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美しき人間という生き物


「誘少女!今、時間空いてるかな?」


目を瞬かせた水世は、不思議に思いながらも頷いた。皆の憧れが具現化したような存在であるオールマイト。そんな彼から、個別で話がしたいというのは、いったい。手招きをする彼に連れられて、水世はだだっ広い廊下を歩いた。

仮眠室に案内された彼女は、中にあったソファーに座るよう促される。素直に黒いソファーに腰掛ければ、向かい側にオールマイトが座った。どんな用事があるのだろうかと、水世は僅かに身構えた。


「君には毎度驚かされるよ!初めての戦闘訓練の時もそうだが、救助訓練や体育祭、それにこの間の期末試験。君の能力はすごいな!」


え?思わず彼女の声が漏れた。何かもっと、重たい話でも振られるのではないかと予想していたから。それが蓋を開けてみれば、フレンドリーに、軽い調子で話すオールマイトに、水世は拍子抜けしてしまった。

しかしわざわざ、そんな話のために呼び出されたのか。僅かに訝しんでいる彼女に気付いているのかいないのか。オールマイトは白すぎて輝きさえ感じる歯を見せて、好感以外にも安堵さえ与えてくれそうな笑みを見せている。自分には到底できそうもない笑顔だと、勝手に劣等感を抱いてしまっていて、水世は自分にうんざりした。


「……あの、世間話をしたかったんですか?」


オールマイトの言葉が切れた。言った後に、言い方がどこか棘を含んでいるようなものになってしまっていることに気付く。彼女は慌てて、そういった意図はなく、ただ疑問に思っただけなのだと説明した。オールマイトは気にしていないようで、気を悪くした様子はなかった。

からりと笑ったと思うと、彼は「ごめんごめん、話が逸れすぎてしまっていたよ」とこぼした。そして一瞬で、彼のまとう空気が変わった。それを肌で感じ取った水世は、少しだけ姿勢を直し、背筋を伸ばした。


「君の“個性”については、グラヴィタシオンから概ね説明は受けていてね。期末試験で行なった演習試験。その時の終盤でのことだが……あの時の君は、正確には誘少女自身ではないということで、合っているかい?」


水世は僅かに息を呑んだが、重世が自分の“個性”について説明しているだろうことは予想の範囲内だった。そのため、大袈裟に驚くこともせず、嘘をついて誤魔化しもせず、素直に一つ頷いた。


「……こう言われることは、君にとって嬉しいことではないのかもしれないが……私はね、誘少女。君の“個性”は素晴らしいものだと感じている。まさに『魔法』のような能力だ。おおよそ万能、おおよそ何でもあり。とても強力な“個性”だ」


普段腹から声を出しているくらい大きな声のオールマイトだが、今はえらく静かな声音だった。


「使用者の性質によっては、もちろん恐ろしい敵になるだろう。だが、それと同時に最高のヒーローにだってなれるんだ」


励ましのためにわざわざ声をかけたのだろうか。オールマイトの言葉を聞きながら、水世はそう思った。特に心に響いてくる言葉でもなく、ただ黙って彼の言葉を耳で拾って、頭の中に運ぶという作業を機械的に行なった。

自分の“個性”に対して、自分の能力に対して、彼女はなにも励ましをもらいたいわけではない。自分の“個性”がどれだけ危険極まりないものであると理解しているため、無闇矢鱈に使用するべきでない。励まされたところで、貼られたレッテルも、過ごした過去も、全部消えやしないのだから。

教師として生徒を導こうと、助けになろうとしていることは、彼女になんとなく伝わってはいた。だがそれは、自分にするようなことではないのではないかという疑問が浮かぶ。本気でヒーローを目指している周り相手ならまだしも、そうでない自分に対してヒーローへ導こうとするのは時間と労力の無駄だろう。水世はオールマイトの力強い瞳から、少し視線を外した。


「恐れや恐怖は決して悪ではない。自身の“個性”の危険性を知っているということは、他者への配慮や気遣いができるということでもある。“個性”の使用で起こる被害を予測し、動くことができるんだからね」

「……配慮や安全を考慮したところで、操れないなら無意味なのでは?たとえ自分の“個性”であったとしても、扱えないのでは何もできない。ただ傷つけて、悲しませて。そればかりです」

「“個性”だけで物事を諦めるのは早すぎる。君はまだ子どもで、まだまだ未来がある若者だ。“個性”コントロールも、人によって感覚が違う。何かイメージするんだ。電子レンジのスイッチを入れる、ライターの火を点ける、紐を切る。感覚のイメージは人それぞれだよ」


