- ナノ -

眩しさにいつも目が霞む


「マント、ありがとう。これはお詫び。バタークッキー作ったんだけど、食べれる?」

「気を遣わせてすまない。ああ、大丈夫だ。ありがとう」


常闇に借りていたマントを手渡した水世は、小さな紙袋も一緒に差し出した。中には昨日の臨時休校の際に作ったクッキーが入っていた。水世は笑みを見せながら常闇に二つを渡し終えると、もう一つ手に持っていた紙袋を、轟の方へ差し出した。


「ヒーター貸してくれたお礼。クッキーって大丈夫かな?あ、これは市販のだから、変なのは入れてないよ。いらなかったら捨ててくれても大丈夫だから」


少し驚いた顔をした轟は、「ああ……」と一言だけこぼしてそれを受け取った。水世は二人にもう一度お礼を伝えると、自分の席へ戻った。

朝のHRが始まろうとするなか、飯田が教卓の前で皆に席に着くように呼びかけている。しかしながら席に着いていないのは飯田だけであり、それを瀬呂範太が冷静に指摘した。

飯田が席に着いて少し、教室の扉が開いた。てっきり相澤の代わりに別の教師が来るものと皆思っていたが、入ってきたのは包帯でぐるぐる巻きにされた相澤だった。彼は少しヨロヨロとしつつも教卓の前に歩いていく。顔全体も包帯を巻かれている状態であり、視界も悪いだろうに。水世はプロ根性なのか、プロの意地なのか、とぼんやり思った。

無事だったとは言いがたくはあるが、それでもこうして復帰した彼に生徒たちは安堵している。だが相澤は自分の安否などどうでもいいと一蹴すると、まだ戦いが終わってないこと告げた。また敵が何かを仕掛けてきたのかとクラスの雰囲気が不穏になるなか、包帯の隙間から相澤の瞳が僅かに覗いた。


「雄英体育祭が迫ってる!」

「クソ学校っぽいのきたあああ!!」


安堵と共に、歓声のような声が上がった。だが反対に、敵に侵入されたばかりだというのに開催しても平気なのかという懸念の声も上がった。しかし、逆に開催することで雄英の危機管理体制が盤石だと示す、という考えでの決定とのことだった。警備も例年の五倍に強化し、警戒態勢も怠らない。


「何より雄英ウチの体育祭は……最大のチャンス。敵如きで中止していい催しじゃねえ」


雄英体育祭は、今や日本のビッグイベントの一つとなっている。かつてはオリンピックがスポーツの祭典と呼ばれ、全国が熱狂した。だが規模も人口も縮小したことで、オリンピックも形骸化してしまっている。そういった背景から、日本において今、「かつてのオリンピック」に代わるのが、雄英体育祭であった。

この体育祭は全国でテレビ中継され、一般市民だけではなく、スカウトを目的として全国のトップヒーローも注目している、ヒーロー科にとっては重要な行事なのだ。

資格習得そつぎょう後はプロ事務所にサイドキック相棒入りが定石。そこで経験値を積んで独立する者、サイドキックを続ける者もいれば、独立しそびれて万年サイドキック止まりという者もいる。

当然ながら、名の知れたヒーロー事務所に入った方が経験値や話題性も上がる。この雄英体育祭でプロに見込まれれば、その場で将来だって拓けるというわけだ。


「年に一回、計三回だけのチャンス。ヒーローを志すなら絶対に外せないイベントだ!」













四時限目の現代文の終了を告げるチャイムが鳴り、セメントスが教室を出ていった。途端に教室は騒がしさを増した。普段から昼休みは賑やかだが、今日はいつにも増して賑やかだった。話題は全て、体育祭についてだ。

みんな体育祭が楽しみで仕方がないようで、普段は朗らかで笑顔が素敵な麗日も、うららかさはどこへいったのか、闘志に満ちた表情をしているし、飯田も独特な動きで燃えていることを表現している。


「プロの方々の目にとまるよう、頑張らなくてはいけませんね」

「そうだね」


八百万に誘われ、水世は食堂に向かっていた。彼女はいつも豪勢な弁当を持参しているが、水世に合わせて、わざわざ食堂で弁当を食べている。

先に席を取っておいてくれると言う八百万の言葉に甘えて、水世は何を食べようかと、複数の列を見つめた。一番列が短そうだったそばの列に加わった水世は、カウンターでそばを受け取って、八百万を探した。辺りを見回しながら方向転換をしようとした彼女だが、人がいたことに気付いて咄嗟に止まった。相手に謝罪を伝えると、そこにいたのは轟だった。彼も席を探しているのだろう、手には水世と同じそばの乗ったトレイがある。


