- ナノ -

好意はナイフに変わって


何事もなかったかのように現れた相澤に、生徒たちは目を丸くした。飲み込めない事態にそれぞれが困惑しているのを尻目に、相澤は保護者たちの方を見た。


「皆さん、おつかれさまでした。中々、真に迫っていましたよ」

「いや〜、お恥ずかしい!先生の演技指導の賜物ですわ!」

「緊張しましたわ」


豪快に笑っている麗日の父親のそばでは、責務から解放されたようにホッと息を吐く八百万の母親がいる。その近くでは、蛙吹の父親が爆豪の母親へ声をかけていた。


「爆豪さんがキレた時は、どうなることかと思いましたケロ」

「すみません、つい……」


先程まで恐怖に慄いていたはずの保護者たちが、急に和気藹々と話しはじめる。ついていけない生徒たちは、ぽかんとした顔を浮かべている。そんな彼らに、相澤は先程の出来事は全てドッキリであったのだと告げた。犯人は劇団の人に頼んで来てもらい、保護者にもあらかじめ説明をしてあったのだと言う。犯人役であった男は、黒マスクマントの姿で謝りながら、可愛らしく首を傾げていた。


「ちょっと待ってください!流石にやりすぎなのでは……!?一歩間違えば、怪我どころではすみません!」

「万が一には備えてある。やりすぎってことはない。プロのヒーローは常に危険と隣り合わせだからな。ヌルい授業が何の身になる」


躊躇いながらも抗議した八百万に、相澤は淡々と答えた。そして彼女をじっと見つめたと思うと、ゆっくりと口を開き、家族に何かあったらと思うと怖かったかと尋ねた。八百万は、神妙に頷いた。


「身近な家族の大切さは、口で言ってもわからない。失くしそうになって初めて気付くことができるんだ。今回はそれを実感してほしかった」


相澤は生徒たちを見回しながら、人を救けるには力、技術、知識、判断力が不可欠であると語った。しかし判断力は感情に左右されやすく、仮に皆が将来ヒーローになれたとして、自分の大切な家族が危険な目に遭っていても取り乱すことなく、無事救出できるかを学ぶ授業であったのだと。


「冷静なだけじゃヒーローは務まらない。救けようとする誰かは、ただの命じゃない。大切な家族が待っている誰かなんだ。それを肝に銘じておけ」


相澤の言葉をじっと聞いていた生徒たちは、皆神妙に頷き、返事をした。

皆、大切な家族を持っている。皆、大切な家族が待っている。自分はその誰かを救うことが、果たして可能なのか。傷つけることの方が得意な自分が。もし“個性”の解除が遅れていたらと考えると、水世は恐ろしくて仕方がなかった。


「で、結果的には全員救けることができたが、もうちょっとやりようあっただろ」

「は?」

「犯人は一人だぞ。わらわらしすぎだ。無駄な時間が多い。それにスタンガン?もっと合理的なもんがあるだろ。それから犯人の注意を引きつけるのに、話しかける一辺倒は芸がなさすぎる」


相澤は先程の生徒たちの行動から良くない点を並べ立てたが、ギリギリ合格だと告げた。一応貰ったその言葉に、皆頬を緩ませる。だが今日の反省点をレポートにまとめ、明日提出するようにという指示に、疲れきった生徒たちが不満の声を上げた。


「あ、あの、感謝の手紙の朗読は……!ドッキリをカモフラージュするための合理的虚偽だったのですか!?」

「改めて手紙を書くことで、普段より家族のことを考えただろ?」


食い下がった飯田だったが、相澤の言葉にあっさりと深く納得した。ちょうどその時、授業終了のチャイムが鳴り響いた。相澤はそれを聞いて、今日はこのまま解散だと告げると、保護者にお礼を伝え、一礼した。保護者もまた相澤へ礼を返すと、それぞれの生徒が保護者のもとへと向かった。

母親に褒められ誇らしげにしている飯田の近くでは、麗日が父親に背をさすられている。その近くでは爆豪が母親と言い争い、少し離れた場所では、轟が姉と話していた。

水世が外していたボタンを留め直していると、相澤が彼女に声をかけた。不思議そうにする彼女に、彼は周囲を見渡すと、小声でついてくるように言った。

連れてこられた場所は、相澤が隠れていた倒壊したビルの陰だ。何か個別で叱咤されるのかと思っていた水世だったが、陰からひょっこり顔を出した人物に、目を大きく見開いた。


「重世さん……?何故ここに……」


ずっとこの場にいたのか、重世の姿に水世は呆然とする。彼女は授業参観について重世に伝えていない。当然プリントだって見せていないし、それは伊世も同様だ。そのためどうしてここに、と水世は驚きを顔に浮かべた。


「相澤先生から、授業参観のことについて電話はもらってたんだよ。とは言え俺はプロヒーロー。職業病で人質なこと忘れて、色々やっちまいそうでな。それに俺がいたら、おまえは裏があるんじゃないかと疑うだろ?」


