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笑顔の面を被って生きた


放課後、お手洗いに行っていた水世が教室に戻ろうとすれば、A組の前に他学科の生徒たちの人集りができていた。中に入れもしなければ出れもしない。そんな状態に、水世は困ったように頬を掻いた。

恐らく体育祭が近いこともあってのことだろう。雄英が敵の襲撃を受けたことはメディアも取り上げている。A組が敵相手に耐え抜いたことも、校内には瞬く間に広がっており、少しばかり有名になっていた。敵情視察のようなものか、好奇心か。どちらにせよ、こうして扉の前を塞がれると、些か迷惑である。水世はどうにか人が退いてくれないかと待っていれば、教室から「意味ねぇから退けモブ共」という声が聞こえた。

爆豪であると即座に判断した水世は、なんだかめんどくさいことになるのではないかという不安を覚えた。それは残念ながら的中してしまい、彼の攻撃的で上から目線な物言いにより、集まっていた生徒たちのヘイトをことごとく集めてしまった。

生徒の中には当然、最初からサポート科や経営科を狙って雄英を受けた者もいる。だが中には、ヒーロー科を落ちてしまったために他の学科へ入ったという者も少なからずいる。何故なら、体育祭のリザルトによっては、ヒーロー科への編入も検討してくれるからだ。そして、その逆もまた然り。


「敵情視察?少なくとも普通科おれは、調子乗ってっと足元ゴッソリ掬っちゃうぞっつー、宣戦布告しに来たつもり」


人集りが多く、誰が喋っているかは聞こえないが、他の学科からの大胆不敵な挑戦状だということは理解できた。すごいなあと他人事のような感想を水世が抱いていると、B組の生徒だという男子生徒の声が聞こえた。


「敵と戦ったっつうから話聞こうと思ってたんだがよぅ!エラく調子づいちゃってんなオイ!」


集団の中から身を乗り出すように――実際に出したのは頭だが――して、鉄哲がA組の生徒たちに怒号のようなものを飛ばした。これは確実に、普通科のみならずB組も敵に回してしまったのではないだろうか。これではA組はまるでヒールではないかと思いつつも、いやしかし、自分にはピッタリだと水世は自嘲気味に笑った。

集団を鬱陶しそうに押し退けた爆豪と、廊下で人が散るのを待っていた水世との目が合った。彼は相変わらず眉間にしわを寄せたまま、彼女を気にすることなく帰ろうと歩きだした。


「あの言い方だと、無駄に敵作っちゃうよ」


困ったように笑った水世が声をかけると、爆豪は足を止めた。睨むように、と言うよりも完全に睨んでいる目つきで水世を見つめた爆豪は、不快そうに顔を歪めた。


「てめェ……その薄っぺらい面、気色悪いんだよ」


水世は、瞳をぱちくりとさせた。彼の言葉に眉を下げると、とりあえず謝りながら微笑んだ。しかし逆効果だったようで、彼の機嫌をより損なってしまったようだった。


「気色悪いっつってんだろ、その耳は飾りか?顔と中身が伴ってねえんだよ。見下してんのも大概にしろよ」


盛大に舌打ちを落とした爆豪は、大股で水世の横を通り過ぎていった。水世は振り返ることはせず、困り顔のまま髪を掻いて、視線を下げた。

随分な言われようだったが、水世は特に言い返す気はなかった。言われたことに対する苛立ちも感じなかった。合っていると言えば合っているのだろうし、しかし全てというわけではない。半分当たり、半分外れと言ったところだった。


《鋭いガキじゃねえか……ま、見下してるって点においては的外れもいいとこだがな。他者を見下す……おまえには縁遠い言葉だな》


静かに呟く満月の声を聞きながら、水世は徐々に散っていく人の群れに入っていった。彼女が教室へ戻れば、微妙な雰囲気が漂っていた。十中八九爆豪が原因だろう。普通科の生徒だけでなく、同じヒーロー科のB組から見たA組の印象は、先の彼の言動からして、決して良いとは言えないはずだ。爆豪一人の性格の問題だが、この場合は連帯責任となるのか。とんだとばっちりを受けてしまった気分だ。


「廊下まで聞こえてたけど、体育祭、ちょっと不安だね」


水世が扉の近くにいた緑谷に声をかけると、彼は苦笑いを浮かべた。緑谷と爆豪は仲良しとはお世辞にも言いがたい関係性だ。恐らくは雄英に入る前からの知り合いなのだろう、互いをあだ名――緑谷の方は所謂蔑称だが――で呼び合っている。だが爆豪の方が一方的に緑谷を嫌悪しているようで、まるでいじめっ子といじめられっ子だ。


「かっちゃんは、あれが通常っていうか、ナチュラルっていうか……」

「自信家なんだね。まあ、大事だしね、自信を持つこと」

「いや、アレは過度すぎんだろ……」


峰田に指摘されて、水世は確かにそうかもと笑った。しかし、自信は過剰ではあるが、それだけの実力はある人物だ。身体能力が高く、戦闘センスも申し分ない。攻撃的な言動や粗暴が目立ちはするが、ああ見えて勉強もできる。基本的に何事も卒なく熟せる天才肌。加えて、観察力にも優れている。そこには野生の勘もあるのかもしれない。

彼が自分の実力を過大評価するだけの才は、確かに揃っている。その才に驕ってはいるものの、いかんせん実力自体は一級品である。ただ性格に難ありといった、ある意味問題児だ。


《ああいうタイプの人間は、大概挫折ってのを知らずに生きてきてる。周りに持て囃され、褒められて、失敗を知らない。故に、自分は特別なのだと誤認し、自分はすごい奴なのだと錯覚するのさ。おまえとは真逆だなあ、水世》

《……そうだね、真逆だ》


一言、存外冷めた声音で返した水世だが、表に見せる表情は笑みのままだった。これは確かに、顔と中身が伴っていないのだろう。爆豪の言葉を思い出した彼女は、言われた通りだと心の中で自分に対して呆れてしまった。


「でも体育祭って、学科全部ごった煮だろ?学年別総当たりってやつ。ヒーロー科は結構有利なんじゃねえか?」

「確かにね〜」


砂藤力道の言葉に、芦戸が大きく頷きながら同意を示した。ヒーロー科には、その学科特有のヒーロー基礎学を通して、普段から戦闘訓練などの実技授業を行なっている。そうした経験値を考えると、確かにヒーロー科は他の学科に比べると比較的動くことができるのだろう。それも種目によるところではあるが、何せ体育祭だ。動くことが前提とされている。

各学科で公平を期すために、何かしらの規則はあるだろう。たとえばヒーロー科であれば、ないと支障をきたす場合を除いて、コスチュームの着用及びサポートアイテムの持ち込みは原則禁止とされている。それが大きく不利に働く者もいれば、そう大したハンデにはならない者もいるだろう。

参加種目は当日までは聞かされない。どんな種目が待ち受けているかは当日までのお楽しみというやつだ。何せ実際にプロとして戦う時は、相手がどんな“個性”であるのか、どんなことが可能なのかが最初からわかっているわけではない場合も少なくない。そのため、先に対策をするということができないので、何がきても大丈夫なように、臨機応変な対応が求められてくる。

参加種目の決定と、それに伴う個々の準備。体育祭までの時間は二週間もあるが、それらを考えると、あっという間に過ぎていくことだろう。