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もしも愚直であれたなら


授業参観当日の朝、教室はどこか浮き足立っているような、緊張や気恥ずかしさに包まれているような空気だった。あちこちで誰が来るだの、親がどうしたのと話が盛り上がっていた。

水世は自分の席で八百万と耳郎と話をしていた。八百万は昨日、麗日と蛙吹とスーパーに行き、そこで万引き犯と出会ったのだと話した。事情があっての行為だったそうで、最終的には上手いこと収まったのだとか。その後、麗日からお餅料理をご馳走になったと。


「聞いてくれよ、緑谷!常闇、ロリコンだったんだよ……!」


近くから聞こえてきた言葉に、水世たちが言葉を止めた。常闇の席に集まっていた飯田、峰田、上鳴のそばに、緑谷と轟がいる。どういう話をしていたのかわからないが、いったい何がどうなったら常闇がロリコンという話になるのだろうかと水世は首を傾げた。


「違う違う、常闇が幼稚園児に告られたの」

「え、なんで?」

「まぁそれは話せば長くなるのだが、出会いはどこに転がっているかわからない。だが、とりあえず言えるのは、常闇くんはロリコンではないということだ」


上鳴と飯田の訂正で、なんとなく事情はわかった。だが峰田は食い下がるように、二十年後ならばわからないと言い出す。今から理想に育て上げる光源氏計画がどうのなどと呟きはじめ、常闇からは軽蔑の眼差しを向けられながら、それをしたいのはおまえだろうと指摘されている。峰田は否定することなく、むしろ開き直ったように口を開いた。


「あぁ、やれるもんならやりたいね!犯罪にならないギリギリな感じで!」

「峰田はギリギリアウトだろ」


朝から欲望全開な峰田についにスルーできなくなったのか、耳郎は彼らの方を振り返った。その拍子に、彼女の耳たぶから垂れているコードのようなものが揺れる。


「うるせえっ、チッパイは黙ってろ」


鼻で笑った峰田に、耳郎は鬼の形相を浮かべた。水世は飯田と共に、「チッパイ」とはなんだと首を傾げた。飯田の方は実際に疑問を口に出し、上鳴が小さい胸のことだと説明している。


「上鳴っ、んな説明してんなよっ!飯田も聞くなってば!」

「それは失礼した。だが胸は胸だ。大きくても小さくても、気にすることはないぞ」


飯田の言葉に、水世は八百万と一緒に同意して頷いた。


「そうですわ、耳郎さん」

「大きさとか、特に重要なことでもないと思うよ」

「いや、ヤオモモと水世に言われても……」


八百万の胸は、視覚の暴力と言われても仕方ないような、立派な大きさを持っている。水世も八百万ほどではないと言え、自分の手のひらよりは大きなサイズを有していた。そんな二人に励ますように言われたところで、耳郎としては複雑な心境なのだ。

八百万はそんなことよりと、昨日麗日にご馳走してもらったチョコお餅が、思ったよりも美味しかったのだと話した。

そろそろ相澤が教室に来る時間だと、皆が素早く席に着いた。だが、普段から時間ピッタリに来る相澤が、チャイムが鳴り終わってもやってこない。


「遅刻かしら?」

「なっ、見本であるはずの教師が遅刻とは……!これは雄英高校を揺るがす、由々しき事態だぞ、みんな!」


一大事だと立ち上がった飯田は、腕を機関車のように回しながら叫んだ。瀬呂は相澤も先生である前に人間なのだからと宥めるように言うが、飯田はヒートアップしていく。

しかし相澤が遅刻というのは、随分と珍しい。入学してから今までの間で、彼は一度も遅れたことはない。何かあったのではないのかと考えつつも水世は教室の扉が開くのを待った。しかしHR終了のチャイムが鳴り終わっても、相澤が現れない。そのことに、流石におかしいと教室がざわつきはじめる。


「そういえば……そろそろ保護者が来てもいい時間じゃありません?」


始まるまでの時間はまだあるが、保護者が誰一人姿を見せない、というのはおかしな話ではある。しかし雄英高校は広い。普段学校に来ることのない保護者が迷っている可能性もないわけではない。飯田は代表して職員室へ行ってくると教室を出ようとした、その時。全員のスマホが一斉に鳴った。

皆が慌てて確認すれば、相澤から一斉送信でメッセージが送られてきている。そこには「今すぐ模擬市街地に来い」と一言書かれていた。何故市街地にという疑問がクラスに浮かんだが、上鳴が、市街地でまとめて授業、つまり手紙の朗読と施設案内をするのではないかと閃いたように言った。