重世の指摘に、水世は小さく頷いた。重世は素顔を隠してヒーローをやっている。そんな彼ではあるが、ああいった状況に陥った時、身バレなど関係無しにヒーローとして人質を救ける行動を取ることを水世は理解している。そんな彼がおとなしく捕まったままであったなら、重世の言う通り、何かあるのではないかと疑っていたことだろう。

それを重世は相澤へ説明し、こうして陰から授業参観の様子を見ていたらしい。なるほどと頷いた彼女は、重世の時間を割いてしまったことを謝った。重世はそんな水世の頭を撫でながら、困ったような顔を浮かべた。


「誘、おまえ、ちゃんと書いてきたのか」

「え?あ、はい……一応……」


相澤が何を指しているのか理解した水世が頷くと、彼はそれを重世に渡すように告げた。「え」と渋っている彼女に、相澤はバスを待たせるから早くしろと急かす。水世は眉を下げると、恐る恐るブレザーのポケットに入れていた二枚の封筒の内の、真っ白な方を取り出した。


「生徒には、授業参観では、保護者への感謝の手紙を朗読すると伝えていました。今回家族の大切さを実感させる授業。しかし人質の中に水世さんの保護者はいませんでしたので」

「……俺に?」


無言で頷きながら、手紙をゆっくりと差し出した水世に、重世は驚いたような顔を浮かべた。だがすぐに優しく笑うと、その手紙をしっかりと受け取った。相澤はそれを見届けると水世へバスの方へ向かうよう促した。彼女は二人に一度頭を下げると、逃げるようにその場を去っていった。

重世が中身を取り出せば、一枚の紙が入っていた。そこにはたったの一文しか書かれていない。


「『そばにいることを許していただき、ありがとうございます』な……」


言葉の真意はすぐに読めた。彼女の言う「そば」とはきっと、重世ではなく伊世のだ。授業参観の電話を貰った際に、相澤から水世が言っていた話を思い出し、重世は難しい表情を浮かべた。


「ツケが回ってきた感じだな、こりゃ……どうするか……問題は、やっぱ根深いな……」

「その件についてなんですが、折り入って頼みが……」


相澤から頼まれた内容に、重世は目をぱちりと瞬かせた。













バスに揺られて校舎へ戻った生徒たちは、保護者と教室へと移動していく。和気藹々とした空気感を肌で感じながら、水世は一人靴を履き替えていた。


「水世ちゃん!」


床で爪先をトントンと叩いていた水世に、葉隠が大きく手を振りながら駆け寄った。そんな彼女のそばには、大人サイズのスーツが。


「この子が誘水世ちゃん!」

「初めまして、いつも透がお世話になってます」

「い、いえ……こちらこそ……」


一人でに動いているように見えるスーツは、恐らく葉隠の父親なのだろう。親子揃って透明人間なのかと水世が目を瞬かせていれば、今度は八百万が水世に声をかけた。


「水世ちゃん、こちら、私の母です。お母様、以前話した水世ちゃんです」

「まあ、この子が百の……いつも百からお話を伺っております」


頭を下げる八百万の母親に、水世も慌てて頭を下げて微笑んだ。八百万と葉隠は自身の親に水世のことを好印象に語っていたようで、少し胸が痛んだような気がした。

二組の親子に囲まれて教室へ戻った水世に、飯田が声をかけた。そして今度は飯田の母親と挨拶を交わし、次は切島、今度は蛙吹、と何故かクラスメイトの保護者に挨拶回りのようなことをしている状況に、水世は内心困惑でいっぱいだった。


「出久からたまに話は聞いてます。本当にすごい“個性”をお持ちで……!」

「緑谷くんの“個性”だってすごいです。それに、“個性”だけじゃなくて、彼の精神力や観察力も。今回だって、彼の作戦のおかげで無事保護者の方々を救けることができましたから」


照れている緑谷のそばで、水世が緑谷の母親と言葉を交わしていれば、薄っぺら野郎!と以前爆豪から言われた蔑称のようなものを呼ばれた。彼の方を向けば、思いきり睨みつけられる。ただでさえ目つきの悪い瞳が、余計に悪くなっていた。水世は苦笑い気味にどうかしたかと首を傾げた。


「他に何隠し持ってんのか知らねえがな……言っとくが、俺の方が断然強え。てめェがあん時炎を消さなくとも、俺は自分で対処できてた」


ハッキリ断言する爆豪に、水世はとりあえず頷いておいた。それがまたも彼の怒りを煽ったのか、爆豪のこめかみに青筋が立った。


「強“個性”を持ってながら、中身はソレに一切伴わねえ。そこも気に食わねえが、一人、てめェだけはずっと冷静ぶって檻を見てたよな?なんも感じてねえような面で。その観客気分な目が一番頭にくんだよ……欠陥でもあるんじゃねえのか?アァ?」


