及第点にも到達できない
職場体験が終わってしばらくは、それぞれの職場体験についての話で盛り上がっていた。かく言う水世も、上鳴や切島と、職場体験の時の話をしていた。
「まさか鉄哲がいたのには驚いたぜ……」
「指名、二票まで入れることができたみたいだもんね」
「“個性”だけじゃなくて受け入れ先も被るって、おまえら思考回路似てんじゃね?」
ケラケラ笑っている上鳴に、切島は「でもアイツ、中々に漢だぜ!」と、グッと拳を握っている。体育祭の一戦から、彼に感じ入る部分があったのだろう。水世は時折、二人が廊下で話している姿を見かけることがあった。
互いに、職場体験中にどんなことをしたのかと話すと、どこも似たようなものだった。パトロールやゴミ拾い、それにトレーニング。敵退治もあったそうだが、後方支援か避難誘導で、実際の戦闘はやはりさせてはもらえなかったらしい。
「まだ一年生だし、相澤先生も言ってたもんね。将来への興味、って」
「ちょっとしたお試し期間、的な?」
「的な」
一年生はまだ入学したばかり。即戦力としては心ともないため、今どの程度の力があるのか、ヒーローという職業についての細かな説明や、具体的実務等を学ぶことが主なのだろう。
華々しい存在ではあるものの、ヒーロー業界は目立つ敵退治だけが仕事ではない。社会奉仕活動や日々の鍛錬、パトロールや事件対応等のサポートなどなど、そういったメディアでは報道されることの少ない部分も、ヒーローとしての職務である。
「私は、あとは……四日目に保須に行ったかな。敵が大暴れした後始末で」
「後始末?」
「うん。道路とか線路の塀とか色々崩れてたから、その瓦礫撤去。グラヴィタシオンと、サイドキックのテレキスさんと、伊世くんと私で」
とはいえ実際に撤去行為をしたのは、グラヴィタシオンとテレキスの二人だ。水世や伊世は周囲の人除けが仕事だった。あまり危険な行為をさせることはなかった。
話題は職場体験中の出来事から、自分たちを受け入れたヒーローについてへ移った。上鳴や切島の話に相槌を打っていた水世に、二人は同時に視線を向けた。目をぱちくりとする彼女に、上鳴はグイッと顔を近付けた。
「誘さ、グラヴィタシオンの素顔、見た?」
グラヴィタシオンは、フルフェイスのヘルメットで顔を隠しており、素顔がメディアに出たことはない。水世は本人に一度その点のついて尋ねたことがあるが、顔バレしてはろくに外出もできないからだと、笑って話していた。
「いや、ずっとヘルメットつけてたよ」
「マジか、プロ根性すげえ」
プロ根性なのかは知らないが、実際重世は、事務所にいる時でもほとんどずっとヘルメットをつけていた。外していたのは最初の顔合わせの日くらいだ。素顔は既に知ってはいるが、そこはプロヒーローとして徹底していたと考えると、プロ根性という言葉も間違ってはいないのかもしれない。
不意に、教室の扉が開いた。瞬間、皆自身の席へと戻り、着席して前を向く。これからヒーロー基礎学が始まるのだが、教室に入ってきたのはオールマイトではなく、相澤であった。皆が不思議そうにざわついたが、ネットニュースでオールマイトが銀行強盗を逮捕したと上がっていたことを考えると、恐らく遅刻なのだろう。
「今日は俺がヒーロー基礎学を見る。全員体操服に着替えたら、バスの前に集まれ。USJで避難訓練を行う」
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USJの倒壊ゾーンで、皆は避難訓練を行っていた。倒壊ゾーンにあるビルの三階から、地上へと繋がっている袋。避難で使う垂直式救助袋だ。滑り台の要領で、建物の高いところにいる人を地上へと避難させるために使う救助器具である。今回のヒーロー基礎学は、この救助器具の正しい使い方を学ぶことが目的だ。
