- ナノ -

芽生えの兆しの自覚なし


からりと晴れた空に浮かんでいる太陽は、肌が焼けそうなほどの熱を持った日差しを放出している。コンクリートの地面も熱されていて、上下から熱に挟まれたような状態だ。加えて梅雨時期ということもあってか、じめじめとした暑さが道行く人の身を覆っていた。


「コスチュームによっては、夏場はサウナ状態だよね……」

「凄まじい熱量を身をまとうことになるからな」

「季節でコスチュームも少し変えないといけないのかもね」


自身のコスチュームは、冬では何の役にも立たない布切れになりそうだ。水世は汗を拭いながらそんなことを考えた。彼女の隣を歩く常闇は、熱を吸収しやすい真っ黒なものなため、水世とは逆に夏場は些か過ごしにくいだろう。彼自身、真っ黒なカラスのような頭部をしているため、顔にも熱がこもっているのではないだろうか。

暑さが最もピークとなる昼時。水世は常闇と二人で、図書館へと向かっていた。明日から始まる期末試験のための勉強であり、最後の最後な追い込みだ。

芦戸や上鳴たちは、今頃八百万の家で勉強会。切島は爆豪から勉強を教えてもらっており、他のクラスメイトたちも各々で自主勉強に取り組んでいる。赤点を取れば補習だなんて、そんなのはごめんだという気持ちは皆一緒である。


「演習試験の日、雨だったら屋内になるのかな……ロボだと雨天決行難しそうだけど」

「存外、防水機能が施されているんじゃないか?」

「……ありえるかも」


B組の拳藤からの情報で、演習試験が一般入試の実技試験同様の対ロボットだということは、既にクラスでは周知だった。しかしあくまで機械。雨が降った場合は中身がショートしたりなんてこともあるのではと心配する水世だったが、雨天でも使用可能なようにはなっているかと、すぐに納得した。ヒーロー育成校として、様々な点にお金をかけているのだ。突然に変なところでケチなことはしないだろう。


「あ、図書館見えてきたね」


水世が指差した場所には、緑色のドーム型の屋根の建物がある。二人が向かっていた図書館だ。横断歩道を渡って約六分ほど、ようやっと二人は目的地に辿り着いた。ドアが開いた途端に冷気に出迎えられ、水世は少し身震いした。

休日ということもあるからなのか、中には水世が思っていたよりも人がいた。大人から子どもまで、各々自身の読みたい本を手に取り、静かに過ごしている。二人は空いているテーブルを探して少し彷徨い、奥の方にあったテーブルへ着いた。

背負っていたリュックサックを膝に置いた水世は、中から筆記用具やノート、教科書などを取り出していく。向かい側に座っている常闇も同様に、黒いリュックサックから勉強道具を出していった。


「何からしようか。常闇くん、どれが不安?」

「数学だな。あとは、近代ヒーロー美術史か」

「エクトプラズム先生、たまに引っ掛けてくることあるよね」


禍々しいフェイスマスクを着けている数学担当の姿を思い浮かべながら、水世は頷いた。


「数式の美は、俺の理解の及ばぬ領域なようでな。常に苦戦を強いられる」

「公式って難しいもんね……私で教えられる部分は教えるよ。常闇くんのお役に立てるよう、頑張るね」


少し気合を入れるようにグッと手のひらを握った水世は、早速始めようかと数学の教科書を開いた。常闇の苦手な部分を重点的にしていきながら、彼女なりにわかりやすい説明を頭の中であれこれ考えて、言葉にしていく。

教える側とはこうも難しいのか。そう感じつつ、自分のノートを開きながらそれを常闇の方へ見せた。


「ここは、この公式使って……そしたらこれが求められるから、今度はこっちを……」

「なるほど、こうか」

「うん、そうそう」


元々要領は悪くない常闇の理解力は早く、難航することなく二人の勉強は進んでいった。水世も常闇に教えつつ、自分への復習として改めて学んでいく。

外と中との温度差に体が慣れてきた頃、二人は一度休憩しようとシャーペンを置いた。水世は少し伸びをして、座りっぱなしだった体を軽くほぐす。それなりに復習等はするものの、家のことがある分、長時間机に向かうということは少ないため、水世にとってこういった時間は新鮮な気分だった。

