- ナノ -

試練はどこからともなく


僅かに体を揺すられて、水世はハッと目を覚ました。膝に押しつけていた顔を上げれば、麗日と蛙吹の顔が映る。どうやらバスが停まったらしく、寝ていた彼女を起こしてくれたようだった。


「ぐっすり眠っとったね、水世ちゃん」

「……いつもより早起きだったから、眠たかったのかも」


お礼を告げた水世がバスを降りると、そこには休憩所もパーキングスペースも何もない場所だ。見渡す限り山ばかりで、建物一つさえ見えない。ここで休憩でもするのだろうかと彼女が不思議がっているなか、ジュースを飲みすぎたらしい峰田が、尿意に襲われて、トイレを探して右往左往していた。

眼下には鬱蒼とした森が広がっており、見るからに自然に囲まれた場所だ。澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んだ水世は、ふとバス以外に停まっている車に視線を向けた。学校関係者の車ではなく、知らぬ誰かがこの場に先客としているということになる。


「よーうイレイザー!」


車のそばから軽快な女性の声が聞こえたと思うと、相澤が軽く頭を下げた。


「煌めく眼でロックオン!」

「キュートにキャットにスティンガー!」

「「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ!」」


ポーズを決めながら、手慣れたように口上を述べた色違いのお揃いのコスチュームを着ている女性二人。彼女たちのそばには、小学生くらいだろうか。少し目つきの悪い男の子がいた。

僅かにぐらついている二人をよそに、相澤は今回お世話になるプロヒーロー、プッシーキャッツだと淡々と紹介した。ヒーローオタクである緑屋は興奮したように、細かな説明をしてくれた。

連盟事務所を構えている、四名一チームのヒーロー集団、通称ワイプシ。山岳救助を得意としているベテランチームであり、キャリアは今年でもう十二年目だ。だが年齢を気にしているらしい明るい髪色の女性が、手につけている猫の手型のグローブで、思いきり緑谷の顔を掴んだ。


「ここら一帯は私らの所有地なんだけどね。あんたらの宿泊施設は、あの山の麓ね」


黒髪の女性が指差した箇所を見て、皆一斉に遠っ!と声を上げた。まだまだ距離があるというのに中途半端な位置で降ろされたことに対し、ざわめきと嫌な予感が皆を覆う。


「今は午前九時三十分。早ければぁ……十二時前後かしらん」


不穏な言葉に、確信めいた考えを皆浮かべた。切島が大声でバスに戻るよう叫び、皆急いで停まっているバスに駆け出していく。その背後では、十二時半までに辿り着けなかった者は昼ご飯抜きだ、なんて恐ろしい言葉が聞こえた。


「悪いね諸君。合宿はもう、始まっている」


突然、地面が生きているかのように拍動した。思いきり雪崩を起こしたかのように盛り上がった地面。それに飲まれたみんなは、木の柵を越えて眼下に広がっていた森へと落とされた。


「私有地につき“個性”の使用は自由だよ!今から三時間!自分の足で施設までおいでませ!この……“魔獣の森”を抜けて!!」


その声を聞きながら、生徒たちは地面と共に森に落とされた。大量の土がクッションになってくれたこともあり、大怪我を負う者はいなかった。まるでゲームに出てくるエリアのような名称から、なんとなくだが森に何が出てくるかは察することができる。

これが雄英なのだと諦めている面々は、仕方がないと宿泊施設に向かおうと、制服の土を落としながら立ち上がった。峰田は一人、近くの木陰に猛スピードで駆けた。

パキ、と木の枝が折れた音がする。皆がそちらを向き、峰田が顔を上げた。彼の目の前には、巨大な二本の牙を持った、四足歩行の生物がいる。動物とは言いがたいソレは、確かに魔獣という表現が合っているだろう。


