- ナノ -

無知は罪とは言うけれど


病院に搬送された水世は、すぐに治療を開始された。医者も看護師も、口を揃えて「生きていることが不思議」だと話すほど、彼女の怪我は命に関わる容態だった。

無意識下の自己治癒で僅かながらに傷を修復していたことが功を奏したのだろう。彼女は一命を取り留めた。伊世はその日は家に帰ることはなかった。ただ呆然と、無言で、眠る妹の姿を見つめ続ける。その姿はまるで人形のようで、感情の削ぎ落とされた顔からは彼が何を考えているのか、誰も読みとれやしなかった。

水世がICUを出たのは、それから二日経ってのことだった。酸素マスクをつけられたまま、水世は個室の病室へと移動した。相澤から説明を聞いた重世は、汗だくになって病院へと駆けつけた。病室に入り真っ先に視界に入った静かに眠っている妹の姿に、彼は安堵と恐怖を覚えるばかりだった。


「ごめん……ごめん、伊世……俺は、兄貴なのに。おまえらのこと、全然守れてない……」


震えた声で、重世は自嘲気味にこぼした。あの日、ギリギリ繋ぎ止められていた自分たちの仲を粉々に壊した日。その時と同じような恐怖を、彼は感じていた。まるで妹がこのまま目を覚まさないのではないか。そんな不安を掻き消すように、重世は頭を振った。

ベッドサイドに座って水世を眺めたままの伊世のそばに、重世はゆっくりと歩み寄った。そばの棚の上には、クラスメイトからのお見舞い品であるメロンと花が置かれている。彼らは水世の姿に言葉を失い、伊世にかける言葉も見つからず、数分だけ病室にとどまると、部屋を出ていったのだ。


「……こりゃ酷いね」


重世の後に続くように入ってきたのは、リカバリーガールとオールマイトだった。彼女は水世の容態を聞いて治癒を施しに学校から足を運び、オールマイトの方は、普段の明るい笑みや雰囲気など皆無で、唇を噛み締めて、神妙な面持ちをしていた。


「医者から容態は聞いたがね、本当に、よく生きてたもんだよ。肋骨四本骨折、右ふくらはぎの深い裂傷、腹部は抉れて内臓も壊れてる。加えて多量出血。普通なら、立つどころか、意識さえ保っていられないってのに」

「恐らく、自己治癒ですよ。彼女は自分の傷であれば、心臓や脳を除いた部位は治すことができますから」

「ああ、だろうね。じゃないと、失った内臓が再生されていくわけがない」


ベッドで眠っている水世の腕には、いくつもの針が刺され、点滴を施されている。そばには心電図もあり、彼女が確かに生きていることを数値的に表していた。そして尚且つ、彼女の体の紋様は、未だに消えていないのだ。彼女の治癒のために残っている紋様は、微塵も動いていないというのに、何故だか脈打っているように見えた。

まじまじと紋様を見つめていたリカバリーガールは、ふと首元のそれに眉をひそめた。首を覆うように、翼の骨組みのような形の紋様が左右に伸びている。そして喉もとの紋様は、何故か鍵穴のような形を模していた。はたしてこの模様に何か意味があるのか。考えたところで答えが出てこないことは理解できていたため、リカバリーガールは気にするだけ無意味かと、紋様から視線を外した。


「……すまない。誘少年、グラヴィタシオン。君たちの大事な家族を、生徒を、守ることができず……!」


がばりと頭を下げたのは、オールマイトだった。生徒たちが命を脅かされる危機に遭っているなか、自分はそんなことも知らずに過ごしていた。そんな自分自身が、彼は許せなかった。グラヴィタシオンは彼の気持ちを察しているのだろう、力無く笑って首を横に振った。彼だって、妹を守ることができなかったのだ。ここまでボロボロになって、今も尚死の淵に立っている妹を、救うこともできなかった。ああ本当に、兄失格ではないか。彼は思わず、乾いた笑いを漏らした。

