- ナノ -

下を向くほど弱くないよ


「それでさ、先輩の指がタコの足になって、片手はでけえ貝になったんだよ」

「体の部位を変えられる“個性”なんだ」

「食べた物の特徴を再現できるらしい!そうっスよね、先輩!」


輝きに満ちた瞳で隣を見た切島に、話題に上がっていた環本人は、ガタガタと震えながら頷いた。顔色もあまり良いとは言えず、見るからに体調が悪そうであるのだがそんなことはなく、彼は元気そのものだ。環のその様子は、自分が話題になっていることに対してのものである。


「すごいですね、天喰先輩」

「うっ……!」


褒め言葉をもらって苦しそうに呻く姿に、水世は思わず苦笑いを浮かべてしまった。自分も相当な後ろ向き思考ではあると自負しているのだが、ベクトルが違えど彼も中々なものだ、と。

このちぐはぐな二人と水世が、何故こうして廊下の一角で話しているのか。それは、偶然という言葉に尽きる。環と一緒にいた切島が水世を見かけ、彼女に声をかけたのだ。

彼女はインターンの話を切島から聞いていたが、いつの間にかそれが環の話題へと変わっていたのである。水世は話題の変化に気付いていたが、話の腰を折ってまで指摘するほどのことでもないので、相槌を打ちながら聞いていた。


「一度にいろんな部位に再現ができるんですね」

「う、うん……まあ、その辺は割と自由にできる、かな」


曰く、再現する特徴や大きさ、身体のどこに再現するのかなどは自由自在、また複数の同時再現や、再現した特徴の上に更に別の生物の特徴を再現を重ねることも可能である。おずおずと、しどろもどろになりながらも、環は自身の“個性”を説明してくれた。

それを聞いた切島は、より一層に瞳を輝かせながら環を見つめている。その視線を浴びている本人は、それはもう居心地が悪そうに視線をそらしているのだけれど。水世はと言うと、感心したように頷いて、天喰先輩は、と口を開いた。


「たくさん、努力されたんですね」


ぱちくりと、環の三白眼が丸くなる。普段ならば他者を見つめるなんてできない彼が、驚きのあまり声も出ないまま水世を見つめている。


「一度に複数の再現を瞬時に行うのって、処理が難しいと思うんです。そう簡単にできることじゃないだろうなって」


環のそれは、強くて万能な“個性”だ。しかしだからと言って、最初から上手く扱えていたわけではないだろう。咄嗟にその場に応じた能力を再現させるには、柔軟な思考や的確な状況判断も必要不可欠だが、それ以上に“個性”を使いこなせているかが大事だ。

環の“個性”がどのように現れるのか、水世は知り得ない。脳内でイメージしたものが身体に反映するのか、手足を動かすイメージと同じであるのか。しかしどちらにせよ、一朝一夕で培われたものでないのは確かであった。


「だから、先輩はたくさん努力を重ねたんだろうって、思ったんです」


言い終えて、水世はハッと口を押さえた。まだ経験も実力も浅い一年生が知った風な口を。しかも自分は中途半端で、誰よりも遅れているというのに。生意気なことを言ってしまった。水世は謝ろうと窺うように環を見上げて、僅かに目を丸くした。彼は僅かに頬を染めて、唇をわなわなと震わせている。それは怒りと言うよりは、照れているという言葉の方が合っていた。


「……俺は、そんな……俺の努力なんて、ミリオや波動さんたちに比べたら、全然まだまだ……」


ああ、その気持ち、私も思った。私も思ってる。水世は環の言葉に心の中で共感しながら、少し考えて口を開いた。


「努力に差異はない。それは人と比べるものじゃない。つい最近、私が幼馴染に言われた言葉です」


努力をすればするだけ、それはいつか力になってくれるのかもしれない。断定できないのは、自分がまだ前を向ききれていないからだろうと、水世は心の奥で呟いた。けれど、イナサの言葉に助けられたのは確かであった。

人によって努力の数は様々で、多ければ多いほど優れているわけでは決してない。努力は勝負でないのだから、そこに勝ち負けなどなく、他者と自分とを比較する必要もない。それをわかっているのだが、しかしどうしても、周囲と自分とを比較して落ち込んだり、驕ったりしてしまう。人間というのは、些か面倒な生き物であった。


「きっと、努力をした。それだけで、充分に立派だと思うんです。努力をできるって、当たり前じゃないだろうから」


努力したことで得られる結果よりも、努力という行為自体が褒められるべきことなのではないか。水世は仮免試験のときのイナサの言葉を受けて、そう考えるようになった。

結果の伴わない努力に価値がないと思っていたわけではない。だが何も得られないでいると、次第に焦りを覚えていくもので。より周囲と己とを比べてしまうようになる。けれど本来、努力に他人は無関係だ。自分自身との戦いであるのだから、他者との優劣など含める必要はない。


「だから、天喰先輩がしてきた努力はすごいことで、卑下するようなものじゃないと思います。でも、私もよく、周囲と自分とを比較してしまうので……少し気持ちはわかります」


