- ナノ -

彼の熱が心地よかったの


限界まで背伸びをして、プルプルと足を震わせながら腕をピンと伸ばしている水世は、僅かに眉を寄せて上を睨みつけた。

雄英も当然学校であるのだから、週番というものがヒーロー科にも存在する。水世は今、その仕事である黒板消しを行なっている最中であった。しかし、ギリギリ黒板消しが届かない状況に陥っていた。本当にあと僅かではあるが、ここで粘り続けても自分の身長が伸びるわけではない。

大人しく椅子を持ってこよう。水世が諦めて背伸びをやめた時、彼女が持っていた黒板消しを取られた。水世が振り返ると、背後に障子が立っており、彼女が届かなかった箇所を消してくれた。瞳を何度か瞬かせて驚く水世だったが、ハッとしてお礼を告げた。


「誘の身長では届かないだろう。気にするな」


黒板消しを置いて障子の複製された口が動く。背の高いプレゼント・マイクは、よく上の方に英文を書いていく。そのため背の低い生徒からすれば、チョークを消すのに一苦労である。


「障子くんは背が高いから、こういう場合は苦労なさそうだね」

「こういう場合はな」

「でもそれだけ大きいと、電車に乗るときとか教室に入るとき、頭ぶつけそうにならかった?あと、ブランコ立ち漕ぎするときとか」

「電車や教室の扉などは何度かあったが、ブランコは今は乗らないからな……」

「あっ、そっか……」


イナサは成長しても心が少年のままな部分があった。だからなのか、学校帰りに公園に寄って少し話をして帰ることが日課であったのだが、その際よくブランコに乗っていた。今思えば、ブランコに乗って立ち漕ぎして楽しんでいる男子中学生は、イナサ以外見かけたことがなかった気もする。水世は懐かしさを覚えながら、ブランコに揺れて遊んでいたイナサの姿を思い出して、ふと笑いを漏らした。

障子は思わず目をぱちりと開いて水世を見た。彼女は普段からよく笑うクラスメイトではあったが、いつもはどこか大人びたような、控えめな笑い方をする。それが今は、年相応と言うべきか。普段よりも、どこか幼げな表情であった。

障子の表情に気付いた水世は、慌てて首を横に振った。


「!あの、障子くんのことを笑ったわけじゃないの。知り合いを思い出して……ちょっと思い出し笑いしちゃったっていうか……その子はよく、ブランコ立ち漕ぎしてたから、その子基準で話しちゃったっていうか……」

「面白そうな友人だな」

「面白い、のかな……?でも、まっすぐで元気な子ではあるかも。性格は切島くんにちょっと似てる。体格は……砂藤くんとか、口田くん似かも?」


面白いと言えば面白いのかもしれない。一緒にいて楽しく、それに安心する存在であったのは確かだ。彼も一緒に雄英に通っていたならば、また何か違ったのだろうか。しかし轟のことを思い出し、一緒じゃない方が逆によかったのかもしれないと考え直した。

自分はもしかすると、イナサの件で轟のことをあまり良く思っていなかったのかもしれない。自分でも無意識、無自覚だったが、だから少し彼を怒らせるようなことをしていたのかも。ふと思い至った考えに、少し反省しなくてはと、水世は自分に言い聞かせた。


「……男なのか?」

「うん?うん、男の子。幼馴染って言えばいいのかな」


どこか驚いた風な障子に頷きながら、水世は返事をした。

イナサとは高校は離れてしまったものの、小中学校と一緒の学校だったし、家も近所だった。自分なんかをえらく気にかける彼は変わり者のようにも思えたし、少し世話焼きだったような気もする。現にUSJ襲撃の件がニュースで流れてから、水世を心配したイナサから連絡がきた。

定期的に互いの近況報告はしていた。だが轟の話題は一切出さず、水世は正直、彼のことについてどうするべきかと少し悩んでいたりする。

轟は体育祭の後から、徐々に丸くなっていった。否、本来の彼の性格が表に出てきだしたのだろう。狭まっていた視野が広がり、自分の中に居座っていた様々な感情にも折り合いをつけられるようになっていき、今は吹っ切れているような状態だ。イナサから聞いていた通りの人物像から、少しずつ離れていっている。

