- ナノ -

無邪気な邪悪は表裏一体


必殺技の特訓が始まり二日が経った。その日の特訓を終えた水世は相澤から呼び出されて再び体育館γを訪れていた。体操服に着替えている彼女の前に立つ相澤は、一つ咳をこぼした。


「今日呼んだのは、“個性”コントロールに関してだ。おまえには、必殺技の特訓と並行して“個性”コントロールの訓練もしてもらう」

「はい、よろしくお願いします」

「それで、だ。オールマイトから聞いた話だが……以前、おまえが意識不明の時に、中の奴が出てきたらしい」


中の奴が出てきた。その言葉に一瞬顔をキョトンとさせた水世だが、すぐに満月のことだと理解して、目を丸くさせた。そんな話は初耳だと脳内で彼に抗議をしてみたが、当の本人はどこ吹く風で、真面目に取り合う態度は示さなかった。


「その時に、おまえには『器』が足りてないと、そいつが言ってたらしい」

「器、ですか……」

「それは私から説明しよう」


突然会話に入ってきた声に、水世も相澤も勢いよく扉の方を見た。そこにはオールマイトが立っており、彼は二人を見ると、笑いながら軽く手を上げた。ぱちりと目を瞬かせる水世をよそに、オールマイトは体育館の中に入ってくると、二人の方へと歩み寄った。


「君の“個性”はとても強力だ。しかしあまりにも強すぎて、君の身体が“個性”に耐えられないんだ。だから、コントロールが困難になっている」


水世という器に対し、“個性”の容量が多すぎる。オールマイトはそう指摘した。容量の多さから器に収まりきれておらず、今は無理矢理に押し込んでいる状態であるのだと。そのため“個性”を上手く扱いきれず、暴走を起こしてしまっていたのだ。


「なら、その器を作れれば、“個性”のコントロールもできるってことですか?」

「君の中にいる彼が言っていることが正しいのなら、そういうことになる」

「じゃあ、いったいどうやって……」


“個性”に見合う器になればいいのか。皆目見当つかないと言いたげな水世に、相澤は軽く頭を掻いた。


「まあ、鍛え上げるしかないだろうな。要は身体作りだ」

「身体作り……」

「ああ。ひとまずは、合宿の時にも言ったが、感覚を掴み、耐性をつけていくことからだ。感覚が掴めれば、何かしらヒントにもなるかもしれん」


すなわち、やることは合宿の時と同じ。“個性”を発動し続ける。二次拘束に陥っても暴走する前に相澤が“個性”を消してくれるため、不安に感じることはない。水世は自分にそう言い聞かせながら、体の強張りを解すようにゆっくりと呼吸を吐くと、相澤とオールマイトから距離を取った。

彼女の左手に紋様が現れると、足元から風が放出された。彼女の髪をふわりと揺らしながら、水世を囲った風は徐々に強さと大きさを増していく。それに比例するように、紋様が左腕を覆っていった。

紋様が肩まで侵食したと同時、水世の心臓が大きく脈を打った。一瞬“個性”を解除しかけた彼女だったが、寸でそれを耐えた。そのまま風を吹かせ続け、ついに、彼女自身の意識がブラックアウトする。

ぴたりと、風が止まった。水世は体の力が抜けているかのように、ガクン、と頭が下を向いている。相澤は首元に手をかけた状態で、彼女の様子を、目を凝らして見続けた。

――ピリッ、と。鋭い針のようなものに肌を刺された感覚がした。瞬間、彼は首元に巻いていた操縛布を水世へと放り、彼女の体に巻きつけた。決して布が緩まぬよう、両手で強く握り締めたまま、相澤は水世から目をそらさない。

体を締めつけられながら、両手両足を拘束された状態で立つ彼女が、ゆっくりと顔を上げた。水世の顔は、笑っていた。

ビリビリと、空気が緊迫を告げる。瞳孔を開き、口元で三日月を描くように口角を上げている水世は、体の拘束を解こうとしているのか、身動ぎをしている。その視線は相澤とオールマイトから外れることはない。

オールマイトは、この状態の彼女を見るのは初めてであった。水世と視線が絡んだ瞬間、彼は一瞬息が止まった。様々な悪意と対峙してきた彼であったが、これほどまでに純粋な悪意を持つ者は、果たしていただろうかと、オールマイトは思案した。それだけ、今の水世の悪意は、あまりにも純粋なのだ。

何せ彼女は、相澤にもオールマイトにも、敵意も憎悪も嫌悪も、何も向けていない。言うなれば玩具を乱暴に扱うような、興味で蟻の巣に水を入れるような。そんな、善悪の区別がつかない子どもが持つ無邪気な残虐性。どこまでも悪意に無自覚なその様はまさに純粋で、純粋に悪であった。


