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似て非なるどこかの誰か


雄英に入学するまで、伊世と水世には約三週間の時間があった。一般入試が行われたのは二月末、合格通知が届いたのは三月上旬、入学は四月なのだから、当然だろう。中学校の卒業式も終わっているため、これは束の間の休暇であった。

休暇中に入学に必要な提出書類は郵送し、制服の採寸も済ませた。やらなければいけないことは全部終わってしまっており、やることと言えば、ある程度の鍛錬くらいとなる。

しかし伊世と水世の“個性”は、鍛錬するには場所を必要とした。何故ならどちらも、筋力増強等のトレーニングを要する“個性”ではない。

“個性”にも系統が存在している。大きく分けて「発動型」「変形型」「異形型」の三つ。この三系統の特徴を二つ以上併せ持つ場合は「複合型」と呼ばれる。伊世と水世は「発動型」と「変形型」を併せ持つ「複合型」であり、尚且つ突然変異という、ごく稀に起こる現象であった。

これが「発動型」で「増強系」だったならば、筋力トレーニングで身体をつくる、などができただろう。「変形型」も肉体変化のトレーニングは広い場所じゃなくとも行える。しかし二人の場合、些か事情が違った。特に水世は人前で変形することは避けたかった。

二人が“個性”の鍛錬を行えば、家の中はグチャグチャになり、壁や庭もボロボロになる可能性があり、近隣住民にも被害が及ぶだろう。

そのため二人が休暇中にできる鍛錬は、単純な基礎体力トレーニングや、身体能力を伸ばすトレーニングくらいなものだった。肉弾戦も視野に入れるべきだろう、という考えもあってのことである。唯一できる“個性”のトレーニングも、非常に小規模なものだった。

たとえば、伊世は少量の水をコップに出す、庭の花壇に水遣り、風でカーテンを揺らす、火でゴミを燃やすなど。水世もろうそくに火を点けたり、水を浮かせたり、その水を油に変えたり。自身の環境でできる分のトレーニングをするしかないため、小規模ではあるが、休暇中はそれを習慣づけるようにしていた。


「二人とも、調子はどうだ?」

「……重世(かさせ)さん」


二人がリビングの窓際に座って庭を水で濡らしたり、水遣りをしていると、実技試験後に二人の前に現れた男――重世が、背後に立っていた。伊世は振り返ることなく、水世は振り返って小さく頭を下げた。


「最低限のトレーニングですので、なんとも」

「家でできることは限られてるから、仕方はないか……でも雄英は施設が豊富だ。様々な地形、様々なシチュエーションを味わえる。状況に応じて自分の“個性”の使用法を変えないとな。身近なもので慣れていこう。たとえば、コップに入れる水量と、花壇の水遣りの水量は変えた方がいい」

「水の入れ方も、だろ。花壇に勢いよく水を落とせば花に衝撃を与える。じょうろみたく水を少しずつ落としていくべきだ。対してコップに少しずつ落としてたんじゃ時間がかかる。蛇口から出る量と勢いでいい」


水遣りを終えた伊世は、立ち上がってキッチンへ向かった。恐らくコップの方に移行するのだろう。水世は一度左腕に現れている紋様を消して、再び左手の甲に紋様を出した。


「上手くやってる?アイツ、口悪いだろ」

「問題はありません」

「ならいいけど……」


重世は軽く水世の頭を撫でると、庭へ出ていった。そろそろ家を出る時間らしい。軽いストレッチをした重世は、水世の方を見て微笑んだ。


「じゃあ、行ってくるから」

「はい。お気をつけて」


ヒラヒラと手を振った彼は、トン、と地面から足を離した。ふわりと空を飛ぶみたく跳ね上がった重世は、軽々向かいの家の屋根の上に乗り、再び跳んだ。人間の跳躍力とは思えないくらいに高くジャンプした彼は、もう水世には見えなくなっていた。

不意に水世の白髪が風で揺れた。はて、と彼女は首を傾げた。今外は無風、そうでなくとも風は彼女の背後から感じた。水世が振り返れば、伊世が右手のひらを向けていた。


「まだ春先だ。そろそろ窓閉めとけ」


手のひらを下ろした彼を見つめた水世は、素直に頷いた。少しずつ暖かさを増しつつも、まだ冷えた空気は漂っているのも事実。伊世が風邪をひいてはいけないと、水世は窓を閉めた。

鍵を閉めたのを確認した伊世は、彼女を見つめたまま、学校でのことで話があると前置きして、互いの“個性”について触れた。


「俺たちの“個性”は何れバレはするだろう。だが、俺は明かすつもりはない。おまえもそうだろ」


伊世の言うように、高校生活三年間の中で、何れ“個性”はバレる。だが水世は、自身の“個性”を人に知られたくなかった。伊世はバレたところであまり支障はないが、水世の場合は少しばかり事情が違うのだ。最悪伊世の“個性”がバレることで芋蔓式に水世の“個性”もバレる可能性がないわけではない。それを踏まえて、互いに話を合わせておく必要があると彼は言った。


「幸い、俺らの“個性”は色々とできる。周りが都合の良いように勘違いしてくれるはずだ。それに上手く乗っておけばいい。仮に“個性”が同じでも、兄妹なら不思議なことじゃない」

「うん」

「クラスが別れている以上、俺は常におまえを止めらるわけじゃない。だから、一次で抑えるのは忘れないようにしておけ。アイツがどこまで教師に話したかは知らないが……余計に情報を与えてやる必要はない」


