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明日さえ見えない瞳では


危ない。水世は僅かに後退して、教室から出てきた爆豪とぶつかりそうになるのを避けた。彼は水世を見ると片眉を吊り上げて、ストレートに邪魔だと吐き捨てる。なんとも不躾な態度であるが、入学してから一ヶ月の間で、これが彼のデフォルトなのだと水世はもちろん、他のクラスメイトたちも理解していた。

水世が眉を下げながらごめんと謝ると、爆豪はじっと彼女を見つめた。彼の方が背が高いため、見下ろされている状態になるのだが、仏頂面も相まってガンを飛ばされているようである。傍から見たら、水世がガラの悪い少年に絡まれていると思われそうな状況と言っても過言ではないはずだ。


「……てめェの“個性”のあの壁、なんだ」

「壁……?」

「騎馬戦の時だよ。俺がてめェの騎馬に爆破しただろ」


突然に口を開いたと思うと、爆豪はしかめ面で、苛立ちを含んだ声でそう聞いてきた。

そういえば、と彼女は頷いた。体育祭での第二種目の騎馬戦で、確かに水世は爆豪から間近で爆破を受け、ハチマキを奪われた。その際に薄めのバリアを重ねて張っていたのだが、全部呆気なく割られてしまっている。


「てめェの前の壁は全部割れた。だが、下の奴の前に張ってた分は、傷一つなかった。至近距離での爆破だ、多少ヒビなり入るだろ」


忌々しげにこぼす爆豪は、伊世の前に張られたバリアに傷一つけられなかったことが、よっぽど悔しかったのだろう。眉間のしわは深く刻まれて、目で人を殺そうとしているのかと思うくらいに鋭い眼光だ。

あの壁はなんだと言われても、バリアとしか言いようがない。水世のバリアは本来は、広範囲を守れるドーム型バリア。体育祭では本来の使用方よりも、それを壁やパネルにするみたく、小規模で部分的にしたものだ。そのため壁の厚さの調整が普段より繊細になってくる。

あの時、水世の前に張っていたバリアは、薄いものを重ねただけの強度も低いものだ。だが伊世の前に張ったものは、咄嗟にできる最大限の厚さにした。彼用のバリアを先に張り、後で自分のバリアを張ったために、自分の分は薄めにしかできなかったというのもある。


「伊世くんの分は、なるべく厚めのを張ったから」

「強度はどんだけ上げれんだ」

「えっ、と……試したことはないから、なんとも……」

「あれ以上の強度はあんのか」

「あるよ」


舌打ちを落とされてしまい、水世は苦笑いを浮かべた。彼には随分嫌われてしまっているようで、体育祭前の時といい、目に見えてわかるほど態度や表情に表されている。だが水世にとっては、正直彼や轟から向けられるような態度の方が慣れている。ここ最近はむず痒い態度や言動の方が多くて、なんだか妙な懐かしささえ覚えてしまった。


「言っとくが……」

「うん?」

「言っとくが、あん時は爆破の火力を抑えてた。本来ならあれくらいの壁、俺はぶっ壊せる。次は粉々にしてやるから覚えとけよ」


喧嘩を売られたのか、宣戦布告のようなものをされたのか。水世は不思議そうにしつつも、わかったと頷いた。しかしその返しが爆豪の癪に触ったのか、「余裕ぶってられんのも今だけだからな、薄っぺら野郎」と罵倒のようなものを呟いた。


「そもそも、前から気に食わねえとは思ってたんだよ、てめェ。腹ん中は冷え切ってながらいつも面だけはへらへらへらへらと……胡散くせえ。大体、ハチマキ持ってる自分じゃなく、騎馬守るってのもおかしな話だろ。てめェが獲られりゃ、どっちも共倒れだってのに……それともなんだ?俺からなら奪われねえ自信でもあったのか?」

「そういうわけじゃないけど……自分の分を張る時間がなかっただけだよ。それに、爆豪くんの方が私なんかより強いんだしさ」


苦笑い気味に、控えめながら本心を伝えた水世だったが、爆豪には嫌味のように捉えられたらしい。彼の機嫌は先程からずっと悪化傾向で、ピリッとした空気が彼女の肌を刺した。


「……そういうところが気に食わねんだよ薄っぺら野郎……!てめェは人を馬鹿にしてんのか?アァ!?」

「馬鹿になんて……」


またも盛大な舌打ちを落とした爆豪は、相手をするのさえ面倒だと思ったのか、水世にわざと肩をぶつけて去っていった。


《ありゃ、筋金入りの負けず嫌いだな》

《……多分、完璧主義もあるんだと思う》


野郎ではないのだが。それをこぼして彼に聞こえたら、より怒りに触れそうな気がしたため、水世は口を閉ざした。些細なことが彼の怒りを触発していて、デリケートな爆弾のような人だ、なんて感想を彼女はこっそり抱いた。


