- ナノ -

休息を取るなら嵐の前に


始業式の日に約束した通り、水世は学校のプールを訪れた。全員揃うと、女子更衣室へ入って水着へ着替える。学校内のプールであるためお出かけ用の水着ではなく、みんな学校指定の水着を着用していた。


「みんなでプールなんて初めてだから、ドキドキするね!」

「この日のために密かにダイエットしといてよかったー!」

「ダイエットするほど太ってないじゃん」

「いや、お腹周りとかちょっと怪しかったんだよ!」


わいわいと騒ぐクラスメイトの会話を聞きながら、水世はボタンを外していく。耳郎の言う通り、言うほど芦戸は太っていないような気がするが、本人的にはそうでもないらしい。


「でも雄英入ってからは、実技授業とか行事のおかげか、ちょっと痩せたよね」

「その代わり筋肉はついたけどね」

「肉体的にも成長した証よ」


腰回りが引き締まった、腕が少し太くなった、と女の子らしい会話をする面々。水世は自分の体を見下ろしながら、大してそう変わっていないような気もする、と一人心の中で呟いた。

タオルに体を包んだ状態で下着を脱いだ水世は、足から水着を通して、胸もとまで引き上げ、腕を通した。皆着替え終え、蛙吹が持参したバレーボールを抱えて、お喋りをしながらプールサイドへ出ると、既に大勢の先客がいた。


「あれ、男子も来てたの?」


目をぱちりとさせた女子メンバーの目には、クラスメイトの男子たちの姿があった。水泳帽にゴーグルを着用している飯田が水世たちに気付いて、やあ!と腕を上げる。なんでも男子の方は、プールを使っての体力強化のためにプールの使用許可を貰ったそうだ。


「炎天下での屋外訓練に、プールは最適だもんね」

「ああ!林間合宿も近いため、気を抜かずに日々の鍛錬を積まねばな」

「休憩も大事にね」


飯田と少し会話をした水世は、葉隠の後ろをついていって、彼女の横に並んだ。


「まずは準備体操をしませんと。突然に動いて、体を痛めてしまっては大変です」


八百万の言葉に頷いた面々は、一緒にプールに入る前の準備運動を始めた。ちょうど横曲げの運動をしている最中、峰田と上鳴が通路の扉から出てきた。彼らは何故かヘッドスライディングみたく滑っていき、水世は不思議そうに目をぱちくりさせた。


「あら、峰田ちゃん」

「上鳴も来てたんだ」


期待に満ちたような二人の表情が、途端に消える。いや、消えたのは上鳴だけであり、峰田は何故か正座をして微笑みながら女子たちの方を見つめている。


「上鳴くん、峰田くん。学校内で体力強化とは、見事な提案だ!感心したよ!」


両腕を大きく広げた飯田は、プールサイドに座っている二人に歩み寄っていく。彼の言葉を聞いて、耳郎が「体力強化提案したの、あの二人?」と意外そうに呟いた。実際、提案したのは確かに二人であるものの、その裏には下心しかないわけだが。

笑顔で歩み寄ってくる飯田に、峰田は涙目になりながら、上鳴も遠慮したいですという気持ちを表情に思いきり出しながら、僅かに後退していっている。だが軽々飯田に持ち上げられた二人は、男子が揃っている扉の方へ連れていかれ、二人の悲痛な叫びが響いた。













「いくよー!えい!」

「ほいっ!」

「ケロッ!」


麗日がボールをアタックし、芦戸も持ち前の運動神経でボールを上げる。蛙吹は水辺は独壇場と言わんばかりに飛び上がり、長い舌でボールを弾いた。耳郎は自身の耳たぶから垂れているコードを使い、葉隠は水上をスライディングでレシーブし、八百万が上げたトスを、水世はアタックした。

女子がバレーで遊んでいる中、男子の方は延々と体力強化のトレーニングを続けている。飯田の休憩を提案する声が耳に届き、彼は持参したクーラーボックスから缶のオレンジジュースを取り出した。


