- ナノ -

甘くて熱い視線がお一つ


一日街中を駆け回っていれば、日が暮れるのもあっという間で。ホークスの戻ろうか、という言葉に従い、面々は事務所への道を進む。


「今日はありがとうございました」

「いいよいいよ、俺らあんまり何もしとらんし」

「?事後処理や後始末をしてましたよ」

「オールド・ニックちゃんって天然?」


ほとんどそばにいたサイドキックの二人は、水世の反応に少しおかしそうに笑った。

今日一日、水世はサイドキックの仕事を手伝うばかりだった。ホークスに追いつけない以上、自分にできることをするしかないのだからと、二人から話を聞いたり、手伝いをしていたのだ。そのためか、ホークスよりもお世話になったような気がしてならなかった。それを伝えれば、二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。


「普通なら、ホークスのサポートに回らないけんのやけど……ホークスは、速いから」

「ホークスに任せきりなんは、申し訳ないとは思っとるんよ」

「そんなことはないと思います。お二人がいるから、ホークスさんもすぐに現場に向かうことができるわけですし……適材適所っていうものだと思いますよ」


事件解決後、ヒーローには事後処理が残っている。警察への犯人の身柄引き渡しや事情説明、破損物の処理や請求、修理の依頼、それに報告書など。存外それが大変だったりする。だがホークス事務所の場合は、それらをサイドキックが引き受けてくれている。故に、ホークスは即座に次の事件現場へ駆けつけることができる。

どの仕事も、どの役割も、何かしらの重要性を担っている。雑務と言われてしまえばそれまでではあるが、けれども事後処理だって立派な業務であり、サポートの一つだと、一日を通して水世は感じていた。


「……オールド・ニックちゃん、よくいい子って言われん?」

「え?いえ……あまり、言われたことはないです」


嘘だあ。そんな言葉に、水世は僅かに瞳を伏せた。

仮免試験で中瓶にも言われた言葉だが、「いい子」とは、自分からは縁遠い言葉であると水世は思っている。いい子にはサンタクロースが来てくれるし、たくさん褒めてもらえるし、死後は天国に行ける。しかし自分にはサンタクロースなんて来てやくれなかったし、褒めてももらえなかったし、死後に向かうはきっと地獄だ。それがわかっているから、少しだけ複雑な気持ちになりながらも、水世は笑って誤魔化した。


「ツクヨミくんも、今日はホークスに食らいついていきよったし、将来が楽しみな子ばっかりやなあ」

「ですね」

「いえ、俺はまだまだ未熟な身……精進せねばと思っています」

「二人とも謙虚やね」













事務所に戻り制服に着替えた常闇と水世は、ホークスの案内のもと、宿泊するホテルへ到着した。ホークス側が手配をしてくれたことに申し訳なさは覚えるものの、学生の所持金など高が知れている。そのため二人は、素直に彼の厚意に甘えた。


「受付に言えば、部屋の鍵貰えるから。今回は明後日のお昼の便で帰るんだっけ」

「はい」

「そっかそっか。じゃあ、近々また予定伝えるから。明日またよろしくね。おつかれさま」


ひらりと手を振るホークスに頭を下げた二人は、中へ入ろうと彼に背を向けた。しかし何かを思い出したのか、ホークスは常闇に声をかけ、ちょいちょいと手招きをする。不思議そうに水世と顔を見合わせた常闇だったが、水世に行ってきなよと促され、彼は戸惑いがちにホークスの方へと戻っていった。

水世はしばし二人を見つめて、ホテルに入っていった。広々としたロビーの綺麗な床を踏みながら、順番待ちのために彼女はソファーに腰を下ろした。端の方にちょこんと座った彼女は、まだ少し時間がかかりそうだと受付前の列を見ながら、一つ息を吐く。


「隣、いい?」


顔を上げた彼女は、ぱちりと瞬きを一つ。フードを深く被って、黒いマスクをつけた見知らぬ誰かが、彼女の隣の席を指差して言った。声からして男であることはわかるが、顔はよく見えない。僅かに青白い髪が見えたくらいで、いかにも不審者と呼ばれそうな格好をしていた。


「……どうぞ」

「ありがとう」


席を空けるように彼女がバッグを膝の上に置くと、その男性は彼女の隣に腰を下ろした。


「その制服、雄英?」


話を振られるとは思っていなかった水世は、少し驚きながら隣を見た。彼が今どのような表情であるのかはわからないが、しかし穏やかな声音なため、悪印象を持たれているわけではないのだろうと解釈しながら頷いた。

神野の悪夢と呼ばれる事件があってから、雄英高校に対する不信感を抱く者だって現れはじめていた。二度に渡る敵の襲撃、生徒の負傷や拉致。それについて、保護者や世間も思うところがないわけではない。しかし雄英を変わらず応援する者は多くいてくれた。それでも全員が全員、そうではないのだ。

SNSや掲示板などネットを見れば、雄英に対する不平不満を流す者は一定数存在していた。そのため水世は声をかけられたとき、一瞬、この男性は雄英が嫌いで、だから自分に目をつけたりしたのだろうかと考えた。しかしどうやらそうではないようで、彼女は少し肩の力を抜いた。