「静まりなさい獣よ、下がるのです」


即座に口田が自身の“個性”で魔獣を制御しようとするが、魔獣は一向に静まらない。それどころかこちらに襲いかかってきていた。

彼の“個性”が効かないということは、動物ではないということは明らかだ。魔獣には効かないのか、という点もあるやもしれないが、そもそも生物でない可能性がある。

不意に魔獣の体から、土くれが落ちたのが目に入った。水世はなるほどと一人納得して、“個性”を発動すると、エネルギー弾を撃ち込んだ。彼女の撃ち込んだエネルギー弾が魔獣の顔に直撃したと同時。爆豪の爆破が、轟の氷結が、飯田の蹴りが、そして緑谷の拳が、魔獣に直撃する。

体がバラバラになった魔獣は、ただの土くれへと戻っていった。水世は“魔獣の森”という名称を再確認して、今後宿泊施設へ向かう道中、ああいった魔獣が大量に現れるのかと予想した。


「おいおい、なんだよ今の!?“魔獣の森”ってそういう意味!?」

「施設へ向かう道中で、あの魔獣共を倒していけ、ということか……」

「やべえ……やべえよ……俺のズボン……」


悲壮感満載でブツブツと呟く峰田を尻目に、焦りを見せる者、冷静に周囲の状況を確認する者、逆にテンションを上げている者、など様々な反応を見せている。


「皆さん、ここは散らばって行動するのではなく、一緒に行動した方がよろしいかと。敷地内の広さも分かりませんし、バラけて互いの位置がわからなくなっては大変です」

「八百万くんの言う通りだ!ここはみんな、一致団結し、共にこの森を抜けよう!」


索敵に優れている耳郎と障子が、周囲にいる魔獣を探知する。それらに各々が連携して対応していく、といった作戦を立てると、皆は一かたまりになって行動を開始した。爆豪は自分一人で独走しようとしていたが、切島と瀬呂が二人がかりで制して、鋭い目つきで声を張り上げている爆豪に、苦笑いを浮かべた。

上から見た限りでは、宿泊施設までの距離はまだだいぶあった。それを考えると体力温存はしておいた方がいい。相手は生物ではないため、上手く力加減をする必要はないが、かと言って一体一体に手加減無しで挑んでいては、先に自分たちがダウンするだろう。何せ相手には体力という概念はなく、且つ無尽蔵に湧き出るのだから。


「なるべく最低限の威力で、魔獣たちを行動不能にしていくのがいい。どれだけの数がいるかもわからないし、一体減らしても、向こうは二体も三体も増えてくるだろうから」

「魔獣の原料は、この森に大量にあるからな」


水世が地面に視線を落とした時、障子の複製した耳がピクリと動いた。


「四体、向かってきている。上空一体、前方から二体、右方向から一体だ」

「上からってことは、飛べる魔獣もいるってことね」


蛙吹の言う通り、四体の内一体は、翼を持っている魔獣だった。水世が即座にエネルギー弾を撃ち込むも、魔獣は体の向きを変えて軽やかに避ける。追尾性ではないため、エネルギー弾は魔獣を追いかけることはない。存外柔軟な動きを見せる魔獣に眉をひそめた水世は、瀬呂に声をかけた。


「瀬呂くん、あの鳥型の魔獣に向かって、テープ射出してもらっていい?」

「ああ、わかった!そらよっと!」


瀬呂が射出した二枚のテープも難なく避けた魔獣だが、水世は相手が避けることなど予測していた。彼女は即座に“個性”を発動させると、瀬呂が魔獣に向けて伸ばしたテープを視界に捉えて、手のひらを向けた。魔法陣が展開したと思うと、瀬呂のテープから勢いよく黒槍が伸びる。その槍は魔獣の体を貫いて、見事にただの土くれへと戻した。


