- ナノ -

君の優しい手が導く方へ


初日が早くも終わりを告げようとしていた。伊世と水世を自分のデスクへ呼び出したグラヴィタシオンは、おつかれさまと労りの言葉をかけた。


「今日は一通りのスケジュールとか、説明とか……まあ、オリエンテーションだな。明日から色々してくが、難しいことはさせない。基本的に奉仕活動が主だ。敵の相手も俺やサイドキックが行うから、二人には手伝いをしてもらう。俺は指名を出したのも、生徒を受け入れたのも初めてだから、探り探りな部分はあると思う。そこは大目に見てくれ」


じゃあ今日は終了。軽く告げられた途端、待ってましたと言わんばかりに、周囲にいたサイドキックたちが二人を囲んだ。「体育祭見たよ〜!すごかったね!」「“個性”で色々やってたが、何ができるんだ?」「リーダーって家ではどんな感じ?」などなど、質問責め状態だ。


「あ、そういやおまえら、何で俺のとこ来たの?」


まるで便乗するかのように、グラヴィタシオンが尋ねた。会って開口一番に自分のところを選ぶと思っていた、と言っていたのだから、理由は察しているはずだ。だというのに言わせようとしている彼に、伊世は思いきり顔をしかめた。だが渋々といった風に、口を開いた。


「……身内としてのおまえはクソ野郎でも、ヒーローとして、グラヴィタシオンとしてのおまえの実力は確かだ。だから、おまえの活動を近くで見て、経験して、自分に落とし込むため」

「私は……わざわざ、グラヴィタシオンとして指名をくれたことに、意味があるのかなって……贔屓でそんなことをする人じゃないから……」


なるほどと頷いたグラヴィタシオンは、何気に伊世に罵倒されたことを気にすることはなく、一割は贔屓入ってるけどな、と冗談めかして笑った。


「リーダーさらっと罵倒されてんのうける」

「おー、おまえ今日高重力で掃除な」

「それは勘弁してください!」


即座に綺麗に頭を下げて謝罪をしたのは、二人が事務所内を案内されていた時に、三階のトレーニングルームにいた青年だ。すぐに謝ったことがよかったのか、高重力での掃除は免れたようだった。

一安心していた青年は、パッと水世たちの方を見ると、表情を明るくさせた。そしてまた二人の手を握ると、ブンブンと振りはじめる。


「さっき……って言っても数時間前だけど、名前言い忘れてたよね。俺はテレキス。リーダーのサイドキックやってる。ちなみに“個性”は『サイコキネシス』。まあ、所謂念力ってやつ」


そう言うと、テレキスはそばにあるデスクの上に置かれていたマグカップを浮かせてみせた。曰く目視できる距離間であれば、「サイコキネシス」を使用することができるのだとか。ただし生物相手には効かないそうで、唯一自分は浮かせることが可能らしい。


「二人のことは、リーダーから聞いてたんだよね。だから、こうして会えて嬉しいなあ。一週間よろしく!」

「……よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


気さくで元気な性格をしているようで、テレキスは始終ニコニコとしていた。

今日はもう疲れただろうからと、グラヴィタシオンは二人にシャワーを浴びて着替えるよう促した。

職場体験中の一週間は、グラヴィタシオンも事務所で寝泊りをするとのことだった。家に帰ったところで伊世も水世もいない状態だ。ならば帰宅はせずに事務所にいる方がいいと、彼は笑っていた。

女性用のシャワールームで汗を流しながら、水世は一つ息を吐いた。パトロール中、グラヴィタシオンはもちろんのこと、水世たちも市民から声をかけられた。体育祭の活躍を見ていた者も多く、伊世も水世もトーナメントには残らなかったものの、視聴者や観客には強く印象に残っていたようだった。

通る人通る人の視線や声かけに対応し、水世は少し疲労していた。体育祭ほどの人数とは程遠いものの、体育祭ではステージと観客席の間に距離があったし、生徒や観客とでは出入口も違ったため声をかけられることもなかった。だが今回は、市民との間にほとんど距離もなく、声もかけられやすい。

一日で多くの人と接することなど今までなかった。それもあって、普段よりも精神的疲労が大きいように水世は感じた。

シャワー室を出た彼女は、タオルで全身を拭きながらドライヤーをカゴから取り出した。髪の長い水世は乾かすのも時間がかかるし、自然乾燥で風邪をひいても大変だ。それにドライヤーを使ってもいいと言われているので、その言葉に甘えてドライヤーで髪を乾かした。

ようやっと髪を乾かし終え、水世は脱衣所を出た。一番端の用意された部屋に戻ると、彼女は荷物の整理を始めた。一週間は寝泊まりをするのだ、キャリーバッグから諸々出しておいた方がいいと判断してのことだった。

水世がキャリーバッグから本を出していた時だった。ノック音に顔を上げて返事をすれば、グラヴィタシオンの声がした。慌てて扉を開ければ、彼は今から話せるかと聞いてきた。水世が頷けば、彼はついてくるように言うと、通路を歩きはじめた。

