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大人のように見えただけ


登校が早い生徒は、だいたい決まったメンバーだった。飯田、八百万、轟、そして水世。四人とも芦戸や上鳴、切島などのように明るく賑やかなタイプでないため、この四人でいると、教室内は基本静かだ。席の近い水世と八百万の話し声がするくらいで、各々予習復習をしていたり、寝ていたりとHRまでの時間を好きに過ごしている。

八百万がお手洗いに行くからと席を外したため、水世は話し相手がいなくなった。手持ち無沙汰となった彼女は、スマホを取り出した。そんな彼女のもとに、見計らったように席を立った飯田が歩み寄った。


「誘くん、少しいいか?」


頬杖をついて画面を眺めていた水世は、手を頬から退けて飯田を見上げた。彼は軽く深呼吸をすると、一つ咳をこぼした。場所を変えた方がいいのかと水世が立ち上がろうとしたが、飯田はここで大丈夫だと手で制すと、口を開いた。


「学級委員長を決める際の投票について、なんだが……」


どこか言いにくそうに言葉を止めた飯田に、水世は首を傾げた。彼は少し黙り込んだが、意を決したように水世を見つめた。


「俺に票を入れてくれたのは、君か?」


水世は目をぱちくりとさせると、何故そう思ったのかを尋ねてみた。もしかすると食堂での会話を聞いていたのかもしれないが、そうじゃないとすると、何故自分だと思ったのか。それは単純な興味だった。


「緑谷くんの二票、八百万くんの一票、そして俺への一票は、本人以外の誰かが入れた票だ。俺は緑谷くんに票を入れているし、ほぼが自分に票を入れている中、麗日くん、轟くん、誘くんだけ一票も入っていなかった」


カクカクとした、謎の手の動きも加えながら、飯田は自身の予想を話した。緑谷に入った二票は自分と、もう一人は麗日だと思っている。そうなると水世か轟のどちらかが、八百万か飯田に票を入れたことになる。それを聞きながら、水世は確かにそうだと頷いた。

そうなると二択だ。水世か、轟、どちらが自分に票を入れるのかを考えた場合、消去法で水世を選んだと飯田は答えた。轟は同じ推薦枠であり、戦闘訓練の講評時に的確な評価をしていた八百万に票を入れたのではないか、と。


「それで、その、合っているのか?」

「うん。私が飯田くんに入れたよ」

「やはりそうだったか……!ありがとう!」


合っていたことに安堵したのか、飯田は少し口角を上げた。しかし、わざわざお礼を言うためにこのことを聞いたのだろうか。水世が不思議に思っていれば、彼は「それで、そのことについて聞きたいのだが……」とこぼすと、何故自分に票を入れてくれたのかを尋ねてきた。恐らく、彼の本題はこれだったのだろうと水世は予想した。


「一番適任だと思ったから。自分も学級委員長に立候補しつつも、平等に投票で決めることを提案して、自分は他者に票を入れた、あなたが」


極端に真面目な飯田は、規律を重んじている面が強い。しかし同時に野心も持っているのだろう。その感情が同時に働くために、立候補しつつも投票制を提案し、自分ではなく他者に票を入れるという、周囲から見れば些かおかしな行動を取った。

それは飯田が、「やりたい」という感情と「相応しい」かは別物であると考えていたからだ。もちろん自分が皆をまとめる、人を導くという立場である学級委員長に就きたい気持ちはあった。だが、それは果たして自身に相応しいのかと問われると、答えは否であって。自分ではまだ力不足なのだと感じていたからこそ、自分よりも相応しいだろう緑谷へ票を入れたのだ。

ほぼが自分自身に票を入れているのだから、飯田は正直、自分に票は入っていないものだと思っていた。だがいざ開票すると、たった一票、自分の名前があった。嬉しさと同時に湧いたのは、何故自分に入れてくれたのだろうかという疑問だった。


「『やりたい』という感情だけでできることではないっていう、あなたの意見に賛同したの。それを理解していたあなたは、あの場で一番、客観的に物事を見れていたように感じた。だから、飯田くんに投票した」