「ありがとう瀬呂くん」

「いやいや、俺特に何もしてねえって。ほぼ誘の手柄じゃん」


顔の前で否定するように片手を振る瀬呂に、水世はそんなことはないと笑った。


「私の黒槍、空間そのものには生み出せないからさ。何か壁とか地面になるような物体がないとダメで。だから、瀬呂くんのテープのおかげだよ」

「へえ……誘の“個性”も、やっぱ弱点みたいなもんはあるんだなあ。じゃあアレだな、案外俺ら、いいコンビになれっかもな」


歯を見せておちゃらけた風に笑った瀬呂に、水世は目をぱちりと瞬かせた。だがすぐに笑みを返しながら、かもしれないね、とこぼした。













木々の隙間から、開けた箇所が見えてきた。そこに建物らしきものもあって、あそこが目的の宿泊施設なのだと理解するのは、疲れた体や思考でも容易かった。

皆泥だらけの汗だくで、疲れた体に鞭打ちながら、ラストスパートをかけていく。時刻はお昼どころか、既に日も暮れはじめていた。息を切らしながら、爆豪は爆破の起こしすぎで少し手首を痙攣させているし、飯田もエンジンの使いすぎでプスプスと音を立てて煙を吐き出している。他にも、吐き気を催している者、喉を枯らしている者などなど、各々“個性”の使用限度を超えた疲労に加え、別ダメージを食らっていた。

水世はリセットを行いながらだったため、“個性”に関しての問題はない。だが土地勘のない場所で、長距離を戦闘しながら移動するということでの疲労が体を襲っていた。それでも前に比べて体力はついていたこともあってか、自身が思っていたほどの疲れは感じていなかった。


「何が『三時間』ですか……」

「腹減った……死ぬ……」

「悪いね。私たちならって意味、アレ」


疲れや空腹の上にのしかかるように与えられた、実力差自慢。文句を言う気力も残っておらず、皆疲労困憊で肩を落とした。

皆を森へと落とした張本人であるピクシーボブは、ねこねこねこ、という独特な笑い声を上げながら、正直もっと時間がかかると予想していたとこぼした。


「私の土魔獣が、思ったより簡単に攻略されちゃった。いいよ、君ら……特に、そこの五人。躊躇の無さは経験値によるものかしらん?」


ピクシーボブが指差したのは、緑谷、飯田、轟、爆豪、そして水世だ。爆豪は元々の性格やバトルセンス、反射神経によるものだろう。緑谷、飯田、轟は職場体験時にステインと遭遇したことが生かされているのかもしれない。

対する水世は、相手が生きていなかったということが大きい。生きた人間、生きた動物相手なら躊躇しただろう。だがただの土塊であるならば、遠慮も躊躇も必要ないと判断しただけの話だった。

三年後が楽しみだと言って、今の内に唾をつけておこうと男四人に唾を飛ばしているピクシーボブを尻目に、水世は制服の土埃を叩いた。

不意に、緑谷がマンダレイのそばにいた少年に視線を向けて、どなたかの子どもなのかと尋ねた。マンダレイはああ、と彼の方を振り返って、自分の従甥なのだと話した。


「洸汰!ホラ、挨拶しな。一週間一緒に過ごすんだから……」


洸汰というらしい少年は、マンダレイの言葉に何も答えない。そんな彼の方へと、緑谷が歩み寄って自己紹介をした。笑みを浮かべて、よろしくねと手を差し出した緑谷を見上げた洸汰は、素早い動きで彼の股座に向かってパンチを入れた。彼の身長の高さからというのもあるのだろうが、男相手への攻撃としては効果抜群なものだろう。

きゅう、と白目を向いて倒れた緑谷を見て、数名の男子生徒が自身の股に手をあてた。恐らくその痛みを想像してしまったのだろう、表情が固い。


「おのれ従甥!何故緑谷くんの陰嚢を!」

「ヒーローになりたいなんて連中とつるむ気はねえよ」

「つるむ!?いくつだ君!」


子どもとは思えない言動や目つきに、水世は苦笑いを浮かべる他ない。洸汰の反応に、爆豪はマセガキなんて鼻で笑っているが、彼も似たようなものだろう。だがそれを言えば彼の怒りに触れることは誰もが理解しているので心の中だけに留めたが、轟は素直に「おまえに似てねえか?」なんて言って、案の定爆豪を怒らせていた。


「茶番はいい。バスから荷物降ろせ。部屋に荷物運んだら、食堂にて夕食。その後入浴で就寝だ。本格的なスタートは明日からだ。さぁ、早くしろ」


相澤に急かされるまま、皆疲れた体を引きずって、今回の林間合宿での宿泊施設となるマタタビ荘へ入っていった。