男子から順に相澤が名前を呼んでいき、呼ばれた者は避難袋に入って、生徒たちがいる三階から相澤のいる地上へと避難するのだ。
緑谷を最後に男子は全員終わり、今度は女子の順番が回ってきた。最初に呼ばれた八百万が難無く地上へ避難すると、水世の名前が呼ばれた。彼女は返事をして、地上へ繋がる袋の中へと入った。
滑り落ちてくる重さに袋がたわむ。なるべく体を小さくして滑りながら、少しの浮遊感のあと、水世は救助袋を出て、無事に着地した。彼女が既に降りていた八百万のそばへ歩み寄っていれば、峰田が何故スカートではないのだと心底残念そうに呟いている声が聞こえた。
「一々スカートが捲れていては授業にならないだろう?動きやすさを重視した体操服で避難訓練をするのは合理的……いや、待てよ。これが現実の避難だと仮定するとスカートを履いている女性は多々いるだろう。なるほど、より現実味を増すためのスカートというわけだな!」
「いや、多分違うと思うよ」
一人自己完結して納得している飯田に、緑谷が苦笑い気味に言った。峰田の考えは煩悩塗れのそれだろう。水世はそう思いながら、八百万の隣で他の女子が降りてくるのを待った。
「つーか、避難訓練なんてクソダリィ」
「何を言ってるんだ、ヒーローたるものいついかなる時でも人命救助は最優先だろう!その人命を救う救助器具を学ぶのはとても重要なこと。有意義な授業じゃないか!」
「知るか。人には向き不向きがあんだよ。俺が敵をぶっ飛ばしてる間に他の奴らがやっときゃいいじゃねーか」
続々女子が降りてきている間、避難訓練を面倒に思っている爆豪の発言から、人一倍正義感の強い飯田とで、ちょっとした言い合いのようなものが起きていた。それを、恐らく悪気はないのだろう轟と上鳴が火に油を注ぎ、収拾のつかない騒ぎとなっている。
「どしたの、アレ」
「ちょっと言い合いが発展した、っていうか……」
救助袋から降りてきた女子たちが、男子側の騒ぎを不思議そうに見ているのに対し、男子たちは止めに入る者、呆れる者とそれぞれの反応を見せる。
「……おまえら、今、何の時間かわかってんのか」
相澤の地を這うように静かな声で、生徒たちは一瞬で姿勢を正し、動きを止めた。彼の瞳は見開かれており、微かに赤みを帯びて皆をじっと見ていた。全員が大人しくなったことを確認すると、相澤は普段通りの無気力そうな目へ戻った。
「向いてるとか向いてねえとかさっき言ってたが、現場でそんな言い訳は通用しねえからな。やること当たり前にできてこそプロヒーローなんだよ」
救助隊は警察が現場に間に合わなかった場合、ヒーローが代わりに避難誘導をすることもある。そうした許可も、プロヒーローには与えられているのだ。相澤の言葉に、葉隠が挙手をしながら救出した方が早いのではと尋ねた。
「誘導するくらい大勢の場合、ということでは?」
「そうだ。一人や二人なら救出は難しくないだろう。だが、大勢いた場合は救助器具が大いに役立つ。いざその時になって使い方が分からねえんじゃ話にならないだろ。だから、一通りの救助器具のカリキュラムがあるんだよ」
わかったか、と名指しで言われた爆豪は、自分なりに最大の譲歩をしたのだろう。小さい声ながらに返事をした。そんな彼のそばでは、緑谷がいつもの癖でブツブツと一人呟いていた。最初は早口で呟く彼の姿に皆驚いていたが、今となっては温かい目で受け入れられているのだから、慣れとは恐ろしいものである。
「じゃ、次は……」
相澤が次の説明をしようとしたが、その声を遮るようにして、空からバリバリと音が響いた。皆驚いて空を見上げれば、ヘリコプターがこちらに向かって降下してきていた。そしてそのヘリから、巨体がバッと飛び降りてきた。