「水の中だと、ちょっと動きづらいね」

「水の抵抗がありますものね。これはこれで、ちょっとしたトレーニングになりそうですわ」


ちゃぷちゃぷと音を鳴らしながら、水世はボールを見上げる。水の浮力で体は軽いが、水の抵抗で素早い動きは難しい。蛙吹は流石と言うべきか、水の中の方がスピードが増しているように見えた。

髪が濡れないようにと、後ろで団子にしてまとめているせいか、普段は日に晒されない首筋に熱を感じる。水世は時折うなじ辺りを撫でながらも、自身の方へ落ちてきたボールをトスした。

不意に視線を感じた水世が振り返ると、プールサイドにいる轟と目があった。飯田から貰ったオレンジジュースを片手に、髪からポタポタと水滴を垂らしながら、水世を見つめている。何故だか、照りつける日差しよりも、彼の視線に焼かれそうな感覚が彼女を襲った。


「水世、そっちいったよ!」

「あ、うん」


自分を呼ぶ声に意識を取り戻した水世は、轟から視線を外すと視線を上空へ移し、ボールをレシーブして、麗日の方へ渡した。


「そろそろ休憩しない?」

「そうね。ずっと動きっぱなしなのも、プールに浸りっぱなしも、体に良くないわ」


蛙吹がボールを回収して、水世たちは一度プールから出ようと、プールサイドの方へ向かった。プールサイドに両腕をつけて体を持ち上げた水世がプールから出ると、大きな怒声のようなものが聞こえた。


「当たり前だ!でなきゃこの俺が、てめェみてーなクソナードに負けるわけねえだろ!」


いつの間にいたのか、爆豪が目尻を釣り上げながら緑谷と飯田の方へ大股に歩み寄っていく。だがそれを切島が片腕で阻止して、緑谷に謝っているようだった。そういえば彼もいなかったと思ったが、どうやら爆豪を連れ出しにいっていたため、遅れたようだった。


「みんな!男子全員で、誰が五十メートルを一番早く泳げるか、競争しないか!」


その声に、女子たちも反応を示した。


「男子が競争だって、面白そうやね!」

「見学させてもらう?」

「いいんじゃないかしら」


滅多に見れない男子全員参加の勝負に、女子は興味津々だ。顔を見合わせた七人は、飯田の方へ寄っていって、代表して八百万が自分たちにも手伝いをさせてほしいと頼んだ。快く了解してくれた飯田は、勝負のルールを説明した。

学校内であるため“個性”の使用はOKとするが、建物や人に危害を加えることは禁止とする。フォームは指定はなく自由形。五人もしくは四人で勝負し、勝ち上がった三人で優勝を決めるという、簡単なルールだ。

爆豪が緑谷と轟に宣戦布告している声を聞きながら、水世は八百万が手のひらからホイッスルを作るのを眺めた。流石の知識と“個性”だと、彼女は一人感嘆した。

八百万がホイッスルを持ち、スタートの合図を取ることとなった。水世は他の面々と共に見学の方へ回って、予選一回戦の上鳴、爆豪、口田、常闇、峰田がスタート位置に着くのを見つめた。ちなみに組み合わせはくじ引きで決めたものだ。


「障子くんは、誰が勝つと思う?」

「爆豪か常闇じゃないか?誘はどう思う」

「爆豪くんの“個性”は水中だと活かしにくいところがあると思うから、常闇くんかなあ」


瞬間、鋭い視線が水世に飛んできた。思わず肩を跳ねさせて驚いた彼女は、聞こえてしまっていたことに苦笑いを浮かべた。障子が気を遣ったのか、複製腕で水世を隠してくれたおかげで視線からは解放されたものの、なんだか後が怖いような気もした。


「よーい……!」


ピーッ!と音が鳴り響いたと同時、皆がプールへ飛び込んだなか、爆豪だけは宙へ飛んだ。そのまま両手で爆破を起こして、即座に五十メートル地点へ到達する。本人は自信満々に「どうだこのモブ共!」と声を上げているが、瀬呂と切島から泳いでいないという尤もなツッコミを受けている。


