- ナノ -

それは純粋な愛が紡いだ


あれは暑い、暑い、茹だるような夏の日だった。蝉の鳴く声がする公園に自分はいた。自分を囲むように、近所に住んでいるのだろう見知らぬ男子高校生の三人が、楽しそうに、面白そうに、笑っていた。


「この化け物、いくら殴っても傷が治るから便利だよな」


ローファーの裏側が、自分の背中に乗る。容赦無く体重を込められるたびに、背中に痛みが走り、思わず嘔吐いた。すると別の靴先が横腹に思いきり突っ込んできた。「ぁぐっ」と変な呻き声を上げながら咳き込んでいれば、頭上からケラケラと愉快そうに笑い声が落ちてきた。

いつもと変わらぬ光景、いつもと変わらぬ痛み、いつもと変わらぬ日常。抵抗なんてしようとも思わなかった。するだけ無駄だと、既に諦めていたから。抵抗してしまえば、相手を殺してしまう気がしたから。だから必死に“個性”を使わないよう心掛けた。多分、“個性”を自発的には使わないことも拍車をかけたのかもしれない。

一見すれば、幼い少女が虐められている光景だ。しかし助けてくれる人なんて、当然いるわけもない。何せ自分は化け物なのだから、淘汰されることはおかしいことじゃない。何も間違っちゃいないのだ。いっそこのまま死んでしまったって、悲しむ人より喜ぶ人の方がきっと多い。便利で都合の良いサンドバッグが消えるのは惜しい、という人がいるくらいか。

ただ飽きるまで、こうして迫害退治は行われる。どうせ傷なんてすぐ治るのだから、いくら怪我したって変わらない。


「なあ、次これ使ってみようぜ」


ガサガサと袋を漁るような音がして、一人が何かを取り出したと思うと、チチチッ、という音が聞こえた。他の二人は乗り気に同意を示していて、背中に乗っていた足が退いた。

スッとしゃがみ込んだ一人が、私の右腕を掴んだと思うと、片手で持っている何かを私の肌にくっつけて、少し力を込めながらスライドさせた。瞬間、ピリリとした痛みが腕に走る。どうやら刃物、カッターナイフを使うようで。嬉々として私の肌を切りつけて、楽しんでいる。


「へえ、化け物も赤い血してんだ」


右腕に切り傷が増えていく。垂れ流しな血をぼんやりと見つめていれば、振りかぶる腕が見えた。


「あ゛あ゛っ!?」


肉を裂くような痛みに、一瞬理解が遅れる。後から脳に伝達された痛みに声を上げれば、また笑い声が返ってきた。まるでオモチャで遊ぶように、腰に刺さるカッターを、ぐりぐりと回すように動かされる。その度に腕がびくりと跳ねて、地面に爪を立てた。

痛くて、痛くて、痛くて。でも涙は出てこなかった。それはもう、自分にとって不必要な機能となっていた。笑い声が頭に反響して、なんだか気持ち悪くなってくる。そろそろ終わってくれないかなんて考えるけれど、この調子ならまだまだ長いだろう。ぼんやりと白んでいく指先を見つめていれば、不意に、後ろから呻き声が聞こえた。


「は?おまえ誰だよ!」

「どこから出てきた!」


焦るような、驚いたような声がして、数秒。ドサッ、と人が倒れる音がした。目の前に、先程まで私で遊んでいた高校生たちが、気絶して倒れていて、何が起こったのかよくわからなかった。

スッと、腕が伸びてきた気配がして、私の腰に刺さるカッターを手に取って、ゆっくりと抜いていった。抜かれたそれは適当に放り投げられていた。体はうつ伏せのまま反対側を向いてみると、黒い靴が視界に映る。それを追うように見上げていけば、知らない男の人が立っていた。