「空から……私が来たー!」
ズシンッ!と大地を轟かせながら着地したのは、本来ならばこのヒーロー基礎学を担当しているオールマイトだった。何故ヘリからと見上げていれば、オールマイトはこれからヘリによる救助訓練を行うと告げた。
「さっすがヒーロー科……」
感心しすぎたのか、返って呆れたように呟いた緑谷の言葉が聞こえた水世は、苦笑いを浮かべた。
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「はい、おつかれ。早速だが、再来週、授業参観を行います」
雄英は何でもかんでも早速だ。水世は瞳をぱちくりとさせるなか、クラスもざわめきが広がっていく。八百万から回ってきたプリントを受け取りながら、水世は概要を見つめた。
「プリントは必ず保護者に渡すように。で、授業内容だが、保護者への感謝の手紙だ。書いてくるように」
相澤の言葉に、一瞬場が静まり返った。だがドッと笑い声が上がる。今時保護者への感謝の手紙など小学生くらいしか書きやしないだろう。皆の総意を述べるように上鳴が明るい調子でこぼすが、相澤がわざわざ冗談を言って無駄な時間を使うとは到底思えない。どうやら本気らしく、手紙は朗読してもらうそうだ。
本気であると悟った生徒たちは、皆困惑を隠せないままざわついていく。そこに飯田がサッと立ち上がって、大きな声で静かにするように叫んだ。一番声が大きいのは飯田であるのだが、それを蛙吹に指摘されると、彼は「ム、それは失礼」と言って続けた。
「しかし先生、みんなの動揺も尤もです。授業参観といえば、いつも受けている授業を保護者に観てもらうもの。それを感謝の手紙の朗読とは、納得がいきません!もっとヒーロー科らしい授業を観てもらうのが本来の目的ではないでしょうか!?」
「ヒーロー科だからだよ」
「それは、どういう……」
「おまえたちが目指しているヒーローは、救けてもらった人から感謝されることが多い。だからこそ、誰かに感謝するという気持ちを改めて考えろってことだ」
救けてもらった人から、感謝。水世は不意に、職場体験の時に会った男の子を思い出した。そして満月の言っていた違いに、もしかしてと首を傾げた。
教室を見回しながら話した相澤に、飯田はなるほど!と一人納得したようだった。相澤の言葉も一理あるために、クラスはもう諦めて承認ムードとなっている。そもそも自由が校風な雄英だ。つまりは何でもありなのだから、一々動揺していてはキリがない。
「ま、その前に施設案内で軽く演習は披露してもらう予定だが」
「むしろ、そっちが本命じゃねえ!?」
上鳴の言葉は、全員の心の声だったことだろう。相澤は気にすることなく帰りのHRの終了を告げて教室を出ていった。残ったクラスメイトたちは、感謝の手紙をどうするかだとか、雄英にも授業参観があったのかだとか、そんなことを話している。
《前に言ってた、違い、なんだけど》
荷物をバッグに入れながら、水世は相澤の言葉を聞いて思い至ったことを話そうと、満月に声をかけた。
《あの時、男の子とあの犬の、命を救けた》
テレキスが、あの時水世がバリアを張らなければ、最悪男の子と犬は死んでいたかもしれないと言っていた。今までそういった感謝のされ方はしたことがなかったため、違いと言われて考えられる点は、それだけ。どうなんだと満月に尋ねれば、彼は合っているよと笑った。
《しかし、何故おまえは、人の命を救い、それを感謝され、今までよりも喜んだんだ?》
《……わからない》
《おいおいそれがわからないんじゃ、花丸はやれねえな。あの青年も言ってただろ?素直な気持ちだよ、素直な気持ち》
ケラケラと笑う満月の声が響くなか、水世はバッグを手に取った。