「轟くん、席探してるの?よかったら一緒に食べる?八百万さんも一緒だけど」

「……いや、いい」

「そっか。あ、ヒーター。壊れてない?」

「べつに、問題ねえ」


笑顔で話しかけてくる彼女に不信感を抱いているのだろう、轟は訝しげな目を水世へ向けて、少し迷惑そうな表情を浮かべた。彼女は轟のその表情を見て、見つかるといいねと声をかけて彼に背を向け、再び八百万を探しはじめた。

しばらくして、こちらに手を振る八百万を見つけた水世は、彼女の方へ歩み寄り、席を取ってくれていたことにお礼を言いながら、トレイをテーブルに置いた。八百万の向かい側に座った水世は、いただきますと呟くと箸を手に取った。


「八百万さんって、ご飯結構食べるよね」

「私の“個性”のエネルギー源は体内の脂質なんです。ですので、普段からこうしてエネルギー源を蓄えておりますの」


八百万の弁当は、いつも彼女一人で食べるには多いのではないかと思うような重箱に入っている。それでも八百万はぺろりとたいらげるのだから、実は大食いなタイプだった。しかしなるほど、“個性”の性質上だったのかと、水世は納得した。


「お母さんが作ってくれるの?」

「いえ。うちで働いているシェフの方が」


シェフ。呟いた彼女に、八百万はにっこりと笑いながら頷いた。仕草や口調、言動が丁寧で上品だとは節々から感じていたが、やはりどうやら、八百万はお嬢様というものなのだろう。水世はどう反応すべきかと数秒悩んで、すごいねと一言返した。


「水世ちゃんは、お菓子作りができるんですか?今朝、常闇さんに渡しているのが聞こえまして……」

「一応。そんな大それたものは作れないけどね」

「まあ……!水世ちゃんの作るお菓子は、美味しそうですね」


そんなことはないと笑った水世は、家にまだ作った分が残っていることを思い出した。八百万のキラキラとした瞳を真正面から見た彼女は、その瞳が少し眩しいような気がして、視線を器の方へ向けながら、彼女にも食べるかどうかを聞いた。瞳をぱちくりさせる八百万に、水世は家にまだ残ってることを伝え、いるなら明日持ってくると言いながらそばを啜った。


「い、いいんですか……?」

「うん。作りすぎてたから、食べきれなかったらもったいないし」


パアッと顔を明るくした八百万があまりにも嬉しそうで、水世は僅かに苦笑いを浮かべた。妙に期待されているが、普段からお抱えのシェフが作っている料理を食べている彼女の舌に、果たして合うのかどうか。

若干の不安を覚えている水世に気付いていない八百万は、自分ばかりが貰うのは申し訳ないと呟いて、自分も何かできないかと考えはじめた。気にする必要などないのに。そうこぼした水世に、いいえ!と八百万は声を上げた。


「私が、水世ちゃんに何かしてあげたいんです。こうして一緒にお昼を食べたり、色々お話したり、そのお礼も兼ねて」


お礼をされるほどのことでもないのに、律儀だ。内心そう思いながら、水世は緑茶を飲んだ。弁当を食べないのだろうかと、真剣に考えている様子の八百万を見ながらそばを啜る水世に、彼女は何か浮かんだのか、そうですわ!と手を一つ叩いた。


「私のお弁当の、好きなおかずを食べてください」

「え?いや、悪いよ」

「遠慮なさらず。日頃のお礼の意味もありますので」


ニコニコしながら自分の弁当箱を寄せてきた八百万に、水世は断りきれず、じゃあ、とこぼして弁当箱を一通り眺めて、無難に卵焼きを貰った。

甘めの卵焼きは、八百万の好みなのだろう。ふわふわとした食感やこぼれ出た卵白のとろみは、自分では作れそうにない。流石はプロと言わざるを得ない仕上がりで、水世は美味しいとこぼした。八百万はお口に合って良かったと笑っている。


「私は甘い方が好きなんですが、味の好みは大丈夫でしたか?」

「うん?嫌いじゃないよ」

「でしたら、まだありますので是非!」


目を輝かせる八百万を断ることができない水世は、ありがとうと笑ってもう一つ卵焼きを貰った。やはり、味は甘かった。