少し燻んだ白い髪と、鮮烈で綺麗な赤い目をしたその人は、私を見下ろしながらゆるりと笑った。


「かわいそうに……おまえは神に見放されてる。人々を救済すると信じられているカミサマ。その存在は、おまえを救いはしないし、愛しもしなかった」


聞いたこのある声だった。目を細めながら私を見つめている彼は、地面に片膝をつくと、私に手を伸ばし、私の髪を撫でた。


「オレは神様ってのが嫌いでなあ。自分勝手で偉そうで、簡単に命を握り潰しちまうくせに、周囲からああも崇められるあの存在が。だから、奴らの行為に背きたくなっちまう」


ニイッと笑った彼は私の髪を撫でる手を止めた。ちらりと覗いた口の中には、鋭い牙が見えた。


「なあ、どうしたい?」


その問いに、私はほんの少し首を傾げた。彼はそんな微々たる動作にも気付いたのだろう。指を一本ずつ立てて、また口を開いた。


「生きたいでも、死にたいでもいい。おまえは、どうしたい?」


その突然の問いの理由は、私にはわからない。だが直感で、彼は私が言った望みを叶えてくれるのだろうと思った。生きたいと言えば生かしてくれて、死にたいと言えば死なせてくれると。

彼の問いに、私は答えた。なんとか唇を動かして、鉄の味がする口で、蚊の鳴くような声で、彼に答えを返した。すると驚いたように目を丸くした彼は、くしゃりと顔を歪めると、まるで仕方ないとでも言うように笑った。


「そうか」


あまりにも優しいその声は、何故だか泣きそうであったような気がする。














目を覚ました場所は、身に覚えのある場所であった。そこは自宅の自分に与えられた部屋に間違いなく、何故この部屋にいるのだろうかと首を傾げる。

林間合宿に行って、肝試し中に敵に襲われて、そして。記憶を思い出しながら、上体を起こしてベッドに腰掛ける。私が気を失っている間に何があったのだろうか。腹部の傷だって綺麗に塞がっていて、怪我一つない。

辺りを見回しながら、そういえば時間や日付はどうなっているのだろうかと、枕のそばに置いているデジタル時計を振り返ろうとして、ふと窓の外を見る。

まん丸の、大きな月が、空に浮かんで輝いていた。ぼうっとその月を眺めながら、無意識に、ぽろっと「満月……」とこぼした。


「おっと。オレ様を呼んだわけじゃあないようだ」


聞こえた声は、いつものように脳内には響かなかった、代わりに部屋の中に響いており、咄嗟に周囲を注意深く見渡してみる。この部屋のどこかに彼がいるのかと、部屋のいたる場所に視線を向けるものの、自分以外の人影は見えない。


「意識は覚めたようだな。体の方は、お目覚めではないが」

「体……?意識……?」

「簡潔に言うと、ここは現実じゃなく、意識の底だ。まあ、夢の中とでも思っておけ。現実のおまえは未だぐっすりさ」


だから、満月の声が脳からではなく空間から聞こえるのか。あっさりと納得すると、みんなはどうなったのだろうかと、クラスメイトたちの安否について満月に尋ねた。彼は渋ることもなく素直に教えてくれて、今現在の現実世界の状況を把握することができた。八百万さんや泡瀬くんが無事であったこと、死者が出ていないことに安心すると共に、攫われた爆豪くんを心配する。

彼は強い。能力的にもそうだが、精神力と言うべきか。精神の支柱と言うべきか。芯が、強い。そのため悪に屈するということはあまり心配してはいなかったが、それでも、怪我をするのではないかとか、酷い目に遭わされるんじゃないかとか。そんな心配が浮かんでいく。


「今はクラスメイトたちのことはどうでもいい。オレ様がしたいのは、おまえの話さ、水世」

「私の話……?」

「ああ、おまえの話だ。なあ水世、正解には辿り着いたか?」


ぱちりと目を瞬かせて、彼の言う正解について考えはじめた。彼から出された問いはいくつかある。それを振り返っていく。


《だったら、原点を探せばいい。幼い自分に問いかければいい》

《原点……?》

《ああ。何故おまえは、あの時ガキから感謝されて喜んだ?信用も信頼もしてない奴らを元気付けようと、助けになろうと、好意に応えようとしたのは、何でだ?》

《わからない……》

《考えろ、頭を回せ、思い出せ。おまえの中に既に答えはあるんだぜ》

《私の中に……?もう、私は答えを持ってるの……?》

《ずっと前からな。おまえ自身の自覚がないだけさ。故に、おまえは自分が見えてないんだよ》



自分の原点、何故救けた少年から感謝されて喜んだのか、周囲を元気付けようと、助けようと、好意に応えようとしたのは、何故なのか。様々な問いを出されたが、そのどれも答えることができなかった。