「誘、気をしっかりと持て!“個性”に飲み込まれるな!」


相澤の呼びかけに対し、水世はピクリとも反応を示さない。体をもぞりもぞりと動かして、何がそんなにおかしいのか、ケタケタと笑い声を上げている。相澤とオールマイトが遊び相手になってくれているとでも思っているのだろうか。

爛々とした瞳がようやく二人からそれると、今度は忙しなく辺りに視線を散らしはじめた。唯一自由が効く首を上下左右に向けながら、体育館内を見回している。不意に、彼女の眼球が左右でバラバラに動きはじめた。自由奔放に動き回る彼女の瞳に、オールマイトも相澤も、目を丸くする。


「アハッ、ハハッ!」


もし彼女の体が自由だったなら、手を叩いて喜んでいたのではないか。そう思うくらい、水世は驚きに満ちている二人の表情を見て、ご機嫌な様子で笑っていた。その姿はやはり、無邪気な子どもという言葉がピッタリだった。

これでは埒があかない。そう判断した相澤は、水世の“個性”を消した。彼の瞳がカッと見開かれたと同時、水世の頭が勢いよく垂れ下がった。ハッと息を吐いた彼女は、肩を上下させながら呼吸を繰り返した。


「さっきまで二次拘束状態だったが、俺の呼びかけは聞こえたか?」

「……いえ、何も……」


布から解放された水世は呼吸を整えながら、ゆるゆると首を振った。


「二次拘束状態になったとき、どんな感覚になるのかは、わかるかい?」

「上手く言えないんですが……飲み込まれてる、ような、そんな感じです」


とても大きな波に飲み込まれ、身動きが取れずに閉じ込められ、今にも押し潰されてしまいそうになる。不安げにこぼした水世に、オールマイトはなるほどと頷いた。


「やはり、“個性”に対して、器が足りないというのは正しいんだろうね」


オールマイトの言葉に、水世は首を傾げた。


「しかし、恐らく誘少女の場合は身体的なものよりも、精神面の問題ではないかな」

「精神面、ですか?」


不思議そうに復唱した水世に、オールマイトは大きく頷いた。曰く、水世の“個性”は単純な筋力などはあまり必要としないため、そちらよりも精神的な部分が関係してくるのでは、と。確かに水世の“個性”は、クラスメイトである緑谷や切島のように、物理的な力は必要としない。身体的な能力がなくとも立ち回れるような能力なのだ。

オールマイトの見解に関心を示す水世のそばで、話を聞いていた相澤は考えるように顎に手を置くと、水世の方へ顔を向けた。


「誘。おまえ、自分の“個性”は嫌いか」

「え?いえ……嫌いではないです」

「なら、自分の“個性”が怖いか」


思わず、水世は息を呑んだ。答えようと口を開けたが、そこからは言葉は出てこなかった。相澤から視線をそらした水世は、やや俯きがちに視線を下に向けて、小さく首を縦に動かした。

水世は決して、自分の“個性”が嫌いなわけではない。好きかと言われると素直に頷けはしないが、だからといって嫌いというわけでもないのだ。しかし、怖いかと問われれば、彼女は頷く他なかった。

自身の“個性”がどれだけ危険であるかを、水世は充分に理解している。故にこそ、コントロールが不可能なそれは最早災害とも呼べるような代物で。下手に扱えばどれだけの被害が及ぶかなんて考えたくもなかった。その恐怖が、水世の奥底には根付いている。そうなるまでに至った理由は様々あるが、物心のついた頃から植え付けられ、本人の意思など関係無しに育てられた意識は、そう簡単には枯れてくれない。


「自分の“個性”に対する恐怖。それを拭えない限りは、完全なコントロールは無理だろうな」

「こればっかりは、君自身の心の持ちようになってくる。でも、私たちもサポートしていく。だから一人で抱え込まなくてもいいからね」

「はい……」


“個性”への恐怖の払拭。果たして、自分にそれが可能だろうか。こんな“個性”でも人を救えると知ることができた。しかし、それはあくまで能力制限がかけられていたからという理由も大きい。仮に制限がなければ、“個性”を使おうとした途端、自身の意識が飲み込まれるのは目に見えていた。

どんどん後ろ向きに進んでいく思考に気付いた彼女は、ハッと顔を上げて頭を振った。こういうところがダメなんだ。少しでも、“個性”に前向きになっていかないと。自分に言い聞かせながら、水世は相澤に特訓の再開をお願いした。