警戒していたとはいえ、合宿先は極僅かな者しか知らされていなかった。それらを考えると、予想外の襲撃でもあったのだ。だから仕方がない。しかし、それでは済まされない。


「今回の件、雄英側の認識の甘さが招いた結果でもある。でも反省は後さね。今は生徒が無事に生き延びたことを喜ぶべきだよ」


リカバリーガールはそう告げると、水世に歩み寄り、治癒を施した。すぐに完治とはいかずとも、意識不明な状態でも無意識に行われている自己治癒の手助けになることだろう。

リカバリーガールの言葉に、緊迫していた糸が僅かに解けた、そんな時。


「ああ、やっとお揃いかい。随分待ったよ」


酸素マスクの下で、水世の口が動いた。パッと開かれた瞳が四人を視界に入れたと思うと、愉快そうな笑みをこぼす。だがすぐに、痛みに顔を歪めた。

即座に、伊世と重世が警戒態勢を取った。リカバリーガールとオールマイトは目をぱちくりさせて驚きつつも、期末試験の時の、とすぐに察したようだった。


「落ち着け、こいつは眠ってるだけだ。少し休めば交代するさ。しっかし……散々だったぜ。まさか腹が抉れるとはなあ」

「何の用だ。わざわざおまえが表に出るとは」


彼女、満月――あくまで本人は否定する名だが――が喉で笑った。


「いや、なに。おまえらの目があんまりにも節穴だから、嗤いにきただけさ」

「節穴?」

「そうだ、節穴だ。なんでオレ様が自ら契約を持ち出したと思ってんだ?あの状態のままじゃキャパオーバーだからだぜ?だから、契約を結んで能力制限をかけたんだ。成長につれて器がでかくなる算段だったのが、一向に大きくなりやしねえ」


計画が大きく狂わされたと、彼は忌々しげに舌打ちを落とした。いまいちピンときていない面々に、満月はわざとらしくため息を落とす。


「強大な力を有しても、器がついてこねえ場合がある。身体が能力に耐えられねえのさ。だからこそ、その力に見合う器が必要ってわけだ。だがこいつにはその器がなかった。契約を結んでいるその間に器が成長する、はずだったんだがなあ……おまえらは使えねえよなあ、ホント」


心底不快そうに、満月はこぼした。その目はひどく冷めきっており、姿が水世なだけに、普段の彼女からは考えられないような瞳だった。


「おまえらまさか、少しは『家族』になれてるなんて思っちゃいねえよな?んなわけあるかよ、おまえらと水世の間の溝は埋まってなんかねえ。言葉は足りない、距離感も掴みかねてる。なんでこうも『素直』さに欠ける奴らかねえ……」


視線を天井へ、そして窓の外へ向けた満月は、燦々と照る太陽をつまらなそうな顔で――姿は水世だが――見つめた。

誰も彼もが遠慮しすぎているから、溝は埋まらない。互いに言葉を交わさねえから、距離は縮まらない。そんな簡単で当たり前の「家族」のコミュニケーションができてない奴らが「家族」だと言い張ったところで、それは上っ面だけの、すぐに崩れる浅い関係でしかない。

ペラペラと語る満月に、誰も言葉を挟めないでいた。彼の言葉は、確かに正しいものであったからだ。


「おまえらは、誘水世という“人間”が見えてないんだよ。こいつの『原点』だって、至って単純なんだぜ?なあ、なんでこいつがここまで酷い怪我をしたと思う」


太陽を見つめたまま、満月は彼らに尋ねた。

それは敵に襲われたからだろう。水世のことを考えると、伊世を探しに行った際に遭遇して、そのまま戦闘になったという可能性が一番高い。重世が代表して答えれば、満月はケラケラ笑って「まあ、間違ってはねえわな」と呟いた。


「最初はクソガキ探しさ。その途中で敵に襲われたのも本当だ。だが、逃げ道は残ってたんだぜ。それを、こいつ自身が戦うことを選んだ。クラスメイトが怪我してる姿を見て、そいつを逃がすために。――みんなを守りたいのだと、ハッキリ言った」

「……水世が?」

「ああ。意外か?なにも意外じゃねえよ。水世は元々そういう性格だ。周囲はそれが見えてないのさ。彼女がただの、周りと同じ“人間”の少女であることが、な」


呆然としている重世と伊世を一瞥し、話に置いてけぼりなオールマイトとリカバリーガールを一瞥し、満月は再び視線を窓の外へと移した。


「水世だって夢が見れる。夢を持てるのさ、持ったのさ。それを周りが潰していくから、諦めざるを得ない。意思を、自我を、殺されていく。だから周囲の言葉を受け入れて、周囲が定めたモノであろうとする。これじゃあこいつは、都合の良いお人形と同じだな」


