- ナノ -

本当の意味を殺してくれ


昨日の天気予報は大当たりで、朝から雨が降っていた。電車に揺られながら窓を流れる水滴を眺めていた水世は、後ろに立っている伊世が少し自分の方に寄ってきたことに気付いた。

彼女が伊世と電車に乗る際、座れる場所がない場合は、伊世から壁際に追いやられ、壁と彼に挟まれた状態になる。そのためそれ以上奥にはいけないのだ。それを伊世もわかっている。どうかしたのかと、水世が彼の顔を覗こうと少し振り返った。


「やっぱほら、あれヒーロー科の双子だよ」

「美男美女だ〜」


聞こえてきた声に、水世は目をぱちくりとさせた。伊世の方を見上げれば、彼は面倒そうに顔をしかめている。水世からの視線に気付いたのだろう、伊世は彼女の耳元に顔を寄せた。


「体育祭、テレビ中継されるだろ。一大イベントだ、色んな奴が見てる。ちょっとした有名人になってんだよ」

「なるほど……」


しみじみと呟いた水世は、自分の姿を見ようと身動ぐ周囲の乗客の視線に身を縮こませた。「どっちも綺麗な顔立ちだよね〜」「名前なんだろうな」「あんま似てないね」聞こえてくる声になんだか居心地が悪くて、水世は少し俯いた。

学校に到着した水世は、朝から疲労したような感覚のまま教室へ上がった。伊世と教室の前で別れた彼女は、中に入って僅かに目を丸くした。普段は既に着席している飯田が、今日はいない。珍しいと思いながら自分の机に移動した水世は、前に座る八百万に挨拶をした。


「八百万さん、大丈夫だった?声かけられたりしたんじゃない?」

「いえ……私は車で来ましたから。水世ちゃんは声を?」

「伊世くんがガードしてくれたから、声はかけられなかったよ。ただ、結構見られてた」


苦笑い気味に答えながら、水世は椅子に腰を下ろした。八百万と休日中何をしていたのかと話していると、次第にクラスメイトたちが教室へ上がってくる。皆話題は同じで、登校中にジロジロ見られた、声をかけられた、と盛り上がっている。瀬呂なんて、小学生にどんまいコールをされたらしい。


「どんまいコールは、ちょっとやだね」

「嫌ですわね」

「まあ、瀬呂は瞬殺だったしね」


耳郎も交えて三人で話をしていれば、朝のHRを告げるチャイムが鳴った。だがほとんどの人が席を離れていたり、隣の人と話を続けていたり。麗日は今登校してきたくらいだ。


「おはよう」


驚異のスピードではないかと、水世は一瞬思った。相澤が教室に入ってきた途端、室内で各々散らばっていた全員が自分の席に着き、話をやめて真面目な顔で前を向いているのだから。


「相澤先生、包帯取れたのね。よかったわ」


蛙吹の言う通り、相澤の顔や腕に巻かれていた包帯が全部取れている。相澤はリカバリーガールの処置が大袈裟だったのだとこぼしながら、左目を指で掻いた。そしてそんなことよりも、と言葉を続ける。


「今日の“ヒーロー情報学”、ちょっと特別だぞ」


その言葉に、少しざわつきはじめた。もしかして、これから抜き打ちの小テストが行われるのではないかと不安を感じているのだ。複雑な法律や制度に関する授業を苦手としている者も多く、皆何があるのだとハラハラした様子だ。だが、その心配は杞憂となる。


「『コードネーム』……ヒーロー名の考案だ」

「胸膨らむヤツきたああああ!!」


何人かの生徒が立ち上がり、両腕を上げた。芦戸は思いきり飛び跳ねて喜んでいる。途端に騒がしくなった教室だが、相澤が即座に鋭い眼光を見せたことで、一瞬で静まり返った。

このヒーロー名の考案は、先日相澤が話した「プロからのドラフト指名」に関係しているそうだ。指名が本格化してくるのは、経験を積み即戦力として判断される二、三年からとなる。つまり今回の指名は、どちらかと言うと将来性に対しての興味の意味合いの方が強い。卒業までの間にその興味が削がれてしまえば、一方的にキャンセルなんてこともあるのだ。


「頂いた指名がそんまま自身へのハードルになるんですね!」

「そ。で、その指名の集計結果がこうだ」


黒板に表示された指名は、見事に轟と爆豪に偏っている。ちらほらと指名がきている者もいるが、上位二名が圧倒的である。一位の爆豪よりも、二位の轟の方が指名数は多かったが、表彰台で拘束されていた姿を見れば、それもまあ頷けるのか。水世は一人納得した。

