- ナノ -

自分の勝敗は置き去りで


A組の控え室は、これから始まる体育祭への不安や緊張、期待で溢れていた。周囲の話声を聞きながら、水世は椅子には座らずに、壁に背を預けて目を閉じていた。別に精神統一をしてるわけでも、眠気があるわけでもない。

体育祭は学年別総当たり。つまりはB組にいる伊世とも勝負をすることになる。今朝、水世は彼から、自分のために負けるなんてことはするなと釘を刺されていた。その件について、ずっと考えていた。伊世のために負けることはダメだが、彼を勝たせようと動くことはいいのだろうか、なんて。そんな屁理屈じみたことを。


「客観的に見ても、実力は俺の方が上だと思う」


聞こえた声に水世が目を開ければ、轟が緑谷に声をかけていた。彼の発言に周囲の話し声が止み、控え室内がしんとなった。

ストレートな物言いに体をビクつかせた緑谷は、彼の発言に少し落ち込んだ様子を見せつつも、否定することなく頷いた。轟は何故彼をライバル視しているのかは知らないが、ハッキリと、おまえには勝つぞと宣言した。

空気が少しざわついた。切島が喧嘩腰な轟を宥めようとするが、彼は仲良しごっこではないのだと切島の手を軽く振り払うと、踵を返した。だがそれを受けて、グッと両の拳を握った緑谷が自分の発言を素直に認めたのを聞いて、足を止めて顔だけ振り返った。


「でも……!みんな、他の科の人も、本気でトップを狙ってるんだ」


顔を僅かに俯かせつつも、緑谷は先程よりも大きな声で言葉を続けた。轟はそんな彼に体の向きを戻し、まっすぐに、射抜くように見つめている。その目がやはり冷たいものに見えて、水世は彼から視線を外した。


「僕だって……遅れを取るわけにはいかないんだ……!僕も本気で、獲りにいく!」


顔を上げた緑谷は、真剣な瞳で轟を見つめ返し、力強く答えた。その決意を汲み取ったのだろう、轟は一言だけ返事をした。

二人のやり取りで、少しばかり気まずげな空気が漂った。しかし入場の時間が訪れたことで、すぐにその空気は雲散し、皆控え室を出た。

通路の向こうからは、いくつもの声が聞こえてくる。観客の声と、実況であるプレゼント・マイクの声だ。A組の生徒たちが近付いてきた光に足を踏み入れた途端、沸くような歓声が上がった。体育祭会場は一般開放もされており、会場には十二万人もの人数が収容できる。四方八方を観客席に囲まれた状態で、どこを見ても満員の観客席が見えた。

緊張している様子のクラスメイトに混じりながら、水世は中央へ歩いていった。続いてB組、普通科のC・D・E組、サポート科のF・G・H組、経営科のI・J・K組も入場してきた。こう見ると一年生も随分な人数がいるのだと、水世は周囲に視線を向けながら思った。

生徒全員が入場を終え、朝礼台の前へとクラス別に並ぶと、一年の主審である18禁ヒーローミッドナイトが朝礼台に立った。彼女は持っていた鞭を振ると、選手宣誓を告げた。


「18禁なのに高校にいてもいいのか」

「ギリギリセーフ……?いや、一年や二年からするとアウト?」


周囲の男子生徒が彼女の大胆なコスチュームにドギマギしているなか、常闇は一人冷静に指摘している。水世がそれに対して真面目に考えながら返していれば、峰田はサムズアップをして力強く「いい」と答えた。会話内容が聞こえたのか、ミッドナイトはピシャン!と鞭を打ちながら、静かにするよう注意した。

改めて選手宣誓と告げたミッドナイトは、爆豪の名を呼んだ。彼は何食わぬ顔で、ポケットに両手を入れながら朝礼台へと歩いていく。A組の生徒たちは驚いてはいるものの、爆豪は一応入試一位で通過しているのだ。代表として選ばれても、おかしいことではない。


「ヒーロー科の入試な」


近くから、ふてぶてしい声で聞こえた。そちらには普通科の女子生徒が呆れたような顔をして、ヒーロー科の生徒たちを睨むように見ていた。二週間前の爆豪の言動もあってかA組は特に敵視されているようで、そんな周囲の反応に、最早苦笑いをする他なかった。

朝礼台に上がった爆豪は、間延びした声で「せんせー」と呟いた。A組の生徒たちは嫌な予感を覚えながら、ハラハラと爆豪の背を見つめている。緑谷がゴクリと喉を鳴らすと、爆豪は仏頂面のまま口を開いた。


「――俺が一位になる」

「絶対やると思った!!」


彼の発言で、A組以外のクラスから怒涛のブーイングが上がった。彼は「跳ねのいい踏み台になってくれ」と火に油を注ぐように続ける。ただでさえ他クラスからの好感度の低いA組は、これで余計に下がったことだろう。むしろもう下がりようもないのではないか。水世はそんなことさえ思えてきて、窺うように伊世の方を見つめた。彼は存外無表情で、特に怒っている様子は見受けられず、彼女は一安心した。


