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やっと踏み出せた第一歩


神野の悪夢から日が経っても、世間は騒然としていた。ニュースや新聞、ネットニュースにラジオ。いつぞやのヒーロー殺しの時のように、どの媒体でも神野区のこと、オールマイトのことを取り上げており、どのチャンネルを回しても同じ内容ばかりが放送されているような状態だった。

オールマイトの弱体化が世間に認知されたことで、もう今までのような“絶対に倒れない平和の象徴”は消えた。そもそも世間は彼にもたれかかりすぎたのだと、水世はひとりごちた。


《圧倒的な力がそこにあり、それが自分に牙を剥かない、むしろ守ってさえくれる。ならば人はそいつに全て背負ってもらうのさ。許容範囲や背負えるだけの容量が、あの男は広くでかかったから余計にな》

《それでも人間である以上、限界はくるよ》

《そうだ。しかし、世間はヒーローという人種、敵という人種として認知しているから、人間である前にヒーローや敵だと思っているのさ》


ニュースを眺めながら、水世は不満そうに眉を寄せた。ニュースの中では、オールマイトの事実上のヒーロー活動引退会見、ベストジーニストの長期の活動休止、プッシーキャッツの一人であるラグドールが拉致後に“個性”を使用できない変調を受けて活動見合わせ、と“神野の悪夢”での大打撃を流していた。


「すまん、ただいま!まだ間に合ってるか!?」


勢いよく玄関の扉が開いた音がして、廊下を駆ける音が近付く。リビングに入ってきた重世は、焦ったように辺りを見回したと思うと、安堵したように息を吐いた。


「まだ先生方は訪ねてきておりませんので、ご安心を」

「そうか……ならよかった……」


シャワーを浴びてくる、と重世は急いでバスルームへ向かった。

水世はテーブルの上に置かれているプリントを見つめながら、軽く頭を掻いた。そこには雄英から郵送された一枚のプリントが置かれている。内容は要約すると、全寮制の導入検討中なため、その件について家庭訪問を行う、というもの。

今日は伊世と水世の家庭訪問があるために、重世は大慌てで帰ってきたのだ。水世のスマホには家庭訪問が既に行われたクラスメイトたちがグループチャットで会話をしており、耳郎はあっさりとオッケーを貰えた、葉隠は逆に中々許可を貰えなかった、と話している。

この二人は意識不明であったこともあり、本来なら葉隠のように難航な方が普通であるのだろう。死者は出なかったとは言えど、生徒が危険な目に遭い、入院を余儀なくされた者もいる。何かあった後で全寮制を導入しても、今更ではないかと思う保護者だって多いはずなのだ。

水世だって、退院したのは本当につい最近だ。自分の“個性”である程度回復していたために一命は取り留め、傷だって綺麗に塞がった。とは言え普通であれば死んでいた傷であり、生きていることが奇跡だと医者にさえ言われたほどの状態であったのだ。現に伊世も重世も、傷が治った今でも水世を心配そうに見たり、痛みの有無を聞いてきたりする。保護者からすれば、大事な娘息子が命を脅かされるような状況に身を置くなんてことは、心配で堪らないものなのだから。

――ピンポーン。重世が帰宅してから数十分後くらいにチャイム音が鳴ったと思うと、ドタバタとした音がリビングの外から聞こえた。重世の対応する声が聞こえてきて、水世は立ち上がるとキッチンの方へ向かった。

お茶を用意した水世は、客室へ行こうとおぼんを持ったままリビングを出た。ちょうど一階へ下りてきていた伊世とぱちり目が合うと、彼は水世が持っていたおぼんを一瞥した。


「重いだろ」


そう言って、彼はサッとおぼんを取っていくので、水世は慌てて自分が運ぶように言ったが、彼は視線だけよこして客室へ向かうので、彼女は申し訳なさそうにしながら、伊世の半歩後ろを歩く形で廊下を進んだ。

客室の中には、相澤とオールマイト、ブラドと根津が重世の前に座っていた。オールマイトは見慣れた筋骨隆々な体ではなく、テレビに映っていた骸骨のような姿で、学校では定着している真っ黄色なスーツに身を包んでいた。五人の視線が二人に向いたが、伊世は気にすることなく中に入ると、テーブルにおぼんを置いて、重世から少し距離を置いて隣に座った。

