- ナノ -

正解なんてどこにもない


日曜日の夕方、速報で入ってきたニュース。それは木椰区のショッピングモールに、敵連合の主犯格が現れて、一人の男子高校生に接触したというもの。ショッピングモールは一時的に閉鎖され、区内のヒーローと警察が緊急操作にあたるも、結局見つからなかったらしい。

雄英襲撃や保須事件と、立て続けの大きな出来事に、警察は既に敵連合に対し、特別捜査本部を設置して捜査にあたっている。それでも捜査は難航を極めているようで、敵連合も一枚岩ではないようだった。

夕食の準備をしていた水世は、そのニュースに思わず手を止めてしまったものだ。何せそのショッピングモールには、クラスメイトたちが買い物に行っていたのだから。職場体験でのヒーロー殺しとの遭遇の件があり、A組でのグループトークを作っていた。水世はそのグループトークにニュースを見た旨と、大丈夫だったかとメッセージを送った。


『私らは大丈夫!』

『でも、めっちゃびびったよな……』

『緑谷くんが主犯格と遭遇したそうでな。今は、事情聴取を受けている頃だと思う』


次々に送信されてくるメッセージを追っている最中に飛び込んできた飯田のメッセージに、水世は目を大きく見開いた。ニュースで言っていた男子高校生は、クラスメイトである緑谷だったという事実。怪我人や死傷者は出なかったと報道されてはいるものの、危険人物と接触したのだ。不安になってしまうのも仕方ない。

緑谷の返信がないことにモヤモヤしつつも、水世は一度夕食作りの方に専念した。













登校してきた緑谷の姿に、水世は席を立って駆け寄った。あの後返信は届いており、怪我もなく無事であることは知ってはいたが、こうして目で確かめてようやく、水世は安堵を感じた。


「ニュースでみんなが行ったショッピングモールが出たから、なんか、気が気じゃなかったよ……無事でよかった」

「心配かけちゃったみたいでごめん……僕もまさか、あんな場所で会うなんて思ってなかったから……」


きっとそれは、誰だってそうだろう。だが敵たちはたった今も、世間や人の目から上手く身を隠して、素性を偽って、人々の中に溶け込みながら、普通の日々を過ごしているのだ。ヒーローの数が多いということは、それだけ敵も多いということで。毎日のように敵犯罪は起こるし、毎日のように敵は生まれていくのだ。

緑谷はその時のことを思い出したのか、グッと拳を握りしめると、険しい表情を浮かべる。話がしたかったのだという主犯格――死柄木弔は、五本指で触れた相手を崩壊させる“個性”を持っている。そんな相手に首を四本指で掴まれた状態であった緑谷は、その場にいた多くの人間の命を人質に取られていたそうだ。そんな状況で、よくパニックにならずにいれたものだ。数々の経験を踏んできたからこそ、度胸や冷静さが培われたのかもしれない。


「まさか同じ空間に敵が潜でいたなど、予想だにしていなかった」

「しかも大勢の人質盾にするわけだから、そうなると下手には動けないし……」


ヒーローの優先は人命や人々の安全である以上、守るべき者たちの命が危ぶまれる行動はできない。人質を取られるなんかが特にそれである。


「なんかさ、敵の思考って、よくわからねえよなあ」


水世の表情が、一瞬だけ強張った。だがそんな微細な変化には誰も気付くことはない。発言主である上鳴は、頷きながら言葉を続けるように口を開いた。


「陰険っつーか、ずる賢いっつーか。やばい奴は本当やばいし」

「凶悪な敵犯罪って中々減らないもんねー」

「中にはそうなるに至った理由がある者もいるだろうが……愉快犯のような輩や、犯罪をゲーム感覚でやる人間の思考回路は、正直理解できそうもないな」

「己が欲求のままに非道徳的行為に及ぶなど、許されざる所業だ」


同じと思えなくとも、結局は人間だ。水世はぼんやりと思った。ヒーローも所詮人間で、敵も所詮人間で。ヒーローと敵という名称は概念や肩書きのようなものに過ぎない。

自分の好きが誰かの嫌いであるように、自分の正義は誰かの悪だ。世間やヒーローの視点ではヒーローが正義で敵が悪だ。だが敵にとっては自分が正義で、ヒーローが悪。故に戦争は善と悪の戦いではなく、善と善の、もしくは悪と悪の戦いなのだ。