ゆるゆると仰向けのまま首を振った満月の言葉が、伊世と重世を突き刺していく。特に伊世が感じたダメージは大きなものだった。家族である自分たちよりも、双子である自分よりも、彼女を苦しめる“個性”の一部の方が、真に水世を理解しているかのようで。


「このまま、排他的に生きていくつもりか?水世の他者との繋がりを断ち切って、自分以外の者から断ち切らせて」

「確かに周りは、俺も含め、水世を傷つけ、苦しめてきた。だが全員が全員、そうじゃないはずだ」

「“個性”がバレていないから、というのもわかる。だが水世の“個性”を、その危険性を知ったとしても。その上で彼女のそばにいてくれる存在は、必ずいるはずだ。おまえたち二人だけで生きていけるほど世界は甘くない」

「水世の人生は、生き方は、意思は、感情は、おまえが決めるものじゃないだろう?」



期末試験の演習試験で重世から言われた言葉が、伊世の頭に蘇ってくる。再生される言葉の数々に眉を寄せ、彼は固く拳を握る。

排他的。確かにその通りだと伊世は自覚している節はあった。だがそれは水世のためである。周囲が彼女を苦しめるから、守るために遠ざける。苦しまないよう遠ざける。それの何がいけないと言うのだろうか。自分はただ、最愛の妹を守りたいだけ。苦しめられてきた彼女が、これ以上苦しむことのないように。傷つけられてきた彼女が、これ以上傷つかないように。それの、なにが――。


「なにが、悪いって言うんだ?俺はただ、水世のために……」

「自分本位なんだよ、オニイチャン」


満月の言葉に、伊世は僅かに下を向いていた顔を上げた。瞳は伊世に向けないまま、彼はおかしそうに笑い声を漏らす。それがやけに、伊世の神経を逆撫でした。


「水世が望んでいるのか、否か。その問題もありはするが……しかし思いやりや優しさとは一方的な善意の押し付けでもある。一番の問題は、おまえが自覚のないままに水世の人生を支配してることだろ」

「は……?支配……?」

「周囲に排他的とは自分のみでなく水世にも適応されてる時点で、おまえは水世を管理してるじゃねえか。水世は誰かのものじゃない。当然、おまえのものでもない。決して、決して」


にんまりとした笑みで、満月は伊世を見た。しかしその目は一切笑っていない。中身は今は満月であるとはいえ、姿形や声は紛れもなく水世である。そのため、まるで彼女に嘲笑われているかのような、鋭利な瞳で貫かれているような錯覚を起こしかけた。


「……テメェは、何がしたいんだよ……水世を苦しめたいのか?俺を、苦しめたいのか?」


怒りを必死に抑えるように呟いた伊世に、満月は半分ハズレだとケラケラ笑った。


「オレは水世を苦しめたいわけじゃないんだぜ?理由なんて単純明快さ」


ゆっくりと、満月は水世の左腕を持ち上げた。手のひらを顔の前に持ってくると、傷一つないその手を見つめる。そして薬指を酸素マスクへ寄せ、視線を僅かに伊世たちの方へ向ける。


「――全ては、愛だよ」













八百万が入院している病室の扉が、ノック音を奏でる。入院している緑谷、水世、意識不明の耳郎、葉隠、拉致された爆豪を除いたクラスメイトたちは、ちょうど八百万の見舞いに訪れていた。全員の視線が一気に扉に向かうなか、八百万が代表して「どうぞ」と声をかける。

入室したのは、伊世であった。彼の手には真新しいメロンがあり、それはクラスメイトたちがお金を出し合って買った水世の見舞い品である。意外な人物の登場に、八百万だけではなく、他の面々も驚いたような表情を浮かべた。


「あんた、怪我は。頭強く打ったんだろ」

「え?あ、ええ……もう、平気です。ですが私よりも、水世ちゃんの方が……」


私は何もできなかった。八百万は暗い表情を浮かべると、自分よりも酷い怪我を負いながらも自分に笑いかけた水世を思い出し、自身への不甲斐なさでいっぱいになった。彼女は涙が出てしまいそうなのを堪えて伊世を見ると、ベッドに座ったまま、深々と頭を下げる。


