上との距離は果てしなく
「ご迷惑おかけしました!!」
息巻いた様子で教室に入ってきた緑谷は、三日間の遅れを取り戻そうという気迫で溢れていた。苦笑いを浮かべながらもおつかれさまと声をかけた水世に、緑谷は鼻息荒くうん!と大きな返事をした。
各々が好きに過ごすなか、予鈴が鳴ったと同時に相澤が教室に入ってきた。瞬間、皆着席して前を向いており、その反射神経に水世は改めて感心すると共に、懐かしさも覚えた。
「じゃ、緑谷も戻ったところで、本格的にインターンの話をしていこう」
挨拶をして早々、相澤はそう切り出すと、扉の方を見て入っておいで、と声をかけた。どうやら実際にインターンを体験している生徒を講師として呼んだようで、スーッと扉が開いていく。
「多忙な中、都合を合わせてくれたんだ。心して聞くように。現雄英生の中でもトップに君臨する三年生三名――通称ビッグ3のみんなだ」
教室に足を踏み入れたのは、二人の男子生徒と一人の女子生徒だった。先頭で入ってきた金髪の生徒は、がっしりとした体躯をしており、鍛えられた腕には傷痕がいくつもあった。その後ろにいる水色のロングヘアをした、美少女と呼ぶにぴったりな容姿の女子生徒は、ぱっちりとした瞳を生徒たちの方へ向けている。一番後ろの黒髪の生徒は、鋭めの三白眼と尖った耳をしており、背を丸めながら教室に入ってきた。
相澤の言葉にざわめきだすクラスをよそに、水世は瞳を瞬かせた。最後に入ってきた黒い髪の生徒は、以前二度ほどお世話になった天喰環だ。こんな形で三度(みたび)会うとは、と水世は少し驚いたように目を丸くした。教卓の前に立った彼は視線を下げつつもなんとかA組の面々を見ようとはしているようだった。
ぱちり。環と水世の目が合った。途端に彼はカッと目を見開いて、水世はそんな彼に首を傾げつつも、微笑んで小さく頭を下げた。瞬間、彼は一瞬硬直して、勢いよく視線をそらした。
「じゃ、手短に自己紹介よろしいか?まず、天喰から」
相澤の言葉に、呼ばれた環が下げていた視線を上げた。彼がその三白眼をより鋭くさせてA組の面々を一瞥した途端、教室全体に緊迫感や威圧感が広がった。肌に刺さるビリビリとした感覚や、体全体にのしかかる重圧感に、皆彼の雰囲気に呑まれている。
これがビッグ3。皆がそう感じ、これからの話に期待を膨らませた。しかし――。
「駄目だ、ミリオ……波動さん……」
口を開いた環は、震え声で隣の二人に呼びかけたと思うと、カタカタと体も震わせはじめた。
「ジャガイモだと思って臨んでも……頭部以外が人間のままで、依然人間にしか見えない……どうしたらいい……言葉が、出てこない……頭が真っ白だ……辛いっ……!」
小声で喋りだした彼は、くるりと後ろを振り返ったと思うと、黒板に額をつけて「帰りたい……!」と呟いた。そんな彼の発言に、皆目が点へと変わる。
A組の面々が戸惑いを隠せないなか、環の隣にいた女子生徒は可愛らしい笑顔を浮かべて、環をノミの心臓だとズバリ言い放った。そして代わりに彼の紹介と、自己紹介をした。
「今日はインターンについて、みんなにお話してほしいと頼まれて来ました。けど、しかし……」
波動ねじれは手前に座っていた障子に顔を寄せると、彼がいつも着けているマスクについて尋ねた。障子が質問に答えようと口を開いたが、それを遮り今度は轟の火傷について尋ねている。
「芦戸さんは、その角折れちゃったら生えてくる?動くの?峰田くんのボールみたいなのは髪の毛?散髪はどうやるの?蛙吹さんはアマガエル?ヒキガエルじゃないよね?」
矢継ぎ早に質問をしたねじれは、不思議だと笑った。まるで様々なものに興味を示す小さな子どものようで、芦戸はそれを幼稚園児みたいだと称した。
彼女の天然ぷりに和んだり、困惑したりと反応は様々だ。一人歪んだ受け取り方をして興奮している峰田に、八百万は口もとを覆って引いているが、彼はそれに気付いていない。
今度は尾白をターゲットにして質問をしているねじれの様子に、相澤は徐々に苛立ちを見せており、それが表情や雰囲気にありありと表れていた。
「……合理性に欠くね?」
「イ、イレイザーヘッド、安心してください!大トリは俺なんだよね!」
中々始まらないインターンの話に、相澤は低い声で呟きながら、金髪の生徒を睨みつけた。睨まれた生徒は焦り気味な様子で自身を指差したと思うと、パッと後輩たちの方を向いた。
「前途ー!?」
彼は皆に耳を寄せて尋ねたが、誰も答えることはなく、教室は静まり返るだけ。呆然としている皆をよそに、彼――通形ミリオは、大失敗したツカミに自分で笑っている。どうやら「多難」と返してほしかったらしい。
ビッグ3という通称ながら風格のない彼らの様子に、クラスには僅かに疑心的な空気が広がっていた。果たして本当に、そう呼ばれるほどの人物なのかという不安が顔に表れていた。
「まあ、何がなんやらって顔してるよね。必修てわけでもないインターンの説明に、突如現れた三年生だ。そりゃわけもないよね」
