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誰だって善悪の生みの親


初のインターンを無事に終え、常闇と水世が雄英の寮へ帰ってきた頃には、既に夕方になっていた。重世と伊世に連絡を入れ終え、談話室に足を踏み入れると、すぐにクラスメイトたちに出迎えられた。水世は少し驚いた顔を浮かべつつも、恥ずかしそうに微笑んだ。


「おかえりなさい、水世ちゃん。何事もなかったようで安心しました」


労りに紅茶を用意してくれた八百万にお礼を言いながら、水世は促されるままにソファーに腰を下ろす。早速根掘り葉掘りインターンについて聞く芦戸や葉隠に、彼女はそう大したことなどないと苦笑いを浮かべた。


「なんで指名されたかはわかった?」

「ううん。特に聞かなかったし、向こうも何も言わなかったから」

「えー!何で聞かないの!」


気になる!と当の本人である水世以上に興味を見せている芦戸に、水世はつい笑いをこぼす。ホークス側も何も言ってこなかったため、思ったほど深い理由などないのだろうというのが水世の見解である。“個性”の物珍しさだとか、きっとその辺りだろうと彼女は思っている。

そんなことより、と水世は麗日と蛙吹の方を向いた。


「ネットの記事見たよ。二人ともすごいね」

「え!水世ちゃんも見たん?なんか恥ずかしいわ……」

「いったいどこで撮られたのかしら」


互いに顔を見合わせて照れ笑いを浮かべる二人は、インターンで敵退治に一役買ったのだと、ネット記事でニュースに上がっていたのだ。そしてそれは二人だけではなく、ファットガムのもとにいた切島も同様で、彼は敵確保で活躍したらしかった。

早速成果を上げている同級生の姿に純粋に喜び、沸いた劣等感に蓋をしながら、水世はもう一度「すごいね」と賛辞をおくった。


「でも、私たちが動けたのはリューキュウやねじれ先輩のおかげよ」

「そう!ねじれ先輩、すごいんよ!流石ビッグ3!」


パッと瞳を輝かせた麗日は、インターンで見た彼女の活躍を話した。ねじれの“個性”である「波動」は、彼女自身の活力をエネルギーへと変換し、衝撃波を放つという防御よりも攻撃特化の“個性”であった。しかし波動は何故か捻れているためかスピード自体は低く、また現場で使用するには周辺被害を抑えるためにも工夫しなければならないという難点もあった。


「ねじれ先輩、“個性”で浮いたりもできて、細かい調整も難なくこなしてて……経験の違いが直に見れたから、このインターンで少しでもスキルアップできたらいいなって思う」

「ケロケロ、それは私も同じよ、お茶子ちゃん。今回、こうやって機会が巡ってきたんだもの。無駄にしないよう、頑張らなくちゃ」


気合に漲っている様子の二人を見ながら、水世は紅茶を啜り、ぼんやりと思う。果たして自分は、今回のインターンで何を学ぶべきであるのかと。

“個性”をコントロールするための術は絶対の目的ではあるが、しかしそのヒントを得られるかどうかは定かでない。現段階ではきっと無理だ。ならば常闇のようにホークスを追いかけ、彼のスピードについていけるようにするべきなのか。

水世とて、飛ぶことができればホークスについていくことも不可能ではないだろう。しかし今の彼女は飛ぶことができない。もし飛ぼうと思うなら、“個性”のコントロールが必要不可欠なのだから。

ホークスとサイドキックとの関係性を考えれば、事後処理などを行うことは間違いではない。インターンにおいて生徒は一人のサイドキックとして数えられるのだから。しかし、それだけに徹していては、いったい何のためにインターンに参加したのか。無意味というわけではないが、しかし有意義でもないだろう。


「水世?どしたの?」

「え?」


スッと顔を覗き込んできた耳郎に、水世は少し肩を跳ねさせて、瞳を瞬かせた。どうやらボーッとしてしまっていたようで、水世はなんでもないと笑った。


「少し疲れが出てるのかも」

「そうでした、水世ちゃんは帰ってきたばかりですものね……すみません、お疲れの中長々と引き止めてしまって」


眉を下げながら心なししょんぼりとしている八百万は、普段に比べると幼さが窺えて、年相応なようだった。水世は笑って大丈夫だと伝えながらも、片付けもあるからと紅茶を飲み干して、立ち上がった。


「明日も学校だし、ゆっくり休みなよ」

「また今度話聞かせてねー!」

「うん。おやすみ」


おやすみ〜!返ってきた挨拶に軽く手を振って、水世は部屋へ戻った。

自室に入った彼女は荷物を邪魔にならない場所に置くと、一つ息を吐きながらベッドに腰掛けた。


《おつかれさん》

《うん。おつかれさま》


水世は特に何かをしたわけではない。敵との交戦も、取り締まりも、ほとんどホークス一人でやってしまったのだから。しかし慣れない場所での活動というのは、存外疲労を感じさせた。見知らぬ相手ばかりの環境ということが重なったのも理由の一つではあるだろう。