「薄っぺら野郎!どうだ、見たか!ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ!」


名指し――名指しとは違うものではあるが――で言われた水世は、困ったように笑いつつ、おめでとうと言葉をかけた。爆豪はフンっと鼻を鳴らし、彼女から視線を外した。


「あれ、アリなのかな?」

「……一応“個性”使用はアリ、自由形だからな。ギリギリセーフには、なるんじゃないか?」


審議の結果、ギリギリセーフという判断が下された。ブーイングは上がったし、屁理屈ではあるものの爆豪の言い分にも一理あるとしての判断である。


「おつかれさま、常闇くん。惜しかった……のかな?」

「惜しくはないだろうな」

「そもそも泳がない、という選択は盲点だったな。しかし爆豪らしい」


そりゃそうかと苦笑いを浮かべた水世の前に、黒影が姿を出した。彼は先の勝負結果に少しばかりご立腹なようで、「ズルイ!泳いでないヨ!」と爆豪を指差している。水世はそんな彼を宥めるように頭を撫でてあげた。


「水世」

「ん?なに、轟くん」


次の組み合わせは、轟、青山、瀬呂、切島、砂糖。他四人が位置に向かうなか、何故か轟は水世の方へと歩み寄って、彼女に声をかけた。撫でる手を止めた水世は轟の方へと顔を向ける。


「俺、勝つから。だから、見ててくれ」


突然の宣言に首を傾げた水世は、不思議そうにしつつも頑張ってと彼に声をかけた。頷いた彼は満足したのか、スタート位置の方へ向かっていく。黒影の頭を撫でながら、水世は何度か瞬きをした。


「いつの間に、轟と親交を深めたんだ?この間までは、姓で呼ばれていたと記憶しているが」

「テスト明けの日曜日に。名字だと、伊世くんとややこしいからってことで」

「双子だと、そういった点は少し不便だな。俺も呼び方を変えるべきか……」

「フミカゲも名前で呼べバ?ミズセは、呼ばれるのイヤ?」

「呼ばれ方はなんでもいいよ。常闇くんや障子くんの好きなように」


黒影の提案に彼女がそう返したとき、スタートの合図が鳴って水世は轟の方に視線を移した。彼はスタートの瞬間、水を凍らせることで足場を作り、氷の上を滑りだした。涼しい顔で轟が進んでいる後ろで、テープを伸ばしてゴールに飛んでいこうとしていた瀬呂が、ビームの秒数制限で崩れた青山に巻き込まれてプールへ落ちていた。結果、勝利したのは轟だった。

ことごとくまともに泳いでいない人間が勝利しており、これはこれでどうなのだろうかと、水世は密かに思った。最早プールである意味も無さげである。


「次、障子くんの番じゃない?」

「そうだな。行ってくる」


頷いた障子は、じっと水世を見下ろした。彼女が小首を傾げて見つめ返していれば、障子は少し瞳を緩めた。


「俺も、水世と呼ぶことにする」


ぱちりと目を瞬かせた水世は、いいよと微笑んだ。障子はそれを聞いてスタート位置の方へ向かっていく。二人のやりとりを見ていた黒影は、フミカゲも!と常闇の肩を叩いた。困ったような呆れたような目で黒影を見る常闇だったが、わかったと言わんばかりに目を瞑った。


「では俺も、今後は誘のことは名で呼ばせてもらおう」

「うん?いいよ」


水世が頷いて微笑むと、八百万の声が聞こえた。予選三回戦は障子、尾白、緑谷、飯田の四人。よーい!という声のあと、ホイッスルの音が鳴る。緑谷と尾白がプールへ飛び込み、障子が少し出遅れて水中へ。飯田は飛び込んでいないと思ったら、プールの境界部分に立って、“個性”で他三人より前へ出た。

