比べておまえの“個性”のクセは強くない。扱いは断然おまえが優れているのは明白だ。妹よりも先を進んでいるおまえが、アイツができたことが、できないわけがない」


そう淡々と前置きを語ると、「何故教えてやらなかった」と尋ねられた。何のことだと、今度は本当に訝しむと、先日の必殺技修得の特訓のことについてだと続けた。


「あの時、必殺技に行き詰まっていたアイツに、おまえは『わざわざそんなややこしいことしなくても、今のままでも、必殺技はできるだろ』と、そう言ったな。妹が行き詰まっている部分を、おまえは既に克服しているはずだ。ならば俺たちよりも的確な助言を行える。だが、それをしなかった。誘、おまえは遠回しに、『変わらずとも、今のままでいい』と告げたんだ」


一つ瞬きをして、数秒。自分の顔から感情がごっそり抜け落ちたのが、自分でも理解できた。普段から無愛想なことは自覚しているが、しかし今はその比ではないのだろう。きっと己は、能面のような顔をしている。鏡を見なくたって、それがわかった。


「水世は、自分の“個性”が怖いんです」

「だが、向き合おうとしている」

「べつに、向き合わなくてもいいでしょう」


無理して向き合うことはない。そう告げると、途端に目の前の男の瞳の鋭さが増した。しかしやはり、恐怖は感じなかった。


「水世は散々“個性”で苦しんだ。散々傷つけられてきた。そんな早急に向き合わずともいいでしょう」

「おまえ……それは本気で言ってるのか?」

「冗談に見えますか?」


沸いた苛立ちを抑え込むような声音は、どこか震えていた。たかが担任だというのに、何をそんなに感情的になりかけているのだろうかと首を傾げる。


「少なからず俺のそばにいるのなら、水世の“個性”は暴走しません。仮にしたとしても、俺は止められる」

「何故そう言いきれる」

「俺が水世の、正確に言えば水世の“個性”の弱点なので」


人物にも、物にも、それぞれ相性がある。“個性”にだってそれは同じこと。水世の“個性”の弱点は、俺の“個性”が弱点となる。能力制限がかかっているなら、尚のこと水世の“個性”の勝機は薄い。

そう端的に説明をしたが、しかし納得した様子は微塵もない。むしろ、断言できるほどの根拠がないとまで言われる始末だった。


「根拠も何も、世間的にもそういうものだと認知されてるじゃないですか。それに、制限がある。仮に戦ったとして、今の水世に勝つのはそこまで難しい話じゃない」

「それは、『契約』とやらがあるからか?」


知っているのかと少し驚いたが、ふと思い出す。あの時、病院でアイツは「契約」のことを口にしてしまっていた。その場に目の前の教師はいなかったが、オールマイトやリカバリーガールはいたのだから、話した内容が筒抜けでもおかしくはないとすぐに納得して、肯定する。


「癪だが、おまえの“個性”が一番相性が悪い。しかも心底気に食わないことに、水世は昔からおまえのことを気に入ってる。だからこそ、おまえが鍵になるのが現状の最善策なんだよ」


アイツが、顔を歪めながらそう言ったことをハッキリと覚えている。俺と接触する前から、アイツは俺のことを嫌っていた。その瞳が苛立ちと不快感と、憎悪に塗れていたのを今でも鮮明に思い出せる。何故そのような瞳を向けられているのかも、今ならよく理解できる。アレは所謂、嫉妬からくるものであったのだと。

無駄に時間を取ってしまったような気分になりながら、先生の横を通り過ぎようとした。だが、それを許してはくれなかった。


「おまえらのソレは、真っ当な兄妹関係じゃない。言ってしまえば共依存だ。そんな関係を続けて、本当に妹のためになると思うのか?世界は決して優しくないが、だからと言って冷えきってるわけでもないだろ」

「何も知らないから、そうやって軽く言えるんですよ」


自分でも驚くような、冷え切った声が出てきた。

たとえば、もう少し世界が彼女に優しかったなら。何度そう思い、何度世界を恨んだだろう。たとえば、もう少し人々が彼女に優しかったなら。何度そう思い、何度人々を嫌っただろう。

たとえば、もう少し、神様が彼女に優しかったなら。何度そう思い、何度神様を憎んだだろう。

何度も期待し、そうして何度も裏切られ続けた。「たられば」や「もしも」を考えては、そうはならない現実を目の当たりにする。まるで生まれてきたこと自体が罪かのように、歩む人生は罰のように、たくさんのものが水世を踏み躙っていく。彼女が優しい明日を迎えられるようにと、毎夜祈って、毎夜願って、そうして、絶望した。祈りも願いも聞き届けられることはついぞなかった。

ただそこにいるだけで、生きているだけで、彼女は害であると判断された。退治と称した暴力に晒され続けた。そんな中で、誰も助けてくれやしなかったではないか。両親も、兄も、周りの大人も、誰も。神という存在だって、彼女を救ってはくれなかった。


「もし“次”を与えてもらえたなら、また出会おう。いつになったっていい。また出会って、そんで――」


だからこそ、自分のそばに置くのだ。今までそばにいれなかったから、俺も彼女を守れなかったから。だから今度こそはと。二度も失うわけにはいかないと。大事なものを、大切なものを、自分のそばに置いて何が悪いのか。たとえ傲慢と言われようとも、誰も、神でさえも彼女を救わないのであれば、俺が救うのだ。


「信用しろと言われて、はいわかりましたって簡単に頷けてたなら、今頃水世は、踏み潰されながら生きてなんかないですよ」


いつか迎える死を、俺のために死ぬ日を待つためだけに、生きてなんかいない。

今度こそ、俺は相澤先生の横を通り過ぎ、振り返ることもなく、廊下を進んでいった。


「水世……おまえは、俺と――」


俺といない方が、いいか?あの時不意に口から出てきそうになった言葉は、遮られたことで彼女の耳に入ることはなかった。自分は何を言おうとしていたのかと、恐ろしくなった。どこぞの愉快犯に言われた言葉が尾を引いているのだと気付くのは容易かった。

そんなこと、口が裂けても言うべきことではない。彼女のことを考えれば、その言葉は禁句でしかないのだから。それを理解しているからこそ、俺のことを心底嫌っているアイツも、本心はどうだか知らないが、俺との関係を断てと水世には言わないのだろう。

頼むから、余計なことはしないでほしい。お節介な茶々を入れないでほしい。俺はただ、水世が安心して目を覚ますことのできる朝が来ればいいと、それを願っているだけなのだから。