意外にも、水世にも指名が届いていた。爆豪や轟には及ばないが、六百と七十二。指名数順で言えば三番目に多い。


「これを踏まえ……指名の有無関係なく、所謂職場体験ってのに行ってもらう」


昨日重世が言っていたことを、水世は思い出した。彼も雄英生のOBだ、同じ経験をしているため知っていたのだろう。

A組は敵襲撃の事件で一足先に経験はしたが、プロヒーローの活動を実際に現場で見て、体験して、より実りのある訓練を行う目的らしい。そのためのヒーロー名の考案というわけだ。


「まあ、仮ではあるが適当なもんは……」

「付けたら地獄を見ちゃうよ!!」


突然、教室の扉が開いた。そこにはミッドナイトの姿があり、彼女はヒールを鳴らしながら教室へ入ってきた。


「この時の名が!世に認知され、そのままプロ名になってる人が多いからね!!」


どうやらネームセンスの査定はミッドナイトが行うらしい。相澤は教卓の下をゴソゴソ漁ったと思うと、お馴染みになっている寝袋を取り出した。そんなとこに置いていたのかと、水世は一人寝袋を見つめた。


「将来自分がどうなるのか、名を付けることでイメージが固まりそこに近付いていく」


「名は体を表す」ということだろう。オールマイトがいい例である。オールマイト、英語表記をさせるならば本来は「Almighty」。意味は「全能の」「絶大な力を持った」となる。

だがオールマイトの英語表記は「All might」だ。「might」は名詞とするならば「力」である。それを考えると、彼のあの超パワーに打ってつけだ。加えて「might」を助動詞としたら「〜かもしれない」「〜したかもしれない」という、言ってみれば可能性。「全ての力」「全ての可能性」という彼の名は、オールマイト自身と見事に合致しているのではないだろうか。水世はなるほどと一人で頷いた。

八百万からペンとボードを受け取った水世は、ペンのキャップを外してボードを見つめながら、思考を巡らせた。ヒーローネームと言われても、今後名乗ることは減っていくものだ。しかし職場体験の際は本名でなくヒーローネームで受け入れ先に挨拶することになる。おかしなものも付けられない。

急に考えろと言われると、何も思い浮かばないもので。プロのヒーロー名などを浮かべてみるが、自身の“個性”にちなんでいるものが多いような。しかし水世の“個性”は、名前にするには到底向いていないものだ。













ペンを握ったまま、手を動かすことができない。結局水世のボードは白紙のまま、十五分が経ってしまった。ミッドナイトはできた人から発表するように、と今更ながらに発表形式であることを告げた。流石に誰もトップバッターにはいけないのか、立ち上がろうとしない。だが青山は自信満々に席を立つと、教卓の前に立ち、ボードを掲げた。


「輝きヒーロー“I can not stop twinkling”(キラキラが止められないよ☆)」


まさかの短文に驚愕し、ミッドナイトは真面目に「I」を取り「Can’t」に省略した方が呼びやすいとアドバイスしている。もっと別の部分にツッコミどころはあるのではと皆が思っていれば、今度は芦戸がパタパタと駆けてきて、ボードを見せた。


「エイリアンクイーン!」

「2!!血が強酸性のアレを目指してるの!?やめときな!!」


ミッドナイトから却下をくらって残念そうに席に帰る芦戸をよそに、クラスの気持ちは恐らく一致していた。最初に変なものがきたせいで、まるで大喜利のような空気へと変わったのだ。この空気では益々発表しにくいなか、蛙吹が挙手をして自分の考案したヒーローネームを見せた。

小学生の時から決めていたらしい、フロッピーという名前。親しみやすく、可愛らしいお手本のようなネーミングセンスだ。彼女のおかげで空気が変わり、クラスからはフロッピーコールが上がっている。

蛙吹のおかげで続きやすくなった空気となり、他のみんなも続々と自身の考案したヒーローネームを発表していく。切島は自分が目指すヒーロー像である“紅頼雄斗クリムゾンライオットをリスペクトした、烈怒レッド頼雄斗、耳郎は自身の“個性”でもあるイヤホン=ジャック、障子はタコと触手を意味する「tentacle」を文字ってテンタコル、瀬呂はそのままセロファン、尾白はテイルマン、砂藤はシュガーマンと、安直ではあるものの覚えやすさに加えて自身の“個性”の特徴も備えている。

再考だった芦戸は、今度はピンキーとわかりやすく、覚えやすいヒーロー名だ。上鳴はチャージとイナズマを合わせてチャージズマ、葉隠は目に見えないを意味する英単語の「invisible」から、インビジブルガール、とそれぞれよく考えられたヒーロ名を発表していく。ミッドナイトもテンションが上がってきており、高らかに声を上げているが、相澤はそばにいてよく起きないなと水世は眠っている彼を見た。

