- ナノ -

定めで終わらせはしない


ガクン、と垂れ下がった水世の頭が勢いよく上がる。彼女の金色の瞳がくるりと一周したと思うと、ゆっくりと振り返り、ケタケタと笑いだした。

彼女は脳無を視界に捉えたと思うと、ふくらはぎの傷で上手く歩くことができないまま、爪先歩きで脳無へ近付いていく。水世は時折体のバランスを崩しながらも、アハッ、フフッ、と笑い声を漏らしていた。

瞳孔が開かれた瞳は瞬きさえせず、ずっと脳無を捉えている。口角は上がりっぱなしで、引きつったような笑い声を漏らすその姿は、あまりにも不気味であった。

水世は脳無の腕に刺さっている黒槍に、ゆっくりと人差し指を向けた。ニタニタとした笑みを浮かべた彼女の瞳が赤く光った。するとその黒槍から無数の黒槍が棘のように生えた。

痛覚があるのか、それとも単に邪魔なのか。どちらなのかは定かでないが、脳無は自身の腕の一本を貫いている黒槍を壊そうと、他の腕の工具をぶつけはじめた。だが、黒槍が壊れる様子は一向にない。


「フフッ、フフ……アハッ」


脳無の様子を眺めている水世の様子は、まるで新しいオモチャを与えられた子どものような無邪気さがある。彼女はまだ遊び足りないとでも言うように、黒槍を回転させはじめる。黒槍が回転すれば、付与された棘も勢いよく回転していく。その刃は脳無の腕を中から引き裂いていき、脳無の肉片が辺りに散らばったと思うと、ぼと、と太い腕が一本地面に落ちた。

黒槍を一瞬で消した水世は、ゆっくりと地面に視線を落とした。すると今度は、魔法陣の展開と共に地面から真っ黒な光をまとった矢が噴出されていく。だがそれは脳無の体に刺さることはなく、わざと避けて現れていくのか、ただ皮膚を掠めるだけだった。

今の彼女には脳無を倒す気もなければ、他者を守りたいから足止めをする、という考えもない。ただ自身が楽しみたいから、面白いから、オモチャが壊れないようにじわじわといたぶるだけの個体と成り果てていた。徐々に首もとを締めつける熱など気にしておらず、笑い声を漏らす。

不意に、水世は周囲のバリアに視線を向けた。彼女は一つ指を鳴らしてバリアを消したと思うと、脳無の方を向き直す。傷を負った足で駆け出した彼女のふくらはぎは、足が動くたびに傷が開いて鮮血が飛んだ。

向けられたチェンソーの面の上に器用に乗った彼女は、脳無の腹部にゼロ距離から暴風を食らわせた。脳無のズボンが僅かに破れて、布切れが舞う。暴風の竜巻を腹に叩きつけられた脳無はそのまま吹き飛ばされ、衝撃で木々が折れていく。

相変わらず笑みを浮かべたままの水世が、脳無を吹き飛ばした方へ向かおうとする。だが足に力が入らず、うつ伏せに倒れた。それでも意識は失っていないようで、彼女は匍匐前進のようにズルズルと体を引きずって進んでいった。その度、赤い轍が草むらにできていった。

そんな中、草を踏みつける音が彼女の耳に届いた。動きを止めた水世が辺りを見回せば、数メートル先の暗い木々の隙間から、男が一人姿を見せた。無造作に跳ねた黒髪が揺れ、焼け焦げたような皮膚が所々に繋ぎ合わせられているのが確認できる。その男はボロボロになっている水世を視界に捉えると、気怠げだった瞳を大きく見開いた。


「――――」


呟いた男は、瞳に熱を孕ませたと思うと、笑みを象って水世を見つめた。彼女はそんな彼の表情の変化など一切気にもとめないままに、男にエネルギー弾を撃ち込んだ。突然の攻撃に反応できなかったのか、そもそも避けようとも思わなかったのか。男はあっさりとエネルギー弾を食らったと思うと、その体は溶けて消えてしまった。

即座に興味を失った水世が、不意に上空を見た。パッと現れた謎の人影と視線が絡んだと思うと、彼女はまたヒヒッ、と笑う。そしてその人影に向けて、エネルギー弾を一つ撃ち込んだ。咄嗟のことに驚いたその人影だが、マントの裾を揺らしながら辛うじて避ける。相手が水世に向けて何かをしようとした時、何かが勢いよくその人影にぶつかり、どこかへ落下した。

彼女はまたも興味をなくしたように視線を外し、ずりずりと音を立てながら、這って地面を進んでいく。忙しなく辺りに視線を散らして、耳をそば立たせている姿は、獲物を探す肉食動物にも似ていた。

しかし、彼女の視界は既に霞みがかってきていた。血が足りないせいか、頭が回らない。そして突然、水世の頭がガクン、と落ちた。


「……っ、チッ……やっと出てこれた。が、こりゃ散々だな」


顔を上げた水世の表情から笑みが消えたと思うと、思いきり顔をしかめて盛大な舌打ちを落とした。腕で体を引きずって木の幹のそばに移動すると、体を仰向けにして浅く息を吐き出した。


