- ナノ -

広い視野からリスタート


「フヘエエエ……毎日大変だァ……!」


気の抜ける声を上げたのは、芦戸だった。今日は談話スペースは女子が占拠した状態で、仮免試験まで残り一週間を切っており、皆追い込みをかけていた。


「ヤオモモは必殺技どう?」

「やりたいことはあるのですが、まだ体が追いつかないので……今は少しでも“個性”を伸ばしておく必要がありますわ」

「梅雨ちゃんは?」

「私はよりカエルらしい技が完成しつつあるわ。きっと透ちゃんもびっくりよ」


各々、既にある程度のスタイルを確立し、必殺技の構想もできあがって、それに向けて特訓をしている。だが水世は、未だに魔法陣の調整が上手くいっていなかった。“個性”をまともにコントロールできないのだから、微細な調整がそう易々とできるわけもない。それは重々承知していたのだが、こんなにも手間取るとは予想もしていなかった。

魔法陣の調整が不要な必殺技の候補はあるため、仮に完成しなくとも問題はない。しかし、“個性”コントロールの件を考えても、できた方がいいことであるのに間違いはなかった。相澤との“個性”コントロールの特訓も難航しているため、水世は余計に焦燥に駆られていた。


「うひゃん!!」


驚いた声を上げながら飲み物を噴いた麗日の声に、水世は肩を跳ねさせた。そんな彼女の反応に、八百万が窺うように水世を見たので、彼女は笑みを返した。


「お疲れのようね」

「いやいやいや!疲れてなんかいられへん、まだまだこっから!……の、ハズなんだけど、なんだろうねえ……最近ムダに心がザワつくんが多くてねえ……」


困ったように眉を下げてこぼした麗日に、芦戸が即答で「恋だ」と告げた。途端、「ギョ」という謎の言葉を吐いた麗日の体から汗がドッと吹き出す。彼女は頬を真っ赤にさせたと思うと、手をシュバババと動かし、大慌てで否定の言葉を吐いた。だが芦戸はそんな彼女の否定などものともせず、一緒にいることの多い緑谷と飯田の名前を挙げた。ついに麗日は、片言で否定の言葉を吐きながら宙を浮いた。


「誰!?どっち!?誰なのー!?」

「ゲロっちまいな?自白した方が罪軽くなるんだよ!」


まるで取調べのように追求する芦戸と葉隠に、麗日は宙を浮いたまま逆さになって否定している。その語尾がどんどん弱くなっていく。そんな麗日の様子に、蛙吹と八百万が諫めるように止めに入った。


「ええー!!やだ、もっと聞きたいー!なんでもない話でも強引に恋愛に結びつけたいー!」


恋バナに飢えている。芦戸の発言を聞いた水世の頭の中に浮かんだ言葉は、それである。このままでは飛び火しそうだと危機感を覚えた彼女は、そろそろ休みましょうと告げる八百万に賛同するように頷いた。


「えー……恋バナしようよ恋バナー!」

「それはまた今度にしましょう。明日も特訓があるんだもの、ゆっくり休んで疲れをとらないと」


頷くだけの機械になったみたく、水世は首を縦に振る。下手に口を出して標的にされるのは避けたかった。数日前に初恋話について話してしまっているがために、掘り返されるのは恥ずかしくてたまらないのだ。

なんとか食い下がろうとする芦戸を宥め、水世たちは解散した。

逃げるように部屋に戻った水世だったが、ベッドに入っても中々眠りにつけないでいた。目を瞑っても、必殺技のことが思い浮かんでしまい、眠りを妨げてしまう。がばりと起き上がった水世は、気分転換をしようと考えて部屋を出ると、エレベーターで一階に降りた。既に人の影はなく、水世は誰もいない談話スペースを抜けて外に出ていった。


「……緑谷くん?」


玄関を出た水世の目に入ったのは、しゃがみ込んでブツブツと一人で呟いている緑谷の姿だった。何をしているのかと見つめていれば、立ち上がった彼が勢いよく水世の方を向いた。ぱちりと目が合ったと思うと、彼は驚いたような声を上げた。


「い、誘さん……どうしたの、こんな時間に……」

「ちょっと眠れなかったから、少し気分転換に……緑谷くんは?」

「僕は、個人特訓」


シュートスタイルに変更したばかりなため、まだスキルが足りないのだと、緑谷は苦笑い気味に水世に返した。必殺技の練習後で疲れているだろうに。彼女は驚きながら、努力家だね、とこぼした。水世の言葉に顔をキョトンとさせた緑谷は、そんなことはないと慌てると、自身の両手に視線を落とした。


「僕は、他のみんなよりもいろんなことが遅れてるし、技術だって拙いから……だから、少しでも早く追いつきたいんだ」

「……緑谷くんは、本当にすごいね」


それが羨むような声音であることに気付いたのは、言葉を向けられた緑谷本人と、満月だけだった。水世は眉を下げて微笑むと、もう一度同じ言葉をこぼした。


「なにか、悩んでるの?」


その表情がどこか思いつめているように見え、緑谷は恐る恐る彼女に尋ねた。水世は一瞬目を丸くさせたと思うと、困ったように笑みを見せながら、私ね、と呟いた。


「苦手な接近戦の克服もできてないし、必殺技も行き詰まってて。みんなはどんどん、得意を伸ばして、苦手を克服していく……ずっとずっと先を歩くみんなの背中を、私はただ見てるだけだなって。改めて、そう思ったの」


