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暗闇で眠り続けてるのか


福岡を出て約四時間。常闇と水世が新幹線を降りた頃には、空には太陽ではなく月が浮かんでいた。小さく光る星々が散りばめられた空を見上げて、二人は駅前に停まっていたタクシーに乗り込み、雄英へと帰った。

パタンとドアが閉まると、タクシーは早々に校門前の坂を下っていく。それを見送り、水世は常闇と並びながら校門をくぐり抜け、寮への道を進んだ。

校舎から徒歩五分で着くほどの距離であるため、建ち並ぶ寮の姿は目視で確認できる。徐々に近付いてくる建物を見つめて、水世は不意に立ち止まった。それに気付いた常闇が、彼女の数歩先で足を止め、不思議そうに振り返った。もう二分も歩けば寮に到着するのだが、水世は足を動かそうとしない。


「水世?」


名前を呼ばれ、水世は顔を上げた。月明かりに照らされたその表情は、どこか思い詰めたようなもので。彼女は一度深く息を吐いたと思うと、ギュッとスカートを握りしめた。


「私、みんなに、嘘ついてるの」


ゆっくりと、言葉を選ぶように慎重に、水世は呟いた。その突然の告白に、常闇は真意が掴めないと言うように眉を寄せている。困惑を見せている彼に眉を下げながら、水世は一言、“個性”のことだと言葉を足した。


「“個性”……?嘘、とはどういう意味だ?」

「そのままの意味。私の“個性”、『魔法』じゃないの」











水世の“個性”は「魔法」である。それはクラスでも共通の認識だと考えている。雄英に入学し、初めて行われた戦闘訓練の際、彼女はそう言った。

いや、違う。彼女は一言も、自分の“個性”が「魔法」であるとは言っていない。その時の彼女の言動を思い出し、考えを改める。水世は「魔法」であるのかと問われ、それにただ笑みを返しただけ。肯定も否定もせずに、判断を委ねただけだ。水世の反応に、俺たちが勘違いしてしまったのだろう。


「詳しくは言えない。まだそこまでの勇気が、私にはないから。でも、常闇くんの“個性”と、少し似てて」

「俺と?」

「うん。私の中にね、もう一つ、私のものじゃない魂があるの」


一つの体に対し、二人分の魂が入っている。水世はそう言った。

俺の“個性”もまた、同じようなものだ。「黒影」という自分とは異なる生物が、自分と共に生きている。一つの体に、二人分の命がある。なるほど、それは確かに俺と似ていると、冷静な部分で納得する。

詳しく言えないのは何故か。勇気を有するほどのものなのか。何故突然にそのことを話したのか。尋ねたいことは様々あるが、しかし一番は、それらではない。


「何故、俺に話したんだ?」


恐らくだが、己の“個性”について、他の者には話してはいないのだろう。教員は把握しているだろうが、クラスの同胞たちには内密にしている話であると予想できる。仲の良い八百万や轟などにも、きっと話していないこと。それだけのことを、何故俺に話したのか。“個性”が似ているからという理由だけであるのか。それが、知りたかった。

水世はスカートを握る手を弱めることはないまま、視線を俺のネクタイ辺りへと向けた。


「前、USJで敵の襲撃を受けた時……常闇くん、自分の“個性”について、話してくれたでしょ?」


そういえば、そんなこともあった。黒影はその場の状況で力が変わる。闇が深ければ深いほど力を増すが、その分制御が難しい。逆に明るければ力は弱まるが制御はしやすい。それを、あの時共に同じ場所へ飛ばされた水世と口田の二人には伝えていた。

そう大した話ではない。己の弱点を話すというのは確かにデメリットではあるが、しかし何れは周囲に露見するようなこと。躊躇うほどの内容でもなかった。俺の中では、そう認識していた。しかしどうやら、彼女の中では違ったようで。


「自分の“個性”の話を、それも弱点を話してくれたのが、申し訳なくて」

「あの時も言ったが、気にする必要はない」

「うん……でもこれは、私なりの誠意」


水世という人物は、中心にいるような存在ではない。輪の中にいるよりも、一歩引いてそれを見ていることの方が多い。物静かだが存在感がないわけでもなく、真面目だが頑固でもなく、賢いようでどこか世間知らずな面もある。気が利く、思いやりがある、穏やか。そんな言葉が似合うような少女。

