- ナノ -

それは君の優しさなのか


雨風をしのぐように、建物の影で水世たちがおとなしくしていると、何かが破壊されたような音がUSJ内に響いた。ドームの中にいた水世たちにも聞こえるほど大きな衝撃音に、三人は何事だと顔を見合わせた。

外で何かが起こっていることはこの音を聞けば容易く理解できる。だが、その音の発信源が誰なのかわからない以上、無闇矢鱈に飛び出すのは危険に思えた。


「おう、ここにはオメェらが飛ばされてたか!三人とも無事なようだな」


音が聞こえてから十分ほど経った頃だろうか。プレゼント・マイクが三人のもとへ駆けつけた。彼は、飯田から敵の襲撃を受けたと報告されたこと、校長の命ですぐに動ける者を集めて応援に来たこと、他のゾーンや広場の敵は退けたことを告げると、ゲートの方へ行くように促した。


「雨風に晒されてんだ、しっかり体を温めとけよ!」


三人はこの場をプレゼント・マイクに任せ、ドームの外へ出た。なんだか久々に光を浴びたかのような感覚を覚えながら、水世はびしょ濡れの髪を軽く絞った。


「水世、常闇、口田!おまえらも無事だったか!」

「三人ともびしょ濡れだけど、大丈夫?」


長い階段を上り終えた三人に、クラスメイトたちが駆け寄った。皆目立った傷はないようだが、蛙吹や峰田は水難ゾーンに飛ばされたのか、服や髪が僅かに湿っている。心配してくれるみんなに笑みを返しながら、水世はマントを常闇に返そうとした。だが、もうしばらく着ておけと言われ、素直にまだ借りておくことにした。

外に出れば、校長が手配したのか警察が到着していた。彼らはすぐさま気絶している敵の確保に向かい、帽子を被っている刑事が生徒たちの人数を数えている。

緑谷一人が両足重傷という怪我を負ったが、他の生徒たちは皆ほぼ無傷な状態だった。皆自分たちがどこに飛ばされたのか、敵の強さなどについて話をしている。水世は常闇のマントの裾を絞りながら、洗って返すべきかと考えていた。


「水世ちゃん、大丈夫でしたか?今タオルを作ります」

「いや、いいよ。八百万さんも疲れてるだろうし」


水世に駆け寄った八百万は、自身の“個性”でタオルを創ろうとした。彼女は生物以外であればあらゆる物を自分の体内で創りだせる。それには対象の分子構造を理解しておく必要があるが、彼女の知識量にかかればタオルくらい容易く創ることができるだろう。

心配そうに眉を下げる八百万に笑みを見せながら、校舎の更衣室にタオルがあるからと水世は断った。


「ああ、君。タオルなら積んであるから用意しよう」


刑事が二人に声をかけると、水世同様に濡れている生徒の数を確認して、人数分のタオルを持ってきてくれた。ここは厚意に甘え、水世は素直にそれを受け取った。だが毛布は大丈夫だと断り、お礼を伝えた。

マントを脱いだ水世はタオルを肩にかけ、上鳴、切島、口田と話をしている――口田は喋っていないが――常闇の方へ歩み寄り、声をかけた。パッと四人の瞳が彼女に向かうと、切島と上鳴が目を見開いた。口田は顔を隠し、切島は顔が赤いまま固まり、上鳴はガン見、という三者三様の反応を見せている。

雨風でずぶ濡れになったことで、水世が着ているタイツは光沢が出ていた。上に着ているレオタードもぴたりと張り付いている。顔や前髪から垂れていく雫が露出した胸元に滑り落ちていく光景は、男子高校生には些か刺激が強かった。

自身の姿に頓着していない水世は、彼らの反応を不思議に思いつつ、常闇に畳んだマントを見せながら、洗って返す旨を伝えた。彼はマントを手に取ると、それを広げて再び水世に着せた。