《で、どうだったよ。久々に会ったおまえのヒーローは》


妙に不機嫌そうな満月の声を疑問に思いながらも、水世は目覚まし時計に視線を移した。


《嬉しかったよ。あんまり話はできなかったけど、でも、また会えたのが、嬉しい》

《へえ、そうかい》

《うん》


ぽすん、とベッドに身を預けた水世は、そう古くはない過去を思い出しながら、小さく微笑む。

彼女とホークスは、昨日が初対面ではない。水世や伊世が巻き込まれたビルの爆破事件で彼女を助けたヒーローが、ホークスであった。あの日、真っ青な空を羽ばたいていったあの紅色は、水世の脳裏に深く刻まれている。

きっと向こうは覚えていない。これまで多くの命を救けてきたはずだ。自分が救けた人たち全員を正確に記憶している者の方が珍しいだろう。水世自身、彼に覚えていてほしいわけでもない。匿名でファンレターを送ったのだって、今となっては少々恥ずかしい記憶で、できれば自分だとバレたくないと思っているのだから。


《おまえが九州のヒーローにお熱だなんて知ったクソガキ共の反応は、さぞかし面白いだろうけどな》

《伊世くんや重世さんのこと?そんなに面白い反応はないと思うけど……》

《いいや、絶対に面白い。断言していい》


その姿を想像しているのだろう、満月は笑いを噛み殺せていない。

水世がホークスを好き、基ファンのようなものであることを知っているのは、イナサと満月のみである。伊世にも重世にも話していないのは何も内緒にしているわけではなく、単にそれを二人に話す必要性を彼女が感じなかっただけ。そして、自分みたいな存在がヒーローを好きになるのも、烏滸がましいように思えたから。

傷つけてばかりだったから、傷つけられてばかりだった。それは当然の報いであり、悪が倒されるという勧善懲悪の摂理でもあり。そんな自分が、愚かにも救う側を夢見るなんて、そんなこと、許されていいわけがない。囁きかけるように、訴えかけるように、脳の奥から聞こえてくる声は、いつだって己を咎めている。


《良いことを教えてやろう。人間に生まれながらの悪はいない。逆も同じだ。悪性も善性も、成長過程と共に育てられていくものだ。人間はそのどちらをも有している生物で、環境や人間関係、そんな様々な要因に揉まれ、結局はどちらの天秤が傾くかなんだよ。誰だって善であり、悪であるのさ》


水世の思考を読み取ったかのように、満月は呆れたように笑いながら語った。


《おまえも他の奴らも、そこに変わりはない。なら、周囲と同じように憧れを持つことに、何の罪がある。一々難しく考えすぎなんだよ》

《でも……》

《誰かの善は、誰かの悪だ。そして誰かの悪もまた、誰かの善となる。たとえ人がおまえを悪だと言おうが、そう断ずるだけの正当性やまっとうな理由もないのなら、その言葉にわざわざ耳を貸してやる通りはない》


ま、それができてたらこうも悩まねえか。呟いた満月に、今日はもう休めと促された水世は頷くと、シャワーを浴びようと立ち上がった。

そんな時、部屋に着信音が鳴り響いた。見れば知らない番号で、彼女は出るのに躊躇しつつも、重要な連絡だったらと考え、恐る恐る画面をタップした。


「はい、もしもし」

「"あ、出た。よかったよかった、無視されるかな〜って思ってたんだよねえ"」

「……ホークスさん、ですか?」


電話の向こうから聞こえた声に、彼女は驚いたように瞳を丸くした。何故自分の電話番号をとか、何故急に電話をとか、様々浮かぶ疑問はお見通しなのか、ホークスは軽く笑った。


「"そういえば、俺水世ちゃんに事務所の番号教えてなかったって気付いてさあ。学校側からある程度の資料は送られてきてるから、直接電話かけたんだよ。連絡するのに一々常闇くん介すのも悪いし"」

「そうでしたか……わざわざすみません」

「"いいよ。まあ、そういうことだから、この番号登録しといてもらっていい?ついでに俺の番号も控えといてよ"」

「わかりました」


理由を聞いて納得した彼女は、おかしな電話でないことにひっそりと安堵しながら、メモ帳を用意してホークスの携帯番号をメモした。

彼女が手数をかけた謝罪を伝えて電話を切ろうとしたが、しかしその前に、ホークスが突然におかしなことを尋ねてきた。


「"水世ちゃんってさ、空を飛びたいって思ったことあったりする?"」

「え?えっと……どう、でしょう……自由に飛べたら、いいだろうなとは思いますが……」

「"そっかそっか。うん、了解。急にごめんね。じゃあ、また日程決まったら連絡するから"」


一人納得したホークスは、そう言って通話を終えた。水世はツー、ツー、という音を聞きながら、困惑気味に画面を見つめる。最後の質問は、いったい何の意味があったのだろうか。そんな疑問が表情にも出ているが、考えてもわかるわけもなく。水世は再度首を傾げながらも電話番号を登録して、今度こそ浴室へ向かった。