- ナノ -

匿名の運命共同体が嗤う


痛覚は存在していた。不必要な機能だと思っているが、機能していた。手足も痛かったが、腰の痛みが一番大きかったような気がする。血は流れたが、涙は出なかった。不必要な機能だった。


「かわいそうに……おまえは神に見放されてる。人々を救済すると信じられているカミサマ。その存在は、おまえを救いはしないし、愛しもしなかった」


遠のく声と霞む視界で覚えているのは、赤い瞳と――












一週間は、本当にあっという間に過ぎていった。雄英からの合否通知は一斉に送られるが、受験者の住所によっては二日ほどかかる場所もある。伊世と水世は雄英から遠く離れた住所ではないため、通知はすぐに届いた。

雄英高等学校、と書かれた手紙を新聞と一緒にポストから出した水世は、手紙が一枚しかないことを少し疑問に思った。だが気にすることはなく、リビングにいる伊世のもとに戻った。


「伊世くん、合否通知が届いてるよ」


手紙を手渡された伊世は、中に紙とは別に固い物体が入っていることに眉を寄せた。不審に思いながらもそれを開封して中身を取り出せば、プロジェクタのような物が紙と一緒に出てきた。それをテーブルに置いた途端、ブン、という音と一緒に、映像が投影された。


「えー、誘伊世、誘水世。住所同じなんで二人分手紙一枚に入れさせてもらった。結果だがサクッといくぞ。筆記・実技共に申し分無し、合格だ」


投影されたのは、黒い長髪に無精ヒゲのくたびれた男だった。服装まで真っ黒、首元には細長い布を巻いている。恐らく雄英の教職員なのだろう。

彼はどこか気怠げな風に、軽い調子で二人の合格を告げた。そして時間が惜しいとでも言うように、男は手短に、一緒に入っていた書類についての説明を告げていく。水世は紙を手に取り、説明と一緒に一枚一枚確認していった。


「書類説明は以上。提出期限は守るように」


入学についての説明は終わったが、彼から何か言うべきことが残っているようで、投影はまだ続いていた。


「さて、こっからが本題だ。おまえら二人の合格は特例だ。本来ヒーロー科一般入試定員は三十六名。試験結果で上位三十六名を合格させているわけだが……おまえらはこの三十六名には入っていない」


伊世の眉が僅かに動いた。投影されている男は淡々と話を進めていく。


「察しはつくだろうが、ある人物からおまえたちを雄英に入学させてほしいと話がきた。おまえたちの“個性”は両親と類似点は微塵もない突然変異ミューテーション。だが問題はそこじゃない。おまえたちの“個性”そのものが重要だ。話を聞いて、俺ら教師陣も特例措置を求める理由は、まあ理解できた」


しかしだからと言って簡単に了承はできない。男は二人にそう告げた。そのため特例措置を設けるに値するか、先の一般入試試験で見極める、という結論に至る。

筆記試験は難なくクリア。問題は実技試験の方であり、二人の様子を教師陣は注視していた。どちらも戦闘能力に問題はなく、市街への被害も最小限に済ませ、尚且つ倒さなくてもいい0P敵を破壊。ポイントとしても合格に値する数を稼げていた。


「極めつけは、これだ」


男が背後にあったモニターに向けて、いつの間に手にしていたのか、リモコンを押した。そこには雄英の教師だろうプロヒーローたちが集まっている。モニターから聞こえてくる音声に、伊世と水世が僅かに目を丸くした。

一週間前、試験の帰りの会話内容が聞こえてくる。よく見れば、左目に傷があるネズミのような人物が持つスマホから、音声は聞こえてきていた。「通りでクソ野郎が……」と伊世が吐き捨てるように呟いた。


「おまえたちの予想通り、試験で見ていたのは敵Pだけじゃない。もう一つ、救命活動レスキューPも見ていた。試験結果も問題ない、趣旨への理解力もある。これだけできてりゃ、特例措置でもいいだろう、と雄英は判断した」


一般入試の定員三十六名に推薦入学者が加わり、計四十名の入学。しかし今年は特別措置が取られ、伊世と水世は校長の特別推薦として入学することとなった。しかし二人は一般入試を受けてしまっている。そのことについてはどう説明するのだと二人が思っていれば、男はその点についても既に設定はできていると話した。