しかして自分のことは深く語らず、周囲と線引きをしている。それに気付いたのはごく最近のことだが、言われてみれば思い当たる節は確かにあった。それを悟らせないほどの巧妙な立ち振る舞いは、最早感心してしまう。

そんな彼女が、自身のことを話している。歩み寄りの姿勢を見せている。それは驚きと共に、喜びにも似た何かを感じさせた。懐かない猫が甘えてくれた、とはまた違うかもしれないが、それくらいの感動があった。


「……このタイミングだったのは、何故だ?」


しかし、何故今だったのか。皆がいる時ではなく、俺しかいないときである必要はあったのか。もう少し歩けば、クラスメイトの待つ寮に着くというのに。そんな疑問を問いかけると、水世は一つ瞬きをして、眉を下げた。


「さっきも言ったように、私には勇気がないの。度胸だってない。だから、みんなに話せない。でも常闇くんと、それに黒影くんだけにでも話しておこうって……そう思ったの」

「“個性”が似ているからか」

「それも理由の一つではあるけど……でも、それだけじゃないよ」


首を傾げた俺に、水世はふわりと笑った。


「飛べない私に、二人が一緒に空を飛ぼうって言ってくれたの、すごく嬉しかったから」


仮免試験の際に見た、水世とその幼馴染だという青年との姿。二人のやりとりに、知らない彼女の姿を見た。見目儚く、笑みも静かな彼女の、子どものような表情。満面の笑みとたとえても良いようなその表情は、きっと己には引き出せやしないのだろうと、漠然と感じた。両者の中には誰かが入っていける隙間など微塵もなく、それがどうにもつまらなかった。胸の奥をチリリと焦がすような微弱な炎に眉をしかめたのは記憶に新しい。

しかし、どうだろうか。今己の目の前で笑う彼女の表情は、幼馴染相手ほどではないとは言えど、しかし普段よりも少しだけ、幼いように見えた。年相応とでも言うべきか。普段の清廉された微笑ではなく、無邪気さの残る笑みをしていた。自分の前でもそんな笑みをしてくれるのかという驚きと共に広がる感情は、歓喜に似ている。

周囲に偽ってまで隠すほどなのだから、“個性”で何かしらのトラウマがあるのだろう。それを悟られぬよう常に気を張っていたのかもしれない。そう思うと、こちらが彼女の本来の表情に近いのだろう。


「ごめんね、急に。私の自己満足みたいなものに付き合わせちゃって」

「気にするな。多少気を許してくれたのだと思うと、悪い気分はしないさ」


再度笑った彼女の表情は、やはり普段よりも緩んでいるように見えた。僅かに肩の力を抜いた彼女は、帰ろうかと笑う。それに頷き、歩みを再開させた。


《ミズセ、泣いてル》


頭の中に、黒影の声が響いた。一瞬足を止めたが、水世に気付かれることはなかったようだった。


《どういう意味だ、黒影》

《泣いてナイけど、泣いてル。いつもそうダヨ。ミズセの中真っ暗。真っ暗で冷たいケド、優しいヨ》


いまいち黒影の言葉を噛み砕けず、眉を寄せながら寮の門をくぐった。二十一時を過ぎている頃だが、一階の共有スペースの明かりはまだ消えていない。


《黒影……おまえ、まさか水世の中にあるもう一つの魂とやらに勘付いていたのか?》

《ウン。ミズセのこと好きみたイ。だから、守っくれてル》


ふと、以前委員長たちと共に遊園地へ行ったときのことを思い出した。その際に黒影は闇に敏感であることが判明したが、それが関係しているのだろうか。

彼女の知らないところで、勝手に新たな情報を得てしまったことに多少の罪悪感を覚えつつ、寮のドアを開けた。共有スペースの方へと足を運べば、ほとんどのクラスメイトが起きている。その中には、ここ最近話題に上がっていた死穢八斎會の構成員逮捕に尽力しただろう、緑谷たちの姿もあった。水世は彼らを見て心配そうに駆け寄り、声をかけている。どうやら本当に、“個性”について他の者に話す気はないようだ。


《黒影。おまえが察知できたということは、水世の“個性”は闇に関係していると考えていいんだな?》

《ウン。でも、闇は友達!だから、ミズセも友達ダヨ!》


いつぞやの言葉を俺に叫んだ黒影は、姿を見せないまま、声だけで囁いた。


《だから、フミカゲ。ミズセが苦しんでたら、救けようネ》


安堵したように麗日たちと話している水世を視界に入れながら、俺は力強く頷いた。