コイという毒薬は未接種
A組の女子部屋には、現在B組の拳藤、小大、塩崎、柳レイ子がいた。先程の峰田の件でのお礼にとお菓子の詰め合わせを持ってきてくれたのだ。
八百万は、同じA組の生徒が迷惑をかけたのだからと遠慮していたが、感謝の気持ちだからと受け取った次第である。取蔭や小森希乃子、角取ポニーも直接お礼を言いたかったそうだが、ブラドキングから訓練の注意点があるからと呼び出され、この場にはいない。
それでも渋っていた八百万を見て、葉隠がせっかくだから女子会をしようと提案したことで、女子たちの盛り上がりは即座に上がる。早速部屋の真ん中にお菓子を広げて、自販機でジュースを購入し、布団をクッション代わりに車座になった。水世は八百万と芦戸の間に座って、ジュースで乾杯をした。
水世は初めての経験に少し戸惑いつつも、それを表に出すことはないまま、盛り上がっている周りに相槌を打った。八百万も女子会は初めてだそうで、ほんのりと上気した顔でわくわくした様子を見せ、どういうことをするのが女子会なのだと尋ねた。芦戸は、女子が集まって何かを食べながら話すのが女子会なのではないかと答えたが、葉隠は見えないがチッチッチッと指を振った。
「女子会といえば……恋バナでしょうがー!」
葉隠の言葉に、女子のテンションはまたも一気に上がった。盛り上がりを見せる芦戸、ほんのり顔を赤らめる麗日と蛙吹、戸惑う耳郎と苦笑する拳藤、戸惑いつつも満更でもなさそうな八百万と、慈愛満ちるシスターのような塩崎、首を傾げる柳と首を振る小大。水世も不思議そうに周囲を見つめている。それぞれテンションの違いはあるが、どうやら話題はそれで決定したようで、早速言い出しっぺの葉隠が、付き合っている人がいる人ー!と話題を振った。
だが、誰も彼もわくわくとした視線を周囲に送るだけで、名乗り出る者はいない。そんな沈黙が数秒続き、葉隠は愕然とした声を上げた。皆も期待のこもった顔を引っ込めると、周囲を確認する。だが誰も彼も隠しているそぶりさえ見せず、どうやら本当に、誰もいないようだった。
この事実に、女子たちは僅かな危機感を覚えた。何故なら、ヒーロー科のない普通の高校に進んだ友人たちから、彼氏ができただの、はたまた他の友達に彼氏ができたらしいなどの話をちらほらと聞いていたからだ。
「中学の時は受験勉強でそれどころじゃなかったけど、雄英に入ったら入ったで、それどころじゃないもんなー」
苦笑いする拳藤に、みんなが深く頷いた。ヒーロー科は月曜日から土曜日までびっしりと授業が入っており、ヒーローになるためには、学ばなければならないことがたくさんある。演習に加えて、当然普通科目の宿題だって出るため、時間がいくらあっても足りないのだ。つまりは、恋をする余裕や時間がないのである。
「うわー、でも恋バナしたい!キュンキュンしたいよー!ね、片思いでもいいから、誰か好きな人いないの?」
芦戸は身を乗り出してみんなを見回す。どうやら一度ついてしまった恋バナという火は、中々消せないらしい。こうなったら他人の恋心でもいいから、ときめきを感じたいようだ。
「あら?どうしたの、お茶子ちゃん」
ふと、麗日の顔が真っ赤に染まった。そんな彼女の顔を見て、葉隠のテンションが上がる。好きな人がいるのではないかと問い詰める芦戸と葉隠に、麗日の顔はますます赤くなっていく。
「ひゃっ?」
「うわっ」
慌てて否定する彼女がブンブンと振った手が芦戸と葉隠に当たり、麗日の“個性”が発動し、二人の体がふわりと浮かび上がる。慌てて解除すれば、ポスンッと布団の上へ落下した。麗日は謝りながら、恋バナが久しぶりすぎたのだと言葉を並べた。どうやらそれで納得したらしい芦戸と葉隠は、軽く謝りながら元の位置へと戻っていった。
その後も恋バナをしようとするも、誰も片思いさえしていないという現状に、話は行き詰まる。その結果、A組とB組の中で彼氏にするなら誰がいいか、という話題に移った。だがいざそう考えてみると、誰もピンとくる相手がいないという新たな問題にぶつかった。