しかしそれがわかるのは、クラスメイトという立場から轟を見ることのできる水世だからこそ。イナサの中での彼は未だに推薦入試の時と変わりはない。イナサに轟の話題を振ればきっと機嫌が悪くなるだろうから、それは避けたい。彼の機嫌を損ねてしばらく連絡してもらえないなんてことは、水世は嫌だった。


「聞いている印象からすると、誘とは正反対なイメージだな。その幼馴染は」

「そう?」

「ああ。だが、だからこそバランスが取れているのかもしれないな」


バランス?と水世は首を傾げた。障子は頷くと、性格などが正反対なことで、互いの相性が良い場合もあるのだと話した。確かに一理あると水世は頷いた。性格等正反対な者同士は極端に馬が合わない場合もあれど、障子の言う通り仲が良くなる場合もある。水世とイナサは後者であった。


「誘は、その幼馴染が好きなんだな」

「え?」

「幼馴染の話をしていると、楽しそうに見える」


障子の言葉に、水世は自分の頬に触れた。そんなに緩んだ顔をしていたのだろうかと首を傾げつつも、彼の言葉に頷いた。


「そうだね……うん。彼は、結構好き」


眉を下げながらはにかんだ水世に、障子は「仲が良いのは、いいことだ」と頷いた。マスクで見えないが、なんとなく彼も笑んでいるように水世には見えた。


「誰が好きなの?」


突然の第三者の声に、水世は大袈裟に肩を跳ねさせた。振り返れば、瞳を輝かせていそうな葉隠がいる。彼女はグイグイッと水世に詰め寄ると、「障子くんと恋バナ?誰のお話〜?」と嬉々としている。こいばな?と首を傾げつつ、水世は幼馴染の話をしていたのだと話した。すると葉隠は、幼馴染!と楽しそうに声を上げた。


「水世ちゃん、幼馴染いるの?どんな子?」

「元気、かな……良くも悪くもまっすぐで、豪快」

「体育会系って感じだね!水世ちゃんはその幼馴染くん、好きなの?」


水世が頷くと、葉隠はわーっとテンションを上げる。そんな彼女の反応を、水世は不思議そうに見つめた。互いの認識に齟齬があると察した障子は、水世の方に深い意味はないということを告げた。

ヒーロー科に所属していれどやはり女の子。思春期の女の子たちは恋愛関連の話が好きなのだ。異性の幼馴染は少女漫画でも王道な関係性。そういう話に繋げてしまうのも、無理はないのだろう。


「何々、水世幼馴染の彼氏いるの?」

「え、誘って彼氏持ちだったの?」

「異性同士の幼馴染……気兼ねなく、何の疑いをかけられることもなく女子の部屋に……」


話に参戦した芦戸、上鳴、峰田に、水世は少し話がややこしくなっていきそうな予感を覚えた。芦戸は期待のこもった瞳を水世へ向け、上鳴はややショックを受けたような表情を浮かべている。峰田に至ってはあらぬ妄想をして一人で悦に浸っている。誤解が誤解を招いていきそうな状況に傾きかけており、水世は慌てて首を横に振った。

水世とイナサはただの幼馴染で、芦戸や葉隠が期待するような関係ではない。そして水世には恋人はいない。苦笑い気味に説明をすれば、芦戸とは葉隠は少しガッカリしたようではあったが、それでも水世の幼馴染の話に興味を示している。


「お家ってやっぱ隣同士?」

「かっこいい?どんなタイプ?」

「異性同士の幼馴染ってなんかいいよな……俺もかわいい幼馴染ほしかったー!」

「女子の部屋を合法的に物色……しかも生着替えまで見れちまう……サイコーじゃねえか幼馴染!!」


後半二人にはどう反応しろと言うのか。水世は眉を下げながら困り果てていれば、障子が複製腕で峰田をキュッと締め上げた。そして水世に日誌を書いた方がいいのではないかと言って、彼女の机を指差した。確かにそうだと頷いた彼女は、日誌があるからと断りを入れて、自分の机に駆けるように戻った。