- ナノ -

深まるならばそれがいい


インターンから帰って翌日、水世はイナサからのメッセージ通知で目が覚めた。彼女は眠気眼で送られてきたメッセージを見つめ、辿々しく返信を打ち込んだ。まだ覚醒しきっていないこともあってか、変換が上手く機能していないが、イナサ相手だからいいだろうと、水世は体を起こした。


《おはよう水世。今日はよく寝てたな》

《おはよう……》


イナサからの返信を見ながら、水世は軽く伸びをして、時計を確認した。時刻は朝の六時と、彼女にしては遅い目覚めであった。恐らくはインターンや長時間の移動で疲労が溜まっていたのだろう。今日が休みで、なおかつ自宅ではなく寮で良かったと安堵しつつ、彼女はベッドから出た。

普段よりもゆっくりとしたペースで身支度を済ませた彼女は、再度イナサからのメッセージを確認した。インターンを終えた労りや、ホークスの話、そして今日は講習に行くのだということが、ポンポンポンと送られてきている。感嘆符がたくさんつけられたメッセージを見れば、彼がいかに元気な様子かがわかる。

仮免試験に落ちた受験者たちは、週末を使って講習を行っている。轟や爆豪もその内の一人であり、彼らは朝から教員の引率のもと講習場へ赴いている。講習は中々に厳しいようで、寮へ帰ってきた二人はいつもどこかしらに怪我をしていた。どうやら講習の指導員はギャングオルカらしく、「軍の訓練って、こんな感じなんだろうなって思ったっス!」とはイナサの言葉だ。


《あの賑やかな坊主も、一々マメだな》

《USJの騒動とか、林間合宿とか……他にも色々、私が心配かけちゃってるからだよ》

《豪快な割に繊細だよな、アイツ》


呆れた風な満月に、水世は小さく笑いながら頷いた。基本的に斜に構えた態度を取る彼には珍しく、イナサのことは悪く思っていなかった。好きなのかと尋ねれば絶対に頷きやしないが、それでも好印象を持っているのは確かだろうと水世は密かに思っている。嫌いなことは嫌いとハッキリ言う割に、好きなことは嫌いではないと言うのが彼だと、水世は理解していた。

制服に着替えた水世は一階へ降りると、和食を選んで空いた席へ腰掛けた。今日はインターンで休んでいた分の補習を行うことになっていた。


「おはよう、水世ちゃん。相変わらず早いのね」

「おはよう。そう言う蛙吹さんも、早いね」

「よく兄妹にご飯を作ってあげていたから、癖で早く目が覚めてしまうの」


ケロケロと笑った蛙吹は、洋食のトレイを置くと水世の向かい側に腰を下ろした。今日の洋食トレイにはクロワッサンが二つ乗っており、スープはコンソメのようだった。大きく開いた蛙吹のひの字形の口にクロワッサンが三分の一ほど入っていくのを見ながら、水世は赤味噌の味噌汁に口をつけた。


「蛙吹さん、兄妹多いの?」

「水世ちゃんと同じ三人兄妹よ。弟と妹がいるの」

「そうなんだ……確かに蛙吹さん、お姉さんぽいもんね」

「そうかしら?」

「うん。気配り上手だし、周囲のこともよく見てて、それにしっかりしてる」


大きな真ん丸の瞳をぱちくりと瞬かせた蛙吹は、小首を傾げつつも照れたように笑った。愛らしいその表情を見ながら、水世はふと、普通科の男子生徒がヒーロー科の女子について話していたのを思い出した。話の中で一番人気だったのはB組の小大だったが、しかしA組の面々の話も出てきていた。その中で、蛙吹は「仕草や表情がかわいい」と言われており、水世はなるほどと一人納得する。

共有ルームには、徐々にクラスの中でも早起きな面々が降りてきはじめ、少しずつ賑やかになってきていた。


「あ、おはよう二人とも!」

「おはようお茶子ちゃん」

「おはよう」


あくびをしながら歩いてきていた麗日が、蛙吹と水世の姿を見つけてパタパタと駆け寄る。まだ少し眠たそうな表情ではあるもののいつもの朗らかな笑顔に、二人も笑みを浮かべながら挨拶を返した。