自分の努力など、周囲に比べたらしてないのと同じではないのか。時折そんなことを、水世は考えていた。きっとクラスメイトが知ったなら、彼らはそんなことはないと言うだろう。けれど、水世はそれを心の底から受け取ることはできない。彼らが優しいこともわかっているし、水世自身彼らのことを好いている。好意にできるだけ応えたいとも思っている。林間合宿を経て、彼女の意識は少しずつ変化を見せてはいるのだ。しかしどうしても、“個性”が関わる面において、彼女は誰かを信用しきれないでいる。何も知らないからそう言えるのだと、奥の奥で冷めてしまう。

この考えはやめた方がいいと彼女も理解はしているが、それは最早癖のようなものでもあり、習慣づけられたものでもあり。そのため簡単に切り離すことができないでいるのが現状だ。

だが、彼は自分とは違い、“個性”のコントロールはもちろんのこと、その能力を上手く活用しており、成果だって出している。自信の無さや後ろ向きな思考は似てはいるが、根本は同じではない。それが羨ましく思えて、水世はそっと瞳を伏せた。


「ごめんなさい、急に。生意気でしたね。でも、自分の努力を自分が下に見てしまったら、あなたを応援してくれてる人は、悲しんでしまいます」


水世自身、認められたいから努力をしているわけではない。それは努力の副産物だ。しかし彼女は、自分は努力したところで多くに認めてもらえるわけではないと考えていた。だが自分の“個性”がどういうものであるかを知りながら、その努力を尊ばれるものとして見てくれる存在だっていて。故にこそ、そんな彼らのためにも、自分で認めてあげなくてはと思いはするのだが、中々それができないでいる。

“個性”の扱いが上手くいったなら、少しは変われたりするのだろうかと、水世はしばし考えている。


「き、みも……!」


そう大きくはない声であったが、ほんの少し力強さが混ざっている音だった。水世は顔を上げ、伏せていた瞳で環を見れば、彼は必死そうに彼女の瞳を見つめながら、震える唇をゆっくりと開く。


「君も、充分、すごいと思う。インターン説明のとき……ミリオの攻撃を、君は避けることができた」

「……偶然ですよ。それに結局、私は攻撃を当てることはできませんでした」

「……ミリオは強いよ……すごく、すごく……あの“個性”を強いものに変えれるくらい、努力も惜しまない……そんなミリオから、一度でも攻撃を防ぐことができたのは、充分にすごいことだ」


言葉を選ぶように、慎重な面持ちで、環は言葉を続けていく。水世は、そして切島も、そんな彼を見つめていた。そう多く話したわけではないが、環は口数が多いわけではない。慣れた相手には違うのかもしれないが、少なからず水世や切島の前では居心地悪そうに、視線もそらして、言葉も少なめだ。そんな彼が、水世と目を合わせるどころか、自分から言葉を発していることに、二人は驚いていた。


「何も知らない俺にこんなこと言われるのは、気分が良いことではないだろうけど……でも、誘さん自身が思うより、君は、強いんだと思う。誰かの努力に気付けて、それを当たり前じゃないって言える君は、強くて、優しくて、すごい子だよ」


数秒ほど、静かになった。水世は何も言えずに環を見つめる。その視線に我に返ったらしい彼は、目をカッと見開いたと思うと、途端の顔色を青くさせて、カタカタと震えはじめた。


「お、俺如きが……知ったようなことを……す、すまない、俺みたいなのに言われても、迷惑だろうに……」

「そんなことないっスよ先輩!めっちゃ良いこと言ったっス!」

「よしてくれ……穴があったら飛び込みたい……むしろ埋めてほしい……!」


切島のフォローも居た堪れないのか、もし目の前に穴があったなら、彼は競泳選手さながらの飛び込みを見せてくれることだろう。

顔を俯かせて、体を縮こまらせていく姿は、警戒心が強くて臆病な猫のようにも見えて。水世は思わず笑い声を漏らしてしまった。その音に、環が彼女の方を見て、より一層に顔色を悪くしていくので、水世は慌てて謝った。


「バカにしたとかじゃないんです。ただ、猫みたいだなって。そう思って」

「あー……なんか、わかるかもしれねえ。確かに先輩、犬よりは猫っスよね」

「ねこ……前、ファットにも言われたよ。俺にはあいつらほど自由気ままに振る舞える度胸はないし、愛嬌もない……猫側も、俺に似てると言われて迷惑だろう……」


ネガティヴ思考を極めている環に、水世は小さく微笑んだ。


「そんなことないです、と言うのも失礼かもですが……警戒心の強い猫、って感じがします」

「確かに。そういう野良猫いるよな」

「うん。天喰先輩は、猫、お嫌いですか?私は結構好きなんです。仕草とかかわいくて。たとえば、伸びてるところとか」


ぱちり。環は瞳を瞬かせると、僅かに頬を染めながら水世を見つめた。


「かわいい……」

「はい。あ、でも、天喰先輩は、かっこいいが似合うと思います。ね、切島くん」

「おう!先輩かっこいいっス!」


小さく呟かれた言葉を拾われた環は、今までの比ではないほどに顔を真っ赤に変えた。耳や首まで染まっており、口をモゴモゴさせている。そんな彼を見ながら、水世は淡く微笑んだ。


「天喰先輩。私、先輩の言葉、嬉しかったです。だから、そんなに気にしないでください。私も先輩に生意気なこと言ってしまったので、お互い様ってことにしましょう?」


その言葉に、環は視線を右往左往させたが、ゆっくりと、小さく頷いた。