- ナノ -

紙一重の世界に踏み入る


コスチュームの入ったスーツケースを手に、A組の生徒は相澤の引率のもと、駅に到着した。みんなが一緒なのはここまでであり、向かう先はそれぞれバラバラだ。関東圏内のヒーロー事務所に行く者もいるが、九州や関西など遠方のヒーロー事務所へ向かう者だっている。


「コスチューム持ったな。本来なら、公共の場じゃ着用厳禁の身だ。落としたりするなよ」

「はーい!」

「伸ばすな、『はい』だ芦戸。くれぐれも失礼のないように!じゃあ行け」


相澤の言葉で、それぞれが新幹線の改札口に向かったり、バス停に向かったりと、別の方向へと散っていく。水世はコスチュームを持つと、キャリーバッグの持ち手を握った。

遠方のヒーロー事務所に行く生徒は、皆事務所の詰所などを借りて、そこで一週間寝泊まりすることになるのだ。それもあって、受け入れ可能な定員が決まっており、故に希望用紙は第三希望まで記入することができた。水世は県内ではなく東京の事務所に向かうため、彼女も受け入れ先であるグラヴィタシオンの事務所に寝泊まりすることになる。


「誘は東京だったな」

「うん。常闇くんは九州だよね。黒影くんと一緒に頑張ってね」

「互いにな」

「気をつけてネ」


ひょこっと出てきた黒影に少し目を瞬かせた水世だったが、彼の言葉に一つ頷いた。そして行ってらっしゃいと水世が声をかけると、常闇は少し目を瞬かせたが、薄っすらと微笑んだ。彼は「それも、互いにな」とこぼし、軽く手を上げると――黒影は手を振ってくれた――荷物を持って新幹線の改札口へ歩いていった。


「水世ちゃん、頑張ろうね〜!」

「お互い頑張ろうね」


水世は声をかけてくれる葉隠や耳郎たちに手を振り返しながら、腕時計を見た。まだホームに行くには時間に少し余裕があったが、遅れても困る。そろそろ移動しておくかと、スーツケースを持ち直した。


「誘は東京?職場体験終わったらさ、話聞かせてよ」

「じゃあ、上鳴くんのお土産になるような話、探しておかないとだ」


パッと目の前に顔を出した上鳴は、「めっちゃ楽しみにしとく」と言ってへらりと笑った。水世は笑みを浮かべて返事をしながら、そろそろ行くからと彼に手を振って、辺りを見回した。彼女がぶら下がっている案内板を確認していると、緑谷の声が聞こえて、ふとそちらに視線を向けた。


「……本当にどうしようもなくなったら言ってね。友だちだろ」


緑谷の隣には、何度も頷いている麗日もいた。彼らの視線の先には飯田の姿があり、二人が飯田を心配していることが、声や動作から水世にも伝わる。「ああ」と一言返した飯田の表情は、やはり普段の彼よりも硬い表情をしていた。













伊世と隣同士で並んだ水世は、自分たちの前に立っている男を見つめた。


「やっぱり、俺のとこを選ぶだろうとは思ってたんだよ。ようこそ、グラヴィタシオンヒーロー事務所へ。改めまして、俺がグラヴィタシオンだ。何気に初めて来たんじゃないか?」


フルフェイスヘルメットを外したその人は、にこやかな笑みを二人へ向けた。

その爽やかで紳士的な好青年ぶりや、“個性”の強力さも相まって、老若男女問わずに市民からの人気を得ているヒーロー、グラヴィタシオン。本名――誘重世。

サイドキックや事務員たちが、興味深げに三人の様子を見つめていた。「あれ、確かリーダーの弟と妹だろ?」「体育祭の時、すごかったよなあ」「なんて“個性”なのかしら」と聞こえてくる声に、伊世は表情をしかめて、水世は困ったように眉を下げた。


「……よろしくお願いします」

「一週間、よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。ヒーロー名は……アンジュとオールド・ニックだったな。職場体験中は、おまえたちのことはヒーロー名で呼ぶ。互いのことも、なるべくヒーロー名で呼ぶよう心掛けとけ。俺のこともグラヴィタシオンでな」


ひとまず中を案内すると笑った重世ことグラヴィタシオンは、二人に手招きをした。

五階建てで造られたグラヴィタシオンの事務所は、一階が受付とエントランス、二階が事務所、三階はトレーニングルーム、四階は水難救助用のトレーニングルーム、五階に仮眠室や詰所といった間取りになっている。水世たちはまずは五階に連れてこられると、それぞれの部屋に案内された。荷物は部屋に置いて、コスチュームに着替えるよう指示を受け、二人は更衣室で着替えを済ませた。


