- ナノ -

擬態で笑う気分はいかが


二回戦の第一試合が始まる前に、引き分けに終わっていた切島と鉄哲による、腕相撲対決が行われていた。両者互角で腕はピクリとも動かなかったが、接戦を制したのは切島の方だった。互いに何か感じる部分があったのか、どこか晴れた表情で握手を交わしている。


『今回の体育祭、両者トップクラスの成績!まさしく両雄並び立ち、今!!緑谷対轟!!START!!』


麗日が腫れた瞳で席へ戻ってきた。彼女が飯田と常闇の間に腰を下ろしたと同時、プレゼント・マイクの声が会場に響いた。

開始瞬間、轟が緑谷に向けて氷結を起こした。氷結自体はそう大きなものではないが、瞬く間に足下へと辿り着くスピードだ。緑谷はその氷結を“個性”で起こした爆風で打ち消した。暴風に乗って冷気が観客席へと勢いよく吹き、轟側にいる観客はそれを浴びていることだろう。

緑谷は轟の氷結を何度も打ち消しているが、“個性”のコントロールがまだ上手くできていないのだろう。既に右手の指がボロボロになってしまっている。轟は近接へ持ち込もうとしているのか彼に近付いたが、緑谷はそれをとっさに避けた。しかし体勢が崩れてしまい、その隙を轟は見逃さなかった。

瞬間、凄まじい暴風が吹いた。観客の帽子が吹き飛び、朝礼台も転がってミッドナイトが地面に投げ出されている。見れば、緑谷の左腕が二の腕辺りまで変色していた。お互い一歩も引かない戦いではあるが、今の緑谷の両腕では戦闘を続けることは難しいだろう。

リカバリーガールに治してもらえるとはいえ、これ以上続けるのは危険だ。対する轟の方は、傷一つ負っていない。しかし“個性”も身体機能の一つ。彼の体には霜が降り始めている。コスチュームのヒーターは、本来彼には必要ないはずだ。氷の使用で耐えられる冷気の限度がきても、左の炎を使えば解決できるはずなのだから。

一種のトラウマか。父と同じ“個性”は、父を思い出してしまうのだろう。母の泣く姿を思い出してしまうのだろう。加えて父親に対する憎悪や嫌悪が積み重ねられて、轟は周りはおろか、自分自身さえ見えていないように、水世には思えた。


「全力でかかってこい!!」


水世が顎に手を添えながら、視線を下げてボーッと考えていると、緑谷の大声が耳に届いた。水世が顔を上げると、轟の腹に緑谷の重い一発が撃ち込まれていた。

轟は、最初に比べてだいぶ動きが鈍くなっている。氷の勢いも弱まっており、あまり長期戦となると轟の方が不利に傾いていきそうだ。しかし緑谷の傷は尋常ではない。既に満身創痍であるが、恐らくはアドレナリンが大量に出ていることで痛みも軽減されているのだろう。それでも彼は攻撃の手を休めることをせず、轟を自分へ近付けさせない。


「笑って応えられるような……カッコイイヒーローに……なりたいんだ……!!」


ああまでして、腕や指が壊れるくらいになってまで、緑谷は轟に勝利したい気持ちがあるのか。ただヒーローになりたいという、その夢への原動力で。それは最早強迫観念にも似たような、鬼気迫るものを、水世は彼から感じ取った。


「――君の!力じゃないか!!」


ヒュッと、水世は息を呑んだ。ボロボロになって、傷だらけになっているのに。氷漬けになった轟の心を溶かすような熱量を含んだ叫び。彼を救おうと必死になっている。そんな緑谷の姿が水世には眩しく見えて、今にも自分という存在がその眩さで消されてしまいそうに思えた。

ああやって、真正面から己の力であるのだと言えること。それはきっと幸せなことだと水世には思えた。自分にはできないことで、だからこそ眩しかった。自分では到底近付けやしないのに、何故だか手を伸ばしたくなった。

轟の左側から、激しく燃え上がった炎。それは彼の左半身を包むようにして揺らめいていた。左半身に炎を、右半身に氷をまとった彼の姿が、水世の目に焼きついた。

突如観客席から轟の名を呼ぶ声が響いた。彼の父親であるエンデヴァーその人である。果たしてそれは息子への激励をしたのだろうか。対する轟は彼の声が聞こえていないのか、それとも聞こえていて無視をしているのか、エンデヴァーの方へと視線を寄越しはしなかった。

緑谷と轟、両者の“個性”が真っ向からぶつかり合った。その威力は凄まじく、激しい爆音を轟かせ、今までの比ではない爆風が会場を襲った。危うく飛ばされかけた峰田を障子が掴んでいる。今までの轟の氷で散々冷やされていた空気が、瞬間的に熱されたことで膨張したのだ。