麗日は和食を選んだようで、美味しそうに白米を食べている。彼女はパンよりも米派らしく、食事は和食を選ぶ率の方が高いことを水世は知っている。


「おはよう麗日くん、梅雨ちゃんくん、水世くん!君たちは、今日は補習だったね」


早起き組に入る飯田の挨拶に、三人は手を止め、口内のものを飲み込んで挨拶を返した。飯田のトレイには毎日欠かさず飲んでいるオレンジジュースがしっかりと乗っている。水世も以前同じものを飲んでみたが、中々に美味しく、時折買っていたりする。


「おはよう飯田ちゃん。ええ、そうよ。今日からなの」

「そうか!何事も、わからないままでいると些細な部分で躓いてしまうものだ。しっかりと先生方に教えてもらうといい!」


片手でトレイを持ち、空いた片手をカクカクと動かしている飯田の姿が相変わらずで、水世は笑って頷いた。

最後の一口を飲み込んだ水世は、ごちそうさまと手を合わせるとトレイを片付け、時計を確認した。まだ補習時間まで少し時間はあるが、鞄を肩にかけた彼女は、まだ食事中の二人に先に行くことを伝えて寮を出た。

普段なら一緒に登校する伊世も今日はいないため、水世はイヤホンを耳に入れ、スマホから音楽を流しながら校舎までの道を歩いていく。彼女は音楽に詳しくはない。しかし、まったくの無知というわけでもなく、時折芦戸や葉隠から教えてもらう曲を部屋で聴いたりもしている。それに、彼女自身好みのジャンルというものだってあった。

それが、クラシック音楽だ。彼女が好んで聴くものは、クラシックばかりであった。音だけで感情の起伏や物語性を生むその表現力が、彼女は好きだった。

誰もいないのをいいことに、彼女は小さな声で口遊みながら、校舎の中へと入っていく。靴を履き替え、閑散とした校内を進んでいく水世は、辿り着いた補習室の扉を開ける。中には誰もおらず、彼女が一番乗りのようだった。窓際一番後ろの席に鞄を置いた水世は、歌うのをやめてイヤホンを外す。

パチパチパチ。そんな音が聞こえ、水世は慌てて振り返った。彼女が先程閉めた扉はいつの間にか開いており、そこには拍手をするB組の骨抜と宍田獣郎太の姿があった。


「おはよ」

「誘氏、おはようございます!」

「あ、うん……おはよう……」


音楽を聴いていたこともあり、彼女は後ろに二人がいたことなどまったく気付いていなかった。人の気配に気付かないのはヒーロー科としてどうなのか、今まで張り詰めていた気が緩んでいるのか。そんなことを考えながら、驚きと戸惑いで固まりつつ挨拶を返した水世は、気まずげに視線をあちらこちらへ向けはじめる。


「……聞こえてた?」

「うん。誘、歌上手いね」

「……そんなことないよ」

「ご謙遜なさらず!まるで聖歌のような美声でしたよ!」


まさか聞かれているなど微塵も考えていなかった水世は、少し顔を赤くした。骨抜と宍田は部屋に入っていくと、宍田は水世の隣に、骨抜は彼女の前に腰を下ろした。今日の補習は数名の教員の都合が合わないとのことで、A組とB組合同で行うことになっていたのだ。

水世は一つ咳払いをすると、話を変えるように「二人とも、早いね」と声をかけた。


「まだ時間あると思うけど」

「それなら誘だって早いじゃん。学校の日は伊世にモーニングコールもしてるんでしょ?」

「うん、まあ……伊世くんは朝弱いし……私は元々家でも早起きだったから、癖で。なんか、二度寝とかできないの」

「私も二度寝は苦手ですな……惰眠を貪るのはもったいないように思えまして……」

「そうなの?俺は好きだよ、二度寝」


実は八百万同様に育ちの良い宍田は、水世の言葉に大きく頷いている。その口調からもわかるが、彼はとても品があり、また礼儀正しい。そのため二度寝や夜更かしなどは苦手なのだそうだ。


「誘と伊世、そういう部分はあんま似てないんだ。好みも違うの?」

「どうだろう……趣味とか、違うかも。私は読書が好きで、伊世くんは絵を描くのが好きだったり……音楽も、私はクラシック聴くことが多いけど、伊世くんはロックとか好きだから」

「先程歌われていたものも、クラシックでしたのでもしやと思いましたが……クラシックは私も嗜んでますぞ!何がお好きで?」

「有名どころは色々聴いてるかな。モーツァルトとか、バッハとか。あと、できれば、歌は忘れて」

「ほほう!良いですね!」

「わお、意外なところで意外な二人の共通点できちゃったよ」


思いの外、三人の会話が盛り上がりを見せていた。存外話題は尽きることなく、かと言って無理に会話を広げているわけでもなく。それぞれが気を遣うことなく、話を続けていた。