「こちら側の手違いで、推薦入試受験に間に合わなかった。よって一般入試の方を受けてもらい、おまえたち二人は他の受験者と違い、敵P、救命活動Pのどちらも一定ポイントを取得することが合格条件として提示された。そういう風になってる」


その旨も、通知した手紙の中に記載されているとのことだった。確認すれば、伊世と水世が校長の特別推薦による入学だったが手違いで一般入試を受験していること、その二名は合否判定を他の受験者とは異なるものとしたこと、それにより、今年は一クラス二十一名であることが書かれていた。


「ああ、言い忘れてたが、クラス人数を平等にするため、且つおまえらのためにも、クラスは別にしてある。以上」


その言葉を最後に、投影は消えた。何度か目を瞬かせた二人だったが、伊世は「最後にとんでもない爆弾落としていきやがった……」と呆然としている。水世もまた、男の最後の言葉に不安を感じていた。

ある人物、については二人とも察している。彼が特別措置を求めた理由もわかっている。しかし、だからこそ、自分たちのクラスを離すべきではなかったのではないか。そう感じてはいるものの、抗議したところで聞き入れてはくれないだろう。何より、あの言いようでは既にクラスも決まっているはずだ。


「……ひとまず、書類を片付けようか」

「……ああ」


ボールペンを二本取ってきた水世は、一本を伊世に渡し、カーペットの上に腰を下ろした。書類は二人分入っており、お互い無言で筆記事項を記載していく。中にはヒーローコスチュームについての被服控除の説明もあった。

「個性届」と「身体情報」を提出することで、学校専属のサポート会社がコスチュームを用意してくれる、という生徒にとってはありがたいシステムだ。「要望」を添付することで、便利且つ最新鋭の、自分だけのコスチュームを手に入れることができるのだから。

機能面、デザイン面について詳細に記載したが、ここまで細かに注文をつけてもいいのだろうか。そんなことを考えたが、伊世から、コスチュームの重要性は向こうも当然理解してるはずだと言われ、水世は納得した。

デザインを見直していれば、些か露出が多いものになっていた。しかし特に問題はないだろうと結論付けて、水世は郵送用の封筒を探しに、自分の部屋へ向かった。


《水世。オレ様もアレ着るんだぜ?色はいいが、布面積少ねえレオタードって、おまえ……》

《動きやすいし、装飾がない分邪魔になるものもないから、いいと思って……満月は、嫌なの?》

《現実的なこった。おまえくらいの小娘はデザインも張り切るだろ。いや、無駄に張り切られるよかマシか。あと、オレ様に名前はねえよ》


体がおまえで良かった。そう言うわりには不満タラタラな声に不思議そうに返事をしながら、水世は自室に入って封筒を探した。

声は物心ついた時から聞こえていた。水世には聞こえていた。最初は周りにも聞こえていると思っていたが、自分にしか聞こえないものと気付いたのは、彼女が五歳の時だった。それからは、彼女は声に出して返事をすることをやめ、脳内で返事をするようにした。

別人格ではない。別個体が自分の体に宿っている。故に水世はこの十五年間、声の主と一つの心臓を、一つの体を二人で共有して生きている。彼は名前がないそうで、そのため水世は彼を「満月」と呼んだ。本人は名前はないと否定するが、名前がないと不便なので呼び続けている。

体も主となる個体も水世のものであるが、彼女は満月に対してもどこか控えめであった。いや、彼女がと言うよりは、満月が上から目線という方が正しいのかもしれない。


《あのクソガキとは別々、つまりは最強の制御装置がそばにいねえってことだ。どうすんだ、おまえ》

《一次で抑える》

《へえ……一次で、ね……簡単に言うが、最初はそれで凌げても、後になるたび困難になる。人間には限界があるんだぜ?》


彼女の行く末を想像したのか、満月がケラケラと愉快そうに笑い声を上げた。水世は頭の中で響く笑い声に、脳内で答えることはしなかった。


「伊世くんの、踏み台に、ならないと……伊世くんに迷惑はかけられない。だからなんとしてでも、抑えこんでいないと……」


あっそ。途端に興味を無くしたように、声色のトーンは落ちた。その日は、満月はそれ以上水世に話しかけることはなかった。