欠陥。その言葉は、思いの外深く刺さったが、なんだか的を射ているような気もした。

言いたい放題な爆豪に周りもハラハラしており、流石に言い過ぎだと切島や瀬呂が注意をしようと口を開いた。だが爆豪の母親が背後から彼の頭に思いきり拳骨を入れたことで、二人の口から言葉は出てこなかった。


「っ、何すんだクソババア!」

「アンタが失礼なこと言ってるからでしょ!ごめんね、うちの息子が。この子の言うこと、気にしなくていいから。あの時はありがとね、助かったよ」

「……いえ、そんな……」


爆豪を叱りつけた彼の母親は、からりとした笑みを水世へ向けた。そして爆豪に、ちゃんとお礼を言わないかと再び怒号を飛ばす。彼は水世に助けられた形になったことが随分と不服なようで、頑なに口を開かないでいる。そんな息子の様子に、爆豪の母親が眉を釣り上げた時。水世が慌てて制止した。


「あの、大丈夫です。私が何かしなくても、確かに自分で対処できてたと思いますから」

「思うじゃなくて実際にできんだよ」

「勝己!負け惜しみみたいなみっともないこと言うのやめな!」

「負け惜しみじゃねえよクソババア!」


言い合いを始めてしまった爆豪親子に、水世は二人を交互に見ながら眉を下げた。流石に助け舟を出そうかと緑谷が水世に声をかけようとしたが、水世が「あの……!」と言い合う二人に声をかけたことで、緑谷の開いた口から声は出なかった。


「私、気にしてませんから。あ、いや、上から目線とか眼中にないとかではなくて……むしろ、ちょっと驚いてて……私みたいなのを、爆豪くんが眼中に入れてるんだなって」


普段の行いやら性格やらはどうあれ、爆豪の実力はクラスの中でもトップクラスだ。彼の過剰な自信も頷けるほどに。そんな彼が敵意を向ける相手は、何かしらで自分が負けたかのような気分を味合わせた相手。それは、実力があると認めた相手であると似たような意味合いを持つように、水世には感じた。


「私なんかより、ずっとずっと高くて、遠いものを見てると思うんです。だからこそのストイックさとか、完璧主義とか、強い意志や強固な決意だなって思います。そんな彼が、私に多少なりとも気を向けてるのって、ちょっと嬉しいです」


だってそれはつまり、欠陥品だとしても、多少なりとも、自分には踏み台としての価値があるということだろう。その言葉は心の中で呟きながら、水世は笑みを浮かべた。そして一度頭を下げると、緑谷親子にも一礼して、自分の席へ戻っていった。

教室内の空気が少し微妙なものへと変わったものの、爆豪親子の言い争いが始まったことで、少しずつ張り詰めたような空気は解けていく。

妙に疲れたような気がしながら、水世は少し息を吐いた。今日はぐっすりと眠れるのではないかとさえ思う。しかし生意気なことを言ってしまったため、爆豪には今までよりも余計に敵視されそうだと、水世は少し心配になった。


「誘、今いいか」


見計らったように寄ってきた轟に頷けば、彼は水世の手を取って斜め前の自身の席へ移動した。轟は自分の姉の前に水世を連れてくると、一言「誘」と告げた。そして水世には姉を指差し「姉貴」と。その紹介方法は些か大雑把なのではないかと水世は思いつつ、不思議そうに自身を見ている女性に会釈をした。轟とは少し違い、白髪に所々赤毛の入り混じった、眼鏡をかけた優しそうな女性だ。


「誘水世です、初めまして」

「焦凍の姉の冬美です。いつも焦凍がお世話になってます」

「いえ、そんなことは……私の方こそ、轟くんと仲良くさせてもらってます」


パッと轟が水世の方を見た。そのままじっと見つめられており、いつぞやの昼食の時のようだ。水世が視線をそちらへ向けると、嬉しそうと表現すればいいのか。表情は大きく変わっていないのだが、僅かに瞳が輝いているようにも見える。


「轟くん、視線が痛いかな……あと、そろそろ手は離してくれていいと思う」

「俺、おまえと仲良くなれてるのか?」


私の言葉に関してはスルーなのか。水世は前に比べたらそうだと思うと答えながら、マイペースな轟に苦笑いを浮かべた。彼女の言葉に喜んでいるようで、僅かに彼の瞳が緩んだ。それを見た冬美は、弟と水世とを交互に見て、何かを察したようで、口元を緩めた。


「焦凍とは、お友達で?」

「そう、ですね……はい、お友達になれてるんじゃないかなあとは」


焦凍に犬の尻尾が見える……!冬美は普段クールで無愛想な弟の意外な一面に、思わず笑いそうになってしまうのを耐えた。母親へのお土産話が増えたと喜びつつ、彼女は水世の手を握って、今後も弟をよろしくと笑った。