- ナノ -

ごめんよりもなによりも


「本当に大丈夫か?」

「はい」

「ご飯はちゃんと食べろよ?連絡も、定期的にするから」

「重世さんも、毎日しっかりと食べてくださいね。連絡も、お仕事に支障のない程度で大丈夫ですから」


八月中旬のこと。雄英学園の校門の前で、重世は弟妹を送り出していた。雄英敷地内、校舎から徒歩五分にあるハイツアライアンス。築三日だというのに、各学年各クラスごとに分けられた学生寮。伊世と水世は、今日から住み慣れた家を出て、そこで生活していくことになる。

二人の意思を尊重する。そうは言ったものの、やはり兄としては心配が拭えない重世は、昨日からずっとこの調子だ。それに律儀に返事する水世の隣で、伊世はイライラを隠さないまま、そろそろ辛辣な言葉を吐きそうであった。


「無理は、するなよ」


伊世の雰囲気に、そろそろ切り上げるべきかと察した重世は、二人の頭を優しく撫でながら、そう呟いた。伊世は眉を寄せて手を振り払い、水世は体を強張らせながらも頷いた。そんな弟妹の反応に苦笑いをこぼしつつも、重世は手を離した。

重世に見送られ、二人はようやっと久しぶりの学校に足を踏み入れた。今日は担任から寮についての説明が行われる予定となっている。校舎を通り過ぎ、見えてきた建物の群れの方へと進みながら、水世はそっと伊世の背中を見た。

それぞれの寮には、わかりやすく学年とクラスがでかでかと書かれている。三年の寮を通り過ぎていきながら、二人は手ぶらで歩を進める。荷物は既に、業者が寮の部屋へと届けてくれているのだ。

無言のまま進んでいき、ようやっと水世のクラスであるA組の寮の前に辿り着いた。寮の扉の前に既にクラスメイトが集まっていて、立派な寮を見て興奮した声を上げているのが聞こえた。立ち止まった伊世はその様子を一瞥すると、水世を振り返った。


「……離れて過ごすってのも、懐かしいな。昔に戻るみたいだ」


彼の指す昔がどれくらいの頃かを考えて、水世は両親が亡くなる前の、同じ家に住んでいながら、けれど離れていたあの頃かと思い出す。伊世は眉を寄せて一度視線を落とすと、小さく口を開いた。


「水世……おまえは、俺と――」

「水世ちゃん……!」


伊世の言葉に被さるように、彼女の名前が呼ばれた。二人が視線を同じ方へと向ければ、水世の存在に気付いたらしい八百万が、少し泣きそうな顔で水世を見ていた。伊世はその姿を見つめると、一つ息を吐いて水世の前に歩み出て、彼女の左手を握った。


「あんま、頑張りすぎるなよ」


彼女の手をゆっくりと撫でた伊世は、手を離すとすぐにB組の寮の方へと向かっていった。彼が何を言おうとしたのかわからない水世だったが、思いつめるような顔をしていた伊世が、心配で堪らなかった。しかし彼を呼び止めるほどの勇気はまだ持てない彼女は、頭を振ってクラスメイトたちの方を見た。


「水世ちゃん、無事でよかったわ」

「これでA組全員揃ったな!」

「本当に肝が冷えたぞ……」

「会いたかったよ水世ちゃん!」

「もう、死んじゃうんじゃないかって、めちゃくちゃ怖かったんだから……!」


いくつもの瞳が、自分を見ている。その目に少し恐怖を覚えそうになったが、けれど、それらが嫌悪や敵意、畏怖を向けているわけではないことは理解していた。恐る恐る一歩を踏み出して彼らの方へ歩み寄る水世に、クラスメイトたちが次々に言葉をかけた。それに目をぱちくりさせつつも、彼女は八百万の前で立ち止まった。


「……久しぶり、八百万さん。傷痕、ないみたいでよかった」


そう言って微笑むと、八百万の表情がぐしゃりと歪んだ。言葉を間違えたのかと水世は慌てて謝ろうとしたが、それより先に、彼女が思いきり水世に抱きついた。びくりと肩を跳ねさせて体を強張らせた水世は、行き場のない手で自身のスカートを握った。


