- ナノ -

その色が鮮明に浮かんで


「え?A組補習いるの?」


バスの前に集まっていたヒーロー科の生徒たち。意気揚々と、水を得た魚の如く声を上げた物間は、A組はB組よりずっと優秀なはずなのに!?とここぞとばかりに声を張り上げている。楽しそうだなあと思いながら、周り同様に水世も物間に注目していれば、彼と視線が絡む。

その瞬間、思いきり、見てわかるほどに彼の瞳に敵意が宿った。剣呑を隠す気もない彼の様子に、水世は眉を下げた。理由はわからないが、終業式の日以来、水世は彼に嫌われていた。恐らくこの嫌悪にクラスは関係ない。ただ物間寧人という人間が、誘水世を嫌っているという個人的な感情だろう。

水世がどういう表情を返せばいいのかと困っていれば、トッ、と静かな音がした。拳藤が手刀で物間を気絶させたのだ。B組女子はその様子に呆れた顔を浮かべている。


「体育祭じゃなんやかんやあったけど、まァ、よろしくね、A組」


取蔭はギザギザの歯を見せながら笑った。彼女は水世を見ると軽く手を振ってくれて、水世は少し頭を下げた。改めてB組の女子を見た峰田は、大量の涎を垂らして目をかっ開いている。そんな彼の様子を、切島は冷静に「おまえダメだぞそろそろ」と突っ込んだ。


「A組のバスはこっちだ!席順に並びたまえ!」


飯田の芯の通った声が響く。いつも以上に張り切っているのが、彼の声音から理解できる。伊世を振り返って僅かに頭を下げた彼女は、八百万に感謝している芦戸の後ろを歩いた。


「では、みんな席順で乗り込もう!」


A組バス乗り場に集まったクラスメイトを確認した飯田は、そう提案した。だが芦戸から不満の声が漏れる。席順ではなく自由席がいいという彼女と、席順の方が滞りなく座れるのではないか、という飯田。芦戸以外に上鳴も自由に座りたいという声を上げたことで、飯田が多数決を取ろうとした。


「いいからさっさと乗れ、邪魔だ」


だが飯田の後ろから、相澤が不機嫌そうに言葉を遮る。その鶴の一声で、A組は素早くバスへ乗り込んでいく。相澤が無駄な時間を嫌っていることを皆骨身に染みて知っているのだ。

車内は左右に二席ずつ分かれている、四列シートの典型的な観光バスの作りだ。一緒に座らないかと誘っていたり、どっちが窓際かで揉めていたり、誰かが置いた荷物が通路の妨げになっていたり。皆右往左往して自由にしているが、またも地を這うような相澤の鶴の一声で、それは収まった。

皆が席へ座り終えた。水世は相澤の隣の位置で、窓際から外を眺めた。エンジンをかけたバスが僅かに振動して、それからゆっくりと走りだす。次第にスピードを上げていき、流れる景色に相澤の鶴の一声の効果は即座に切れた。


「音楽流そうぜ!夏っぽいの!チューブだ、チューブ!」

「バッカ、夏といや、キャロルの夏の終わりだぜ」

「終わるのかよ」


並んで座っている上鳴と切島は、スマホ片手に音楽を選んでいる。彼らの横で通路を挟んで座っている芦戸と葉隠は、二人でしりとりをしていた。車内は、まるで小学生の遠足のような賑やかさに包まれて、水世は背後から聞こえる様々な声をBGMに、肘掛に肘ついて、頬杖をついた。


「みんな、静かにするんだ!」


委員長の使命感に駆られている飯田が立ち上がった。上鳴の後ろの席から全体を見回した飯田は、林間合宿のしおりにも書いてあった「いつでも雄英高校生徒であることを忘れず、規律を重んじた行為をとるように」という部分を引用する。だが彼の声は車内のウキウキとした空気にかき消されていた。

隣に座っている相澤が仮眠を取ろうと目を瞑った姿に、水世もふと眠気が湧いた。今日は朝が早かった。一週間も家を留守にするため、いつもよりも早起きして、数日分の重世の食事を作ったのだ。とはいえ帰ってくるかはわからないのだが。

私も仮眠しよう。水世は瞼を下ろすと、あっという間に意識を手放した。











帰り道、いつもその公園に寄っていた。

いつまでも少年の心を忘れることのない彼は、元気で明るくて、溌剌としていて、いつも笑顔で。それに情に厚くて素直でまっすぐで。自分なんかとはずっとずっと対照的な存在だから、たまに何故自分なんかと一緒にいるのかと不思議に思う。

いつも笑顔とは言ったが、彼自身人間で。様々な感情を持っているから、時に怒っていることもあるし、時に悲しんでいることだってある。傷ついていることだって、当然ある。


「イナサくん、何かあったの?」


隣に座って、いつものように豪快に笑っていた彼の表情が、笑顔のまま固まった。自分はおかしなことを言ってしまったのだろうかとハラハラしていると、大きく開いていた彼の口が静かに閉じた。