だが、今は違う。私は一度深呼吸をすると、小さく口を開いた。


「感謝されて喜んだのは、私なんかでも、私の力でも、人を救えるのだと、知ったから。他者の好意に応えようと、みんなのために動いたのは……私のことを知らないとはいえ、好意的に接してくれる彼らに、少しでも誠実に、接したいと……そして、私の原点が、起因している」

「では、おまえのその原点とは?」


原点。物事の始まりであり、出発地点。自分という存在が、自分が何故、その考えを持ったのか。そうありたいと思ったのか。それは幼い私が知っている。満月の言う通り、答えを既に、私は手にしていたのだ。


「私の原点は――あなただよ、満月」


彼が、ハッと息を吐いた。冗談はよせと笑った彼に、冗談でもなんでもないのだと微笑む。


「おまえの原点は、ひいさま……泡と化した哀れな女だろう」

「『私も、いつか、人魚姫が王子の命を救ったみたいに、誰かを救えるようになれるかな』……懐かしいね、忘れてたよ」


「人魚姫」が好きだった。人間ではない彼女が人間を助ける。それを見た時に、自分のようなモノでも、誰かの役に立つことが、助けになることができたりすればいいのにと、幼いながらにそう思ったことを思い出す。


「それがおまえの原点だろう。その言葉の通りに、おまえは他者を救けたいと、救えるようになりたいと。そう思ったからこその今までの行動だろ」

「ううん。そう思うようになったのは、満月のおかげなの」


あなたが私に、手を差し伸べてくれたから。そう言って笑うと、姿は見えないけれど、満月が柄にもなく困惑しているように感じた。

それはいつも通りのことだった。近所の青年たちが、自分に暴行を加えることなんて。“個性”を使ってしまわないように必死で、けれど無意識に働く自己治癒で受けた傷は綺麗に消えていくから、殴られたり、蹴られたり、物を使って傷つけられることだって少なくはなかった。

痛覚は存在していた。不必要な機能だと思っているが、機能していた。手足も痛かったが、頭部と腹部、それと背中の痛みが一番大きかったような気がする。血は流れたが、涙は出なかった。不必要な機能だった。

救けてくれる人なんて当然いやしない。自分が化け物だから、救けるのではなく倒されることは正しい末路であったから。


「でもあなたは、私を救けてくれた。それは単なる気まぐれだったのかもしれない。神様への反抗心だったのかもしれない。それでも、満月は私に手を差し伸べてくれたから」


「かわいそうに……おまえは神に見放されてる。人々を救済すると信じられているカミサマ。その存在は、おまえを救いはしないし、愛しもしなかった」

「オレは神様ってのが嫌いでなあ。自分勝手で偉そうで、簡単に命を握り潰しちまうくせに、周囲からああも崇められるあの存在が。だから、奴らの行為に背きたくなっちまう」



そう言って、見上げた先にあった赤い瞳。視界は霞んでいたけれど、でも鮮明に覚えている。その先に告げられた言葉は、私にとっては大きな救いでもあったのだ。


「満月みたいに、私も、人に手を差し伸べられるような、そんな存在になりたいって……そう思ったの」


こんな自分でも、誰かの力になれたならと。それこそ、他者を笑顔にする役に立てたらと。王子を愛し続け、祝福し、彼の幸せを願いながら泡となったあのお姫様みたく、自分よりも他者の幸せを願えるようになりたいと。

自分でもびっくりするくらい穏やかな声音が口から出てくる。満月は私の言葉を聞いて、黙り込んでしまった。沈黙が流れたのは、僅か数秒。しかし妙に長く感じる静けさであった。


「おまえ、“個性”が嫌いだろ……オレのこと、だって……」


珍しく、少し弱気にも思えるような声だった。いつだって軽い調子で、時に穏やかに、時に優しく。つまらなそうな時もある。いろんな彼の声を聞いたけれど、この声は、初めてだった。