「同じ人間なのにな」


皆十人十色、思考も好みも画一的ではない。環境や立場、思想の違いもあるだろう。故に人間同士でも、理解し合えないことは多々ある。同族同士でも分かり合えないのだから、当然人間と化け物が分かり合えるはずもない。


「怖いよね、自分と違うって」


水世の言葉に、「そうだね〜」と同意するような声を聞きながら、彼女は困ったように笑った。

自分と彼らは、分かり合い、共存なんてできない。ずっとわかっていたし知っていたこと。改めて突きつけられたところで、何かを感じる必要はない。胸への痛みは気のせいだ。これではまるで、悲しんでいるみたいではないか。そんな権利も必要も、自分にはいらないのだから。

HRを告げるチャイムが鳴った途端、条件反射のように着席する。開いた扉からは相澤が入室し、彼は教卓の前に移動すると、すぐさま昨日の件を話題に挙げた。

偶然であったとはいえ、今後緑谷や他の生徒たちが狙われる可能性は低くはない。警察も警戒態勢を続ける方針ではあるが、学校側でも対策を取る必要がある。それもあり、敵の動きを警戒した結果、雄英が例年使わせてもらっていた合宿先を急遽キャンセルし、行き先を変えたことを相澤は告げた。どこから情報が漏れるかもわからないため、行き先は当日までは明かさないことにもなっている。

驚きや困惑の声が教室のいろんなところから上がる。既に行き先を親へ伝えている生徒も中にはいて、故にこその判断だろう。子から親へ、親から次の誰かへ、と話はどんどんと広まる。それを全て学校側が把握するなんて無理だろう。それでも合宿自体をキャンセルはしないのだから、やはり強化合宿はヒーロー科にとっても大きな行事であることがわかる。

爆豪の、緑谷に対する骨折してでも殺しておけ、なんて不謹慎なような発言にブーイングが上がるなか、少し騒がしくなっていく教室。水世は相澤のこめかみに青筋が立っていく様子を見ながら、静かにしていようと口を閉ざしたままにした。













《おいおい、泣くなよ。そんなにショックだったか?言われ続けてきたことだろう?》

《?泣いてないよ》

《……無自覚ってのは時に恐ろしいものだな》


眉をひそめた水世は、満月の言葉に首を傾げた。


《〈無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり〉……皆無知から始まって、知識を得ていく。だが知識だけではダメなんだぜ?ちゃんと行動しねえとな。ほら、他にも言うだろ?〈知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり〉。知らないことを知らないと自覚する、これが本当の知るということ。自身の知識の無さを自覚している人間は、知恵者と自認する相手より優れてんのさ》

《……満月の言葉は、たまに突拍子もないし、難しい》

《オレ様に名前はねえよ。あと、難しいことも言っちゃいない。充分に理解できるはずだ。無知は罪、アイツらは言わば無知だったのさ。おまえという存在を知らなすぎた。そしてそれを、自覚もしていない》


知ったところで何になるのか。人間と化け物は理解し合えないのだから、何も変わりはしないだろう。自分は最初から人間ではない。人間としての権利も持ち合わせていない。たったそれだけの単純な話であるのだから、今も昔も、そしてこれからも人間である彼らとは交わらないままなのだと水世は呟いた。


《人間と化け物の違いってのはなんだ?感情があればそれは人間か?いいや、化け物にも感情はある。では規格外の力を持っていれば化け物か?いいや、人間にもそういう奴はいる。ならば、人間を人間たらしめる証明ってのは、いったいなんだ?》


