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ガヤガヤと騒がしくなった教室を早々に出ていった伊世は、食堂へと移動した。相変わらずいつ来ても人でごった返しているこの場所は、正直得意ではない。もう少し静かな場所で食事をしたいというのが彼の本音だ。しかしながら彼は弁当を持ってきていないため、こうして食堂で昼をとるしかない。

毎日の食事は、双子の妹である水世が作っている。食事だけではなく、洗濯だとか掃除だとか、諸々の家事を水世が行なっている。

伊世は運動も勉強も平均以上にこなせるし、趣味で描いている絵の腕も中々なものだ。そんな彼だが、生活力はなかった。伊世には弁当を作れるほどの料理の腕がないのだ。洗濯も洗い分けなんて考えはない。彼がしているのは、精々食器洗いや洗濯物をたたむ、もしくは風呂掃除くらいである。弁当は全て冷凍食品で済ませればいい話でもあるが、伊世は低血圧で朝にすこぶる弱い。そのため彼には、朝早く起きて自分の弁当を作るということができそうになかった。

しかし、水世に作ってほしいと頼むことはしなかった。彼が頼まずとも彼女は伊世の弁当を作ろうとしていたが、それを伊世自身が断ったのだ。日々の家事に学業が加わり、時には実技も行われる学校生活からくる水世への負担を考えてのことだったが、それが彼女には微塵も伝わっていなかったりする。

そもそも伊世は言葉足らずな面がある。基本的に水世のためを思っての行動であるというのに、彼女へ伝える時の言葉はぶっきら棒なことも多い。互いが互いのためにと思っているがすれ違っているのは、水世自身だけでなく、伊世側にも問題があるだろう。


「なあ、おまえ……誘だよな?誘の、兄の方の誘」


空いていたテーブルにざるうどんを置いた伊世は、掴まれた肩に眉を寄せながら振り返った。

紅白色に分かれた左右の髪色、オッドアイ、左目の火傷。A組の轟焦凍だと、伊世は即座に脳内検索を弾き出した。彼の後ろには同じくA組の飯田、緑谷がいる。


「轟くん、それでは言い方が少しややこしくないか?」

「確かにそうだな……じゃあ、誘の兄と誘の妹か?」

「それなら、誘くんのことを言っているとわかるな!区別もできているためわかりやすく、尚且つややこしくない」

「飯田くんの言い方だと、誘さんなのか誘くんなのか、わからないよ……」


ハッとした飯田は、確かにそうだと大きく頷いている。伊世はその様子を見せられながら、こいつらは何故話しかけてきたのだと呆れた視線を向けた。

伊世が彼らのやり取りを無視して腰を下ろせば、椅子を引く音に気付いたのだろう、三人はパッと伊世の方を見た。すると轟は、伊世の向かい側に腰を下ろした。その隣に緑谷、伊世の隣に飯田と、何故かA組の三人に囲われるような形となった状態に、伊世は思わず「は?」と素っ頓狂な声を上げた。


「……何で一緒に食べる流れになってんだ?」

「あ、悪い。座った」

「事後報告じゃなくて事前報告しろよ、常識だろ……」


反省のはの字も見えない轟にやや怒りを覚えつつも、伊世はグッと耐えた。既にざるそばを食べだしている目の前の男に席を移動しろと言っても聞かないだろうことは察していたため、伊世は諦めてうどんを啜った。


「おまえら、俺に話でもあるのか?たとえば……水世についてとか」


麺汁の味に物足りなさを感じた伊世は、薬味を加えながら三人に尋ねた。僅かに視線を目の前の轟へ向けてみれば、彼は瞳をぱちくりとさせている。体育祭で見たときは無愛想な男だと感じたが、存外表情に出やすいタイプなのかと、伊世は少しばかり目の前の男に意外性を感じた。


「よくわかったな……おまえの“個性”、エスパーとかもあんのか?」

「考えればわかる。俺とおまえらの接点なんざ、水世以外ないだろ」


一応聞くだけ聞いてやろう。そんな姿勢で伊世は彼らを促した。ズズッと音を立てながらそばを啜った轟は、それを咀嚼して飲み込むと、誘は、と口を開いた。だがすぐにハッとして、誘の妹はといい直した。