彼の言葉に、水世は深く頷いた。













水世は夕飯の買い物のため、近場のスーパーマーケットへ出かけていた。そう大荷物でもないので一人で家を出て、行き慣れたスーパーに行き、迷うことなく必要な物を買って外へ出た。

右手にトイレットペーパー、右肘と左手にビニール袋を一袋ずつ持って、水世は横断歩道の前で信号機が青に変わるのを待っていた。平日でまだ夕方前ということもあり、比較的スムーズに買い物は終えた。

不意にブーッブーッ、というバイブ音を拾った水世は、肩に掛けていたバッグからなんとかスマホを取り出した。彼女は緑の受話器のボタンをタップして、肩と耳でスマホを挟むようにしながら電話に出た。


「はい、水世です。どうしたの?無事向こうには到着した?」


電話口から聞こえてきた大きな声での返事に、水世は少しだけ肩を跳ねさせた。声量には慣れたつもりでいたが、電話口だと少しばかり驚いてしまうな、と思いながら、青に変わった信号に視線を向けた。視覚障害者への配慮だろう、信号機から音が鳴っている。水世は電話相手と会話をしながら、共に信号待ちをしていた数人の歩行者に続き、横断歩道を渡った。


「うん。私たちの方は合格したから、来月からは雄英に通うよ。そっちも頑張ってね」


徐々に公園が見えてきた。そして、女の子の泣き声のようなものも近付いてくる。公園の出入口で立ち止まった彼女が中を覗けば、木のそばで泣いている女の子がいた。見れば木の枝に赤い風船が引っかかっている。


「ごめんね、そろそろ……うん、連絡くれるのは問題ないよ。うん、うん。じゃあね」


電話を切った水世は、スマホをバッグの中にしまうと、公園の敷地内に足を踏み入れた。


「大丈夫で……大丈夫?あの風船は、あなたのもの?」


少女に歩み寄った水世は、そばにしゃがみ込んだ。水の張った丸い瞳が水世へ向けられて、少女はしゃくりを上げながら、何度も首を縦に振った。水世は一度木を見上げると、立ち上がってそばのベンチに荷物を置いた。

少女の方へ戻った水世は、木に触れたと思うと、足や手を幹に引っかけて登りはじめた。ある程度登ったところで太めの木の枝が足場や持ち手になってくれたので、登りやすくなった。

風船の引っかかっている木の枝に高さにくると、木の枝を跨ぐようにして座りながら、ゆっくりと、慎重に、枝の先の方へ進んでいく。下では少女が心配そうに水世を見つめていた。

持ち手の紐が絡まっているのを解くと、水世は風船を自分の手に巻きつけて、ゆっくりとバックしていく。なるべくしっかりとした枝を足場にして降りていく彼女だが、足場となる枝が途絶えたため、幹に掴まって降りはじめた。

水世が下を見ながら、足を引っかけられそうな位置を探していたとき。彼女が手を引っかけていた木の表面が、ベリッと剥がれた。片手が外れた勢いで、体勢を崩した水世は背中から地面にへ落下していく。

この高さなら、打撲で済むだろうか。下に大きな石などはなかったはず。風船が割れないようにしなくては。案外冷静な思考でいる水世は、来たるべき衝撃に備えた。

だが、待っていたのは地面に打ち付けられる痛みではなかった。

何かに体を掴まれている。柔らかくも硬くもなく、なんとも形容しがたい質感だ。水世が自身の体を掴んだ正体を見れば、紫がかった黒い色の、まるで鳥の頭部を象った影のようなものが、自分を咥えていた。彼女が瞳をぱちくりさせていれば、それはゆっくりと水世を地面に下ろした。


「大丈夫か?」


駆け寄ってきた声に水世がそちらを見れば、彼女の体を掴んでいた謎の物体を、腹部から出している少年が立っている。首から下は人と同じ形だが、頭部は黒い鳥になっていた。


「あなた方が、助けてくれたのですね。ありがとうございます」

「気にするな。あのままでは怪我をしていた。女の体に傷をつけるわけにはいかないからな」


水世は彼に一度頭を下げると、少女の方を振り返ってしゃがみ込んだ。微笑みながら自身の手に巻きつけていた風船を手渡せば、少女はにぱっと嬉しそうに笑った。


「お姉ちゃん、ありがとう!」

「いいえ。今度は、風船を離さないように、気をつけてね」


うん!と元気に頷いた少女は、もう泣いていなかった。大きく手を振って帰っていく彼女に、水世は控えめに手を振り返した。そして自身を助けてくれた少年の方を見ると、再度頭を下げた。


「助かりました。本当にありがとうございます」

「気にするなと言っただろう。怪我がなくてよかった」

「えっと……そちらの方、も?ありがとうございます」

「気にスンナ!」


喋るのか、と影のようなものを見つめている水世に、少年は自身の“個性”だと話した。曰く、鳥の形状をした伸縮自在の影っぽいモンスターをその身に宿しているのだとか。そのような“個性”もあるのかと、水世は感嘆した。


「俺の“個性”、『黒影ダークシャドウ』は、このように意思があり、会話が可能となっている。珍しいタイプの“個性”ではあるだろう」

「そうですね……初めて出会いました」


水世は再度お礼を伝えると、またご縁があれば、とベンチに置きっ放しだった買い物袋やトイレットペーパーを持って、彼と別れた。

初めて出会った。――自身と近い形の“個性”は。その言葉は、水世は寸前で飲み込んで、口にはしなかった。