- ナノ -

家族なんて名ばかりの鎖


「ヤオモモのお家は誰が来るの〜?」

「うちは、母が。そういう行事は全部母が来てくれますの」


食堂から戻ってきた水世は、八百万と葉隠と一緒に授業参観についての話をしていた。保護者への感謝の手紙という題材は、今更改まって書くとなると気恥ずかしいもので、葉隠は両頬――見えないため確かなことは言えないが――に手を当てて、何を書こうかと悩んでいるようだった。

八百万の方は、伝えたい感謝が多くて収めるのが大変だと悩んでいる。朗読もするため、あまり長すぎては他の人の時間を取ってしまうし、かと言って短すぎては感謝の念が伝わらない、と。


「枚数の制限がありませんから、何枚くらいがいいのか……」

「多くても、三枚くらいじゃないかな?」


感謝の手紙を書くのは小学生以来!なんてこぼしながら、葉隠は内容を考えている。確かに小学生の時は、水世も授業の一環で書いたことがあった。いや、そもそも授業の一環でしか書く機会はなく、普段から書こうと感じたこともなかった。


「普段、手紙で感謝を書くなんてないもんね」

「そう!だからいざこういう時、何書けばいいんだろ〜って悩む」

「ここまで育ててくれたことに対しての、お礼を認めてみては?」


恐らく握り拳を作っているのだろう。胸元辺りでガッツポーズをするように、両手にグッと力を入れた葉隠は、色々考えてみる、と呟いた。


「そういえば、水世ちゃんのお家は、誰が来るの?」

「私の家は、誰も」

「ご両親は、どちらも来られないのですか?」

「うん」


何故か八百万の方が悲しそうな顔をしていて、水世は気にする必要はないと笑った。今までこういった行事に誰かが自分を見に来るなんてことはなかったのだから、今更悲しむことも、寂しがることもないのだ。


《あの男にでも知らせてみりゃいいじゃねえか》

《重世さんは忙しいから。私になんかに時間を使ってもらう必要はないよ》


ヒーローはいつ出動要請が送られてくるかわからない。毎日毎日敵犯罪のニュースは流れており、事件は後を絶たないのだから。尚且つ重世は事務所のリーダーであり、所謂社長。そんな彼に授業参観に来てほしいと頼むのは申し訳ない。そもそも、誰かに観に来てほしいわけでもないという気持ちもあった。

しかしそうなると、やはり問題は感謝の手紙の宛先だった。脳内で満月と会話をしながら水世が考えていれば、八百万と葉隠が彼女の名前を呼んだ。考え事に少し意識を持っていっていた水世は、僅かに肩を跳ねさせて驚いた。


「水世ちゃんのこと、私の母に紹介いたしますわね!母にお話したら、とっても会いたがっていましたの」

「私も私もー!水世ちゃんのこと紹介する!」

「えっと……ありがとう……?」


気を遣わせてしまったのだろうか。だとすると、申し訳なさを覚える。大きく揺れる葉隠の制服の袖口を眺めながら、水世は眉を下げて笑った。













職員室を訪れていた水世は、対応してくれた13号に相澤はいるかと聞いた。彼は自分のデスクで諸々作業をしていた。時間がないのであればまた空いた時にでもと思ったが、水世を見て席を立ったため、作業の邪魔をしてしまったことに少し罪悪感を感じた。

水世が職員室を訪れた理由は、授業参観についての質問であった。その際に行われる感謝の手紙の朗読は、全員がしなくてはならないのか、と。相澤は不審げに眉をひそめると、当然だと即座に答えた。


「それを聞きたくてわざわざ来たのか?もし朗読が全員じゃなけりゃ、どうしたんだ」

「……恐らく、手紙を書きません」


グッと眉間にしわを寄せた相澤に、水世は少し考えるような仕草を見せた。そして彼に、自分のことについてどれだけ知っているかを尋ねた。相澤は数秒ほど黙り、「入学前に、兄の方に大体のことは聞いてる」と答えた。


