- ナノ -

誤った認識ばかり生まれ


時刻は五時半。早朝に体操服を着て集まった面々は、眠たげな顔を浮かべていたり、大きなあくびをしていたり、寝癖がつき放題だったりと、完全に目が覚めている人の方が少ない。


「常闇くん、朝強いの?」

「早起きは三文の徳。普段から、早起きは心がけている」

「いいことだね」


水世が常闇と話していれば、相澤が「おはよう、諸君」と挨拶をしながらやって来た。皆もおはようございますと返すが、声にいつもの明るさや覇気は感じられず、眠そうなままだ。


「本日から本格的に強化合宿を始める。今合宿の目的は、全員の強化及びそれによる“仮免”の取得。具体的になりつつある敵意に立ち向かうための準備だ。心して臨むように」


誰かが唾を飲んだ音が大きく聞こえた。相澤の言葉に身を引き締めている様子のクラスメイトたちを順に眺めた相澤は、爆豪に体力テストの時に使ったボールを投げ渡した。入学直後の記録からどれだけ伸びてるかを数値で見ようということなのだろう。


「おお!成長具合か!」

「この三ヶ月色々濃かったからな!一キロとかいくんじゃねえの?」


声援を受けながら、爆豪は右腕を大きく回す。彼は不敵な笑みを浮かべてボールを振りかぶったと思うと、くたばれ!という掛け声とは到底思えない言葉を吐きながら、ボールを投げた。爆風に乗ったボールは高く高く舞い上がり、向こうの山の方まで飛んでいった。

相澤の手元の計測器から音が鳴り、皆がどれだけ成長しているのかと期待を見せながら結果を待った。

だが、皆の予想に反し、記録は前回からたった数メートルしか伸びていない。その結果にざわめきが広がっていく。


「約三ヶ月間、様々な経験を経て、確かに君らは成長している。だがそれはあくまでも、精神面や技術面。あとは多少の体力的な成長がメインで、“個性”そのものは今見た通りで、そこまで成長していない」


言われてみれば、と水世は入学から今までの出来事を思い出す。この三ヶ月間で起こった出来事で、八百万や轟のように精神的成長があった者もいれば、緑谷のように技術面での成長を遂げた者もいる。各々が様々な成長を見せてはいるものの、“個性”が成長したという者は、よくよく考えると誰もいない。


「だから――今日から君らの、“個性”を伸ばす」


口角を上げた相澤は、死ぬほどきついが死なないように、という不穏な言葉を告げた。


「質問よろしいでしょうか!“個性”を伸ばすとは、いったいどのように?」

「確かに。全員が全員同じ“個性”じゃないし、何をどう伸ばすか、いまいちピンとこないよな」

「単純さ。筋繊維は酷使することにより壊れ、しかし強く太くなる。“個性”も同様だ。使い続ければ強くなるが、でなければ衰えていく」


すなわち、やるべきことは一つ。固唾を飲んで相澤の言葉を待つ生徒たちに、彼は人差し指をピンと立てた。


「――限界突破さ」


許容上限のある発動型は上限の底上げ、異形型・その他複合型は“個性”に由来する器官・部位の更なる鍛錬。通常ならば肉体の成長を合わせて行うものではあるが、時間がないため些か乱暴にいくらしい。


「しかし、この人数の“個性”を、少人数で管理できますの?」

「問題ない。だから、彼女らに救援を頼んだ」


相澤の言葉を合図に、突如四人の人物が飛び出してきた。


「煌めく眼でロックオン!」

「猫の手手助けやって来る!」

「どこからともなくやって来る……」

「キュートにキャットにスティンガー!」

「「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ!」」


フルバージョンでの口上と決めポーズを見せてくれたのは、ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツの四人だった。

ラグドールの“個性”の「サーチ」は、目で見た人の情報が最高百人まで、居場所や弱点が丸分かりになるという。そのため彼女が各々の弱点や居場所を常に把握し、ピクシーボブの「土流」で各々の鍛錬に見合う場所を形成する。そしてマンダレイの「テレパス」で、一度に複数の人間へとアドバイスを送る。

なるほど、合理的だと水世は頷いた。そしてもう一人の、筋骨隆々な男性(?)はどうするのだろうかとそちらを見た。


「そこを我が、殴る蹴るの暴行よ……!」


それは色々ダメなのではないだろうか。生徒たちの心は一致したが、声に出しては言えなかった。


「八百万、おまえは何かをしながらでも、時間短縮且つクオリティーの高いものを創れるようにする。砂藤は効果時間とパワーを増幅する。そのためにも、おまえたちはエネルギーを摂取しながら“個性”を発動し続けろ」


早速指示を飛ばした相澤に、皆困惑しながらもトレーニングを始めていく。ピクシーボブは「土流」で地形を形成していき、ラグドールは常に皆を視界に入れて弱点を暴いていく。

最後に一人残された水世に、相澤は常に自分の隣でトレーニングをするように告げた。首を傾げた彼女だったが、次の彼の言葉でその意味を即座に理解した。


「おまえは常に、“個性”を発動していろ」

「“個性”を、常に発動……?」


彼女は一瞬、耳を疑った。聞き間違い、もしくは言い間違いなのかと思ったが、どちらも違う。相澤はハッキリと、常に“個性”発動状態でいるように告げたのだ。水世はすぐさま、そんなのはダメだと声を上げた。