連れてこられた場所は、仮眠室だった。中に入れば既に伊世がソファーに座っている。水世も座るよう促され、おずおずと伊世の隣に腰を下ろした。


「とりあえず、今日はおつかれさま。わりと疲れたんじゃないか?学校じゃ、中々一般市民と関わることもないだろ?」

「そう、ですね……少し」

「一週間じゃ難しいかもしれないが、まあ、多少は慣れるさ」


穏やかな笑みで話すグラヴィタシオンに、伊世は眉を寄せると、「前置きはいい。本題を話せ」と告げた。その言葉に苦笑いを浮かべると、フッと息を吐いて表情を真剣なものへ変えた。


「おまえらに指名を出したのは、おまえら二人を同時に受け入れたかったからだ。俺が指名を出せば、伊世。おまえは俺を選ぶと正直確信してた。おまえにとって俺は嫌悪の対象ではあるが、一番身近なプロヒーローでもある。おまえ自身が言った通り、ヒーローとしての俺を見て、自分の糧にしようとするだろうと思った。そしておまえが来るならば……」


グラヴィタシオン――否、今は重世と呼んだ方が正しいだろう――は、水世の方へ視線を移した。


「水世、おまえも俺の方へ来るとわかってた。何らかの要因で制御できなくなった時が困るから、と。そして二人を同時に受け入れたかった理由は……おまえら、近接戦闘得意じゃないだろ」


そう指摘された二人は、瞳をぱちくりさせた。


「おまえらの“個性”は、できることが多い。それを活かしての中距離・遠距離攻撃で近接戦闘タイプを寄せつけない。だから、近接戦闘の経験がほぼない。おまえらの“個性”は近接に持ち込まれることが滅多にないだろうからな。だが、仮に持ち込まれた場合。ハッキリ言って、おまえらが圧倒的に不利だ。壁やバリアも強度より上をいかれたら呆気なく壊される」


重世の指摘は正しいものだ。伊世と水世の得意な戦闘は、“個性”を用いた中距離及び遠距離攻撃。間合いには寄せつけずに広範囲の攻守を行える。

しかし反面、そうした戦いしかしていない二人は、近接戦闘に慣れていない。そのために、いざ距離を詰められた時が弱いのだ。現に体育祭では爆豪の近距離爆破への対応が遅れ、ハチマキを奪われている。


「おまえらの強みを伸ばすのも大事だが、同時に弱点は減らすべきだ。だから明日からは、出来得る限り、おまえらの近接戦闘のスキル上げを行っていく」


いいな?と尋ねた重世に、伊世は悔しげに顔をしかめた。だが指摘されたことは本人も自覚しており、何れ対策を取らなければならない点でもあった。彼は顔を上げるとまっすぐに重世を見つめた。


「癪だが、おまえの言ってることは正しい。だから、残りの六日間で上げれるとこまで上げてやる」


鋭い瞳で、しかし真剣な声音の伊世を見て、水世も大きく頷いた。いざという時に力がなければダメなのだ。守れる力が、彼の役に立てる力がないと。そのためのトレーニングをつけてくれると言うのなら、断る理由などなかった。

二人の答えに、重世は真剣な表情から一変、笑みを浮かべた。スッと張り詰めていたような空気が解けて、水世は無意識に入っていた肩の力を抜いた。


「その返事を聞けて嬉しい」


話はこれだけなのだと告げた重世は、疲れているなか悪いと謝った。そして明日の簡易的な予定を伝えると、部屋に戻ってゆっくり休むようにと二人の頭を撫でた。伊世は迷惑そうに手を退けたが、水世はされるがままだった。

部屋まで送ってもらった水世は、重世にお礼を伝えながら頭を下げた。中に入ろうとした彼女だったが、おずおずと重世の方を振り返り、口を開いた。


「あの……どうして、私たちの戦闘スキルを上げようと……?」

「何でって……そうだな……」


髪を掻いた重世は、兄としての気持ちが四割だとこぼした。


「残りの六割は……先輩ヒーローとして、後輩の成長を手助けしたいって思ったから、かな。伊世も水世も、もっと強くなれるわけだし」


穏やかに笑った重世は、水世に優しい眼差しを向けると、彼女の頭を撫でた。そして今のは伊世に内緒にしててくれと伝えると、おやすみと軽く手を振って、その場を去っていった。

中に入った水世は、ベッドの上に置いたままだった本を机の上に移動させた。その中から一冊だけ手に取って、ベッドサイドランプを点けた。


《おいおい……宿泊先でもかよ》

《日課になってるの》


満月に返事をしながら、水世は本を開いた。だがふと窓から音がして、そちらに視線を向けた。まるで来客を知らせるみたいなその音に、彼女は窓の外を見下ろす。当然ながらそこには誰もいなくて、少しばかりの残念な気持ちを抱きつつも、水世はベッドに入り直した。