「よかった……!水世ちゃんが無事で、ほんとによかった……!」


ぽと、と肩に雫が落ちる。八百万が泣いていると気付くのに、水世は十秒ほどの時間を使った。誰かが、優しい彼女が、自分のせいで泣いている。そう思うと同時、水世は一言、ごめんねとこぼした。すると顔を上げた八百万が、涙で濡れた瞳で水世を見つめながら、首を横に振った。


「謝らないでください……!謝らなきゃいけないのは、私の方です。あの時、傷だらけの水世ちゃんを置いていった、私の方です!ごめんなさい、ごめんなさい、水世ちゃん」


責任感の強い彼女だから、ここまで気にしてしまっているのだろう。水世はぼんやりとそう思いながら、気にしなくてもいいと笑った。そんな彼女の対応に、八百万は益々涙をこぼしていく。それを見て、水世は目を丸くして驚いて、困り果てたように眉を下げた。


「水世、俺もすまなかった。巨大な何かに吹き飛ばされただろう。アレは俺だ。黒影の制御が困難だったとは言え、女の体に傷をつけてしまった」

「ミズセ、ごめんネ……」

「僕も、君を無理矢理にでも引きとめるべきだった。あの時マンダレイから君たちを任されたというのに……本当にすまない」


困惑気味な水世に、常闇と黒影、飯田まで謝罪をこぼしはじめた。黒影は今にも泣きそうな顔をしている。水世は目を白黒させながらクラスメイトを見ていて、そんな彼女に満月は楽しそうに笑った。


《おまえは、相変わらず自己肯定感が低いな。意識が変わっても、そう簡単に抜けやしないのは仕方がないが……おまえの〈せい〉で、じゃないだろう。おまえの〈ため〉に、が正解だ》

《私の、ため?》

《そう。おまえのために、泣いてるんだよ。だから、おまえが言う言葉は一つでいい》


自分のために、泣いてくれている。泣いてくれる人がいる。ぱちぱちと瞳を瞬かせる水世には、到底思いつきもしない考えであった。眼から鱗とはこのことを言うのだろうか。そんなことを考えながら、水世はおずおずと口を開いた。


「あ、りがとう……心配、してくれて」


泣いていた八百万が、水世を見つめて涙を拭った。そしていつものような笑みを浮かべると、また水世を抱きしめた。正解だったのかと不安そうにする彼女に、満月はおかしそうに正解だと告げた。

水世が八百万の抱擁から解放されたのは、相澤が姿を見せてからだった。彼はクラスメイトの顔を順に見つめると、無事に集まれてなによりだ、と告げた。


「無事集まれたのは先生もよ。会見を見たときは、いなくなってしまうのかと思って悲しかったの」


会見?密かに首を傾げた水世に、近くにいた瀬呂が、水世が目を覚ましてない間に相澤とブラド、根津の三人の会見がテレビで放送されたいたのだと教えてくれた。自分が意識を失っている間に、教師陣も対応に追われ、大変な目に遭っていたのか。水世は実際にその映像を見れていないため実感はないが、確かにその姿を見ていた他のクラスメイトたちは、気が気でなかっただろう。

相澤は頬を掻きながら色々あったのだと言葉を濁すと、一つ手を叩いて、話を別の話題へ転換させた。


「当面は合宿で取る予定だった“仮免”取得に向けて動いていく」


その言葉に、皆はそういえばそんな話が出ていたと、合宿前のことを思い出した。あの合宿から様々なことが立て続けに起こりすぎて、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。

ざわつきを見せはじめた生徒たちを見つめながら、相澤は大事な話であると前置きして、五名の生徒の名前を呼んだ。


「轟、切島、緑谷、八百万、飯田。この五人は、あの晩あの場所へ、爆豪救出に赴いた」


その言葉に、誰かが声を漏らした。事態が把握できていない水世だったが、周囲の反応から皆はある程度の察しがついていることはわかった。相澤もそんな生徒の様子を見て、彼ら五人が行く素振りであったことは、皆も把握していたと気付いたようだった。


