脳に残るのはいつだって
ピクシーボブやマンダレイたちが用意してくれた夕食を、四つの長テーブルに各々分かれ、皆でテーブルを囲みながら食べる。B組の生徒たちもA組同様に途中で森へ放り出されたようで、疲労を隠しきれていない様子であった。
「おやおや〜?A組ともあろうものが、随分疲労困憊の様子じゃないか!おかしいなあ、A組は優秀なはずだろう?」
それでもA組相手への煽りを行う物間の精神力やブレない姿勢は、もう一種の尊敬まで抱けそうな気さえしてくるくらい、みんな疲れているのだ。
水世は口田と瀬呂の間に腰を下ろして、夕食をとっていた。皆先程まで喋ることさえ疲れている風だったが、空腹が満たされていくことで、元気を取り戻していく。女子部屋と男子部屋の話で盛り上がっているのを聞きながら、水世は目の前にあるサラダを取り皿に盛った。
「美味しい!米美味しい!!」
「五臓六腑に染み渡る!ランチラッシュに匹敵する粒立ち!いつまでも噛んでいたい!土鍋……!?」
「土鍋ですか!?」
切島と上鳴は空腹がピークだったのだろう。テンションが妙な方向にぶっ飛んでしまっている。お椀に盛られた大盛りご飯をかき込みながら、目に涙まで浮かべているくらいだ。
「まー、色々世話焼くのは今日だけだし。食べれるだけ食べな」
ピクシーボブの言葉に、水世は少しだけ引っかかりを覚えた。だが考えるのもなんだか疲れるからと、気にすることなくご飯を食べる。ゆっくりと、自分のペースで口内のものをよく噛んで飲み込みながら、水世は大皿に盛られていた揚げ物を取った。
「そうだ、口田くん、喉は大丈夫?ずっと声出したままだったし……」
隣に座っていた口田を見上げた水世に、彼は何度も首を縦に振った。枯れるくらいの勢いで今日は喋り続けていた彼は、喉を酷使しているはずだ。水分補給さえ途中でできなかったので、きっと痛みに耐えながら“個性”を使用していたことだろう。
水世は制服のポケットを漁ると、一つのど飴を取り出した。持っていたのは単なる偶然ではあるが、ちょうど良かったと彼女は口田の前にのど飴を置いた。
「良ければ食べて。少しは、マシになるかも」
「あ、ありがとう、誘さん」
照れたようにはにかんだ口田に、水世も笑みを返した。
「水世、そこの醤油取ってくれ」
「これ?」
「ああ」
轟から頼まれて、水世は自分のそばにあった醤油を、斜め前に座る彼に差し出した。黙々と食事をしている彼だが、やはり空腹は感じていたのだろう、結構な量を食べている。彼の隣に座っている常闇も同様で、皆いつも以上にご飯を食べているのではないかと思う。
「ミズセ、食べないノ?」
「うん。もうお腹いっぱいだから」
ごちそうさまでしたと両手を合わせた水世に、黒影が顔を出して尋ねた。頷いた彼女は自身が使っていた食器を手に取って、視線を彷徨わせた。どこに持っていくべきかと立ち上がったまま困っていれば、マンダレイが彼女の方へと寄っていった。
「あれ、もういいの?」
「はい。充分食べましたので。ありがとうございます」
「そっかそっか。じゃあ後は、お風呂入ってゆっくり休みな。ここ、露天風呂だからさ」
食器は貰うよ、と言うマンダレイに、水世はもう一度お礼を伝えた。露天風呂という単語に周囲が色めき立っていて、水世はそんなにいいものなのだろうか、と少し首を傾げた。
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「気持ちいいねえ」
「温泉あるなんてサイコーだわ」
長い髪をまとめ上げた水世は、皆と一緒に湯船に浸かった。芦戸は岩場に腰掛けて足湯のようにしており、彼女の足が軽く上下に動くたび、お湯がパシャパシャと音を立てた。
少し熱い気もするが、疲れた体を存分に癒してくれる心地良さに、水世は一つ息を吐いた。綺麗に見える星空を見上げながらの風呂というのも、中々に乙なものだ。だが和気藹々とした空気をぶち壊すような声が響いた。
「壁とは超えるためにある!“Plus Ultra”!」
木製の壁を隔てた向こう側から聞こえた声に、女子たちの眉間にしわが寄った。男子と女子との入浴時間は同じなため、今隣の男子風呂にはA組の男子が入っているはずだ。別段問題はないのだが、しかし峰田実という性欲の権化のような危険人物がいる。どうやら彼は覗きをしようとしているようで、恐らく“個性”をもぎって壁を登っているのだろう。
呆れた視線が壁の方へ集中しているなか、突然壁と壁との間の空間から、洸汰が顔を出した。
「ヒーロー以前に、ヒトのあれこれから学び直せ」
洸汰は、登ってきていた峰田を軽く突き飛ばした。恨み辛みのこもった「くそガキィイイイ!!?」という声が聞こえた。今頃落下しているだろう峰田への心配の声や気持ちがないのは、彼の自業自得だろう。
「やっぱり峰田ちゃんサイテーね」
「ありがと、洸汰くーん!」
振り返った洸汰は、女性陣の姿を見て驚いたのか、足場から足を踏み外した。そのまま男子風呂の方に体が傾いていき、峰田みたく落下していく。その光景に、水世は目を見開いた。
「洸汰くん!?洸汰くん、大丈夫!?」
葉隠が慌てて男子風呂の方に叫んだ。それに対して、切島の「緑谷が受け止めたから、安心しろー!」という声が返ってくる。皆安堵の息を吐いているのだが、峰田の「あのクソガキ、なんつー羨ましい光景を……!邪魔さえ入らなきゃ、今頃オイラの目に数々の生お宝映像が焼きついていたはずなのに……!!」という反省を微塵も感じていない声に、女性陣は瞬時に真顔になった。
