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夢の中ならまだ楽だった


一般市民からプロヒーローまでもが注目する雄英体育祭。その様子はテレビでも放映され、その日は誰も家から出ないでテレビに食いついているのではないか、なんて思われるほどの一大イベント。


『おっと、ここでA組誘とB組誘、同じ敵に向かって同時攻撃!流石は双子、シンクロしてらぁ!てか名字同じだからクラス言わねえと分かりにくいな!』


爆風で靡く真っ白な髪と、どこか影が見え隠れした金色の瞳は、自分の記憶に強く残っている姿だった。それだけあの日のことが印象深かったということだろう。記憶の中の姿はほんの少し、今より僅かに幼かったけれど、数年も経てばそりゃ少しは大人びるのも当然かと一人納得した。

白が似合う、簡単に壊れてしまいそうな――。


「いつぞやの、天使のお嬢さんだ」











テレビでは、ターボヒーローインゲニウムが、東京都の保須市をパトロール中、敵に襲われた事件について報道していた。インゲニウムは東京の事務所に六十五人ものサイドキックを雇っている大人気ヒーローであり、ヒーロー界でも群を抜く俊足を持っている。

彼を襲った敵は、近頃騒がれている連続殺人犯であった。通称ヒーロー殺しと呼ばれ、これまでに十七人のヒーローを殺害、二十三人ものヒーローを再起不能に陥れている。敵名はステイン。彼は現在も逃走中の凶悪犯で、足取りは未だ掴めていない。

幸いインゲニウムは一命を取りとめたものの、当然ながらヒーロー活動は休止に追い込まれている。再開についての目処も立っていない。彼の怪我について詳しい情報は出ていないものの、ネット上ではインゲニウム引退説が密かに囁かれている。何故ならステインに襲われ一命を取りとめたヒーローの数々が、ヒーロー引退を余儀なくされるような怪我を負わされているからだ。

難しい顔でテレビを見ている重世の後ろ姿を、水世は米を洗いながら静かに見つめた。彼は今のところはヒーロー殺しに遭遇していないが、いつどこに現れるかわからない敵だ。警戒を高めるのも当然のことだろう。

インゲニウムの姿がテレビに映り、水世はどこか既視感を覚えた。真っ白なコスチューム、それに彼の“個性”に見覚えがある。少し考えて、彼女はインゲニウムが飯田に似ているのだと気付いた。もしかすると親族なのかもしれない。年齢から考えると、お兄さんか。水世が考えていると、映像が切り替わった。

ニュースから、天気予報へ話題が変わった。明日は朝から雨とのことで、洗濯物を部屋干ししなくてはならない。買い物も昨日今日で済ませておいてよかった。学校帰りに買い物をして帰ってもいいのだが、家に着くのが遅くなってしまうし、伊世に付き合ってもらうのも申し訳ない。重世も仕事柄帰りが不規則だし、事務所が県内でないため帰ってこれないこともあったりする。また疲れているだろう時に買い物を頼むのはしのびなかった。


「……そういえば、そろそろ職場体験の時期じゃないか?」

「そう、ですかね?明日、プロからの指名の統計発表がされるとは聞いています」

「そりゃ楽しみだ」


何故だか水世より楽しそうな重世に彼女は不思議そうに首を傾げた。

炊飯器をセットした水世が冷蔵庫から夕飯の材料を出していると、玄関の開く音がした。伊世が帰ってきたのだ。彼は手を洗いに行ったのだろう、廊下の方から扉の開く音がする。


「ただいま」

「おかえりなさい」

「おかえり」


重世と水世に順に視線を移すと、伊世は重世が座っているソファーを通り越し、ダイニングテーブルの方へ行って椅子に座った。水世は一度手を洗い、ガラスコップを取り出してお茶を注いだ。それを伊世の前にどうぞと置くと、キッチンへ戻った。


「水世、本当に伊世についていかなくてよかったのか?」

「はい。私が行く場所ではありませんから」

「ついてこなくていいだろ。あんな奴らの墓参りなんて」


吐き捨てた伊世に、水世はそっと眉を下げた。重世は苦笑い気味に彼の言い方を注意するが、伊世は気にした素振りを見せない。

伊世は先程まで、両親の墓参りへ行っていた。伊世と水世が十三歳の時、二人は亡くなった。重世はその日仕事でいなかったのだが、四人で出かけていた際に無差別殺人に遭い、殺されたのだ。