「確か、ヒーロー科の子。体育祭で見たんだ。福岡には学校の授業で来たの?」

「そんな感じです」

「そっか。学生なのに大変だ」


なんとなく男が笑っているような気がして、水世も小さく笑みを返した。男は仕事の出張で福岡に来たらしく、普段は関東にいるのだと話した。


「お兄さんも、お仕事大変ですね」


当たり障りのない言葉を返せば、男は黙りこくった。この短時間、少ない返事で何か気に障るようなことをしてしまったのかと、水世は不安げに眉を下げた。

お兄さん?声をかけた水世に、男はああ、と呟く。


「いや、妹を思い出して。君みたいな白髪でさ」

「……そうですか」


妹と仲が悪いのか、それとも会うことが叶わないのか。理由など当然知らないが、しかしあまり良い話ではないだとうことを察した水世は、何も聞かずに口を閉じた。


「君は、兄妹は?」

「一応、兄が二人……」

「一応?仲が良くない?」

「……仲は、悪くないかと」


仲が良いのだろうか。関係がどこか冷えている部分はあるだろう。以前ほど関わりがない、ということはなく。けれど普通の、一般的な家族という関係に比べたらなら、自分たちはとても歪でならないというのは水世も理解していた。


「家族と上手くいってない感じ?」

「えっと……」

「ああ、急に知らない奴にこんなこと聞かれても困るか」


マスクの中で笑い声を転がした男は、「俺も、家族とは上手くいってなくてさ」と呟いた。その言葉に、水世は不思議そうに彼を見た。


「……そう、なんですか」

「うん。でも、それでもこうして生きてる。極論だけど、家族との関係が良好だろうとそうでなかろうと、人は生きていける」


それは確かに、極論だ。水世は心の中で呟いた。

生きていく上で、家族という存在が必要不可欠なのかと言えば、ハッキリとは言えない。家族がいても死ぬし、いなくても生きていける。家族との関係が将来の己の性格に起因する部分はあるし、虐待やネグレクトなどで消える命もある。そのため、家族とは必要不可欠かという問いは、どちらとも言えないが正解なのだろうと水世は思っていた。


「人は結構しぶといから。何としてでも成し遂げたい目的や意志があれば、意外とそのために生きていけたりする。要は、どれだけ自分勝手に生きれるかさ」

「……自分勝手に、ですか……」

「他人だって、家族だって、自分のしたいように、好き勝手自由に生きてる。だったら自分も、同じように生きたっていいはずだって思わない?」


隠れて見えない表情は笑みを象っているのではないか。水世はそんな気がした。

好き勝手に、自由に生きる。それは水世の中には到底ない発想だ。それとはあまりにも無縁で、思い浮かびさえしなかった。自分はそんな風には生きれない。そう思いつつも、少しだけ、男の言葉に感銘のようなものを受けたのも事実ではあった。

二人とも黙り込み、周囲の話し声や足音、キャスターの転がる音などがやけに大きく響くようだった。気まずさから水世が顔を伏せていれば、ポケットの中でスマホが震えはじめる。取り出して確認すると、ロック画面に通知がずらっと並んだ。どれもクラスメイトからで、労りや心配の言葉ばかりに、水世は小さく照れ笑いを浮かべた。


「お友達?」

「……はい」


友達。そういう認識で、多分、いいのだろう。水世はこくりと頷いた。その返事に男はじっと彼女の顔を見つめると、不意に手を伸ばした。男は指先部分だけ空いたグローブをしており、異様に肌を隠していた。日光のアレルギーなどがあるのかもしれない。水世はそんなことを考えながら、少し身構えた。

伸ばされた指が、彼女の白髪に触れる。撫でるように髪をとく仕草に、水世は困惑を浮かべながら眉を下げた。もしかすると、妹さんと重ねているのかもしれない。そう思い、彼女ははらいのけるようなことはせず、大人しくされるがままになっていた。


「お次の方、受付までどうぞ」


聞こえた女性の声に、水世は我に返って受付を見た。列はだいぶ人が減っており、彼女の番が回ってきているようだった。慌ててバッグを抱え直した水世は、立ち上がって受付まで向かおうとした。しかし、男の手が水世の手首を掴んだ。


「名前。君の名前、教えて?」


男の名残惜しげな声に、水世は不思議そうにしながらも、おずおずと口を開いた。


「誘水世、です」

「水世……水世ちゃん……」


噛み締めるように、大事に名を呼んだ男は、彼女の肌をやんわりと撫でて手を離した。


「綺麗な名前だ。天使みたいな君に、よく似合う」


どこか甘さを含んでいるような声に、水世は少し肌を震わせた。触れられた箇所がやけに熱を持っているような気がして、水世は恥ずかしげに片手でその部分を掴む。


「……お兄さんの名前は、なんですか?」


なんとなく、社交辞令のような感覚で、水世は男に名前を尋ね返した。すると男の指がピクリと反応を示したが、彼女は気付かなかった。


「――水葵(みずき)。水葵っていうんだ」

「水葵、さん……」


名前を呟くと、水葵と名乗った男が笑ったような空気を感じて、水世は眉を下げながら笑みを返し、会釈をして早歩きに受付へと向かった。

水葵と名乗ったその男は、彼女の背を見つめ続けた。そんな視線を感じながらも部屋の鍵を受け取った彼女は、エレベーターの方へと向かっていく。

ボタンを押してエレベーターを待ちながら、水世は恐る恐る振り返ってみた。水葵はまだソファーに腰掛けたままだった。不意に彼が軽く手を振った。思わず肩を跳ねさせた彼女だったが、小さく頭を下げて、扉を開けたエレベーターに飛び込んだ。

扉が閉まるまで彼女を見つめ続けた水葵は、立ち上がるとホテルの玄関へ向かっていく。外に出た彼は通りの方へと歩きながら、パーカーのポケットに手を突っ込み、中から一枚の写真を取り出した。その中には、恐らく下校中なのだろう、セーラー服姿の水世が閉じ込められている。しかし、その目線はレンズを向いてはいなかった。

フードの奥、どろりと蕩けた瞳に、誰も気付かない。