「私が満月を嫌うなんてないよ。満月が私に愛想尽かしたり、嫌ったり、めんどくさい奴だって思われることはあると思う。でも、私はずっと、満月が好きだよ」


ぽろっと、瞳から一つ涙が落ちた。あれ?おかしいな。私はクスクス笑いをこぼしながら、捨てたはずなのにね、と呟いた。

自分の“個性”は好きではない。しかし、好きではないからと言って嫌いなわけではないのだ。ただ、怖いだけ。コントロールできない自分の力が。人を傷つけることしかできない自分の力が。それに抗えない、何もできない、自分の弱さが嫌いなだけ。


「満月はいつだって、私を見てくれた。誘水世を見てくれていた。私でさえ、私を“人間”でないと判断したのに……でも、満月はずっと、私を“人間”だと言ってくれたから」


自分の力を恐怖した。周りの言う通り、自分は“人間”ではないのだと思った。それを受け入れた方が、少しばかり楽だったから。自分を“人間”だと主張し続けてもそれは否定され、糾弾されていくのなら、最初から自分も否定してしまったなら、痛みも苦しみも辛さも軽減される。

自分でさえ自分を否定し続けた生だった。日々だった。でもそれを、彼はずっとずっと、私を“人間”として扱って、“人間”であると認識して、そう接してくれていた。それに今まで気付けなかった自分は大馬鹿者で、いつ愛想をつかされたっておかしくなくて。それでも彼は私に言い続けて、私に伝え続けてくれていた。

答えを教えるのではなく、答えに辿り着くまでの道筋を照らし続けてくれていた。暗い暗い道を、ずっと。私が自分で気付くことができるようにと。


「あなたの言った通り、私は馬鹿で、愚かで、とても哀れだ。辛い日々だったし、苦しい日々でもあった。それでもあなたがいてくれた。私の闇を静かに、照らしてくれていた」


満月。闇に差し込む夜の太陽。彼という存在が、どれだけ私を救ってくれたのだろう。

随分昔に捨てたはずの、不必要だと切り捨てたはずの涙は、とめどなく溢れ出す。雫が落ちていくたびに、ズボンの色は滲んでいった。

するりと、目元を撫でられた。突然に現れた細く長い、しかし私よりもずっと大きくてゴツゴツとした手が、私の両の目を覆った。


「おまえの泣いている姿が見たかったんだが、いざ目にすると、どうにも調子が狂うな」


すぐ近くから、満月の声が聞こえる。恐らく目の前にいるのだろう。私の目を覆う手は彼のものであるのだとすぐにわかった。


「涙が不必要だと言ったわけじゃなかった。ただ、周囲の騒がしい出鱈目な主張で傷つく必要はないと、そういう意味合いだったんだ。それが、涙だとおまえに認識されちまったから、泣かせたかった」


ぶっきらぼうで、少しわかりにくい。軽い調子で彼は話すけれど、その裏の優しさを知っている。意外と面倒見が良くて、意地が悪く、素直だけど素直じゃない矛盾じみた生き物。嘘もつく、人も騙す。しかし彼が私に向けてくれる言葉は、いつだって温かいことを知っている。


「泣かせた感想は?」

「最高の気分さ。最高の気分だが、頻繁には見たくねえ」

「なあに、それ」


笑い声を漏らすたび、つられるように涙が浮かんで頬に垂れていく。彼の指先に雫が付着して、少し濡らしてしまった。

少しだけ沈黙が流れた。それでも、苦ではないもので。どこか心地良い静けさだ。


「……小学校の頃の手紙ね。嘘なんて、本当は一つも書いてないんだよ」


「一緒に遊んでくれた」ことも、「子守唄を歌ってくれた」ことも、「誕生日を祝ってくれた」ことも。全部嘘ではない。だって、これは全部全部――。


「満月から、してもらったことだから」


部屋で一人することもなく過ごしていたら「陰気すぎてカビでもできるぞ」なんて言いながらしりとりをしてくれた。眠れない私に呆れながら、棒読みな子守唄を歌ってくれた。誕生日を忘れていた私を、仕方がないからと祝ってくれた。他にも、文字が読めない私を馬鹿にしながら本を読み聞かせてくれて、漢字を教えてくれたこともあった。声に出して読んで、漢字に詰まったら声を止める。そしたら満月が読み方を教えてくれた。