十階建てのショッピングモールで起きた出来事だった。突然最上階で起きた爆破に、その階にいた者はもちろんのこと、下の階で爆破音を聞いていた者たちもパニックに陥った。そのパニック中に殺人が行われたのだから、余計に客の不安も恐怖も膨れ上がった。

伊世も水世も怪我はあれど命に別状はなく、そう酷い怪我もしなかった。駆けつけたプロヒーローに助けられ、保護された。しかし両親はどちらも犯人から殺されており、間に合わなかった。

伊世は両親をあまり好いてはいなかった。昔はそうでもなかったのだが、だんだんと、だんだんと、彼は両親を嫌っていった。両親の死は彼にとって辛いものであったことは確かであるが、それでもやはり、彼らを好きにはなれなかった。


「そう言うなよ、あれでも親なんだ」


宥めるように言っている重世の方へ、伊世が視線だけを移した。


「アイツらは水世に何をしてくれた?水世に何をした?……俺は許さない。おまえも、アイツらも」


キッと重世を睨みつけた伊世は、水世がくれたお茶を一気に飲み干すと、夕飯になったら呼んでくれとリビングを出ていった。階段を上っていく音が聞こえるため、自分の部屋へと戻るのだろう。

どこか気まずい空気感に包まれ、水世は居た堪れなくなった。伊世が怒っていた理由は自分が関係している。伊世が自身の親や重世をああも嫌う理由も、自分が関係している。それが彼女には重くのしかかっていた。


「……水世、思い詰めなくてもいいからな。おまえは何も悪くないんだ」

「…………はい」


そうは言われたものの、やはり自分が悪いのだと水世は思っていた。だって自分はそういう生き物だから、そういう存在だから。そう認識しているし、そう言われてきたのだから。













結局、伊世は夕飯を食べるとすぐに部屋に戻ってしまった。今日はよっぽどの用事がない限り、彼がリビングに降りてくることはないだろう。

水世はシャワーを浴び終えると、自分の部屋に向かった。白い壁の部屋には、黒い家具が多かった。色味のない、家具も最低限しか置かれていない。そんなスッキリとした、どこか寂しい部屋だった。ハンガーにかけられている雄英の制服は、この部屋に置くには浮いている。

唯一、この部屋に色を与えているとするならば。目覚まし時計のそばに置かれている、夕焼け空と海の写真だろう。

水世は、その写真を気に入っている。幼馴染から貰ったという点もあるかもしれないが、何故だか心惹かれたのだ。彼女同様に、伊世も同じ写真を貰っており、それを存外気に入っていた。時々絵を描くことのある伊世が、その風景を模写する程度には。しかし彼は模写した絵を見るたび、「なんか違う」とこぼしていた。


《おいおい、もう寝るのか?今日は何を読むんだ?》

《〈不思議の国のアリス〉にする》

《相変わらず夢物語が好きだな。しかし、読むなら最近の、キラキラとした幸せな夢物語の方がいいんじゃないか?》

《原作の方が好きだし、読み慣れてるの》


本棚には、そう多くは本は入っていなかった。それに並んでいるのは童話ばかりで、それも絵本ではなく原作の方の童話だ。水世は並ぶ本から目当てのものを取り出すと、部屋の電気を消した。窓から入る月明かりだけが室内を淡く照らしている。

彼女は早々にベッドに入ると、うつ伏せになって本を開いた。月光がベッドサイドランプの役割を果たしていたため、字が見えないなんてことはなかった。もう何度も読んだために内容は頭の中に入っているのだが、水世がこうして読み返すことはいつもあった。

文字を指でなぞりながら、内容を頭に入れていく。小声ではあるが声に出して読んでいることに、きっと水世は気付いていない。

満月はほとほと呆れてしまった。もう飽きるほどに聞かされている内容は、全文見なくても空で言えるのではないかとさえ思えるくらいだ。そもそも昔は――。そこまで考えて、満月は軽く鼻を鳴らした。

相変わらずだ。言葉にすることはせずにそう思いながら、満月は水世が読み終えるまでの間、静かに彼女の声に耳を傾けた。