異性とは言え、ヒーローを目指す仲間でもあり、ライバルでもある存在だ。今までそういう対象、気持ちで見たことがないために、想像しようにも難しい。
「……あ」
その時、八百万が何かを思い出したように声を上げた。期待満々で詰め寄った芦戸に、八百万は困ったように笑うと、自分ではなく耳郎だと答えた。
「耳郎さんは、よく上鳴さんと仲良くお話しているなと思い出しまして……上鳴さんはいかがですの?」
「ちょ、ヤメテ!そりゃアイツは喋りやすいけどさ、チャラいじゃん。絶対浮気する」
話の矛先を自分に向けられた耳郎は、恥ずかしそうに顔をしかめた。そんな彼女に、蛙吹は口の下に指を置いて考えながら、彼は付き合ったら意外と一途になりそうだと呟く。
「えっ、梅雨ちゃん、上鳴くんが好きなタイプなん!?」
「いいえ、全然」
キッパリ否定されていることに、水世はこの場にいない上鳴に、ひっそりと同情した。
「でも、上鳴ちゃんは基本女の子には優しいでしょ?」
「う〜ん……ただの女好きっていうだけじゃない?」
耳郎の「女好き」というワードに、女子たちの脳裏に共通の男の顔が浮かんだ、そして能面のような表情になって、口を揃えて峰田よりマシだと呟く。皆の言葉に、小大が一拍遅れて頷いた。そのあまりの揃いっぷりに、みんな顔を見合わせて吹き出している。
「B組に峰田みたいなのっているの?」
「いないいない。ウチの男どもは割と硬派だよ。あ、物間みたいなのもいるけど」
「物間はなー……」
「ん」
「物間だなー……」
「ん」
柳の言葉に、小大が頷く。どうやら物間は、心がちょっとアレでもそのまま物間というジャンルで受け入れられているようだ。葉隠はあっけらかんと「顔は結構イケメンなのに、心がちょっとアレなのが残念だね!」と言っている。
「イケメンと言えば、そっちの轟は?」
柳の問いかけに、みんながそういえばと言うようにその存在を思い出した。イケメンで性格はややマイペース。彼氏にするには、なんのマイナスポイントも見当たらないような気がしたそのとき、拳藤の「あぁ、あのエンデヴァーの」という言葉で、女子たちは思考を停止した。
「……ないな」
「うん、息子の彼女に厳しそう……」
想像したエンデヴァーの威圧感にげんなりした顔を浮かべたA組の女子たちは、一人何もわかっていないような顔をして話を聞いている水世へ視線を向けた。
「水世ちゃん、もしものときは頑張ってね」
「え、水世と轟ってそんな感じ?」
「違う違う。今のところ轟の一方通行。自覚ないっぽいけど」
自分の話題が出ているものの話についていけない水世は、とりあえず頷いておいた。あのエンデヴァーと上手くやっていける自信はないと、皆が早々に轟を選択肢から消していれば、塩崎が閉じていた目を開き、切々と説く。
「あぁいう気性の激しい方こそ、心が傷ついているかもしれません。そんな傷を癒してさしあげたい……」
「茨、まさかのエンデヴァー!?」
同級生の父親!?No.2のヒーローとの不倫!?そう驚く拳藤たちに、塩崎は変わらぬ冷静な表情で首をふるふるとふった。
「全ての生き物は、皆愛される資格を持つのです。癒してさしあげたいだけで、決して恋ではありませんし、タイプでもありませんのであしからず……」
そういう意味合いかと安堵した皆は、次々に男子の名前を挙げていく。
飯田は真面目だし、浮気も絶対しないだろう。だが交際を申し込んだ後の想像が難しいし、手を繋ぐのに何年もかかりそうだとか、結婚してからしか繋げないんじゃないかとか、真面目すぎるが故に選択肢から消えた。
緑谷は努力家で、周囲にも勇気を与えてくれるような人。しかし重度のオールマイトオタクであるため、彼女とのデートにオールマイトの握手会に行きそうだというイメージから、選択肢から外された。
続いて名前が出た爆豪も、成績優秀で将来有望ではあるものの、性格に難がありすぎるために、即座に消える。その後も続々と男子の名前が浮かんでは、厳しい審査が入って消えていくばかりだ。
「じゃあ誘くん!お兄ちゃんの!彼もイケメンだよね!」
「あー、伊世かあ……伊世はなあ……」
B組女子の視線が、水世に向かう。きょとんとしている彼女に苦笑いを浮かべた拳藤は、難しいと思うと頬を掻いた。
