- ナノ -

理不尽はいつも隣に座る


ついに四月が訪れ、某日。目の前にそびえ立つ建物を一度見上げて、水世はいつも通り、伊世の少し後ろを歩いた。だが立ち止まって振り返った彼を見て、慌てて隣に並んだ。

入学前に、彼女は伊世から、自身への振る舞いについて気をつけるよう言われていた。先程のように、普段から並んで歩くことはせず少し後ろを歩いたり、荷物を持とうとしたりと、彼女は伊世に対して従者のような振る舞いをすることは多々あった。その度に伊世は視線で咎めるよう訴えかけたり、何も言わずに歩幅を縮めたりとしている。

自分たちの関係性について周囲から不審に思われないように、と事前に彼から言われたことを何度も心の中で反復させた水世は、少し緊張気味に伊世の隣を歩いた。

着慣れない制服に身を包んだ二人は、晴れて雄英高校の生徒として、初の登校日を迎えた。実技試験同様に晴れた空は、一年生の入学を祝福してくれているかのようだった。

横にも縦にも広い廊下を進めば、1−Aと書かれた巨大な扉に着いた。Aの穴の部分が窓になっており、天井に届きそうな扉の大きさは“個性”を考えてのバリアフリーなのだろう。二人は立ち止まると、伊世が水世に視線を向けた。


「じゃあな、頑張れよ」

「うん……伊世くんも」


少し不安げな水世を一瞥しつつも、伊世は自身のクラスであるB組の方へ向かった。

軽く扉の前で深呼吸をしていた水世が、いざ扉を開けようとした時。「あ、誘!」と呼びかけられた。どこか聞き覚えがある気がして顔をそちらに向けると、真っ赤な髪を逆立てた少年が、笑顔で彼女に駆け寄った。あんな知り合いはいただろうかと首を傾げた水世の反応に、少年はそういえばと苦笑いを浮かべた。


「あー、そっか、髪ちげえもんな。俺、切島。覚えてっかな?」

「切島さんでしたか、お久しぶりです。少々考えましたが、覚えています」

「マジで?よかった……誘もA組?じゃあ同じだな!」


ギザギザの歯を見せて笑った切島に、水世は微笑みを返した。彼は、まさか誘が特別推薦枠だったとは驚いたと笑顔でこぼして、よろしくと手を差し出した。その手を数秒見つめた水世は、握手だと理解して彼の手を握った。

不意に、切島の後ろからピンク色の肌をした少女が駆け寄ってくるのが見えた。水世が彼女の派手な容姿に視線を向けていると、気付いた切島が振り返った。


「もー、切島ってば、急に走ってくからビックリするじゃん!あれ、その子知り合い?」


悪い悪いと軽く謝った切島は、少女の言葉におう!と元気よく返した。実技試験で同じ演習場だったのだと話して、彼女が巨大な0P敵を倒したのだと嬉々として語っている。


「『倒せる敵を倒さないヒーローはいない』って……めちゃくちゃかっこよかったんだぜ!」

「切島落ち着きなって。私、芦戸三奈!同じくA組だよ、これからよろしくね!」

「誘水世です。これからよろしくお願いします」


お辞儀をした水世に、芦戸は推薦枠の!と声を上げて、ニコニコと笑いながら堅苦しいのは抜きにしようと言った。水世は数秒考えて、敬語のことかと理解した。


「多少気さくな喋り方の方が、いいのでしょうか?」

「ん?まあ、そっちの方が嬉しいよね!でも無理にじゃなくていいよ」


笑った芦戸に、水世は少し考えて、わかったと頷いた。

ようやっと三人が教室へ入ると、既に登校していた生徒が数名いた。その内のメガネをかけた男子生徒が、キビキビとした動きで三人に近寄った。


「おはよう。俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ。これからよろしく頼む」

「おはよう。私は誘水世。よろしく、飯田くん」


フランクな話し方を意識しながら、水世は飯田に軽く頭を下げた。そして黒板に張り出されている座席表を確認しにいった。

本来は二十人であったクラスだが、二十一人となったことで座席が一列だけ飛び出ている。廊下側の席から出席番号順に席を指定されているが、水世は一番奥の列の最後尾、飛び出た席だった。名字が「い」である水世の出席番号は先程自己紹介をしてくれた飯田の次だが、席順に関しては彼女の番号は関係ないらしい。

