- ナノ -

改めてスタートに立って


あっという間に過ぎた一週間という時間に、水世は職場体験が終わるという実感があまり湧かなかった。

いつも通りの時間に目を覚ました水世は、今日はコスチュームではなく制服へ着替えて、部屋の整理を行った。荷物は昨夜のうちにある程度詰めていたため、あとは本を片付けるだけだった。

ベッドシーツなどのしわを伸ばし終えると、キャリーバッグとスーツケースを持った水世は、部屋に一礼をしてから通路に出た。エレベーターに行けば、同時に伊世と鉢合わせた。


「……おつかれ」

「伊世くんも、おつかれさま」


エレベーターに乗り込んだ二人は、挨拶をしようと一度二階に降りた。中に入ればサイドキックの人たちや、事務の人たちがわらわらと集まって、たくさんの声をかけてくれる。労わりや激励、別れの言葉に水世は笑みを見せながら挨拶を終えて、二人は一階のエントランスを通り、外へ出た。


「よう。一週間おつかれさま」

「二人ともおつかれさま〜!」


外には、グラヴィタシオンとテレキスの姿があった。通りで二階にいなかったわけだと思いながら、水世は二人に頭を下げた。彼らの前に歩み寄りながら、伊世と共にお世話になりました、とまた頭を下げる。


「まだまだ鍛えてやりたかったが、時間が足りなかったな。まあ、それはまた今度だ。頑張れよ、二人とも」

「もう帰るってなると、寂しいなあ……二人とまた仕事できるの、楽しみにしてるよ」


無表情に二人を見上げ、興味なさげに視線を外した伊世を尻目に、水世はテレキスを見上げた。彼は不思議そうに彼女を見て、どうかしたのかと首を傾げる。水世はキャリーバッグを持つ手をグッと握ると、彼にお礼を告げた。


「やっぱりまだ、スタートラインにはいないんだと思うんです。でも、テレキスさんが言ってくれたこと、自分なりに考えて、いつか答えを出してみようと思います」


しっかりとテレキスの目を見つめて伝えた水世に、彼は相変わらずの明るい笑顔を見せて、何度も頷く。その度に彼の髪が揺れて、髪の隙間から赤いピアスが覗いた。


「うん、応援してる。機会があったら、また一緒に天体観測しようね」

「はい」


手を振るグラヴィタシオンとテレキスに、水世は小さくお辞儀をした。立ち止まって自分を待ってくれる伊世を追いかけて、二人は東京を、グラヴィタシオンヒーロー事務所を後にした。


「行っちゃいましたねえ……寂しいなあ。二人とも、流石はリーダーのご兄妹。見込みしかなかったですね」


小さくなっていく背を見つめながら、テレキスはしみじみと呟く。彼の言葉が嬉しかったのか、グラヴィタシオンは少し自慢げに口角を上げた。


「まあな。どうせ俺はすぐ会えるけど。で、テレキス。天体観測ってなんのことだ?」

「リーダー、笑顔怖いです」













「すまなかった、誘くん」


職場体験を終えた翌日も、しっかりと学校であった。水世が教室に入ると、待っていたと言わんばかりに飯田が立ち上がり、話をしたいと言って、まだ人気のない階段のそばの廊下に連れてこられた。

そして、彼は綺麗な姿勢で頭を下げて、突然に謝罪をこぼした。彼に謝られるようなことをされた覚えのない水世は、何のことだと困惑しつつ、顔を上げるよう飯田に呼びかけた。ゆっくりと顔を上げた飯田は、グッと眉を寄せながら思い詰めたような表情を浮かべる。


「俺は、俺のことを委員長に適任だと言ってくれた君の期待を裏切ってしまった」


そう呟くと、彼は職場体験の三日目に起きたステイン逮捕の件について話をしてくれた。

自分が保須のヒーロー事務所を選んだのは、兄を襲ったステインを追いかけていたからだということ。私怨に駆られての行動を取り、結果的に緑谷や轟に怪我を負わせる形になってしまったこと。職場体験先のヒーローはもちろん、他のプロヒーローにも迷惑をかけてしまったこと。エンデヴァーに救けてもらわなければ、命を危険に晒すことになっていたこと。

自身の行動がどれだけ他者に迷惑をかけたのか、それを理解し、猛省したと飯田は話した。


「君は俺が思い詰めていたことに、なんとなくだが察してくれていたのだろう?あの日、共に昼食をとった時。君の言葉をもっと深く考えるべきだったと、今になって思う。なりたいもののために、なりたいものを目指して……俺は、自分のなりたい姿を見失ってしまっていた」