意外だった。水世は所謂強“個性”を持っており、あらゆる手数を状況に応じて使いこなすその判断力や抜群のセンスがあった。緑谷にとって、彼女は自分よりも前を歩く存在だと認識していたのだ。しかし水世自身は、自分が誰よりも後ろにいると、そう感じていた。その認識の違いが、意外であった。

悩みのない人だと思っていたわけではない。誰しも何かしらの悩みは抱えているのだから。しかし、水世の悩みが自分と同じようなもので、緑谷は驚いてしまった。


「その……よければ必殺技について、教えてもらってもいいかな?力になれるかわからないけど、僕も一緒に考えるよ」

「え?」


緑谷の方を見た水世の顔は、心底驚いた顔をしていた。何で、どうして。そんな疑問が表情にありありと映し出されていて、緑谷は、誘さんは意外とわかりやすいところがあるんだ、と少し笑った。


「困ってるクラスメイトの力になりたい、ただそれだけだよ。僕だって、シュートスタイルは脚をメインに使うから、飯田くんにコツとか教えてもらったんだ」


地面に置いていたノートを拾い上げた緑谷は、それを水世に見せてくれた。飯田から教えてもらったこととは別に、実践してみての改善点なども書かれたそのページは、上から下までぎっしりと文字で詰まっていた。それは彼の努力の証であり、成長の過程でもあった。


「僕たち、同じヒーローを目指すライバルでもあるけど、仲間でもあるからさ。困ったときはお互い様だよ」


照れたように頬を掻いた緑谷に、水世は瞳をぱちぱちと瞬かせると、おずおずとお礼をこぼした。ノートを返した水世が黙り込んでいると、緑谷はハッとして、途端に慌てはじめた。


「いや、あの、ごめん……なんか偉そうなこと言っちゃって……」


弁解するように言葉を続ける緑谷の様子を数秒見つめ、水世はおかしそうにクスクス笑った。その声に言葉を止めて水世をぱちくり見つめる緑谷に、彼女は「聞いてもらってもいい?」と尋ねた。彼が何度も頷いたのを見て、水世は今自分がやろうとしていることについてと、オールマイトからのアドバイスを、緑谷に端的に説明した。


「出るためだけがドアじゃない、か……」

「うん。その意味が、私にはよくわからなくて」


彼女の話を聞いた緑谷は、考え込むように黙りこくってしまった。まるで自分のことのように悩み、考えてくれている。それがすぐに伝わってきて、彼の人の良さが表れていた。

水世はそんな姿を見つめながら、ただでさえ自分の特訓もあるのに、余計な時間を使わせてしまっていると、一人罪悪感を覚えた。これは自分自身の課題なのに、つい彼の言葉に甘えてしまい、彼自身の時間を割いてもらっている、と。

他人から答えをもらうのではなく、自分で気付いてこその成長だ。やっぱり自分一人でもう一度考えてみよう。そう思い、水世は緑谷に声をかけようとした。だが彼が何かを呟いていて、言葉を止めた。


「魔法陣の仕組みはドアと一緒ってことか……オールマイトが『出るためだけじゃない』ってわざわざ言ったってことは、他にも使い道があるってことだ……」

「……ドアの、使い道?」

「うん。『出る』以外にも、何かあるんだよ、きっと。オールマイトはそれを伝えたいんだと思う」


ドアの使い道。ドアは、要は出入口だ。建物や部屋の入口、または出口となっており、外部と遮断することもできる。そこまで考えて、水世はん?と眉を寄せた。

出入口。つまり、扉とは出口でもあり、入口でもある。出るだけでなく、入ることだってできる。


「そうだ、そっか……緑谷くん、私、わかった……!」


スーッと、今まで頭の中を覆っていた霧が消えていくような感覚がしたと思うと、水世は勢いよく顔を上げた。


「私は、一方通行だったの」

「一方通行?」

「そう。私はいつも、魔法陣を『出口』にしか使ってなかったの」


水世の魔法陣の使い道は、常に魔法陣の中から「出す」行為だった。しかし魔法陣が扉であるのなら、一方通行ではなく、双方向であるのだ。「出す」ことが可能なのだから、「入る」ことだって可能である。だが彼女には魔法陣を「入口として使う」という考えが欠けていた。そのため、水世はいつも無意識に、「出口」として魔法陣を出していたのだ。だから、何度やっても上手くいかなかった。当然だ、出口だけあっても、入口がないのであれば意味はないのだから。


「扉は出口でもあり、入口でもあるってことか……!」

「うん」


考えてみれば当たり前で、単純なことだった。どうして自分はこんな簡単なことを見落としていたのだと、水世は少し気恥ずかしさを覚えながら、緑谷にお礼を告げた。


「え?いやいやいや、僕は全然、何もしてないよ。誘さんが自分の力で気付けたんだから」

「ううん。緑谷くんが話を聞いてくれて、一緒に考えてくれたおかげだよ。私一人だと、延々と考え込んでたと思う」


狭まっていた視野が一気に広がったような気分だった。水世はもう一度、緑谷にお礼を伝えた。その表情は、思いつめていたのが嘘みたいに晴れやかだ。ようやく正解に辿り着けたことが嬉しいのか、少し興奮しているようにも見える。


「明日からは、ちょっと意識してやってみる。そしたら、少しは進展するかも」

「頑張って、誘さん。大丈夫、きっと上手くいくよ」

「うん。本当にありがとう、緑谷くん」


気合いを入れるように、グッと両の拳を握った水世に、緑谷は激励をおくった。