「なんか、誘って思ったより話しやすいね」


鞄から筆記用具やノートなどを取り出していた骨抜は、水世の方を振り返りながら、思い出したようにそう言った。


「見た目の印象でしかないんだけど、近寄り難いっていうか……芦戸とか耳郎とかは割ととっつきやすいけど、誘は、他の学科の奴も言ってたけど、高嶺の花ってイメージあった」

「私、そんな大層なものじゃないよ?」

「うん。今日こうやって話してみて、思ってたよりも全然話しやすかったし、楽しかった」

「私も、誘氏と気が合うと知れて、とても嬉しいですぞ!」


にっこりと笑う宍田の表情に、動物の癒し画像を思い出しながら、水世は少し恥ずかしそうに笑った。


「あ、そうだ。せっかくお近付きになれたし、誘のこと名前で呼んじゃってもいい?」

「それは名案!私もよろしいですか?」

「うん、いいよ」













スマホのキーボードを両手の親指でタップしながら、水世はメッセージを返していく。今朝、思いの外仲良くなれた骨抜と宍田と、連絡先を交換したのだ。宍田とは互いの好きなクラシック音楽について、骨抜とはオススメの小説や漫画を紹介し合うなどして、メッセージのやりとりをしていた。


「講習組が帰ってきたぞ〜!」


上鳴の声に、水世は顔を上げて振り返った。クラスメイトに出迎えられている轟と爆豪の姿を見て、水世も「おかえり」と声をかけた。パッと水世の方を見た轟は、スススッと彼女の方へ寄っていった。


「大変だったみたいだね、講習。小学生の相手だったんでしょ?」

「なんで知ってるんだ?見てたのか?」

「イナサくんから聞いたの」


轟と爆豪が寮へ帰ってくる前、水世はイナサから電話をもらい、今日の講習での出来事について話は聞いていたのだ。小学生相手に四苦八苦したのだと話すイナサに、水世が労りの言葉をかけたのは数十分前だ。


「轟くんと協力したんだって、楽しそうに話してたよ」


「エンデヴァーにも会ったんスよ。俺、今のエンデヴァーは前より嫌いじゃないなって、そう思った」


そう話すイナサの声は穏やかだったことを、水世は思い出す。講習に行くようになってからのイナサは、轟の話題をよく出していた。彼のことを知るのだと息巻いていた幼馴染の様子は、彼女の記憶に新しい。だんだんと印象が変化しているのを聞くと、イナサの中で折り合いがついていっているのにも、歩み寄ろうとしているのもわかるため、水世はそれを楽しみにしている部分もあった。


「……そういや、アイツと仲良いんだったな。幼馴染、だっけ」

「うん」


不機嫌そうに、轟の表情が固くなる。意外と表情に出るよな、と思いながら、水世は何かを間違えただろうかと考える。イナサの視点からすれば歩み寄れているかもしれないが、もしかしたら轟の方からするとそうでもないのか。少し不安になりつつ轟を見上げた水世は、どうするべきかと眉を下げた。


「私、気に障ることしちゃったかな?」


水世が恐る恐る尋ねれば、轟はぱちりと瞳を瞬かせた。そして首を傾げるので、彼女は先の表情が無意識であったのだと理解する。


「俺の顔、怒ってたか?」

「うん。違った?」

「そんな気はなかった。なかったけど……けど、少し、モヤモヤはした」


モヤモヤ。復唱した彼女に、轟は一つ頷いた。前も同じようなことを言っていたが、未だにそれがどんな心境であるのか、水世はもちろんのこと、轟本人もよくわかってはいない。しかしながら、あまり良い感情でないのは確かであった。


「多分……」

「うん?」

「水世ともっと、仲良くなりてえんだと思う」

「もっと仲良く」

「おう」


あまり確信はないようであったが、轟の中ではその答えが一番しっくりきたのだろう。彼の言葉を聞き、水世は少し考えながら、以前に比べたら仲は良くなっているだろうと呟いた。


「それはそうなんだが……でも、もっと仲良くなれる気がする」


曖昧でありながも謎の自信に、水世は思わず苦笑いを浮かべた。具体的にどれくらいが彼の中で納得できるほどの仲かはわからないが、関係性が悪いよりは良いに越したことはないだろうと、自身を納得させた。