水世は六つのコップをそれぞれの前に置き、重世の隣に少し距離を置いて座った。


「今回の家庭訪問、全寮制についてですよね?」


重世が真っ先に口を開き教師たちに尋ねた。根津は一つ頷くと、兼ねてより考えていた案であることを話すと、脅威がまだ拭いきれておらず、これからはより強固に守り育てる必要性を述べた。そのための全寮制であるのだと語った。


「確実に生徒の安全を守るためとはいえ、家への一時帰宅や、宿泊等も厳しくなると思われます」

「そうですか……」

「もちろん僕たちは、これ以上生徒が被害に遭わないよう全力で努めていくつもりです」

「こちらとしては、皆さんに協力は惜しまない所存です。全てあなた方に押しつけようとも思っていません。ただ、水世の“個性”についてが、少し心配です」


暴走した姿を敵に見られたことは、彼女の想像よりはるかに危険なことだった。爆豪を攫って勧誘したことを考えれば、水世の暴走化を目の当たりにした相手が、今度は水世に狙いを定める可能性も少なくはないはずで。重世はその点を危惧しているのだ。


「その点について、我々も話をしました。そこで、“個性”の範疇なら相澤くんが止めることができるだろうと考え、本人が許してくれるのであれば、個人的な“個性”コントロールも行なっていきたいと考えています。コントロールが効くようになれば、“個性”の暴走や暴発のリスクも大幅に低下するかと」

「“個性”コントロールですか……」

「お兄さんが心配される理由はよくわかります。ですから私共も担任として、教師として、プロのヒーローとして、そして大人として、二人を守り、育て、見守っていきたいと考えています」

「同じく、自分もそのつもりです。立て続けに起こった事件、妹さんの怪我などで不安や疑心感を抱くことも致し方ありません。ですがどうか、もう一度、雄英を信じてください」


切な願いや希望を込めながら頭を下げる四人に、重世は苦笑いを浮かべながら頭を上げるように言った。


「俺は、二人が無事でいてくれるならそれでいいんです。それが約束できるなら、何も文句なんてありませんよ。そもそも俺からあなた方に二人を頼んだんですから、今更やっぱり無理です、なんて言いません」


もとより重世は雄英に不満を持ってはいない。保護者としては、確かに立て続けに事件が起き、生徒たちが巻き込まれている現状は心配でならない。しかし教師たちも最善と最小限の被害を瞬時に考え動いてくれたことも確かなのだ。結果としてそれが成功していないならば無意味ではあるのだとしても、雄英の教師たちが日々生徒たちの安全を考えていないわけじゃない。


「風当たりは強いとは思います。ですが、俺は皆さんを信じてます。これからの雄英にも、期待しています。だから後は、二人がどうしたいか、それだけです」


重世は順に、伊世と水世に視線を向けた。彼自身は今回の雄英の寮制度に不満もなければ、雄英に対する信頼度が落ちたわけでもない。寮生活は保護者の許可がいるため、彼がOKを出せば二人は今後も雄英での学生生活を送ることはできるのだ。

だが重世は自分の許可ではなく、二人の意思に答えを委ねた。僅かに身を乗り出していた重世はゆっくりとその身を引くと、黙り込んだまま何も言おうとはしない。教師たちは彼の言葉に自身の生徒たちを黙って見つめるばかり。どこか張り詰めたような空気感が、部屋に広がっていった。


「俺は、ヒーローになる。そう決めた、そう誓った」


足を組み、腕を組んで、そっぽを向いていた伊世が、静かに言葉をこぼした。彼は組んでいた足を下ろすと、力強い瞳で目前に座るブラドたちを射抜いた。


「こんなことで諦めるような、折れるような、そんな生半可な気持ちでその言葉を吐いてきたわけじゃない。だから、寮生活だろうがなんだろうが、そのために必要だって言うなら受け入れます」