それは合理的なのかと疑問が湧いた水世ではあったが、皆納得している。ひとまず手紙を持って、率先して引率する飯田についていきながら、皆乗り場で待機していたバスに乗り込んだ。

水世は空いていた常闇の隣に腰を下ろした。すると、ひょっこりと黒影が姿を出した。彼が水世の肩をつんつんと叩くので、水世はどうしたのだと目を瞬かせた。


「昨日、おばけ屋敷行ったんダヨ」

「おばけ屋敷……?」


首を傾げた水世に、常闇が経緯を説明した。昨日、飯田、上鳴、峰田と遊園地へ行き、そこで迷子の女の子を母親のもとへ送り届けたらしい。その女の子が母親とおばけ屋敷に行った際に“個性”が発現したらしく、その女の子を助けたのだと。


「どうやら、闇に溶けたり、闇の中で物を自在に操れる類いの“個性”でな」

「俺が見つけたヨ」

「黒影くんが?すごいね、よく見つけれたね」


えっへんとでも言いたげな黒影は、水世の方へと頭を寄せた。そんな彼の行動を水世が不思議そうにしていれば、常闇は何か思い至ったようだった。


「悪いが、撫でてやってくれないか?」


常闇に言われ、水世はよくわからないまま、言われた通り黒影が自ら差し出している頭を撫でた。するとその行動は正解だったようで、黒影が目を細め、心なし気持ちよさそうにしている。


「体育祭のときに黒影を撫でただろう?恐らく、それが気に入ったんだろう。普段され慣れていないからな」

「なるほど……?」


黒影は基本的に常闇が戦う際に現れるため、戦っている姿を多く見てきた。しかしこうして見ると意外と表情豊かで可愛らしい。水世は黒影の頭を撫でながら、こうして常闇の意思とは関係なく、自身の意思で行動するのだから、本当に別個体なのだと実感した。


「それにしても、どうやって女の子を見つけたの?」

「同じく闇に属す者同士、通じ合ったのだろう」

「……黒影くんは、闇に敏感、ってこと……?」


水世は一瞬で、血の気が引くような思いを感じた。常闇は女の子に気付かなかったが、黒影は闇の中で怯える女の子に気付いたそうだ。それもまた彼らが別個体だと表している。黒影は、常闇の感じることのできない闇に、見えない闇に、気付くことができるということか。

もしそうだとするならば、彼は自分にも気付いている可能性がある。そういうことではないのか。水世はすごいねと笑ったが、内心は焦りや恐怖でいっぱいだった。何せ自分は闇の塊のようなものなのだ。闇に敏感な黒影が、自分の中身に気付かないわけがない。

頭を撫でられて穏やかにしている黒影が自身の天敵のように見える。彼の方へ水世が視線を落とすと、ぱちりと彼の目が水世を捉えた。瞬間、思い込みかもしれないが、彼女は全部を見透かされたような気分に陥った。


「闇は友達ダヨ」

「……え?」

「友達!」


瞳をぱちくりとさせて素っ頓狂な声をこぼした水世に、黒影はオウムのように「友達」と同じ言葉を楽しげに繰り返した。


「…………私も、友達?黒影くんの」

「ミズセも友達ダヨ!」


付け加えるように、「ミズセとフミカゲも、友達!」と黒影は言った。その言葉になんと返せばいいのかと口をパクパクさせた水世は、結局お礼しか言えなかった。

闇は友達。そんな考えを浮かべたことはないし、まず考えたことさえない。闇は人にとってのマイナスを司る。光の対極、昼夜の夜、生死の死、善悪の悪。そうした負のエネルギー、負のオーラが闇だ。人を飲み込み、光をかき消し、そうして堕とす。そんな闇が友達なんて、水世にはとても思えなかったし、言えなかった。


《何においても、闇は切っても切り離せない。おまえだけじゃない、他の奴らにも存在してる。それらを受け入れることができるかできないかの話さ》

《……私の場合は、規模が違う》


じんわりと広がっていく熱と、ズキズキした痛みとが、同時に水世の胸を襲っていく。「友達」という言葉が嬉しかったのだろう。しかしそれと同時に、苦しくもあったのだろう。周囲は自分を友人と認識してくれているという事実は、水世に複雑な感情を覚えさせていった。