「水世ちゃん、大丈夫?爆豪ちゃんに絡まれてたみたいだけど……」

「絡まれてた、のかな?わからないけど、とりあえず大丈夫だよ」


教室に入った水世は、麗日の席で一緒に話をしていたらしい蛙吹に声をかけられた。彼女は笑みを見せて答えながら、二人のそばへ歩み寄り、なんの話をしていたのだと尋ねた。


「職場体験についてよ。ほら、行き先が発表されたでしょ?」


先週末までに、ヒーロー科の生徒は職場体験の希望先用紙の提出をするようにと言われていた。そして提出した職場体験先の希望用紙をもとに、教員たちが希望先のプロヒーローと連絡を取ること次の週。全員の受け入れ先が決まったと相澤から報告されたのは、今朝のHRでのことだった。その時に一緒に、誰がどこの事務所に行くのかも発表された。皆それぞれ希望先へ行くことができ、期待感は益々膨らんでいるのだ。


「蛙吹さんは、セルキーの事務所だったね」

「ええ。水難関係のところに行きたくて」

「水難なら、蛙吹さんの“個性”は色々役立てそうだもんね」


蛙吹の“個性”「蛙」は、蛙っぽいことが可能なものだ。そのため彼女の身体能力の高さや特性は、蛙の身体能力や特性を人間大へスケールアップしている。舌は伸縮自在、吸着能力のついた手足、大跳躍できる脚力はもちろん、水中でも自由自在に動ける。そんな彼女の“個性”を活かすならば、水難事故に携わるプロヒーローの事務所はピッタリだろう。


「麗日さんはガンヘッドの事務所だったよね?ガンヘッドって、武闘派のヒーローだったと思うんだけど……」

「うん、指名きてたの!」


ガンヘッドは、爆豪戦での彼女の頑張りや根性に、興味や関心を持ったのだろう。しかし麗日は武闘派ヒーローよりも、救助を主な活動としているヒーローを選ぶのではないかと水世は思っていた。そのため、少し意外だったのだ。

水世の言葉に頷いた麗日は、グッと両の拳を握って笑顔を見せた。


「強くなったら、そんだけ可能性も広がるって、体育祭での爆豪くん戦で思ったんだ。最終的には13号みたいなヒーローになりたいけど、でも、もっと力つけて、いろんな可能性も広げたいなって!」

「そっか……なりたいビジョンが見えてて、将来見据えた選択だから、麗日さんも蛙吹さんも、しっかりしてるんだね」


ポッと頬を染めた麗日は、大袈裟に手を動かしながらそんなことないと恥ずかしそうに否定した。リンゴのように赤くなっている彼女の頬を見て、水世はそんなことあるよと微笑んだ。


「あ、えっと……そういえば水世ちゃん、グラヴィタシオンのとこ行くんよね?私、グラヴィタシオンも好きなんよ!」

「お茶子ちゃんとグラヴィタシオンは、“個性”が似た感じだものね」

「そうなんよ!なんかこう、親近感湧く!まあ、私のは『無重力』なんだけどね」


水世はどうしてグラヴィタシオンを選んだのだと、二人は尋ねた。彼女は瞳をぱちりとさせると、眉を下げながら頬を掻いた。


「いろんな経験したくて。グラヴィタシオンは、対敵はもちろん、災害救助とかもしてたりするから……私、まだ将来どういうジャンルに携わりたいか決まってないし」


ズキリと、胸が痛んだような感覚に襲われた。水世は何故そんな痛みがと一瞬眉を寄せたが、すぐに表情を戻した。


「だから、対敵や救助活動もよく行う、グラヴィタシオンを選んだのね」

「うん。自分が何に向いてるか、知りたくって」

「そっかあ……水世ちゃんも、将来のこと見据えてるじゃん!立派だよ!」


蛙吹も、麗日の言葉に同意するように笑って頷いている。二人の反応に少し困ったような顔をしつつも、水世はありがとうと笑った。

十分休みの終了を告げるチャイムが鳴って、水世は時計を見た。そして二人に軽く手を振って、自分の席の方へ戻ろうと方向転換した。すると、轟と目が合った。彼は僅かに目を丸くして驚いたような反応を見せる。

偶然か、それとも自分に何か用事があったのか。どちらかわからないが、後者だったならば今から授業が始まるため話しかけにはいけない。だが彼は、用事があるなら自分から声をかけてくるのではないか。そう考えて、水世は轟に声をかけることはせずに、笑みだけ返して自分の席へと戻った。