他者を導くということは、自分を優先させることは好ましくない。物事を俯瞰的に見て判断できる能力を持ち、周囲の意見を聞くことができ、周囲を正せるような人物がいい。それらの要素を持っている、今後持つ可能性があるのは、このクラスの中では飯田が一番なのではないかと水世は感じたのだ。

彼女の言葉を聞いた飯田は、目を丸くして驚いていた。数秒固まっていたと思うと、キリッとした眉がへにゃりと下がっていく。そして年相応な、少年らしい笑みを見せた。だがすぐに表情を戻すと、咳をこぼした。


「ありがとう。そう言ってもらえて、とても嬉しい。君の期待に応えられるように、精一杯務めよう」

「頑張って」


自身の胸を拳で軽く叩いた彼は、では、と自身の席へと戻っていく。ピンっとまっすぐに伸びた背を見つめる水世は、ふと彼の耳が赤くなっていることに気付いた。

ただ聞かれたことに対して、自分の思考を説明しただけ。しかし彼からすれば嬉しい言葉だったらしい。本人が満足しているのならばいいのだろう。水世は視線を画面の方へと戻した。

それから数分後に、八百万は教室に戻ってきた。どうやら廊下でプレゼント・マイクに会ったそうで、先日の授業についての質問をしていたらしい。通りで戻ってくるのが遅かったわけだと、水世は納得した。


「立派なヒーローになるための勉強ももちろん大事ですが、学生として、必修科目を落とすわけにいきませんから」

「八百万さんは、努力家なんだね」

「これくらい当然のことですわ」


彼女の中では、その努力は当然として行えることなのだろう。それはきっと、普通にできることではない。子どもというのは勉強を嫌いな者が多いのが常だ。活動的な授業ならともかく、座学に関しては教師側の一方通行な面がある。一方的に講義を聞かされているという状態であるため、興味の薄い内容はつまらないし、退屈で仕方がないのだ。

興味が薄いと理解力も低下する。理解ができないと、面白さを感じられない。そうして座学がちんぷんかんぷんという者も多いことだろう。面白くないからと、自ら手をつけることもしないはずだ。だが八百万は、予習復習を欠かさない。

彼女の頭の中に蓄えられた知識は一朝一夕で得られるものではなく、こうした日々の積み重ねの結果なのか。水世はそう思いながら、得意げに笑った彼女に、そっかと微笑み返した。

そういえば、と先程の飯田の話を思い出した。学級委員長を決めるとき、一票も入っていなかったのは水世以外に、麗日と轟だけ。水世は飯田に票を入れ、飯田は緑谷に票を入れた。麗日も同じく緑谷に入れたとなると、必然的に轟の一票は、水世の目の前にいる八百万となる。

確かに、八百万の性格や実力を考えると、学級委員長に相応しいのかもしれない。自分に入れていないことは些か意外ではあったが、自分には無理だと判断したのか。それとも単に、学級委員長という役割に興味がなかったのか。後者の方が強い気がする。水世は考えながら、机に突っ伏する轟を盗み見た。

右は白、左は赤と左右で色の異なる髪は、彼の“個性”を表しているかのようだ。対極的な能力が、“個性”として一つの形になっている。炎が使えるというのは予想外であったが、本人は意図しているのか使ってこようとはしない。その理由は定かでない。だが戦闘訓練時に水世が炎を使ったとき、まるで親の仇でも見るような瞳を一瞬向けられたことを、彼女は思い出した。あの目を見るに、炎が嫌いなのかもしれない。

しかし理由はなんにせよ、水世にはあまり関係のない話だった。彼が炎を嫌おうが、その原因や理由について聞きにいこうとは思わない。それよりも聞きたいことは、一つだけある。だが機会がないと言えばいいのか。彼は周囲を近寄らせないようなオーラをまとっており、声がかけにくい。