「制限がかかっても、生存本能は働くか……だが、時間がいるな……つか、ここどこだよ、クソ……あーっ……こういう時は、契約が裏目に出ちまうな……」


体内が再構築されていることは、微々たるスピードとはいえ理解できていた。ドクドクと大きな音を立てる心臓。ゴキュ、ピキッと音を鳴らす骨。血液が体内中をものすごいスピードで駆け巡っていくかのような感覚。内臓が膨れていく感触。制限のかかった状態での最大限を、自身が意識するでもなく、無意識に全て治癒に回している。


「多量失血、内臓も壊れてる……それで死なねえのも、無意識で、自己治癒してたか……自己防衛意識は捨てられねえみてえだなあ。まあ、おまえも生物だしな」


落ち着いた声は、普段の水世より低めの音を出している。どうやって施設へ戻るべきか。上ってきた血を吐き出した彼女は、重たい腕を持ち上げて前髪を掻き上げた。


「不便だな、ほんっと、人間の身体ってのは……容量が、まだ足りてねえ。オレが調整してなかったってのもあるが……何せあの時は、柄にもなく焦ってたんだよ……しかし、一向に器がでかくなりゃしねえ。クソッ、邪魔しかしねえ人間風情が……」


クソジジイといい、クソババアといい、周囲のマヌケ共といい。あの男もクソガキも。水世を取り巻く環境は、嘲笑うように苦しみと絶望を与える。吐き捨てるように言いながら、再度近くに血を吐き出した。


「定めだとでも言うか?あ?……これだから、神ってのは嫌いなんだよ。これは定めじゃねえ、運命だ。変えることのできる、不確定な要素だ。運命は、絶対じゃねえ」


なあ、頼むから生きてくれよ。呟かれた言葉は、誰にも届かず森の中に落ちるだけ。舌打ちを落としながら、ふと先程の男の言葉が脳内に反響した。


「――俺の天使」


会った覚えのない見知らぬ男だというのに、向こうはこちらを知っていた。天使だとのたまう男の浮かべた表情を思い出しながら、不快そうに眉を寄せた。












「水世!!」


一向に施設に戻らない水世は、生徒の保護のため森の中を駆け回っていた相澤に発見され、戻ってきた。

ブラドキングの通報によって、敵が去った十五分後には救急用消防は現地に到着した。上空からも地上からも施設に戻っていない面々を捜索し、皆発見された。

生徒四十二名の内、敵のガスによって意識不明の重体十五名、重・軽傷者十二名。無傷で済んだのは十四名。そして、行方不明者が一名。プロヒーローは六名の内一名が頭を強く打たれて重体、一名が大量の血痕を残して行方不明となっていた。一方敵側は三名の現行犯逮捕。彼らを残し、他の敵は跡形もなく姿を消したのだ。

生徒の中でも一番の重傷者は、水世であった。相澤が発見した場所から数メートル先にかけて、彼女の傷から流れた血液が道標のようにできていたことで彼女を見つけることができた。

右腹部は抉られており、右ふくらはぎに深い切り傷、背中の打撲、肋骨を骨折と、生きていることが不思議なほどの状態で発見された彼女の姿は、生徒だけでなく、プロヒーローたちも顔を青ざめさせた。彼女の姿を発見した相澤でさえ、一瞬死んでいるのではないかと冷や汗を垂らし、柄にもなく焦ったほどだ。特に目の前で爆豪を攫われた面々には、追撃するように精神的ダメージを与えられた。


「水世、水世?痛いな、ああ、痛いよな。すぐにでもおまえを見つけるべきだった。大丈夫、大丈夫だ、すぐに治して――」


誰よりも早く彼女に駆け寄った伊世が、水世に触れようとしたとき。気を失っている彼女が、彼の手を弱々しく掴んだ。まるで彼のしようとしていたことを止めるかのようなその行動に、伊世は「……なんで」とショックを隠しきれない様子でこぼす。


「俺ならすぐに治せるんだ、水世。おまえが自分を治せることも知ってる。現に今、無意識下で治してるんだろ?でもダメだ、制限がかかっている以上、時間が必要だ。俺なら今すぐに治せるんだ、水世」


水世の手を握りしめた伊世は、祈るように、絞り出すように、囁くように、彼女に声をかけた。返答は当然ないが、水世の手は伊世の手を握ったまま離さない。


「落ち着け、誘。彼女はこれから緊急搬送だ」

「俺ならこの場ですぐに……!」

「意識がないながらにおまえを止めている。それはつまり、おまえのその治癒は、裏があるんじゃないのか?おまえにとってデメリットが与えられるような」


図星を突かれた伊世は唇を噛み締めると、自分もついていくと言って、水世と共に救急車に乗り込んだ。

こうして、みんなが楽しみにしていた林間合宿は、三日目にして最悪の結果で幕を閉じることとなった。