風は止むも、爆炎がステージを覆っており、果たして二人がどうなったのかがわからない。徐々に厚い煙が晴れていき、誰かの靴が見えた。


「緑谷くん……場外……」


気を失っているのだろう、壁に叩きつけられたらしい緑谷が、横向けに倒れた。ステージ上には、服の左半分が燃えてしまった状態の轟が、確かに両足で立っていた。


「?どうした誘」

「ちょっと、お手洗いに……」


ふらりと立ち上がった水世に、障子が声をかけた。彼女はへらっと笑ってそう告げると、観客席を出ていった。

どこか生気のない表情を浮かべながら、水世はゆっくりとした足取りで、壁伝いに廊下を進んだ。辿り着いたトイレの個室に入って鍵を閉めると、ズルズルとその場にへたり込んだ。


「……憎んでいた炎を、彼は使っていた……あの姿が、きっと轟くん本来のものなんだと思う」

《それがどうした》

「……私の本来の姿が、急に浮かび上がった」


彼女は独り言のように小声で呟きながら、満月と会話をしていた。恐らく声を出しているのは無意識なのだろう。水世は自分の顔を両手で覆い隠しながら、僅かに体を震わせた。視界の奥が回転していく感覚を覚え、彼女の呼吸も荒くなっていく。


「不意に、ふとした時に、皮が剥がれるんじゃないかって……今はこうして擬態できてるけど、でも、それも崩れてしまうんじゃないかって……急に不安になった……」

《皮に、擬態ねえ……》


呆れたような声音の囁きだった。


《落ち着け水世。なんのための契約だ?なんのための能力制限だ。おまえの言うところの擬態が剥がれないためだろう?》


満月の言葉に、水世は僅かに反応した。そうだ、その通りだ。彼の言う通りだ。心の中で自分に言い聞かせるように彼女は呟いた。ハッと息を吐いた水世は、彼の言葉を受けて落ち着きを取り戻したのだろう、体の震えが徐々におさまっていった。


「……緑谷くんは、轟くんを救おうとしてた気がする……」

《それがどうした》

「眩しかったの、とても……あの光に近付けば、私は消えるのだと思った。劣等感みたいなものが浮かんで、目を瞑ってしまいたくて、でも……でも、あの光に手を伸ばしたいと思った……」

《へえ……自殺願望か?》

「……そうなのかもしれない」


ゆっくりと深呼吸を繰り返した彼女は、便座に手を置きながら立ち上がった。


《復活かい?》

《……一応は……》


そりゃあよかった。呟いた満月に、水世はお礼を告げてトイレを出た。

彼女が観客席へ戻ると、損壊の激しかったステージは元の状態へ戻っていた。緑谷のもとへお見舞いに行った蛙吹たちによると、彼の怪我は手術が必要なほど酷いらしい。それではリカバリーガールからの治療はすぐには受けられないだろう。


「大丈夫か、誘」

「ん?」

「少し、顔色が悪いようだった」


隣に戻ってきた水世に、障子が複製した口を近付けて声をかけた。瞳をぱちりとさせた彼女は数秒黙ったが、平気と笑った。

再開された試合は、どれも短期決戦が続いていた。飯田VS塩崎は、飯田が持ち前の機動力を活かして即座に塩崎の背後に回り込んで彼女を場外へ押し出した。常闇VS芦戸も、常闇は芦戸を自身に近付けさせることなく場外へ。

今現在は、切島VS爆豪の試合が行われていた。爆豪の爆破も切島の硬化には効いていないようで、開始早々から切島が猛攻を続けている。一見すれば切島の方が有利に見える状況だ。しかしずっと硬化状態を保ち続けて速攻を仕掛けていれば、どこかで綻びが起きる。それを見逃さなかった爆豪が、絨毯爆撃で切島を倒し、ベスト4に入った。


「あの掛け声は、やめた方がいいと思うんだけどね」

「全くだな」


爆豪の「死ねえ!!」という言葉に対しての水世の感想に、隣に座っている障子が大きく頷いた。流石に、ヒーローにあるまじき言葉である。

ベスト4が出揃い、早速準決勝が始まった。最初は飯田VS轟の試合だ。轟は試合開始早々氷結を仕掛けたが、流石にスピードは飯田の方が上だった。彼はレシプロバーストで轟に重い蹴りを入れると、彼を掴んで場外へ放り出そうとした。しかし轟は蹴りの時に既にエンジンを凍らせており、飯田の動きが止まった。そこに追い打ちをかけるように轟は彼の体を氷結で固め、飯田を行動不能にして決勝へと勝ち進んだ。

次の決勝は、爆豪VS常闇だった。爆豪のラッシュに常闇は防戦一辺倒となっている。彼の“個性”の弱点は光だと、水世は常闇本人から聞いていた。つまりは、常闇は爆破の光で攻撃に転じることができていないのだ。常闇、そして黒影にとっては、見事に相性の悪い相手である。

ついに黒影が爆豪の“個性”で完封され、常闇も爆豪に押さえつけられた。あそこから反撃はもう無理だろう。常闇自身それを理解したようで、潔く降参した。それにより、決勝戦へは爆豪が勝ち進むこととなった。


「常闇くん、相性が悪かったね」

「自身の弱点に対する対策は、立てておかなくてはいけないな」

「……そうだね」


水世は自身の左手を見つめながら、障子の言葉に頷いた。