満月から教えてもらわないで全部読みきれたことが嬉しくて、彼に何度も何度も、お返しするように読み聞かせたことは、彼にとっては迷惑な話だっただろう。


「そういえば、『オレに名前はない』って言わないの?」


僅かに手が震えたことに気付けたのは、彼の手が私の肌に触れているからだろう。名前はないのだと頑なに言い続ける彼が、今は一度も言っていないことが気になっただけ。聞かない方が良かったのだろうかと、今のはナシと言おうとした。けれど、ゆっくりと彼の手が離れていって、ぐしゃりと私の髪を撫でた。


「何でもかんでも諦める、諦めさせられたおまえが、頑なにオレをそう呼ぶことだけはやめないから。散々否定されてそれを受け入れたおまえが、どんなに否定しても受け入れないから。少し……少し、安心してたんだ。おまえにもまだ、自分の意思があるのだと」


髪をぐしゃぐしゃにするみたいに雑な撫で方だけど、それがとても心地良く、安心する。意外にも温かな手のひらに、涙は少しずつ止まっていった。


「相変わらず、おまえは馬鹿で愚かで哀れだ。神に見放され、救われもしなければ、愛されもしなかった。だが、オレは神が大嫌いでなあ……だから、奴を否定する」


神が大嫌いで仕方のない彼。私はその反抗心や嫌悪感のための道具であっても、べつにかまわなかった。彼の言葉や行動の全てが嘘偽りで、私を懐柔するためのものであったとしても。

ボサボサになっているだろう髪を、彼がといた。自分で崩した私の髪を自分で直していく満月の行動は、ちょっと不思議だ。


「マヌケな考えしてそうだな……確かにオレは嘘をつくし、約束も破る男だ」

「潔いね」

「黙って聞いてろ」


茶化すなと言われたが、茶化している気はなかった。でも話の腰を折るわけにもいかないので、口を閉ざした。彼は相変わらず私の髪を直すようにといていたが、ふと、指が目元を撫でた。


「でもな、あの日言った言葉には、誓って嘘はない。神はおまえを愛しはしなかった。だが――」


呟かれた言葉に顔を上げれば、あの日と同じ、鮮烈で綺麗な赤がそこにある。どこか柔らかにも見えるその瞳と視線が絡み合う。


「馬鹿で愚かで哀れなおまえを、オレは愛そう。水世」

「馬鹿で愚かで哀れなおまえを、オレは愛そう。水世」


得意げに上げられた口角も、細まった瞳も、尖った耳も、少し燻んだ白髪も、全部あの日と変わらない男の姿がそこにあった。


「私たち、両想いってやつだ」

「ちょっとちげえよ」

「じゃあ、相思相愛……?」

「……それでいいよ」


少し、眠たくなってきた。これは現実じゃないのに、眠気なんてあるのか。瞼が少し重たく感じる。もう少し彼と、こうして話していたいのだけど。


「もう覚めるべきだ。白雪姫も眠り姫も、最後は目覚めて現実を生きたのだから。長きに渡った少女の悪夢は、これから少しずつ消えていくさ。な、水世」


軽く、額と額が重なる。幼子に言い聞かせるようなその穏やかな声音に、一つ頷く。いい子だと笑った彼の顔が離れていった。視界が少しぼやけていって、上手く彼の表情が見えない。お別れ、とは少し違う。目が覚めても満月はそばにいてくれるから。ああ、でも伝えないと。これだけは、彼の顔を見て、伝えないと。


「満月。満月は、私のヒーローだね」


私の原点。私のヒーロー。ああ、彼の顔が見えないなあ。笑っているのだろうか。呆れているかもしれない。

私の“個性”でも、救える命があるのだと知った。私でも誰かを救けることができて、誰かの力になれて、手を差し伸べることができるのだと。それを教えてくれた彼、気付かせてくれた彼は、やっぱり、昔から、私の大好きなヒーローなんだ。


「……オレの『原点』も、おまえだよ。馬鹿で、愚かで、哀れで……愛しい、キミ」


柔らかなものが額に触れた。聞こえた言葉に疑問は浮かんだけれど、眠気には勝てなくて。なんとか満月に微笑みかけて、ゆっくりと、誘われるがままに意識を手放した。