流れるように送られたアドバイス。しかし彼女はあまりイメージが沸かなかった。どうしても自分が飲み込まれていく姿しか想像できず、完成形はいつだって魔そのものだ。


「…………オールマイト先生は、何故わざわざ私に話を?重世さんに、気にかけてほしいと頼まれたのですか?」


俯きがちに呟いた水世に、オールマイトのキリリとした眉が下がる。実際重世には、業務に支障をきたさない程度でいいから、気にかけてほしいということは頼まれていた。そのため、彼女の言う理由も間違いではない。だが、彼にとってはそれだけではなかった。


「半分はその通りだ。だが私のこれは、どちらかと言うと私情の方が大きくてね」

「私情……?」

「ああ。いや、なに、私の知り合いがね、“無個性”だったんだ」


水世は瞳をぱちりと瞬かせた。超常黎明期ならまだしも、今のご時世では“無個性”の人間は希少だ。水世は“無個性”の人物には会ったことがない。しかしオールマイトほどの人物ならば顔も広いため、そういうこともあるのだろう。

彼は苦笑い気味に頬を掻きながら、その“無個性”の知り合いについて話しだした。


「その知り合いは、四歳を越えた後でも、自分に“個性”が発現するんじゃないかと必死に色々やってみたが、結果は全然ダメでね。それでも、知り合いは、彼は……ヒーローを目指した」

「“無個性”で、ヒーローを?」

「無謀だと思うだろう。周囲だって彼を馬鹿にしたし、到底無理だと決めつけた。それでも彼は、諦めなかった。努力を続けたんだ」


その彼は、ヒーローになれたのか。そう尋ねた水世に、オールマイトは「さあ、どうだろうね」と曖昧に濁して笑った。もしかするとヒーローになれなかったのか、それとも言えない理由があるのか。どちらにせよ、追求する気は彼女にはなかった。


「“個性”で物事を諦める必要性はない。綺麗事だと言われるだろうが、努力はいつしか報われる日が訪れる。それがどんなに先の未来であってもだ。あの時もっと頑張っていれば、もっと自分が努力していれば。そんな後悔を抱えないために、しないために。諦めなければよかったと思っても遅かったという時が出てきてしまうことがないように」


そんな後悔を、彼はしたことがあるみたいな言い草だ。それを聞くことは憚られたので、水世はそのことについても尋ねることはしなかった。誰だって、言いたくないこと、言えないことの一つや二つは抱えている。平和の象徴と謳われる彼であって、四六時中オールマイトというヒーローであるわけではないはずだ。


「……先生は、オールマイトは、眩しいですね」

「そうかい?まあ、よく言われるよ」

「はい。先生だけじゃなくって、クラスの人たちも、みんな。人間という生き物は、私にはすごく、眩しいです」


前向きに、ポジティブに思考を働かせていける。諦めに打ち勝って、たとえ小さな歩幅だとしても一歩を踏み出せていける。逆境に挫けても立ち直る力を持っている、人間という生き物。人間は弱くて脆いが、しかし強い。矛盾を体現している彼らという存在の輝きは、いつだって自分には到底放てない美しさがあった。それが余計に水世の劣等感を刺激し、卑屈に追い込んでいった。


「先生は、誰か一人でもあなたを見ている人がいるのなら、オールマイトなんですね」

「?それはどういう……」

「一人の人間が担うには、掲げるには重たすぎるものであったとしても……あなたは放り出すことも投げ捨てることもせず、オールマイトとして笑顔を浮かべる。皆あなたも人間であるということを忘れているのでしょう。でも、数多の希望、期待、信頼を枷ではなくて、力に変えられるあなただからこそ、皆安心できるのかもしれませんね」


それがオールマイトという人間の美点なのだろう。慕われている彼の姿を浮かべながら、水世はぼんやりと思う。


「それが、私には一層眩しいです。眩しくて、美しくて、温かく、そして優しい。私には到底ないもので、惨めにも思えてくる。羨ましさなんてものを覚えては、虚しくなってしまう。私という存在は、そんな風にはなれません。私の皮の下は、暗く、醜く、冷たく、残虐だから」


一つ礼をした彼女は、立ち上がって扉の方へ歩いた。そんな彼女の背に、オールマイトは「そんなことはない!」と叫ぶ、


「……自分自身を、全て曝け出すこと。それは、恐怖が伴うものだろう。しかしそれでも、君は君だ」


彼の言葉に返事をすることはなく、失礼しますと囁くようにこぼしながら部屋を出ていった生徒の姿を、オールマイトは追いかけることができなかった。