「なんていうか、なー……」
「ん」
「彼の愛は万人に向くのではなく、極々僅かにしか向かないようですから」
「大事にされてんだなーって思うよ」
しみじみ呟いている拳藤たちに、どうやら芦戸たちは察しがついたようだった。ただ一人、水世だけは何も理解できていないために、黙って聞いていた満月はケラケラ笑い声を上げて、《流石にかわいそうになるが、まあ言葉足らずを直すべきだな》と呟いている。
結局男子は全滅してしまい、今度は視点を変えることにした。性別を逆転させて、彼女にするならば誰だ、という話題に。だが身近な男子を女の子に変換しようとするも、筋肉質な体つきそのままに、ロングヘアを被せただけのような想像しか出てこない。
「伊世はできたっちゃできたけど、水世に寄っちゃうんだよねえ」
「双子やもんね」
そもそもこれでときめくのか、という疑問が上がったことでこの話題は終わりかと思われた。だが、柳が少し離れた拳藤を見て、一佳が男ならモテそうだと呟いた。
同じB組の女子からも、それに八百万からの同意も上がっていき、みんなに注目されている拳藤は、僅かに恥ずかしそうに顔をしかめた。
「痴漢なんかにも、バシーっと言ってくれそう!彼氏だったら、『俺の彼女になにしてんだよ?』とか言っちゃってー!」
芦戸の言葉に、男子バージョンの拳藤が自分を守りつつ痴漢を退治する、というシチュエーションを思い浮かべた女子たちは、黄色い声を上げた。だがすぐに、女子同士でときめいても、とはたと我に返った。
「やっぱさ、恋愛目線で見るからしっくりこないんだよ。サイドキック目線とかなら、意外とキュンキュンしそうなとこも見てくるかもよ?」
「サイドキックねえー」
「もしくは、一日入れ替わるなら、とか?」
拳藤の提案に、みんなが考え込んだ。一番最初に自分なら、と声を上げたのは麗日だった。彼女は意外にも、爆豪の名前を出した。
「体育祭で直接戦って完敗したやん?そんとき、素直に強いなーって思ったんだ。あの強さを一回味わってみたい!」
麗日の言葉を受けて、各々が自分は誰がいい、と次々に挙げていく。芦戸はテープを出すのをやってみたいからと瀬呂、八百万や小大は動物を操れる口田に、耳郎は放電後の状態を一度体験したいからと上鳴を挙げた。他にも、蛙吹は黒影と連携して戦う気分を味わったり、自分の中に別の生き物がいる感覚を知りたいからと常闇、葉隠は甘いものをたくさん食べてもエネルギーに変わるから、と砂藤を挙げた。
「水世ちゃんは、誰がいいですか?」
「私は……そうだなあ……」
同級生の顔を思い浮かべた彼女は、誰になってみたいだろうかと考える。誰かピンとくる相手が浮かばないまま悩んで、強いて言うなら、と呟く。
「障子くんかな?手がいっぱいあるの、同時に色々できるから便利だなあって思う」
「意外な人選だ!」
予想以上の盛り上がりを見せる周りを見て、拳藤は呆れたようにため息をついて笑った。
「恋愛抜きだと、スラスラ選べるんだけどね」
確かに彼女の言う通りで、ときめきなどではなく、自分が体験したい“個性”面が強くなってしまっている。恋バナの一つもできない!と倒れ込んだ芦戸に、女の子たちはそれぞれの顔を見て苦笑した。
「今は補習がんばれ」
「きっと神様のお告げですわ」
耳郎と塩崎に言われて、抵抗するように布団の上でジタバタする芦戸に、蛙吹は「でも……」と続けた。
「恋に落ちる、って言うでしょ?だから、気がつくと落ちてしまっているものなのよ」
その時になれば誰かに話したくて堪らなくなるだろうから、恋バナはその時にたくさんすればいい。蛙吹の言葉で、空気がほんわかとしたものに染まる。だが芦戸はすぐに補習という地獄を思い出してしまい、話は理想のタイプへ移った。
「三奈ちゃんは、どういう人がタイプなの?」
「んーとね……まずは強そう!でもね、たまに子どもっぽい一面がある人がいいなー。やんちゃな感じで、それでいて、ずっとそばにいてくれるの〜!」