満月の問いかけに、水世は数秒間を置いて、普通であることと答えた。すると今度は、普通とはなにかと問われる。彼女は考えるように黙り込んだものの、わからないと首を横に振った。


《そもそも普通や当たり前なんて言葉は空虚だ。当たり前って?普通って?結局は自分の物差しじゃないか。大多数の声により生まれた強迫観念のようなものじゃないか。自分の普通と人の普通は違う。皆に与えられた当たり前や平等なんて〈死〉と〈不平等〉くらいだ。誰だって、生きることはできずとも、死ぬことはできるんだからな》

《……じゃあ、満月は人間と化け物の違いは、なんだと思うの?》

《だから名前はねえって……そうさなあ……オレ様の考えとしては、奪う行為に対し、戸惑いを、躊躇を、抵抗をなくした……理知も理性もなくした者だな。簡潔に言えば、行動に対し信念も何もなく、考えることや思考を捨てた奴さ》


人間と他の生物との顕著な違いは、殺す行為の動機だと満月は語った。

動物はあくまで、自らの種の生存のために他の生物を食らう目的で殺す。一種の生存本能を動機に殺しを行う。だが人間は、同族同士であっても、他の生物相手でも、私情や突発的衝動で殺しを行える。それはどの人間もそうだ。殺戮衝動を制御する本能の欠落を、法や道徳教育で無理矢理に抑えつけ、補っているだけ。そこに間違いが生じれば、誰しも殺人鬼と化す。一度堕ちれば、あとは転がるだけだ。


《英雄だって、見方を変えりゃあ殺人鬼だぜ?一人殺せば殺人犯、百万人殺せば英雄。一人の死は悲劇だが、万人の死は統計でしかない。そんな言葉もある。数が殺人を神聖化しているものだ。だが正確には違うと思うぜ。その犠牲でその倍の人間に幸福がもたらされるのであれば、何人殺そうが英雄さ》

《でも、英雄も殺人鬼も、人間だよ》

《ああ。どちらも人間だ。決定的違いは、なんのために、何を考え力を奮うかだけさ》


何のために力を奮うか。呟いた水世に、満月は一つ頷くように「ああ」と返した。


《英雄は他者のために力を行使する。他者のために、己を犠牲にできる。たとえ相手が敵であろうと、自分にとっての悪であっても、命を奪ったならばそれを罪として背負って生きていく。自身の力は、一歩間違えばいとも容易く命を奪えると理解して力を奮う。だが敵は自分のために力を行使する。自身のために、他者を犠牲にする。そして奪った命への責任は負わないし、それを罪と自認しない。自認しながらも背負うようなことはしない奴が多いだろう》


中には罪悪感に駆られる敵もいるだろう。中には心が邪悪でない敵もいるだろう。何か理由があってそちら側にいるという場合もあるだろう。それでも、所業が罪であるならば、それは罰を与えられるべきもの。自覚無き行為も罪深いが、自覚あっての行為も罪深きものだ。


《化け物ってのは、その思考さえない。敵は奪った命への責任は背負わないが、自身の信じる正義はある。化け物にはそれがない。アイツらは自身の信じる正義、信念で行動してるわけじゃないからな。純粋な好奇心や暇潰しと同じ。〈なんとなく〉でやるのさ》


道端の小石を邪魔だからと蹴飛ばすように権利を剥奪し、足下の蟻に気付かず踏み潰すように尊厳を踏み躙り、なんとなく視界に入ったからと命を奪う。そこに深い意味などありもしない。それが人間と化け物の違いと考える、と満月は自身の解釈を水世に語った。


《だから泣くんじゃねえよ、馬鹿で愚かで哀れな水世》

《泣いてないよ》


涙一つ流れていない頬に触れる。水の膜さえできていない視界は至って良好で、水世は彼の言葉の意味が上手く理解できず、目を伏せた。


《今日は天気が悪いな》

《……今日は晴れてるよ?》


土砂降りだと笑う満月の言葉が、水世には益々理解できなかった。