「……水世……いや、オールド・ニック。それがコスチュームか?」


着替えを終えた水世を見たグラヴィタシオンは、少しだけ眉をひそめた。伊世の方もどこか不機嫌そうな表情を浮かべている。自身の姿に何か不備でもあるのかと不安を覚えつつ彼女が頷けば、グラヴィタシオンは口もとを片手で覆いながら、そうか、とだけ呟いた。


「なにか、おかしなところがありましたか?」

「いや……そういうわけじゃないが……まあ、なんだ、兄的に少し思うところがあっただけだな」


それだけ言うと、彼は髪を軽く掻いて、苦笑い気味に中の案内に行こうか、と歩きだした。


「ここは、俺の“個性”を使ってのトレーニングルームだ」


三階に案内されると、そこにはトレーニングジムのような器具がいくつも置かれていた。隣の部屋には器具などはなく、組手用なのだと教えられた。グラヴィタシオンは現在トレーニングしているサイドキックたちに声をかけて、伊世と水世を紹介した。


「あ、リーダーのご兄妹!いや〜もう、会うの楽しみにしてたんだよ!リーダーめっちゃ張り切っててさあ、ブラコンシスコンかってね!」

「そうか、おまえまだ余裕がありそうだから増やしてもいいな」

「あ、ちょっ、待ってリーダー、無理、おもっ……!」


水世たちに駆け寄って無理矢理手を取るように握手をした青年は、太陽のように明るい笑顔を見せている。矢継ぎ早に並べられた言葉に水世が困惑していれば、グラヴィタシオンは笑顔を浮かべて手のひらから黒い球を生み出し、彼の体に入れた。途端に、体に重りをつけたかのようにぎこちない動きを見せた青年の姿に、グラヴィタシオンはカラカラと笑っている。


「あ、あんた……自分の“個性”、どんだけヤバイか、わかってます!?」


サイドキックの青年は息切れしながら怒っているが、当のグラヴィタシオンはどこ吹く風だ。

――重力ヒーローグラヴィタシオン、“個性”「重力」。彼は重力球を生み出し、その重力球に触れたものの重力を自在に操作できる。その対象は生物も可能であり、操作時間は重力球の大きさで変わる。尚、自分自身への重力操作の場合、重力球は必要としないらしい。

このトレーニングルームでは、彼がトレーニングをしている者の体に重力球を入れた状態でトレーニングをさせているのだ。聞くだけでもハードであることがわかるが、いざその光景を見ると、中々のスパルタである。


「じゃあ、励めよ〜」


サイドキックに手を振ったグラヴィタシオンはヘルメットを被るとエレベーターに乗り込み、これから早速パトロールに行くと伝えられた。頷いた二人はグラヴィタシオンと共に一階に行くと、エントランスを抜けて外へと繰り出した。


「東京に事務所を構えてるヒーローは多い。オールマイトとか、No.4のベストジーニストとかな。理由は単純で、都市部は凶悪犯罪が集中しやすい」


前を行くグラヴィタシオンについていきながら、二人は並んで歩いた。

殺人、強盗など目につきやすい犯罪はもちろん、薬物売買や密輸取引等、秘密裏の犯罪も、都市部と地方とでは発生件数に差が出ているのだ。そのため、プロヒーローたちは東京を活動拠点としている者が多い。

人が多く集まる場所は、敵にとっては都合が良いのである。身を隠しやすくもあり、仲間を得やすくもある。オールマイトのおかげで東京の事件発生率は下がっているものの、それでも東京での敵犯罪は後を絶たないでいる。オールマイトだけでなく、多くのプロヒーローが拠点としている場所で犯罪を起こすのは、ある意味勇気がいることだと思うのだが。


「それに、保須市にヒーロー殺しが現れたろ?ここは保須から離れてはいるが、相手は神出鬼没だからな。保須から移動してる可能性は低いが、警戒するに越したことはない」


パトロールをすることで、敵への牽制はもちろん、事件が起きた際にすぐ駆けつけることができる。また市民へ安心感を与える意味合いを持っている。活動としては地味なものではあるが、これも大事なことだ。“個性”を武に用いる以上、ヒーローと敵は表裏一体。市民との信頼関係を築いていくことで、活動を円滑に行えるようにもなっていくのである。

一週間という短い期間しかない中で、学生ができることは少ない。そもそもヒーローのヒヨコどころかまだ卵のままだ。させてもらえることは限られている。そのため貴重な一日を無駄に過ごさないために、初日の今日は一日の大まかなスケジュールを覚えるようにグラヴィタシオンは告げた。