「……私も、大丈夫です。共同生活になるので、“個性”についてが心配ではありますが……でも、私は……私は、これからも、雄英に通っていたいです」


膝の上で両手を握り締めながら、水世はまっすぐに相澤たちを見つめながら、言葉を選ぶように紡いでいった。

二人の返答に重世は一つ微笑むと、教師たちに頭を下げた。


「改めて、うちの弟と妹を、どうかよろしくお願いします」

「――はい。責任を持って、お二人を預からせていただきます」


頭を下げた面々に、水世は自分に向けられたものではないにせよ、少し居心地が悪くなった。

顔を上げた教師四人は、無事了承を貰えたことに安堵しつつ、簡単に寮についての説明を行なった。雄英の敷地内、校舎のそばに建設予定であり、一人一部屋が設けられるという厚遇。家具等も自分の使い慣れたものを持ち寄り可能であり、自身の好きなように部屋を改装しても良し。保護者全員からの了承が取れ次第、寮制についての詳しいプリントは郵送するとのことで、重世たちは黙って話を聞いていた。













「お忙しい中お時間を割いていただき、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。ご足労頂き感謝します」


話を終えると、伊世は担任のブラドと一言二言交わして、早々にリビングへ戻った。水世も席を立とうとしたが、相澤に名を呼ばれて、上げかけていた腰をゆっくりと下ろした。


「すみません。妹さんと話す時間を頂いてもかまいませんか?」

「俺はかまいませんが……水世、大丈夫か?」

「はい」


不思議に思いつつも、水世は座り直して相澤と、その隣に座るオールマイトの方を見つめた。重世はこれから他の生徒の家を訪ねるという根津とブラドを玄関まで見送ると、客室を出ていった。

扉が閉まり、部屋には三人だけが残った。水世が持ってきたお茶はすっかり冷めてしまっており、湯気は消えている。


「まず、守ることができず、すまなかった」

「私もすまない。傷痕は残ってないようでよかったよ」


頭を下げた二人の教師に、水世は目を丸くすると、慌てて首を横に振った。そもそもの原因は、マンダレイの指示を聞かずに一人単独行動を起こした自分だ。怪我も自業自得であるのだから、謝られるようなことではない。水世が辿々しく告げれば、だとしても保護下に置いている生徒を守れなかったことは、自分たちの責任であるのだと話した。


「確かに、おまえの行動は突発的であり、衝動的で、冷静さに欠けていただろう。そこが理解できているなら、それでいい。おまえの反省と謝罪を受け取る。だから、おまえもこちらの謝罪を受け取ってくれ」

「……はい」


わざわざ謝罪のためにこうして話す場を設けたのだろうか。水世がそう考えていれば、そんな考えを読んだのか、相澤は話はまだあるとこぼした。


「校長も話していたが、誘の“個性”コントロールの件だ」

「誘少女。君の“個性”のことは、ある程度聞いてる。私たちとしては、君が“個性”を上手く扱えるようになるよう、サポートを行っていきたいと思っている。でも大事なのは、君の意思だ」


まっすぐに見つめてくる瞳の力強さは、やはり今でも損なわれていなかった。オールマイトの視線を受けながら、水世は改めてそれを感じた。


「私は……」


眩しさに目を細めてしまいそうになるのを堪えながら、水世は一度深呼吸をした。そしてオールマイトの、相澤の瞳を、正面から受け止めて、見つめ返した。


「私は、私の“個性”と、一緒に生きていきたいです。この“個性”で、誰かを救える人に……ヒーローに、なりたいです」


彼女の発言に、二人の目が僅かに見開かれた。以前の彼女では考えられないその発言に、良い意味で驚かされたのだ。

水世はゆっくりと目を伏せながら、左手を心臓の位置にあてると、規則正しい拍動を手のひらから感じ取った。この鼓動は自分のものであり、そして自分だけのものではない。水世はぎゅっと拳を握ると、改めてオールマイトと相澤を見つめ、深々と頭を下げた。


「“個性”コントロールの件、よろしくお願いします……!」


目の前の生徒に何があったのか、何が成長のきっかけとなったのか、二人はわからない。しかし確かに、確実に変わろうと前に進む姿に、オールマイトは思わず涙が出そうになってしまいそうだった。


「こちらこそ、よろしく頼むよ」

「言っておくが、甘くないぞ」

「覚悟してます」


そう言って笑った少女の顔は、以前よりも晴れ晴れとしているように、二人には映った。相澤は彼女の言葉に満足げではあったが、一度テーブルに視線を落として、再び水世を見た。


「とりあえず……誘、おまえは、自分も勘定に入れていけよ」

「え?」


テーブルの上に残るコップを指差された彼女は、ハッとして、苦笑いを浮かべた。