ふんふんと聞いているなか、A組女子たちが何かに引っかかったような顔をした。芦戸の理想のタイプの脳内で反復して、蛙吹がそれは黒影みたいだと指摘すると、芦戸を抜いた面々が納得した。人じゃないじゃん!と口を尖らせた芦戸に、蛙吹は続けた。
「あらでも、黒影ちゃんは強いわよ。今日、お昼ご飯に呼んでくるときに常闇ちゃんが訓練してる洞窟覗いたんだけど、暗闇だと黒影ちゃん、とっても勇ましいの。常闇ちゃんもすっごく苦労してたわ」
「でも明るいときはかわいいよね!アイヨ!とか返事するんだよ」
「そうそう、期末の演習試験で常闇ちゃんと組んだんだけど、黒影ちゃんたら、常闇ちゃんかエクトプラズム先生の“個性”を『なんたる万能“個性”』って言ったら、『俺もダヨ』って拗ねてたわ」
柳と小大はその様子を想像したのか、乏しい表情が僅かに緩んだ。まるで今まで気付かなかった新しい男子の一人を思い出したかのように、みんなが頷いている。
「で、“個性”だから常に一緒」
「いや!常に一緒なのは常闇じゃん!」
「じゃあ『黒影』って“個性”を持ってる常闇くんがタイプってことで!」
「ってことで!じゃないよ!そもそも黒影って水世に懐いてるし!」
からかうような葉隠に、芦戸は鼻息荒く意気込むと、こうなったら意地でもときめくのだと、今度は現役ヒーローの中で結婚するなら誰だ、という話題を上げた。
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重世が人気なことに、流石だと一人心の中で思っている水世は、突然に話題を振られた。
「話始まってから、水世全然喋ってないじゃん!水世は誰かいい人いないの?」
「そういえば幼馴染くんは?」
「水世幼馴染いんの?」
矛先を向けられた水世は、苦笑い気味にそういう関係じゃないよと呟く。だが幼馴染というその関係性だけでも、年頃の女の子たちにとっては充分なのだ。
「どんな感じのタイプ?」
「……熱血系?真面目で、素直で……初対面でも物怖じしないし……運動神経も良くて、頭も良くて、でも天才ではないかな。すごく努力家で、秀才って感じ。ガタイが良くて、背が高くて、笑ってることが多いよ」
「水世ちゃんとは正反対な感じなのね」
「凸凹幼馴染だ……!」
意外と盛り上がっているその様子に、どこにそんな要素があったのだろうかと思いつつも、水世はそうだねと笑った。
確かに自分とイナサは全然似ていない。性格なんて特にだ。それでも彼のそばは落ち着くし、彼と話すのは楽しい。イナサのことを思い出して、クスクス笑いをこぼした彼女の方に、視線が一気に集まったと思うと、みんなが黙り込んだ。不思議そうに目をぱちくりさせている水世を見ながら、八百万が呟いた。
「水世ちゃんは、幼馴染さんのことが、本当にお好きなんですね」
微笑んだその表情が、水世には何故だか寂しそうにも見えた。だが気のせいかもしれないと思い直して、彼女は大きく頷いた。
「水世ってさ、どんなタイプが好きなの?その幼馴染みたいな熱血系?それとも轟とか常闇みたいなクール系?」
「伊世みたいな亭主関白っぽいのは?」
「お兄さんみたく爽やか系とか!」
ぐいぐいっと詰め寄ってくる姿に、水世は苦笑いを浮かべる。助けを求めようにも、何故だか八百万や蛙吹たちも気になっているようで、どこか期待のこもった瞳を浮かべている。答えない限りはどうにも解放されそうになく、水世はおずおずと口を開いた。
「……たまに意地悪だけど、なんだかんだ優しくて……よく笑う人、かな?」
「意外なタイプ!」
当人を放って盛り上がっている面々を見ながら、こうもテンションの上がる内容なのかと、水世は笑みを浮かべながらも内心疑問に思う。そんな彼女に、満月はそういうもんだと笑った。
《恋は一種の病だ。人に喜びを与え、苦しみを与え、怒りや悲しみも与える。数多の者を狂わせるのさ》
《……よくわからない》
《わからなくていいことだ》
《なら、満月は、わかる?》
その問いに、彼は言葉を止めた。聞いてはいけないことだったのかと慌てそうになった水世だったが、満月はいつものように自分に名前はないと呟く。
《さあな。想像に任せるとしよう》
普段に比べてどこか穏やかなその声は、やけに印象に残った。