「峰田くんといい、物間くんといい、なんかブレないよね」
「方向性は大幅に違うけど、ある意味どちらも強い意志を感じるわね」
「良く言えば、だけどね」
どんな状況であれA組への対抗意識を燃やし続け、挑発めいた言動をやめない物間。どんな状況であれ性への強い執着を見せる峰田。どちらも人としてどうなのだという疑問が残りはするが、ある種それも一つの強い意志であり、諦めない心とも言えなくもない。決して真似できるものでも、真似するべきものでもないが。
そもそも年下の少年に諭されるというのは、ヒーローとしてどうなのだろうか。お湯を肩にかけながら、水世はそんな疑問をぼんやりと抱いた。
「私、そろそろ上がるね」
「私も上がるー!」
「ウチも」
立ち上がった水世に続くように、他の女子たちも湯船から出だした。曰く、また覗かれるのは嫌とのことだ。峰田ならばやりかねないだろう。とことん懲りない男なのだから。そそくさと脱衣所へ入っていった面々は、洸汰のことで引っ込んでいた怒りがぶり返してきたようで、皆眉間に深いしわを刻んでいる。
「やるだろうとは正直思ってたけどさあ」
「案の定やったね」
「相澤先生にすぐにでも報告しなくては」
憤慨した様子で、皆体を拭いて着替えていく。やはり、男子と女子の入浴時間をずらしてもらうべきだろう。そうでなくては、峰田は明日も明後日も、何かしらの策を立てて同じことを繰り返すはずだ。そういう時だけ頭が回るのだから、もっと別方向で頑張りを見せてほしいところである。
髪の短い面々に先に髪を乾かしてもらいながら、水世は髪が吸収している水分をタオルで吸い取っていく。憤慨している様子の面々に彼女は苦笑いを浮かべながら、今後の峰田の処遇にほんの少しだけ同情した。
「もう、ほんと許せない!」
「セーサイ加えないと気が済まないよ!」
中々収まる様子のない怒りを横目に、水世は髪を乾かし終えた耳郎からドライヤーを受け取って、髪を乾かしはじめた。長さがある分ドライヤーを使用しても時間がかかってしまうのが少し億劫なところでもあるが、髪を切ろうという思いはあまり浮かばなかった。
以前なら、ここまで伸ばしもしなかっただろう。水世は上から下へと温風を当てながら思う。幼少期から短かった髪を伸ばしはじめたのは数年前で、本当につい最近のことだ。
双子の兄とは真反対な白髪。その色と自分との不釣り合いさは自分が一番よくわかっているのだ。視界に入るたび、劣等感が生まれてきてしまう。何故自分と兄との色が逆ではなかったのだろうかと、常々思っていることだ。それでもこうして伸ばしている辺り、自分がどれだけ単純なのかがわかる気がした。
水世は不意に、一つあくびをこぼした。今日はいつもより早起きして、朝から夕方まで走らされたことで疲労と睡眠不足が大きい。加えて今は空腹を満たされていることや、風呂で体が温まったこともあってか、急激な眠気が襲ってきていた。
「私先に戻ってるね」
「もう?まだ髪乾いてないんじゃ……」
「だいぶ乾いたから平気。なんか眠いから、先に寝てるね」
ドライヤーを切った水世は脱衣所を出ていくと、まっすぐに女子部屋の方へと向かう。荷物を置きにいった時に、先に布団の配置は決めておいた。そのため心置きなく部屋で眠れるわけだ。
またもこぼれたあくびで、じわりと瞳が潤む。重たい瞼を必死に押し上げながら歩く廊下は、眠気のピークが訪れている彼女には、妙に長く感じた。
「誘。誘水世」
くるりと振り返った水世の目には、自身をきつく睨みつける物間の姿が映った。A組の生徒を挑発する際の馬鹿にするような笑みでも、人の良い笑みでもない。見下すような瞳でもなければ、自信に溢れた声でもない。敵を捉えたヒーローのそれに、似ているような気がした。それを見て、半ば衝動的に、水世は満月との繋がりを遮断した。後で文句を言われるなあと、どこか他人事のように考えた。
彼は水世に近付くことはしないまま、その場で彼女を鋭い瞳で見つめると、多量の棘を含ませた言葉を吐き連ねた。
「どうやって周りを拐かしたのかは知らないけど、僕は君に騙されない。人畜無害を装ったその顔の下にある、君の醜悪な本性に」
眠気であまり回らない頭では、彼が何故そんなことを言い出したのかはわからなかった。だが「本性」という単語が脳内へと浸透していく感覚を、どこか他人事のように感じていた。
「何を企んでここにいるのか知らないが、ヒーローを目指す者として、危険因子を見過ごすわけにいかない。僕が君を見ているということを、しっかりと頭に刻んでおきなよ」
物間はそれだけ告げると、もう用はないと言わんばかりに、即座に踵を返して彼女の前から去っていった。
バスの中で見た夢と、先の言葉が脳内でごちゃ混ぜになりながら回る。本来ならば物間のような反応が普通で、一般的なもの。過大評価を与えてくれる周囲への戸惑いと、不信感のようなものは、浮かんではそのまま胸の底へ落ちていった。
最近の周囲からの評価は、自分が思っているよりも好印象なものが多い。だがやはり自分には、ヒーローになれる器も能力も備わっていなければ、周囲と同じ輝きを放てもしない。それを改めて感じた水世は、一気に足が重たくなったように思いながら、部屋へと戻っていった。