「色々棚上げした上で言わせてもらうよ。オールマイトの引退がなけりゃ、俺は、爆豪・耳郎・葉隠・誘以外、全員除籍処分にしてる」


ビリリと、空気が肌を刺した。


「彼の引退によって、しばらくは混乱が続く……敵連合の出方が読めない以上、今雄英から人を追い出すわけにはいかないんだ。行った五人はもちろん、把握しながら止められなかった十二人も、理由はどうあれ、俺たちの信頼を裏切ったことに変わりはない」


淡々と告げた相澤は、正規の手続きを踏み、正規の活躍をすることで、信頼を取り戻すよう言った。それで話は終わったようで、くるっと踵を返すと、「元気にいこう」なんて言って、寮の中へ入っていく。しかし生徒たちは相澤ほど素早く気持ちの切り替えなどできるわけもなく、重苦しい空気に包まれていた。

これから楽しい寮生活、なんて空気にもなれず、皆が視線を下に落としていると、爆豪が突然に上鳴の襟元を掴んだ。困惑する彼を引っ張ってそばにあった草陰に連れていったと思うと、上鳴の“個性”が発動したのか、電流が辺りに飛ぶ。草陰から出てきた上鳴は若干焦げており、アホになっていた。

バフォッ、と耳郎が噴き出した。両手をサムズアップさせながらヘロヘロで歩く上鳴の姿が、彼女にとってはツボに入るのだ。突拍子もない爆豪の行動にクラスメイトたちが困惑していれば、彼は次に切島に万札を数枚手渡した。そんな彼に「カツアゲ!?」と声を上げている切島の反応は、正直間違いではないだろうと水世は心の中で思うだけにとどめた。


「いつまでもシミったれられっと、こっちも気分悪ィんだ。いつもみてーに馬鹿晒せや」


お金を投げるように手渡した爆豪は、一足先に寮内へと入っていく。未だうぇいうぇい言っている上鳴の様子に、ついに周りも耐えきれずに笑い声を上げはじめた。

先程までの空気が嘘のように、いつもの、明るいA組に戻っていく。一人ずっと意識不明だったために置いてけぼりを食らっている水世ではあったが、楽しそうに笑う彼らの顔を見て、ひとまず安心して、彼女も笑みを見せた。













「一棟一クラス、右が女子棟、左が男子棟と分かれてる。ただし一階は共同スペースだ」


内装は、とても築三日とは思えないほどの完成度だった。広々とした空間は、二十一人でも余るくらいだ。ガラス張りの窓からは中庭も見え、まさしく豪邸であった。

部屋は二階からとなっており、ワンフロアに男女各四部屋の五階建てで、一人一部屋が与えられる。しかもエアコン、トイレ、冷蔵庫、クローゼット、ベランダまでついた贅沢空間であった。それでも八百万にとっては、自宅のクローゼットと同じくらいの広さらしいのだから、麗日はあまりの生活水準の違いに倒れてしまっていた。

部屋割りは教師陣が事前に決めてくれていたようで、水世の部屋は、一人他の女子とは離れて二階の一番手前だった。


「とりあえず今日は、部屋作ってろ。明日また今後の動きを説明する。以上、解散!」

「はい先生!!」


寮内の説明を終え、生徒はすぐさま自室に向かった。水世も自分にあてがわれた部屋に入ると、積まれている段ボールを一つずつ床に下ろしていった。


《部屋作りなあ……おまえ、そんな大したもん持ってきてねえだろ》

《まあ……そもそも私の部屋、物が少ないから》


水世が自宅から持ってきたものは少ない。事前に部屋にベッドと勉強机、タンスは持ち込まないのであれば学校側が備え付けてくれると聞いていたこともあり、彼女はそれらは持ってこなかった。枕が変わると寝れないタイプでもないし、家具にこだわりがあるわけでもない。なので本当に、必要最低限しか自室から持ってこなかったのだ。


《もうちょい色味を足せばよかったじゃねえか》

《こっちの方が落ち着くんだもん》


段ボールのガムテープを剥がしながら、水世は早速部屋作りに取りかかった。