「私が、水世ちゃんを残していったばっかりに……!すみません……!」

「……今日は謝罪でも流行ってんのか?別に、責めに来たわけじゃない。水世なら、さっきリカバリーガールが治癒しに来てくれた」


最初は常闇、次は飯田に、泡瀬、他のクラスメイトたち。今度は重世に、オールマイトに八百万。立て続けに謝罪を向けられ、彼はそれを受け止めつつも、謝罪する相手が違うだろうと小さくこぼした。

常闇の謝罪は、彼女に怪我を負わせたことだった。敵の攻撃で障子が複製された手を切り落とされ、抑えていた黒影が暴走。自身で制御ができずに、偶然黒影の暴走圏内を通った水世を攻撃し、殴り飛ばしたのだ。そのことについて、常闇に何度も謝られた。

飯田は、水世を止められなかったことだった。引率を任されながらも彼女を止めることができず、みすみす森の中へ走っていく彼女を見つめるしかできなかった自分を、彼は酷く叱咤していた。

他のクラスメイトたちは、彼女を救けられなかったこと。泡瀬からは八百万同様に大怪我を負っていた彼女を置いて逃げた件について。だが各々で大変な目に遭っており、加えて謝る相手が違うため、どれもお門違いの謝罪だと伊世は心の中で呟いた。


「今日はもう聞き飽きた。それより、これ。返すわ。割といい値段したんだろうけど、水世、あの様子じゃまだ起きねえし、水世への手土産を俺が食うのもな……それに、水世はメロンあんま好きじゃねえんだよ」

「え……?まじで?悪い、俺ら知らなくって……!」


伊世の言葉に、クラスメイトたちは一瞬ぽかんとした。だが、そばにいた瀬呂が慌ててメロンを受け取った。まさか苦手なものだったとは思ってもいなかったのだ。

彼女はメロンを舌に合わないのだと言って苦手に思っている。味が得意ではないらしい。だが、クラスメイトは誰もそれを知らなかった。


「……知ってるよ。おまえらが水世を知らないことくらい、知ってたさ」


どこか自嘲気味な伊世の呟きが病室へと落ちた。


「……伊世ちゃん。それ、どういう意味かしら」

「そのままだよ。おまえらはきっと、水世を何も知らない」

「そんなこと!」

「あるだろ。水世の好きな色は?好きな食べ物は?趣味、日課。逆に嫌いなものは?」


伊世の質問に皆が答えようとするが、ふと気付く。誰も、その質問の答えを持っていないということに。口を開けたまま言葉を出せない様子を見て、伊世は静かに、力無く口角を上げた。


「アイツ、『好き』だと明確に口にしたこと、なかったんじゃないか?『嫌いじゃない』は『好き』ではないんだ」


その言葉に、皆何かに気付いたようだった。


「私は甘い方が好きなんですが、味の好みは大丈夫でしたか?」

「うん?嫌いじゃないよ」


「誘も、前そば食べてたよな?好きなのか?」

「そうだね、嫌いじゃないよ。温かいのも、冷たいのも、どっちも。麺類は作るのも楽だし」


「バレーしようよ、バレー!夏といえばビーチバレー!私好きなんだー!」

「いいわね。私、ボールを持ってるから、当日持っていくわ」

「やったー!水世もバレーいい?」

「うん、いいよ。嫌いじゃないし」



思い返せば、確かに。水世は「嫌いじゃない」とは言うものの、「好き」だと言うことはなかった。つまり皆、水世の「好きなもの」を知っていると思い込んでいただけに過ぎなかったのだ。


「俺ら……水世のこと、何も知らねえじゃん……」


呟いたのは、切島だった。彼の言葉に皆同意するしかできず、それに気付いたクラスメイトたちは、ただ愕然と、呆然とする他なかった。


「……悪い、八つ当たりした。とりあえず、メロンはおまえらが食べてくれ。お大事にな」


伊世は前髪をぐしゃりと掴むと、軽く頭を振って彼らに背を向けた。そんな彼を、八百万が呼び止めた。彼女は恐る恐る、確認するように、一つ質問を投げかけた。


「卵焼き……水世ちゃんの、卵焼きの、味の好みは、なんですか?」


瞳が揺れている八百万を見つめた伊世は、存外素直に答えを返した。


「しょっぱい味」