「とりあえず、パトロールしながら講習といこうか」


グラヴィタシオンは二人を振り返りながら、ヒーローの成り立ちを知っているかと尋ねた。

「自然界の物理法則を無視する特殊能力」こと超常、通称“個性”。人類社会で超常を発現させる者が突如に増えだした混乱期、超常黎明期。この時代は徐々に“個性”を持つ者が増えていたものの、それでもまだ超常能力を持たない人類の方が多かった。

その当時、超常能力は“個性”ではなく“異能”と呼ばれ、人類社会において「普通とは異なる者」という扱いであった。呼び方が“個性”へと変えられるようになったのは、マイノリティであった超人たちがマジョリティへと逆転した結果だろう。

超常黎明期では、人間という種の規格がそれまでの常識から大きく崩れ、世界中が壊滅的な混乱に陥った。何せ、個々人が異なる超人的能力を生まれついて持つようになったのだ。これまでの人間の定義、常識が覆されるのは自明であった。もしこの時代の混乱がなかったならば、人類はとっくに外宇宙に生息領域を広げるまでに科学を発展させていたとも言われている。

覚醒した“異能”を使った犯罪件数が増加したことはもちろん、純粋な恐怖や不安から、“異能”に覚醒した人々全体が、社会から迫害を受けるようになっていった。当時は多数派であった“無個性”の人間による差別、排斥運動も行われていたのだ。これまでの犯罪とは比較できないほどに被害規模は広がり、凶悪な犯罪は増加する一方で、警察も彼らを取り押さえることすらままならなかった。

原因不明の突然な変化に、法整備も、人々の頭や感情も、追いつきやしなかった。まさに世界は混沌に飲まれたのだ。

だがそんな時代に、自警団・クライムファイターのような活動をする、一般市民の“異能”の使い手が現れた。この時の自警団の活動を、国が世論に押される形で追認し、法整備も進んでいったのである。新法によって自警団の活動は法的根拠を得るものへ変わった。その後“異能”を持つ者が普通人より増えていき、“個性”へと名を変えて、社会の多様性の一つだと認められた。

これが、後にヒーローと呼ばれる者たちの始まりであると語られている。

伊世と水世がスラスラと答えていくと、グラヴィタシオンはよくできましたと笑った。


「知ってるだろうが、ヒーローは公務員に位置する。国からお給金を貰ってるからな。だがまあ、成り立ちが成り立ちだ。普通の公務員とは異なる」


グラヴィタシオンはヘルメットで隠れた瞳を周囲に向けながら、二人に具体的な実務内容の説明を始めた。


「基本的には犯罪の取り締まりが仕事になる。事件が発生すれば、警察から応援要請がかかるようになっててな。そん時は地区ごとに一括。緊急時は警察や消防が来るまで代行を務めることもある。逮捕協力や人命救助等の貢献度を申告して、そして専門機関の調査を経て、給料は振り込まれていく。基本歩合制だな。あとは副業も認められてる。公務に定められた当時は一部で揉めはしたが、市民からの人気と需要に後押しされた名残だな。他にもCMや広告出演、グッズ展開も許されてる」

「雄英の教員は、皆さん教師を兼業してますからね」

「ああ。プレゼント・マイクさんなんか、毎週金曜は深夜から四時間ノンストップでラジオやってんだから、すごいもんだよ。他にもウワバミさんも、芸能活動の方で二十社以上の広告塔になってる」


ウワバミは確か、八百万の職場体験先だ。水世は、同じ女性のプロヒーローであり、支持も高い彼女から指南を受けたいと言ってウワバミの事務所を選んだ八百万を思い出した。

グラヴィタシオンは副業は行なっていないものの、広告やCM出演の依頼を受けていたり、彼のグッズも売られていたりする。年齢問わずに支持を受けている彼は、中でも二十代また三十代女性と、十代未満から十代の少年たちからの人気が高い。少年たちはきっと、フルフェイスのヘルメットにパワードスーツという、戦隊モノのようなコスチュームに心をくすぐられるのだろう。水世も登校中の電車内で、グラヴィタシオンのフィギュアをを持った男の子をたまに見かけている。


「そんで大まかなスケジュールだが、まあ正直スケジュール通りにいかないことは多々ある。急に応援要請がかかったり、パトロール中に事件が起きて、ってのがある。それでもパトロールは毎日行ってるから、二人も出てもらうぞ。全部の巡回ルートは戻ってから教える」


ひとまずは今の巡回ルートを覚えておいてくれ。グラヴィタシオンの言葉に、伊世と水世は頷いた。