今でも、時折夢に見ることがある。私の“個性”が、他人を傷つけた時のことを。それは何も、一度だけではない。まだ契約を結ぶ前、暴走した“個性”で、私は他人を傷つけてきた。

最初は両親だった。リビングを半壊させるほどに私の“個性”は暴れ回って、結果両親は死にはせずとも、流血するほどの怪我を負った。

私の“個性”の恐ろしさが周囲に露見したのは、小学校の頃、同級生を傷つけた時だった。

その頃の私は、まだクラスにそれなりに溶け込んでいて、周囲から怖がられることもなかった。学校に入学してから、何度目かの“個性”教育の時間だった。

その日は、初めての実技的な授業であり、自分の“個性”で何ができるのかを知ってみましょう、と先生は言っていた。みんなの“個性”を見て、そうして自分の番が回ってきたとき。私は、みんながしていたように“個性”を発現させた。

瞬間、水を打ったように静かになったと思うと、クラスメイトの男の子が一人、怯えたような声で「化け物」と言った。それは伝播し、他の子たちは後退って同じように怯えた顔をしていた。宥める先生を尻目に、誰かが、私に石を投げた。それが額に当たったと同時、魔法陣が展開されて、飛び出た鎖は一直線に石を投げた男の子へ向かい、彼に巻きついた。それを見て、すぐに解こうと思った。

けれど、できなかった。自分でも制御しきれないほどの力に怯える私に、満月が無理矢理に意識を交換してくれたことで、なんとか“個性”を抑えることができた。私は鎖から解放された男の子に謝ろうと、彼に駆け寄った。

しかし、突き飛ばされた。その男の子だけではなく、他のクラスメイトや、担任の先生までもが恐ろしいものを見るような目をしていたのを、忘れられない。

それからは、私は“個性”で嫌われていった。危険な“個性”だと、周囲から認識されたのだ。イナサくんと知り合ったのは、その一年後のことだった。

私はその時から、“個性”を使うことを自分で律した。自分から使おうとしなければおとなしかったから。しかし半月に一度程のペースで“個性”が勝手に暴発して、周囲を傷つけることもあった。

今まで一番大きな怪我をさせたのは、小学校四年生の頃だ。学校の帰り道、見知らぬ男子学生が後ろから私の髪を思いきり引っ張った。尻もちをついた私に、彼は手にしていたバットで殴りかかってきた。それをおとなしく受けていたはずだったのに、バットが私の頭を捉えた途端、私の“個性”が突然暴走しはじめた。

魔法陣から飛び出た鎖が、彼の左腕を締め上げている。バットが音を立てて地面に落ちたと思うと、それをレーザーが貫いて真っ二つにした。痛みにもがく彼は、尋常ではない叫び声を上げていたのに、鎖の力は増していくばかり。ゴキッ、と嫌な音がして、鎖は消えた。彼が腕を押さえながら地面に伏したが、私の“個性”の暴走はやまなかった。

彼を見つめる私は、怯えて立ち上がることもできなかった。地面に惨めに座り込んで、ガタガタと震えるだけ。そんな私を飲み込むように、じわりじわりと内側から侵食されていくような感覚がしたと思うと、私が座り込んでいる真下の地面が変化した。影のようなそれは浸透し、広がっていく。

痛みにもがいている彼をよそに、地面から巨大な腕の形を模した影が二本現れた。それは私よりもずっと大きく、不気味に揺れていた。その内の一本の腕が、地面に這い蹲る彼の方へとゆっくり向かっていく。

呆然としていると、また影のようなものが伸びて、私の周囲に壁を形成していく。それは徐々に高さを増していき、まるで繭を作っているかのように、私を閉じ込めようとしていた。腕の方は、壊れて真っ二つになったバットの上部の方を、二本の指で摘んでいた。瞬時に、その腕が何をしようとしているのかを、私は理解した。

やめて。やめて。お願いだから、もうこれ以上は傷つけないで。歯を鳴らしながら恐怖に青ざめる私は、必死に、祈るように叫んだ。

すると、大きく振りかぶっていた腕が、突然に動きを止めた。その光景を最後に、私は意識を失った。

気付いたら、私はイナサくんの部屋のベッドに寝ていた。あとで聞いた話だが、私が傷つけたあの学生は、野球部に所属していて左利きだったそうだ。一生治らない傷ではなかったようだが、近くまで迫っていた大会に出ることはできなかったらしい。

今でも、時折夢に見ることがある。私の“個性”が、他人を傷つけた時のことを。私が傷つけてきた人たちが、私を殺しに来る夢を。