次に発表した八百万はクリエイティブから取ったのだろう、クリエティ。轟は考えるのが面倒なのか、理由は定かでないが自分の名前そのままショートを。常闇は日本神話で夜を統べる神であるツクヨミ、峰田は自分の頭の「もぎもぎ」がぶどうに似ているからか、グレープジュース、口田は動物が好きなのだろうアニマルから取ってアニマ。


「爆殺王」


好評なヒーローネームが続くなか、何故それでいけると思ったのか、爆豪は鋭い眼光でボードを出した。心なしか文字も殺伐としているように見える。先程までみんなの発表したヒーロー名を褒めていたミッドナイトも、冷静にそういうのはやめた方がいいと告げている。


「じゃ、私も……」


少し恥ずかしそうにボードを出した麗日は、自分の名字と「gravity」を合わせたのだろう、ウラビティというヒーロー名を発表した。

皆思ったよりもスムーズに決まっていくなかで、残っているのは飯田、緑谷、水世、そして再考の爆豪だけだ。四人の中で一番最初に発表したのは、飯田だった。彼も轟同様に自分の名前にするようで、天哉とボードに書かれている。だがその表情が、どこか思い詰めた風に水世には見えた。

水世は脳内の引き出しから色々と引っ張り出していく。以前自身の“個性”関連で調べ物をした時の記憶を探って、いくつものワードを出していった。そしてふと、良さげなワードを見つけた。

彼女がペンを動かしていると、緑谷が自身のヒーロー名を発表していた。そこに書かれた文字に、みんながそれでいいのかと困惑している。


「今まで好きじゃなかったけど、ある人に“意味”を変えられて……僕には結構な衝撃で……嬉しかったんだ」


少し歪めいた文字だったが、ハッキリとデクと書かれているボードを見せて、緑谷はこれが自分のヒーロー名だとみんなを見つめて告げた。

今では好きになれた名前なのだと、照れ臭そうにしている緑谷の姿に、水世は羨ましさのようなものを覚えた。


「まだ発表してないのは誘さんだけね。誘さんどう、決まった?」


水世は頷くと、ペンのキャップをはめて立ち上がった。ボードを持ったまま教卓の前に来た彼女は、少し息を吐いてクラスを見渡す。視線が集中するのがどうにも慣れず、やはり居心地の悪さを感ながら、ボードを見せた。


「オールド・ニック……?」


ミッドナイトは察しがついたような表情で、少し眉を寄せた。八百万も知識として知っていたのか、少し驚いたような表情を浮かべている。他の人は意味がわからないのだろう、首を傾げていた。

ミッドナイトと八百万なら意味を察するだろうことは水世は予想済みだった。このままではミッドナイトから許可も降りないだろうこともわかっている。故に、納得してもらえるような意味合いはしっかりと用意している。


「オールド・ニックは、北欧神話のオーディンに他ならないという説があるんです。オーディンは様々な呼び名を持っていて、その中に『魔法の心得あるもの』っていうのもあるんです。オーディンは魔術に長けてましたから……だから、そこから取りました」


微笑みながら説明した水世に、周りはなるほどと感心しなが頷いた。ミッドナイトも少し考えたものの、そういう意味ならとオッケーを出してくれた。


《オーディンの呼び名は、たとえば全知全能、たとえば万物の神と様々ある。まあ、北欧神話の主神だしな。主神にして、戦争と死の神……中にはこんな呼び名もあったな……“仮面をかぶる者”……》


席へと戻りながら、水世は満月の声を聞いていた。


《金属元素の“nickel”。ドイツ語の“Kupfernickel”に因むが、前半の“Kupfer”は英語の“copper”。南ドイツで赤みを帯びた銀色の金属鉱石を大量に産出した土地が発見された。知ってるか?》


南ドイツでは、銅や銀などの鉱産資源が盛んに開発された時期があった。その頃に発見された鉱石。鉱夫たちはそれを溶かせば山ほど銅が採れると企んだが、純粋な銅は分離できず、それどころか分離の際に毒ガスが発生し、死人が出る始末だった。その後他の鉱山でも同じぬか喜びと失敗が続いたという。

満月はペラペラと語り口調で、楽しげに水世に聞かせている。


《中々賢いじゃねえか、おまえは本音や本心は言っていないが、嘘も言ってない》


再考の爆豪が、今度は爆殺卿と書かれたボードを見せている。変えるところが明らかに違うのだが、本人はそれにいつ気付くのだろうか。


《オールド・ニック。本来それが意味する言葉は――いや、言わずともおまえは知ってるか。だからコレを選んだ。一番誤魔化しやすく、意味の上塗りがしやすい》


満月が、にんまりと笑っているような気がした。