「いざとなったら俺が“個性”を消す。おまえの場合は“個性”のコントロールが優先だ。お兄さんからある程度は聞いてる。一定量までいくと、コントロール不可になるんだろ?」


彼女はバツの悪そうな顔を浮かべながら、小さく頷いた。

一番初めの戦闘訓練後、水世は轟に嘘をついた。彼女の紋様は、何も限度を決めているわけではない。左腕を覆われたって、彼女は“個性”を使用できる。問題は、左腕を覆われた後に“個性”を使った場合、彼女の意識が落ちることである。

一次拘束――水世たちはそう呼んでいる――は、自分のコントロールが効く状態だ。だが二次拘束は、一次よりも一層拘束力が増すために、精神まで拘束されてしまう。そのため水世にはコントロールが不可となっている。一次に比べると能力の威力も劣っているが、しかし彼女自身の精神が拘束されるがために、彼女の“個性”に半ば身体を乗っ取られた形となり、見境がなくなるのだ。


「時間がない分荒療治になるが、“個性”のコントロールを行うためにも、“個性”を発動し続け、感覚を掴むのが手っ取り早い」

「コントロールが可能な感覚、ですか?」

「ああ。加えて耐性をつける。二次拘束とやらの時の感覚、意識の持ちようを確固とするためにも、耐性がないんじゃどうもできないぞ。お兄さんと、B組の方の誘にもあらかじめ伝えてある。安心しろ」


彼の言うことにも一理ある。水世は眉を寄せながらも、言い分に納得してしまった。しかし、他人事だからそんな簡単に言えるのだ。一度固く拳を握った水世だったが、反抗したところで自身の抵抗など意味のないものだと諦めて、わかりましたと小さく呟いた。

水世はピクシーボブが作ってくれた洞窟に入り、クラスメイトたちの目の届かない位置を陣取った。そばには相澤が待機しており、いつでも彼女の“個性”を消す準備はできている。軽く深呼吸をした水世は、“個性”を発動させた。手の甲に紋様が現れて、彼女が手のひらサイズの水の球体を十個ほど出すと、紋様が広がっていく。


「チンタラやるな。俺がいるんだ、躊躇せずに“個性”を使え。それとも、このまま成長しないでいるつもりか?」


演習試験の時に重世から言われた言葉を、水世は思い出した。一生伊世に依存して、彼の邪魔をしながら、彼のお荷物になりながら生きていく。それは自分のなるべきものとは、まったくの逆じゃないか。

唇を強く噛み締めた水世の周囲に、風が巻き起こる。土埃が舞い上がり、徐々に風の強さは大きくなっていく。それに伴うように、彼女の左腕の紋様も広がりを見せた。肘から二の腕を締めつける茨のような紋様。熱が帯びていく感覚に、彼女の眉が歪んだ。

そして、ついに紋様が肩まで到達した。

ドクン!水世の心臓が大きな音を立てた。何かが自分を覆っていくような感覚が、彼女の体と精神を襲う。溢れ出てくる何かに飲まれていく感覚への恐怖はなかった。ただその結果引き起こる、自分が引き起こすことへの恐怖感に胸が支配される。

水世の意識がゆっくりと低下していくなか、相澤は僅かに弱まった風の中心に立つ水世を見つめた。まるで機械人形のように表情がピクリともしなくなったと思うと、無機物を見るような目で自身を見る生徒は、普段の姿との差異が激しい。

何の感情も向けていないような表情。だが、その表情が一変した。にんまり、三日月のような笑みが顔に浮かぶ。妖しげに目が細まり、金色は鈍く輝き、愉快そうに唇は象る。

ビリビリとした、緊迫したような痺れが肌を走る。相澤は間髪入れずにすぐさま水世の“個性”を消失させると、紋様は一瞬で消え去った。彼女の表情も、雰囲気もいつも通りに戻ったと思うと、水世は僅かに荒い呼吸を繰り返していた。そこには普段の生徒が立っている。

こうも変わるのか。初めて見た水世の“個性”の片鱗に、相澤は密かに冷や汗を垂らした。

中に別個体がいるとはあらかじめ聞いていたし、先日の演習試験の際にVでも見た。だがこうして実際目にしてみて相澤が感じたものは、危機感と僅かな恐怖のようなもの。そして、ヒーローとして倒さなければならない、という使命感にも似た何か。条件反射のように戦闘態勢を取ろうとしていた自分の手は、首もとの操縛布に伸ばされていた。

これは確かに、何も知らなければ敵だと判断されるか。もし自分も相手が生徒でなければ、相手の事情を何一つ知らなければ、ヒーローとして職務を行なっていたことだろうと確信できる自信が、彼にあった。

“個性”コントロールもだが、精神的成長、思考や考え方、意識の転換。課題は様々残っている目の前の生徒に、相澤はため息を落としそうになってしまったが、B組の面々が合流した声が聞こえ、ひとまず中断を告げた。