「……俺、そんなわかりやすかったっスか?」

「ううん。わかりにくいけど、でも、少しはイナサくんの変化も気付くよ」


みんなに聞こえるような大きな声は、彼の特徴の一つでもあるのだと思う。けれど今の彼は普段よりも小さな声になっていた。目をぱちくりさせて私を見た彼は、ゆっくりと目線を下の方へ向けた。


「俺……俺、雄英……行くのやめるっス」


イナサくんは、ヒーローに憧れている。自他共認める熱血な彼は、ヒーローという存在に果てしない熱を感じた。当然彼はヒーローにのめり込んでいって、自分もプロヒーローになるんだとよく聞かせてくれた。そんな彼は、No.1ヒーロー、オールマイトが通っていた雄英に入学することに憧れた。

隣で見てきた。彼の努力や彼の熱意を。雄英に行って熱いプロヒーローになるのだと話す、彼の表情と瞳の輝きを。

まさかヒーローになるのもやめちゃうんじゃないか。そんな不安を彼は察したのだろうか。イナサくんは、雄英ではなく、別の学校を受けると話した。

理由を話してくれる彼に相槌しか打てない自分の不甲斐なさが情けなくて。気の利いた言葉一つかけらやしない。でも陳腐な言葉の慰めなんて、彼のことを考えるとできなかった。

理由としては、周囲にはそんなことで?なんて言われるようなものなのだとは思う。せっかくの推薦一位での入学。それを捨ててでも、彼は雄英には行きたくないと感じた。それくらい、小さい頃から目指していた志望校を変える決断をするくらい、彼にとってはショックな出来事だったのは確かなんだ。


「イナサくんは……」


なんて声をかけたらいいのか、私は知らない。私には、微塵もわからない。イナサくんの努力は知っていても、私には彼の感じた思いを、痛みを、全部理解することはできないから。それでも何か伝えたくて、少しでも、彼の悲しみを取り除くことができたなら、と傲慢にも思ってしまう。


「イナサくんは、どこに行っても、どんな場所でも、あなたがなりたいヒーローになれるんだと思う」


まっすぐで、素直で。秘めるどころか、その身から湧き出てくるくらいの熱く真っ赤な熱を抱いている彼は。夢のために惜しみない努力を、苦とも思わずできる彼は。


「イナサくんはずっと、あの日から、私のヒーローになってくれたんだもん。もっと色んな人のヒーローになれる人だって、私は知ってるから」


少し、何か言いたげな顔を浮かべた彼のその意味を、私は知らない。けれどすぐに眉を下げて嬉しそうに笑った彼の表情に、小指の先ほどでも、彼を元気づけることができただろうかと、少し自惚れる。あんまり人前ではしない、照れたようなその笑みを見せてくれるから。


「水世ちゃんも、誰かを支えられるヒーローになれるっスよ」


カチ、カチ。まるで映画のフィルムみたいに、テレビのチャンネルが変わるみたいに、場面が切り替わっていく。

職場体験最終日の夜の光景。テレキスさんと一緒に天体観測をしたあの日。星は、ほぼほぼ見えやしなかったけれど。


「ああやって、人を救うために動けるんだから。オールド・ニックちゃんは、しっかりヒーローのスタートラインに立ててるよ。むしろ、ちょっと人より進んでるかも!」


イナサくんも、彼も、太陽のように笑う。眩しくて、熱くて、誰かを満遍なく照らしてくれるような、そんな笑みを私なんかにも向けてくれる。彼の耳の赤いピアスも、彼の言葉に同意するみたいにキラリと光る。


「男の子の命を救うために動けた君は、しっかりヒーローだったよ」


またも切り替わった場面は、今度は轟くんと図書室で勉強した時の光景だ。どうしてヒーローになろうと思ったのかと尋ねてきた彼に、自分は何も答えることができず、逃げるようにその場を離れて、結局うやむやなまま。


「俺は、誘は人の背中押してくれるような、そんなヒーローになれんじゃねえかなって。そう思う」


彼の言葉はまっすぐだ。裏というものがなく、本音で、本心でぶつけてくる。紅白色の髪から覗く、純粋なままに綺麗な瞳に映る自分の醜さが浮き彫りになるような感覚が、苦手で、恐怖だった。

今度は常闇くんとの勉強会の光景に変わった。少しばかり悩みのようなものを吐き出してくれた彼に、大した慰めもできなかった自分がいる。


「誘は、自身への評価を過小にしすぎているきらいがある。俺は、おまえも充分に強いと感じ、より成長できると、そう思っている」


彼の言葉に、彼の目を真正面からしっかりとは見れなくて、彼の赤いチョーカーに視線を落とした。自分は一向に成長の兆しなんて見えなくて、やっぱりみんな私を過大評価及び買い被りすぎなんだと思う。

いろんな人の太鼓判を手放しに喜べない自分が嫌になってくるけれど、でも、期待してはいけないし、図に乗ってはいけないのだ。自分は周りと同じように輝けないことを、自分が一番知っているのだから。