「もうタオルがあるから……」

「着ておけ。おまえのためにも、周囲のためにも」


瞳をぱちくりとさせた水世は、理由は理解できていなかったが、常闇のそばにいる口田が必死に何度も頷いているので、マントを脱ぐことはしなかった。


「とりあえず、生徒らは教室へ戻ってもらおう。すぐ事情聴取ってわけにもいかんだろ」


刑事が促すように、生徒たちをバスへ乗せようとした。だがその前に、蛙吹が救急車で運ばれた相澤についての状態を尋ねた。刑事は病院へ電話をかけると、通話をスピーカーモードへ変えた。

相澤は両腕粉砕骨折、顔面骨折という重傷だった。幸い脳系の損傷はなかったが、眼窩底骨が粉々になってしまったため、目に何かしらの後遺症が残る可能性が見受けられた。13号は背中から上腕にかけての裂傷が酷かったものの、命には別状はなかった。オールマイトも命に別状はなく、彼はリカバリーガールの治癒で十分に処置が可能と判断し、保健室へ運ばれた。緑谷も同様に保健室で間に合うとのことだった。

水世は広場での出来事、ゲート前での出来事を見ていないため、相澤と13号の状態を聞き、絶句した。峰田や蛙吹は相澤の姿を見ていたため、誰よりも苦しそうな表情を浮かべており、峰田は涙を浮かべていた。

急かされるように、皆はバスへ乗り込んだ。自然と、行きに座っていた座席へと皆腰を下ろしていく。水世は座席が濡れないようにとタオルを置くとその上に座り、肩の力を抜くように瞼を閉じた。


《まるで濡れ鼠じゃねえか。毛布も貰っときゃよかったものを。人間は弱いってのに》

《……私は、違うよ》


呆れた声音の満月は、水世の返答に馬鹿じゃねえのと吐き捨てた。彼女は何も答えなかった。舌打ちを水世の脳内に響かせた彼は、それ以上は何も言わなかった。

中途半端に乾いてきたコスチュームや髪に、水世はマントの下で軽く腕をさすった。肌は冷えきっており、流石に雨風に晒されすぎたかと僅かに俯くと、深く息を吐いた。


「誘、俺の上着貸そうかー?」


ロングシートの一番端に座っていた上鳴には、水世の様子が見えたのだろう。自分の上着を指差しながら、彼女に声をかけた。顔を上げた水世は自分を見つめている上鳴に、控えめに微笑んだ。


「平気。上鳴くんの上着が濡れちゃうから。もうすぐ校舎に着くし、タオルも持ってきてるから大丈夫。ありがとう」


僅かに体が寒さで震えていたが、水世は気にすることなく、やんわりと上鳴の提案を断った。けど、と渋る彼に平気の一点張りでいれば、眠っているはずの隣の座席から物音がした。起こしてしまったかと彼女が隣を確認したと同時、水世の膝の上に何かを投げるように置かれた。

じんわりと、膝の上に温かさが広がる。見れば普段轟が背負っているもので、どうやら板状のヒーターだったらしい。目を瞬かせながら水世が轟の方を見ると、彼は無愛想に彼女を見ていた。


「隣で震えられてもうぜえ。毛布貰うなりタオル多く貰うなりしとけよ。自己管理できねえのか」

「……ごめん」


そう告げると、轟は顔を背けた。水世は膝に置いてくれたヒーターで暖を取りながらバスに揺られた。

校舎に到着すると、皆更衣室へ向かった。轟にヒーターを返そうとした水世だったが、彼は受け取ろうとはせずにさっさと歩いていってしまった。仕方がないとひとまず更衣室へ向かった水世は、ロッカーの中に入れていたタオルと、貸してもらったタオルとで全身を拭いた。


「水世ちゃん、大丈夫?」

「うん、平気。私のことよりも、みんなも大丈夫だった?」


タオルで髪をまとめた水世は、制服に着替えながら振り返った。皆散らされた場所で――芦戸と麗日はなんとか免れたようだが――各々一緒にいたメンバーと切り抜けたらしい。敵側の個々の強さがチンピラ程度だったことが幸いだろう。