「でしたら話が早いです。私と誘家は、戸籍上は『家族』とカテゴライズされます。それは確かに事実です。ですが、私と彼らは『家族』ではない……十年ほど前に、そう言い渡されています」


血の繋がりは確かに存在する。本来ならば血を分けた兄妹、血を分けた家族。しかし、血の繋がりがあるから、書面上がそうだからと言って真に家族なのかと問われると、水世はそうではないのだろうと首を振る。何故かと聞かれたなら、当人たちの意識の問題であるからとしか答えられない。

血の繋がりがなくとも家族としての絆を築いている家庭もあるだろう。逆に、血の繋がりがあっても冷え切った関係の家庭もある。全ては当人の意識の違いに他ならないのだと、水世は気付いた。故に、自分と誘家は事実上家族であっても、当人の間にあったその繋がりなどとっくに切れてしまっていることを、彼女は知っていた。

水世の言葉に頭を掻いた相澤は、いつもの気怠げな瞳で彼女を見下ろすと、一つため息を落とした。


「手紙は書いておけ。おまえの家庭が複雑なのは、詳しくとは言わないが把握はしてる。だが、兄貴と住んでんだろ。おまえの生活費だとか学費は兄貴が負担してるはずだ。それに対して感謝の念がないような冷徹な子どもでもないだろ、おまえは」

「……そう、ですね…………ちょっと、内容を考えてみます」


失礼しました。そう頭を下げた水世は、職員室を出た。

相澤の言葉は最もだ。彼に養われていることを考えれば、家族ではないが、保護者ではある。しかしやはり、わざわざ自分のために時間を割いてもらうのは憚られた。手紙も、どんなことを書けばいいのかわからない。


《適当に、嘘でも感謝を並べ立てときゃいいんだよ。おまえ、もっと小さい時はスラスラ書いてたじゃねえか》


小学生の頃のことを言っているのだろう。確かに小学生の時に授業で書かされた家族宛の感謝の手紙は、水世はこうも悩むことはなく書くことができていた。


《あん時の手紙の内容、どれもされてないことばっかだったしなあ……いや、生まれて数年の間ならされてたから、強ち嘘ってわけでもないか》

《記憶は、あんまりないけどね》

《そりゃそうだろうさ。何せあのジジイとババアは、おまえが言葉を覚えだした頃には、既におまえのことを気味悪がってた》


「一緒に遊んでくれた」ことも、「子守唄を歌ってくれた」ことも、「誕生日を祝ってくれた」ことも、重世や両親と呼ぶべき二人にされたわけではない。一度もされたことがないわけではないのだが、されてないことの方が数としては多いことは確かだった。水世自身が覚えている範囲では、記憶の中には残っていないのだから。

朗読する以上、クラスメイトだけではなく、その保護者にも当然聞かれる。だとするとおかしなことを書くわけにはいかない。周りよりも慎重に言葉を選ばなければ。本人に聞かれることはないし、見せるわけでもないが、周囲に不信感を抱かせるわけにもいかない。

高々手紙くらいでこうも悩む日が来ようとは、水世は予想もしていなかった。自分の番がくる前に授業が終わってくれたら、それが一番いいのだけれど。出席番号順ではなくて席順だったら、少なからず可能性がないわけではないはず。


《どうにかしてでも読みたかねえのか、それとも書きたかねえのか……あの男が知ったら泣くぜ?》

《そんなわけないよ。きっと、伊世くんからの感謝の手紙の方が嬉しいだろうし、もし泣くのなら、そっちの方じゃないかな》

《ああ……それはそれで感涙しそうだな。オレ様としては裏を疑うけどな》


以前ならまだしも、今の伊世が重世への感謝を手紙に綴る姿は正直想像できそうにない。苦々しい表情で手紙を書き、不機嫌を丸出しで朗読している姿の方がずっと簡単に浮かんでくる。


《とりあえず、内容を考えないと……》

《おー、がんばがんば》

《他人事みたいに》

《他人に間違いはねえだろ。体が同じとはいえ、個体は別なんだからな》


それもそうだとつい納得してしまった水世は、少し不貞腐れたように眉を寄せた。