水世に指定された席の前、斜め前の席の生徒は既に着席していた。自身の席の机にバッグを置いた水世に、彼女の前に座っていたポニーテールの少女が振り返った。


「初めまして。私、八百万百と申します。これからよろしくお願いいたしますわ」

「初めまして八百万さん。私は誘水世。よろしくね」


微笑んだ少女は、綺麗な顔立ちをしていた。どこか品のある雰囲気をまとっており、水世は八百万に物腰柔らかな印象を受けた。

水世が八百万と少し会話をしていれば、徐々に他の生徒たちが登校してきた。静かだったクラスはどんどん声で溢れていく。周囲の雑然とした会話を聞きながら、水世は伊世は大丈夫だろうか、と思いを馳せた。

教室の扉が開き、今日何人目かのクラスメイトが登校してきた。飯田は皆に同じ自己紹介をしているようで、彼のハキハキとした声が聞こえてきた。水世が視線だけ扉の方へ向けると、つい先日自身を助けてくれた少年の姿があった。目をぱちくりさせて驚いていると、彼の視線が水世へ向いた。あちらも驚いた顔をしており、彼女は八百万に一言断りを入れ、彼に歩み寄った。


「雄英だったんだね……驚いた。あの時は、本当にありがとう。改めまして誘水世です。これからよろしくね。黒影さん?くん?も、よろしく」

「もう礼はいい、気にするな。それより、特別推薦の一人だったんだな。俺は常闇踏陰だ。黒影のことは好きに呼んでくれ」


彼女は笑みを浮かべて、軽く頭を下げて席へと戻った。

しばらくすると、飯田がクラスメイトに注意をしている声が聞こえた。どうやら机に足を乗せていることについて、やめるように促している。「ブッ殺し甲斐」というとてもヒーロー志望とは思えないような台詞が聞こえて、水世は目を瞬かせた。

全生徒が教室に集まった時、廊下から聞き覚えのある声が聞こえた。扉の方を見ると、寝袋に入ったままの男がいる。まるで蓑虫のような状態の彼は、水世たちに合格を言い渡した男だった。


「担任の相澤消太だ。よろしくね」


寝袋から出てきた相澤は、生徒に合理性に欠くと告げながら、A組の担任だと名乗った。そして自身が先程まで入っていた寝袋を漁ったと思うと、中から体操服を取り出した。恐らく皆が、何故その中に入れていたのだ、さっきそれに自分が入っていなかったか、という疑問を感じただろうが、誰も口にはしなかった。

相澤は生徒に体操服を着てグラウンドに来るように告げると、一足先に教室を出ていった。皆困惑しつつも更衣室へ行き、指示通りに体操服を着て、急いでグラウンドへと向かった。

どうやら入学式やガイダンスなどはそっちのけで、“個性”把握テストを行うのだと言う。雄英は“自由”な校風を売り文句としているが、それは“先生側”にも言える。つまりはそれらをそっちのけにしても許される、ということなのだろう。しかし入学式やガイダンスは必要なのではないか。それらを一切無しとは中々に思い切った決定だと、水世は感じた。

“個性”把握テストの内容は、中学の頃からやってきた“個性”禁止の体力テストと変わらないものだった。ただそこに“個性”使用を許可されただけの単純な違いだ。しかしテストの内容によっては“個性”の向き不向きがあるため、大幅に結果は変わってくることだろう。

要するに、このテストで自分の“個性”でできる“最大限”を知れ、ということなのだろう。普段の日常生活において“個性”を思いきり使える状況というのはまずないと言ってもいい。そのため、自身の“個性”の“最大限”を知る機会というのは早々ないのである。

試しにボール投げをした爆豪勝己――飯田から机に足を乗せるなと注意を受けていた生徒だ――がヒーローらしからぬ掛け声で七百メートル超えの大記録を叩き出したことで、生徒たちは盛り上がっている。

不意にどこからか「面白そう!」という声が上がった。その言葉に水世が一人視線を下げていると、相澤が少しばかり低い声で同じ言葉を呟いた。


「よし、トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」


ヒーローになるための三年間を、面白そうという考えのまま過ごす気でいるのか、とどこか苛立った様子でこぼした相澤は、先の言葉を放った。

水世は僅かに眉を寄せた。彼女はあまり自身の“個性”を使いたがらない。故にこのテストもなるべく“個性”に頼らずに最低限でいこうと思っていたのだが、除籍処分にはなるわけにいかない。自分は伊世のためにここに来たのだから、初日から何の役にも立たずに除籍などできない。些か“個性”の使用法を考える必要がありそうだと、水世は顎に手を置いた。

案の定クラスメイトたちから理不尽だと声が上がったが、相澤は意にも介さない。ヒーローとは世の中にまみれた理不尽を覆していくものであると淡々と告げた。


「これから雄英は全力で君たちに苦難を与え続ける。“Plus Ultra”さ。全力で乗り越えてこい」