「さーて、それじゃあ早速、第一種目いきましょう!」


投影ビジョンがミッドナイトの後ろに現れた。ドラムロールと共にルーレットが開始される。第一種目は所謂予選であり、毎年ここで多くの生徒が振り落とされることになる。皆が緊張の面持ちでビジョンを見つめるなか、ルーレットがピタリと止まった。


「さて、運命の第一種目!今年は……コレ!!」


ドンッ、と提示された種目は、障害物競走。計十一クラスでの総当たりレースとなり、コースはスタジアムの外周約四キロ。自由な校風が売り文句ということもあり、コースを守るならば何をしてもかまわないという発言がミッドナイトから飛び出した。障害物は周囲の生徒もということか。そんなことを思いながら、水世はスタート位置へ歩いた。

スタートゲートの上にある電灯が、一定間隔で消えていく。パッと三つ目が消えたと同時に、スタートの声が会場に響き渡った。瞬間皆が狭いスタートゲートを駆けていくも、密集していることもあってか、以前のマスコミ騒動のような押し合い圧し合い状態である。

人数からしてスタートゲートの横幅が狭いことは見てとれる。それを教師陣も把握しているはずだが、あえてこのままであることを考えれば、このスタート地点が既に最初のふるいであることは明白だった。

どうここを抜け出そうかと水世が考えていれば、背後から冷気を感じた。誰が発しているかは即座に理解できた彼女は、振り返ってその場で高く跳ねた。瞬きする間もないほどのスピードでスタートゲートが凍らされて、多くの生徒が足を固められている。

駆け抜けて先頭に出たのは、やはり轟であった。彼は身動きの取れない他の選手たちを尻目に早々にゲートを抜け出していく。それを追いかけるように、A組の生徒や氷を避けた他の生徒たちが駆け出していった。

ゲートを抜けて曲がりくねった道を走り抜けていくと、少しひらけた場所に出た。そこには一般の実技入試で見た仮装敵が数多く現れた。


『さあ、いきなり障害物だ!まずは手始め……第一関門、ロボ・インフェルノ!!』


0P敵がぞろぞろと現れ、選手たちの行く手を阻んだ。まだこんなに数があったのかと水世が見当違いなことを思っていれば、轟が上体を低くした。右手を地面につけたと思うと、指先で地面を擦りながら、一気に腕を上げた。彼の手の動きに合わせるように氷が形成され、目の前にいた敵が瞬く間に凍らされる。

敵の体の隙間を通り抜ける轟を見て、他の選手たちもそれに続こうとした。しかし不安定な体勢で凍らされている敵は、ぐらついたと思ったと同時、選手たちの方へと前のめりに倒れた。

攻略と妨害を同時に行うことで、後ろと差をつける。なるほど賢い方法だと頷いた水世は、これを避けるか、それとも倒すかで悩んでいた。

不意に誰かが潰されたという声が聞こえて、水世は慌てて倒れている敵の方を見た。まさかとは思うが伊世が、と焦りを覚えたのだ。だが鉄塊から出てきたのは、切島だった。


「轟の野郎!わざと倒れるタイミングで!俺じゃなかったら死んでたぞ!!」


硬化で潰されずに済んだようだった。確かに彼でなかったら潰されて圧死だったことだろう。そんな彼の隣から音が聞こえたと思うと、装甲が盛り上がっていく。そしてまた、誰かが現れた。


「俺じゃなかったら死んでたぞ!!」


B組の鉄哲だ。どうやら彼の“個性”は切島と似た類いなようで、潰されても平気だったらしい。切島は“個性”がだだ被りしていることに僅かにショックを受けながら走り出した。

爆豪は意外にも正面突破せず、爆破を連発させて敵を飛び越えていく。それに便乗して、瀬呂と常闇も下をくぐるのではなく、上から飛び越える策でいくようだった。

水世は少し考えて、“個性”を発動させた。魔法陣を展開させると、敵を視界に捉える。瞬間、真っ黒な鎖が足に巻きついた。それと同時に、同じ敵の頭部に無数の矢が放たれていった。


『おっと、ここでA組誘とB組誘、同じ敵に向かって同時攻撃!流石は双子、シンクロしてらぁ!てか名字同じだからクラス言わねえとわかりにくいな!』


水世が周囲を見渡せば、白い魔法陣を出している伊世の姿が見えた。

彼女は今回は鎖で動きを止めながら、第一関門を駆け抜けていった。周りを見れば、A組の生徒たちが先行していくように走っている。


『一足先行く連中、A組が多いなやっぱ!』

『――立ち止まる時間が短い』


プレゼント・マイクと、彼に無理矢理連れてこられたらしい相澤の実況と解説を行う声が聞こえてくる。水世は邪魔なロボットを退けていきながら、ふと伊世の方へ視線を移した。彼は難なくロボットを対処し進んでいる。

彼のために負けてはいけない、しかし彼を勝たせるための行動は何かしらあるのではないか。あれこれ思考を巡らせていた彼女が次に足を踏み入れた関門。それは――。


『落ちればアウト!それが嫌なら這いずりな!ザ・フォール!!』


壮大な、綱渡りゾーンだった。