両の拳を握りしめた飯田は、悔しげに唇を噛み締めた。その姿を見れば、彼がどれだけ後悔しているのかも、どれだけ反省しているのかも、水世にはよく理解できた。そんな彼を責めようとは、彼女は思わなかった。


「ヒーローだって人間なんだから、時には感情で動いてしまうこともあると思うしさ……飯田くんは今回の件で間違えてしまったかもしれない。でも、だからこそ、次は間違えることはないんじゃないかなあ」


グッと寄っていた飯田の眉が、徐々にほぐれていく。彼は安堵したような表情を浮かべたと思うと、すぐさま気を引き締めるように、普段通りの彼の雰囲気を身にまとった。


「ああ……!俺はちゃんと、なりたいものに……真のヒーローになるため、今後とも精進する……!」

「頑張って。応援してる」


決意に満ちた眼差しで、水世をまっすぐに見つめて宣言した飯田に、彼女も微笑んで頷いた。

二人が教室に戻ってしばらくすれば、続々とクラスメイトたちが登校してきた。中でも爆豪は、髪をワックスで固められたのか、随分と小綺麗な髪型になっている。切島と瀬呂はそれを見て、涙を浮かべるほど爆笑していた。

麗日の方はよっぽど有意義だったのか、何かに目覚めたようで凄まじいオーラをまとっている。それを尻目に、水世は八百万と職場体験についての話をしていた。


「ほとんどが、芸能界関係と言いますか……CMにまで出演してしまいました……」

「え、すごい。いつ流れるの?」

「一ヶ月後くらいと……」


どこか項垂れた風な八百万の背を、水世はいつぞやの体育祭の時みたく撫でてあげた。


「ま、一番変化というか大変だったのは……おまえら三人だな!」


上鳴が後ろの轟の席に集まっていた、緑谷、飯田、轟の方を振り返った。彼らはヒーロー殺しと遭遇しており、エンデヴァーに救けられているのだ。


「俺ニュースとか見たけどさ、ヒーロー殺し、敵連合とも繋がってたんだろ?もしあんな恐ろしい奴がUSJ来てたらと思うと、ゾッとするよ」

「でもさあ、確かに怖えけどさ、尾白、動画見た?アレ見ると一本気っつーか、執念っつーか……かっこよくね?とか思っちゃわね?」


上鳴の言う動画とは、ネットに上げられているヒーロー殺しの動画だろう。そこには彼の経歴について語られ、そして彼の逮捕前の姿が映っていた。

ヒーロー殺しステイン、本名を赤黒血染。オールマイトのデビューに感銘を受け、ヒーローを志す。私立のヒーロー科高校に進学するも「教育体制から見えるヒーロー観の根本的腐敗」に失望し、一年の夏に中退。十代終盤までは「英雄回帰」を訴え街頭演説を行うも、「言葉に力はない」と諦念。以降の十年間は「義務達成」のために独学で殺人術を研究し、鍛錬を積む。この間に両親は他界したが、事件性はないらしい。

ステインの主張は「英雄回帰」。ヒーローは見返りを求めてはならない。自己犠牲の果てに得うる称号でなければならない。現代のヒーローは英雄を騙る偽物であり、粛清を繰り返すことで世間にそれを気付かせる。そのために、彼は各地でヒーローを襲撃していた。

そうしたことがメディアによって拡散されるなか、動画投稿サイトにもアップされて瞬く間にネット上に拡散され、今もアップと削除のイタチごっこを繰り返している。最後の逮捕前の様子の動画に映る彼の生き様には、強い思想や強迫観念からの威圧感があった。この彼の思想に感化される者も、少なからずいるのだろう。

身内を襲われている飯田の手前、緑谷が慌てて上鳴を窘めた。彼も気付いてしまったというように口もとを手で覆った。しかし飯田は怒ることもなく、自身の左腕を見つめて上鳴の発言も一理あると頷いた。


「ただ奴は、信念の果てに“粛清”という手段を選んだ。どんな考えを持とうとも、そこだけは間違いなんだ。俺のような者をもうこれ以上出さぬためにも!改めて、ヒーローへの道を俺は歩む!!」


ビシッと右手をまっすぐに振り下ろした飯田は、いつも通りの、普段通りの彼の姿だった。不意に飯田が水世の方を見て、口角を上げた。水世も安堵しながら笑みを返した。


「水世ちゃん、飯田さんと以前より仲良くなりました?」

「うーん……どうだろう?」


二人を交互に見て首を傾げた八百万に、水世は眉を下げて笑った。