「誘さんは、どうしてですか?」


八百万に話を振られ、水世は轟に向けた視線を彼女へ戻した。あまりしっかりと話を聞けていないため、彼女が何を聞きたいのかが曖昧だ。長く返答を待たせるのはあまりよくないが、どうしたものか。そう考えていると、満月がマヌケめ、と呟いた。


《何で雄英ここに入ったか聞いてんだよ。コイツは、入学するなら〈ヒーローの登竜門〉であり最高峰ともいわれるこの学校が良かったんだと》

「憧れのヒーローが雄英出身だからですか?それとも、私と同じような理由で?」

「……前者、かな。もちろん後者の理由がないわけではないけど、好きなヒーローが雄英出身だったから」


まあ!と手を合わせながら目を輝かせた八百万は、どのヒーローが好きなのかを尋ねた。水世は微笑みながら「グラヴィタシオンだよ」と笑った。


《嘘が上手くなったもんだな》


満月の声に何を返すでもなく、水世は八百万との会話を続けた。彼女は大人びた、聡明な少女だと思っていたが、存外年相応な反応や笑顔を見せる。元々の育ちの良さから、それとも気を張っているのか。恐らくは両方だろう。

八百万の話に水世が相槌を打っていると、彼女は何故かハッとして、慌てたように謝罪をこぼした。その理由がわからない水世が目を瞬かせていると、八百万は申し訳なさそうに呟いた。


「その、すみません……私ばかり、話をしてしまって……誘さんは、ご自分の勉強をしたいかもしれませんのに」

「?べつに平気だよ。人の話を聞くのは嫌いじゃないし、八百万さんと話すのも嫌じゃないから。だから気にしなくていいよ」


ボンッ、という効果音がつきそうなほど赤くなった彼女の顔に、水世は首を傾げた。八百万は照れているのか両頬に手をあてて、恥ずかしそうに眉を下げている。ありがとうございます、と小さな声で呟いた彼女に、水世はお礼の意図をよく掴んでいなかったが、気にしなくていいと笑った。


「その、お恥ずかしい話……私、人と打ち解けることが得意ではなく……ですので、友人作りなども中々上手くできなくて。この席は、周りが異性に囲まれています。私は、異性のクラスメイトとの距離感もわかりませんから、不安で……」


確かに、八百万の前、斜め前、右隣は男子生徒が座っている。出席番号順なため仕方ないが、彼女は芦戸や葉隠、耳郎のように性別関係なく気軽に話しかけることができるタイプではない。

周囲が切島や上鳴、瀬呂など向こうから話しかけてくれるタイプならまだしも、常闇や轟はそう口数が多いわけではない。前の席である峰田実に関しては、彼は異性に対する興味が些か激しいので、除外だ。


「ですので、つい誘さんに話しかけてしまい……あなたは、普段は他の方と昼食をとったり、談笑をしておりますが、この時間帯なら色々お話できるのではと……」

「えっと……じゃあ、今日一緒にお昼ご飯食べる?私、お弁当持ってきてないから食堂になるけど」

「!よ、よろしいのですか……?」


水世が頷くと、八百万は花が咲いたように笑った。普段凛とした立ち振る舞いをしているが、やはり彼女もまだ子どもで、学生だ。友人が作れるかという不安も感じていたし、上手く周囲と馴染めるかも心配していた。

ヒーロー科は男子生徒の比率が高く、クラスメイトも男子の方が多い。そのため八百万は、周囲の席が男子ばかりのなか、後ろの席である水世が唯一女子であったため、仲良くなれたらと密かに感じていた。

だが彼女は芦戸や葉隠など他の生徒と話していることが多く、声をかけるタイミングは、朝のこの静かな時間以外になかった。見た目にはそう出ていなかったが、存外緊張しながら、不安いっぱいで声をかけていたりしたのだ。


「あ、あの……水世ちゃんと、お呼びしても?」

「いいよ。名字だと、伊世くんとややこしくなるしね」


わざわざ自分なんかに声をかけるために、そんなに勇気を振り絞っていたことに、水世は少し驚いた。物好きで不思議な子だと思いつつ、思いの外彼女が嬉しそうに笑うので、水世はまた驚いてしまった。