そもそも、他者と休日に出かけるというのも、彼女にとっては早々ないことだ。出かける相手は伊世や重世を抜けば、幼馴染であるイナサくらいなもの。それに彼とは勉強よりも、彼に連れられて外へ行くことの方が多い。

イナサは毎日のように水世の家を訪れては、“個性”で彼女のいる部屋の窓を叩いていた。それが二人の間のサインのようなものだったから。風が窓を叩くたびに、彼女はイナサを思い浮かべたし、窓の外を覗いていた。彼が窓の外にいないと理解していながらも、ついつい期待をしている自分がいることには、水世はしばし笑ってしまう。

存外幼馴染の存在は自分の中で大きな割合を占めていて。一番の優先順位は当然ながら伊世ではあるものの、イナサは次点に食い込むのではないかとさえ思える。メールや電話でのやり取りはしているものの、顔を見て話ができないことに物足りなさを覚える自分がいることは、水世自身驚きである。


「すまないな、俺ばかり世話になってしまっている」

「そんなことないよ。教えることで、私自身の勉強にもなってるから。役に立ててるみたいでよかった」

「ああ、とても助かっている。誘の教え方が優れている証拠だ。教授する側は、向いているんじゃないか?」


思考を中断して眉を下げた水世は、ありがとうとこぼしながら笑った。

先日も言った通り、彼女は教える側ではなく、常に教えられる側の立場だ。故に真逆の立場になっている今、実は探り探りだったりする。だが今のところは上手くいっているようなので、彼女はひとまず安心した。


「そういえば、職場体験。どうだったの?やり取りはしてたから、なんとなくは把握してるけど、実際行ってみて」

「……自身が期待していた結果は微塵も残せなかった。もしかすると、不毛な一週間ではあったかもしれん。俺の実力の無さも実感した」


水世はぱちりと目を瞬かせた。常闇はクラスの中でも上位に入るような実力者だ。“個性”の強さもそうだが、彼自身の判断力や頭の回転、黒影との信頼関係に基づくコンビネーション。それらは確かに強力なものであると、彼女は感じている。そんな彼が、何もできないまま一週間を終えたという事実は、水世の中ではちょっとした衝撃だった。

彼の受け入れ先であるホークスは、トップ3にも入る実力者だ。自身の力として盗めるような部分は数多くあるだろうし、プロヒーローの仕事ぶりを至近距離で拝める良い機会であるのが、職場体験。だが常闇は、ただただ駆け回って体力がついただけだとこぼした。


「『速すぎる男』という異名は伊達ではない。彼が一人現場に向かい、サイドキックが現場に到着した頃には既に事件は解決済みだ。サイドキックたちが現場の後始末をしている間に、ホークスは一人別の現場へ向かう。一週間、俺は後始末をしただけだった。しかしそれが一番効率が良いのも確かでな」


現場へ到着する機動力は、事件解決のためにも重要なものの一つだ。モタモタしていれば事態は悪化していくばかりであり、被害を最小限に抑えるためにも、即座に現場へ到着して事態を収束させる。それはヒーローの基本でもあると言っても過言ではないのかもしれない。


「オールマイトが言っていた通り、俺は地力も鍛える必要がある。俺の力は、まだプロの足元にも及ばぬものということだろう」

「常闇くんは、今でも充分強いよ。それにまだまだ学び立て、プロに追いつけないのは、ある種当然だとは思う。今回の点を踏まえて、足りない点をどう補うか、どう修正するか。それらを考えていく方が、きっと今後に繋がるんじゃないかな」


まだまだ、もっと成長できるんだから。そう続けた水世に、常闇はしばし黙った。だがすぐに笑みを浮かべて瞼を閉じ、「そうだな……その方が、合理的だ」と呟いた。合理的、なんてまるで担任のようだと、水世は少しだけ笑ってしまった。


「悪いな。助言まで貰ってしまった」

「助言ってほどでもないよ。なんか、上から目線みたいになったし」

「俺からすれば、充分助言に値する言葉だった。誘は、自身への評価を過小にしすぎているきらいがある。俺は、おまえも充分に強いと感じ、より成長できると、そう思っている」


彼といい轟といい、何故こうも自分を買い被るのだろう。水世は疑問を浮かべつつも、苦笑い気味にお礼を言うだけだった。