「たとえ君が救かりたくなったのだとしても、俺は君を救ける。救けてしまう。ヒーローって、そういうもんなんだよ」


切り替わった場面。自分を抱えるその人は、へらりと笑っている。まるで幼稚園生くらいの子どもをあやすみたいに頭を撫でるその手の優しい手つきは、どうにも居心地が悪かった。


「もし君にも翼があるとするならば、飛んだ方がいい。折れているなんて決めつけるには、ちょっと早いんじゃない?」


燃えるような紅は、大きく羽ばたく。手の届かないほど高く、追いつけないようなスピードが、自分と相手とを別世界の住人なのだと笑っているようにも思えていた。


「“個性”で物事を諦める必要性はない。努力はいつしか報われる日が訪れる。それがどんなに先の未来であってもだ。あの時もっと頑張っていれば、もっと自分が努力していれば。そんな後悔を抱えないために、しないために。諦めなければよかったと思っても遅かったという時が出てきてしまうことがないように」


また光景は変わる。オールマイト先生から呼び出されて、話した日のことだ。いつもの明るくて気さくな彼ではなく、真剣に、まっすぐに、迷い子を導くかのように彼は言った。彼の情熱を表すような真っ赤なネクタイを見て、私には到底同じ熱量を宿せる気がしないと、劣等感にも似た何かを抱く。


「……自分自身を、全て曝け出すこと。それは、恐怖が伴うものだろう。しかしそれでも、君は君だ」


私は私。どんな自分であっても、それを私であると受け入れる。それができるほど、私は強くはなくて。彼の言葉から逃げるようにあの場を去った。


「オレは神様ってのが嫌いでなあ。自分勝手で偉そうで、簡単に命を握り潰しちまうくせに、周囲からああも崇められるあの存在が。だから、奴らの行為に背きたくなっちまう」


何度目か、切り替わる世界。妖しげな鈍い光を宿す赤い宝石のようなその瞳。見下ろしてくるその存在は、私を嘲るように口角を上げる。だがしかし、私に触れたその手は存外温かく、そして壊れ物に触れるような手つきだった。

私が神様に見放されているという彼の言葉は、至極正しいのだと思う。神なんかに騙されるなと、彼はいかに神という存在が傲慢で、嘘つきなのかを語った。

神様がこの世にいるのかは、興味はなかった。もしいないとしても、いたとしても、人々が信仰する神様は自分に恩恵を授けてくれることなどないとわかっていたから。












「てか、水世静かじゃない?」


車酔いをした青山の気を紛らわすためにとしりとりやクイズをしていた芦戸たち。峰田の感動なようなそうでもないような話で盛り上がっていたなか、自分たちの前の席に座る水世が、バスに乗ってからずっと喋っていないことに、芦戸は気付いた。

座席の隙間から見える水世の体は身動ぎもしていない。葉隠が水世ちゃーん?と声をかけるが、返答はまったくなかった。


「寝てんじゃね?」

「結構騒いでたんだけどな」

「熟睡してんじゃない?」


後ろから彼女を覗こうと席を立った芦戸が、背凭れからパッと顔を出した。そこには、靴を脱いで両足を座席に乗せ、膝を抱えた状態で一つも動かない水世がいる。どうやら耳郎の言う通り、彼女は熟睡しているようだった。


「水世って寝てる時すっごい静かだ……」

「全然動かないもんね〜」


飯田から走行中に座席を立つのは危険だと注意を受けた芦戸は、自分の席に座り直しながら呟いた。


「でも、丸まって寝てるのはなんか意外」

「え、誘どんな風に寝てんの?」

「両膝抱えて寝てたよー。なんか綺麗に寝てそうなイメージあった!」

「綺麗に寝てそうとは……?」


綺麗に寝てそうは綺麗に寝てそうだよ!尾白の純粋な疑問にそう返した芦戸は、水世は白のベッドシーツに無地の落ち着いた色合いの布団で、仰向けの状態で寝てそうだ、なんて完全な個人的イメージを話した。だが彼女のイメージを周りも想像できるのか、納得している面々は多い。


「部屋とか絶対綺麗だよね。埃一つなさそう」

「白とか淡い水色とか、クリーム色で飾られてそう……!」

「水世ちゃんは、レースのカーテンとか似合いそうよね」

「庭付きの家に住んでそうなイメージあるわ。毎朝花の水遣りしてそう」

「部屋に花とか飾ってそう」


本人が寝ているなか、各々のイメージを好き勝手語りだしたクラスメイトたち。その声は寝ている水世には一切聞こえていない。だが、満月には筒抜けであった。

半分当たり、半分大ハズレ。満月は心の中でそう呟くと、おかしそうに笑った。この会話を彼女自身が聞いていたなら、特に何を言うでもなく、否定も肯定もせずに、ただ笑うだけなのだろう。その姿が容易く想像できて、彼は鼻で笑った。