着替えを終えた水世は、髪に巻いていたタオルを取ると首にかけた。びしょ濡れのままスーツケースには戻せないため、コスチュームとスーツケース、常闇から借りたマント、轟から借りたヒーターを持ってみんなより先に更衣室を出た。後で教員の誰かにコスチュームを一度持ち帰って洗濯することを伝えよう。そう思いながら教室に戻れば、轟は既に席に着いていた。

彼のコスチュームは、他の生徒に比べてラフだ。サポーターなどもないため、すぐに着替えることができるのだろう。水世は自分の机の上に荷物を置くと、ヒーターを持って轟の席へ歩み寄った。


「ありがとう。一応タオルでは拭いてるから、濡れてはないと思う」


彼女を見上げた轟は、黙ってヒーターを受け取ってスーツケースの中へ入れた。もう一度お礼を伝えた水世は、自分の席に戻ると、バッグの中からビニール袋を取り出して、その中に濡れているコスチュームやタオルなどを入れていった。

生徒が全員揃って少しすると、セメントスが教室を訪れた。今回の敵襲撃により、今日はこれで全学科の生徒は下校、明日は学校は臨時休校とすることを知らせられた。

その後、帽子を被っていた刑事からの軽い事情聴取が順に行われていった。とは言え水世はずっと暴風・大雨ゾーンにいたために、情報が遮断されていたこともあり、そう長くはかからなかった。


「皆さんの安全が第一。今回、怪我をした生徒もいますが、皆さんの命が無事でよかった」


全員の事情聴取が終わると、セメントスは最後に安堵した表情で告げて、教室を出ていった。皆は心なし暗い雰囲気をまとっていたが、切島と上鳴が雰囲気を変えようとしたのか、声を上げた。


「てか、流石オールマイトだったよな!あんなやべえ奴ぶっ飛ばしちまうんだから!」

「俺その場面見てねえんだよな〜」

「アホになってたからね、上鳴は」


その時の上鳴の様子を思い出したのか、耳郎は思わず噴き出すとお腹を抱えて笑いを堪えた。そんな彼女に上鳴が文句を飛ばしている。その様子を見て、クラスの雰囲気が少し和らいだようだった。


「でも、誘とか常闇とか口田とかさ、あそこ遮断されてっから、結構大変だったんじゃね?」

「ドームの中だもんね〜。あ、水世ちゃん、私くし持ってるから貸してあげる!」


葉隠がバッグの中に入れていたポーチから、くしを取り出して水世に駆け寄った。彼女の髪は雨で濡れたあと自然乾燥となっていたため、少しボサボサになっていた。

私がとく!と座る水世の後ろに回った葉隠は、彼女の髪にくしをあてた。慣れないことに妙に体を縮こまらせながらおとなしくする水世に、葉隠は彼女の髪の感触を楽しんでいた。


「水世ちゃん髪長いから、色々結べそうだよね」

「ポニテ!やっぱロングヘアの女子はポニテが一番だろ!」


男子たちが女子の髪型はどれが好きかで盛り上がるなか、女子たちは水世の机の方へ集まっていく。水世はあっという間に囲まれてしまい、内心困りながらも表情では笑みを見せた。


「水世ちゃんの髪、綺麗よなあ……真っ白で、雪みたい!」

「でも髪長いと、手入れ大変じゃない?」

「昔は短かったよ」


なんで伸ばしたんです?と八百万が不思議そうに首を傾げた。水世は自分の髪に触れながら、眉を下げた。


「髪は女の命とか言うしさあ。せっかくいいモンもってんだから。白、綺麗でいいじゃん、君に似合ってると俺は思うよ」

「……綺麗って……似合うって、言ってもらえたから、かな」


毛先を見ていた水世が微笑みながら顔を上げると、スーツケースを棚に入れにいっていた轟と目が合った。彼は僅かに驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに視線を逸らして自分のバッグを手に取り、一人教室を出ていった。

水世は気にすることなく自分の髪を見つめながら、また小さく笑った。