これは飯田が勝利か。そう思われたが、“個性”を発動させた緑谷は猛スピードで追いついた。二人の一騎打ちとなり、猛飛沫を上げて二人はゴールへ迫っていく。

もうすぐゴールだという時、飯田が手を伸ばして飛び込んだ。緑谷も必死に手を伸ばした。

僅か数秒の差。先に壁に触れたのは――緑谷の手だった。二人の接戦に、見学していた他のクラスメイトたちは大興奮の声を上げた。

これで予選通過者の三人が決まった。これから爆豪、轟、緑谷の三人による決勝戦が始まる。爆豪は轟、緑谷に本気でくるように怒鳴ると、スタート地点へ歩きだす。決勝戦は八百万と交代し、飯田がスタート合図を行なうことに。


「それでは、五十メートル自由形の決勝を始める!」


歓声が飛び交うなか、飯田が左手をまっすぐに上げると、位置について!と声を張り上げた。爆豪は両手のひらで小さな爆破を起こしており、轟も右腕に氷をまとう。緑谷もまた体にバチバチと電流のようなものを帯びた。


「よーい……!」


ピッ!と音が鳴ったと同時。三人は一斉に台から跳んだが、三人の“個性”が突然消え、プールへと落っこちた。皆が驚いていると、いつの間にいたのか、髪を逆立たせた相澤が、プールの使用時間が終わったと告げる。


「そんな先生……!」

「せっかくいいとこなのに!」


食い下がろうとした上鳴と瀬呂だったが、相澤の赤く輝く瞳が鋭く睨みをきかせる。なんか言ったか?という彼の言葉に、皆声を揃えてなんでもありません!と告げて、いそいそと更衣室へ向かっていった。


「最後まで見たかった〜!」

「仕方ないよ。時間は守らないと」


通路を歩きながら、残念がっている芦戸に水世は声をかけた。束ねていた髪をほどこうと水世が自分の後頭部に手を伸ばせば、その手を背後から掴まれた。驚いて彼女が振り返ると、轟の手のひらが水世の手首を掴んでいる。


「えっと、轟くん……?何か用かな?」

「ほどくのか?」

「う、うん……」


困惑気味に頷いた水世をじっと見つめた轟は、視線を少し外した。首筋に視線をビシビシ送る彼に、水世が眉を寄せて不思議がるなか、轟は空いていた右手を伸ばした。


「ひっ?!」

「!悪い。赤くなってたから、冷やそうかと」


突然首裏を襲った冷たい感触に、水世は思いきり肩を跳ねさせる。轟は彼女の反応に少し目を丸くして謝ると、少し赤みを帯びている水世の首に、ゆっくりと指先を当てた。普段は髪でガードできているが、今日は晒されていたために少し日に焼けたのだろう。


「ありがとう……?でも、大丈夫だから……着替えないとだし、離してほしい、かな」

「悪い」

「いいよ、気にしないで」


腕を離してもらい、水世は髪をほどいた。頭を締めつけていた感覚が消えたのを感じながら、彼女は手櫛で髪をといた。二人のやりとりをそばで見ていた芦戸は、少し後ろを歩いていた耳郎、葉隠を振り返り、「隣でなんか見せつけられた……!」と小声で伝えている。


「水世、大丈夫か?日焼けは痛むだろう」

「今のところは平気だよ」

「なんだ、誘日焼けか?おまえ今日首出てたもんなあ」

「また日傘をしてやればよかったな。気が利かずすまない」

「いいよ、そんな酷くないと思うから」


いつぞやの救助訓練の時に同じチームだった二人に声をかけられた水世は、軽く笑みをこぼしながら、女子更衣室へ入っていった。











すれ違うと、僅かに湿り気を帯びた白い髪がベールのようにふわりと揺れて、微々たる薬品の香りと、石鹸のような香りが鼻腔を掠める。僅かにこちらに視線を寄越したその人物は会釈をするとすぐに顔を前へ向けて歩いていった。

数歩進んで振り返れば、あちらはこちらのことなど気にも留めないまま歩く。


「……俺の、天使……」


無意識に綻んだ口もとから、こぼれ出た言葉。それは彼女には届かなかった。