「家では何してんだ?」

「……聞きたいこと、そんだけ?」

「いや、色々あるけど、まずは家で何してんのかなって」

「色々あんのかよ」

「色々ある」


何だこいつ。そんなことを思いながら、伊世は緑谷と飯田の方を見た。目でおまえらは何用なのだと訴えれば、緑谷は察したのだろう、少し慌てはじめた。


「僕らは、なんていうか……付き添いっていうか……」

「三人で食堂に来ていたんだが、轟くんが君を見つけて声をかけにいったんだ」


なるほど、一種の巻き込まれか。伊世は視線を轟へ戻すと、何故水世について知りたいのかを聞いてみた。それくらいなら本人に聞けばいいだけのことだ。本当のことを本人が話すかは別ではあるが、何かしらの返答はあるのだから。

轟は数秒考えると、伊世から見た水世も知りたいのだと呟いた。学校外の様子に関して、彼女の性格など、本人に聞いてもわからないようなことを、よく知っているだろう伊世から聞きたかったのだと。


「俺、アイツと仲良くなりてえんだよ。一応メッセージ送ってみたりして、今何してんのか聞いてはいるけど、普段どんな感じなのか知りてえなって」

「アレはおまえか」


頼まれたからと水世が手作りで饅頭を作っていたのも、ここ最近彼女のスマホから通知音が頻繁になるのも、全ては目の前の不思議そうな顔をしている男が元凶であった。てっきりクラスの女子なのだろうと思い込んでいた伊世は、まさか男だったという事実に僅かながらショックにも似た何かを覚えた。

額に手を当てつつも、深く息を吐いて冷静さを繋ぎ止めた伊世は、今度は何故水世と仲良くなりたいのかを聞いた。すると轟の雰囲気が、僅かに柔らかいものへ変わる。


「……アイツの言葉で、目が覚めた。それに、背中も押してもらった」

「それは俺も同じだ。彼女の言葉に励みを貰った」

「僕も、誘さんから、ちょっと自信貰ったかも……些細な言葉だったけど、すごく嬉しかった」


自分の知らないところで、恐らく水世自身も他意や自覚のないままに、他者に変化や喜びを与えている。水世は自分が絡むと、途端に嘘をついて様々なことを隠す。だが、他者への評価に関しては嘘をつかない。そのため彼らへと向けた言葉は紛れもなく水世の本音であり、本心なのだろう。だからこそ、彼らの心へ響いた。

面白くないと表情に出しながら、伊世はうどんを食べ進める。麺汁はしっかり自分好みの味になっていて、そういえば自宅で食べるときはこうして調味料を付け足すことはしていないな、と不意に思い出した。水世が伊世の味の好みをしっかりと理解している証拠なのだろう。


「それで、誘の妹と仲良くなりてえと思って。だからか、アイツのこと色々知りたくなって、気付いたら見ちまってる。ふとした時に、今何してんのかとかも気になる。あと、アイツの周りだけキラキラしてる」

「キラキラ?誘くんの周りだけ?」

「ああ。なんか、こう……キラキラ……」

「不可解な現象だな……特定の人物の周りだけ輝いているというのは、聞いたことがない……」


天然と真面目が関わると二重で面倒だということを学びながら、伊世は思いきり顔をしかめた。轟の言っているそれは、そういうことではないのか。指摘したら気付かなくていいことに気付きそうなので言わないが、逆にそこまで要素が揃っていて何故わからないのかも疑問だった。

対して緑谷は若干察したのか、何とも言えない表情で、真面目な顔をして考えている轟と飯田を見つめている。後で答えを言われても面倒だと、伊世は緑谷に黙っていろと視線で告げた。彼はビクッとしつつも何度も首を縦に動かして、彼の視線の意図を汲んだ。


「別に……特別何かしてることはない。おまえ、メッセージでやり取りして聞いてんだろ?その通りのことだよ」


食べ終えた伊世は、一方的に話を切り上げようと立ち上がった。何故わざわざ他人に水世のことを教えなければならないのだ。しかも自覚がないだけで「仲良くなりたい」以上の感情を抱いている男に。敵に塩を送る、はまた少し違うかもしれないが、似たようなこと。キューピッドなどになるつもりは彼には毛頭なかった。

文句のようなものを心の中で垂れ流しながら、伊世はトレイを手に、カウンターの方へ向かった。


「お、伊世!おまえも一緒に食おうぜ!」

「もう終わった」

「は!?」


鉄哲と、彼のそばにいた物間や骨抜柔造の横を通り過ぎた伊世は、驚いている鉄哲を無視して、早々に教室へと戻っていった。