- ナノ -

羨望だけは一丁前なんて


ホークスの事務所へと案内された常闇と水世は、広々としたエントランスを抜けて、エレベーターで上の階へ行き、客間のような場所に通された。


「ひとまず荷物はここに置いといていいよ。ホテルには後で案内するから。じゃあ、着替えておいで」


そう言われ、二人はバッグをソファーの上に置き、中からヒーローコスチュームを取り出した。更衣室を教えてもらい、水世はヒーローコスチュームに袖を通していく。皆は仮免試験前に改良を重ね、形状を変えたりとコスチュームにも変化が見られていたが、水世は特に変える必要性を感じていなかったため、最初のまま何も変化はない。

しかし徐々に寒さを増す季節となっていくのだから、上着くらいは用意しておくべきかもしれない。そんなことを考えながら、水世は軽く髪を手ぐしでといた。

水世が更衣室を出れば、おーいと声をかけられた。そちらを見れば、ホークスと、既に着替えを終えていや常闇の二人が立っており、彼女を待ってくれているようだった。慌ててドアを閉めた彼女は小走りで駆け寄って謝罪をこぼすと、ホークスは軽く手を振った。


「気にしなくていいよ。女の子は準備に時間かかるものだし。それに、言うほど待ってないから」


へらりと笑ったホークスは、水世の姿を頭から爪先までじっと眺めると、視線をそらして頬を人差し指で掻いた。


「オールド・ニック、だったよね。ヒーロー名」

「はい」

「うん。じゃあ、オールド・ニックちゃん。長いからニックちゃんで。コスチューム、それで大丈夫なの?」


ぱちりと瞳を瞬かせた水世は、自身の姿を一度見下ろして、何かおかしな箇所があるのだろうかと不安げに眉を下げた。ホークスは顎に手を添えながら苦笑いを浮かべた。


「変とかじゃないよ。よく似合ってる。ただ、布面積少ないなって。背中ほぼ見えてるけど……」

「そうですかね?一応、必要最低限の露出ではあるつもりなんですが……」


水世の言葉に、ホークスは瞳をぱちくりさせた。ヒーローの中には、“個性”の関係上露出せざるを得ない者もいるため、仕方のないことである。彼女もそうなのだろうとは理解している。だがまだ女子高生という身であることを考えれば、普通ならば恥ずかしがったりするものではないのだろうか。そう思いながら、ホークスは隣にいる常闇の方へ視線をずらした。


「ニックちゃんって、あんま、こう、そういうとこ頓着しないタイプ?」

「まあ……あまり見目を気にする素振りはなく、自身の容姿に関して気にとめていないかと」

「なるほどねえ……でもこの格好、思春期男子的にはどうなの?確か、男子生徒の方が多かったでしょ」

「素で気にしていない者、気にしない風にしている者と大きく二つに分かれてはいるが、一人を除いて今のところ支障はないので」

「一人は危なそうな子はいるんだ」

「奴は最早色欲の権化……」

「……それ本当に大丈夫?」


常闇は否定も肯定もしないまま、ただ顔だけはそらした。その反応を見れば、よっぽどなのだろうことはホークスも理解できた。そも男子高校生としては健全であるのかもしれないが。ホークスは苦笑いの表情を浮かべながら、とりあえず行こうか、と二人に声をかけた。

エントランスへ戻ると、玄関前に立っていたホークスのサイドキックだろう男性が、三人を見て軽く手を上げた。片や鳥のようなマスクをしており、片や真っ黒な全身タイツにヘルメットを被っていた。どちらも素顔がわからないようなコスチュームになっており、一見すれば怪しい人物と思えなくもない。特に全身タイツの男性に至っては、しっかり呼吸ができているのかも疑わしい。


「ニックちゃんは初めましてだよね。彼らはうちのサイドキック」


ホークスの紹介を受け、水世はおずおずと二人に挨拶をした。表情が見えないこともあり、緊張した面持ちで彼らを窺う水世に、二人は穏やかに挨拶を返してくれた。


「じゃ、早速パトロール行きますか」


外に出たホークスは、背中の翼をはためかせたと思うと、バサッと音を立てながら飛び上がった。そうして瞬く間に飛んでいってしまう。それを呆気に取られながら見つめていた水世だったが、声をかけられたことで我に返り、サイドキックの二人についていった。

ホークスとサイドキックは、他のヒーロー事務所とは少々異なり、役割がしっかりと分かれていた。サイドキックはヒーローにとっての補佐役で、共に戦ったり、ヒーローのサポートをしたりする、というのが水世の中でのイメージであり、そういったものと認識していた。

しかし、ホークスは一人で全部解決してしまう。事件が起きたら即座にその場へ文字通り飛んで行き、追いついたサイドキックが事後処理や後始末を行う。それが、ホークスとサイドキックとの連携であった。


「ホークスは速すぎるから、これが一番効率がいいとよ」

「俺らを待ってるその間に被害拡大なんてしたら、大変やからね」


二人の言葉に、水世は以前常闇が言っていた通りだと思いながら、なるほどと頷いた。確かに、事件が起きたとき、現場に迅速に駆けつけるスピードというのもまた、ヒーローとして必要な要素の一つ。ホークスは、それがずば抜けて高いということなのだろう。

小さくなっていく背中を見上げ、水世は街中を駆ける。制空権があるというのも、そのスピードを底上げしている要素になるのだろう。何せ、空は自由だ。信号もないし、渋滞だってない。天候という自然現象さえ克服してしまえば、地面よりも移動の障害がない。

ヒーローとサイドキックにも、様々な形があるということかと彼女は認識を改めた。しかし、それにしても、息苦しくはないのだろうか。水世がタイツで覆われているサイドキックの方を横目に窺っていれば、彼女の隣から、黒い何かが飛び出した。ぱちりと瞳を瞬かせて視線を前へ向ければ、黒影を纏った常闇が、街灯を利用して宙を駆けていた。


「ツクヨミくん、気張るなあ!」

「ええ、伸びしろですね!」


水世は以前、常闇から職場体験の話を少し聞いたことがあった。その時彼は、自分が期待していた結果は残せなかった、不毛な一週間となった、己の実力の無さを実感した、とやや落ち込んでいた風に彼女には見えた。実際にホークスのもとに来て、確かにホークスに置いてけぼりを食らい、事後処理や後始末だけというのは、拍子抜けである気もしてならない。

だが職場体験ならば、まだいいだろう。あくまで生徒は客人で、現場の空気や仕事を見てもらうために過ぎない。しかしインターンは、実際にヒーローと同等に立場としてその場にいるのだ。故に、職場体験と同じ状態では来た意味がない。

職場体験でもホークスのもとへ来ていた常闇は、より一層にそれを感じているのだろう。懸命に飛んでいる彼を追いかけている姿を見ながら、水世は一人、己の中途半端さを再認識する。

ヒーローになりたい。人を救けられる人になりたい。見返りなんてなくても、自己満足であっても。その気持ちは決して嘘ではないのは確かで。しかし、やはりどこかで「自分には無理だ」と囁く声がある。傷つけることしかできない自分では、“個性”の扱いもままならない自分では。幼い頃の自分を抱きしめてやることもできない自分が、他人を救けるなど、笑いのネタにさえならない。

どこまでも、どこまでも、遠い存在。ヒーローとは、水世にとっては未だに空想上の存在のように思えた。自由に飛ぶその姿が、その背を追いかける懸命な姿が、羨ましいと思えた。