ミリオはニッと笑みを見せたと思うと、ブツブツと何かを呟きはじめた。そんな彼の様子に、ねじれと環が不思議そうに視線を向けた。ミリオは周囲の様子など気にせず、良いことを思いついたと言わんばかりに表情を明るくさせると、まとめて自分と戦おうと言いはじめた。そんな突然の発言に、当然驚きを隠せない面々だが、しかし相澤の許可が出たため、体育館γへ行くこととなった。
「大丈夫なのかな……なんか、こう……」
「迫力がない?」
「そう!失礼なのはわかってるけど、そう思っちゃうよね」
体操服に着替えながら、不安気味なクラスメイトに、水世もわからなくはないと眉を下げた。
実際にインターンに参加し、プロと共に活動しているという話だが、彼らはとてもじゃないがそういう風には見えない。環は極度の上がり症なのか結局黒板と向き合ったままであったし、ねじれは始終様々なことに興味と疑問を持っていて、ミリオは謎のツカミである。
「でも、人は見かけによらないって聞くしさ」
「その通りです。きっとこれも、何か意図があってのことでしょうし」
八百万の言葉にそうだよね、と納得した面々は、更衣室を出て体育館へと向かった。
体育館では、既に到着していた三人がいた。ミリオは準備運動をしておりやる気満々な様子を見せ、環はやはり壁の方を向いていた。ねじれは芦戸を捕まえて、彼女の角を好き勝手触っている。
「ミリオ……やめた方がいい」
全員が揃い、轟と芦戸以外がミリオと向き直っているなか、環は壁を向きながらもミリオに制止の言葉をかけた。
「みんながみんな、上昇志向に満ち満ちているわけじゃない。立ち直れなくなる子が出てはいけない……」
「あ、聞いて、知ってる。昔挫折しちゃってヒーロー諦めちゃって、問題起こしちゃった子がいたんだよ。知ってた?」
その言葉に皆反応し、少し苦い顔をした。A組はこれまで、ハンデありの状況ではあったがプロヒーローとも戦っており、また敵との戦いも経験している身だ。実力に驕っているわけではないが、しかし簡単に心が折れるような心配をされるほど柔な精神をしていない。皆そう自負しているのだ。
「いつどっからきてもいいよね。一番手は誰だ?」
ミリオの言葉に即座に反応を示した切島だったが、彼の言葉を遮るように緑谷が前に出た。彼は謹慎期間の遅れを取り戻さんと、今朝から張り切っていた身だ。雄英のトップと手合わせができる恰好の機会を逃すようなことはしないだろう。
彼が“個性”を発動させたと同時、他の皆もそれぞれ戦闘態勢に入る。水世は髪を耳にかけながら、じっとミリオを見ていた。
「よっしゃ先輩!そんじゃあご指導!よろしくお願いしまーっす!」
切島の声を合図に手合わせがスタートしたが、瞬間、ミリオの服がストンと落ちた。突然全裸になった彼に、女子たちは声を上げて目を覆い、男子生徒は謎の現象に驚きの声を上げている。ミリオは慌てた様子でズボンを履いているが、その姿は隙だらけだ。緑谷はそこに特攻を仕掛け、顔目掛けて蹴りを入れるも、緑谷の足は、ミリオの顔をすり抜けた。
立て続けにテープやレーザー、酸がミリオに飛んでいったが、それらも全てミリオに当たることはなく、すり抜けていく。
一方的な攻撃を跳ね返す素振りは見せなかった。ただ棒立ち状態だったが、しかし攻撃はすり抜けているのは確かである。しかし緑谷の蹴りの際は、ズボンを着ながらも頭だけがすり抜けている状態になっていたのを見ると、すり抜ける“個性”であり、すり抜けと実体化の部位を分けることはできるということか。
「待て!いないぞ!」
水世がミリオの“個性”を分析している最中に、怒涛の攻撃で立った土煙が晴れていく。しかしその先には崩れた岩石があるだけで、ミリオの姿は消えていた。
いつの間に消えたのかと皆が周囲を見回していると、最後尾にいた耳郎の背後に、突然ミリオが姿を見せた。
「ワープした!」
「すり抜けるだけじゃねえのか!?どんな強“個性”だよ!」
ワープとすり抜け。あまり共通点のようなものは見つけられない。考えるのならば、ワープをすり抜けに使っているか、すり抜けをワープに使っているか。可能性は後者の方が高いだろうか。壁をすり抜けて隣の部屋に行けば、それをワープと見れなくもない。
《あんま考えてる暇ねえぞ、水世》
遠距離型“個性”から狙いを定めたミリオは、後ろの方に位置取っていた耳郎や常闇、瀬呂などの腹部に次々パンチを入れていく。徐々に近付いてくる彼の存在に、僅かに後ろに下がった水世は、“個性”を発動させた。
次々クラスメイトを戦闘不能にしたミリオが、ついに水世の方へと寄ってきた。彼の逞しい腕が水世の腹めがけて向かってきた瞬間、彼女はバリアを張った。
ミリオはバリアの存在に目を丸くしたが、水世はパキッと音が鳴ったのに気付いて眉を寄せた。彼女はすぐに瞬間移動で背後にまわってバリアを張り直すと、彼の真上に魔法陣を展開させる。魔法陣から飛び出た鎖はミリオの体を捕らえようとするも、それは彼の体をすり抜けた。
《こっちの攻撃はすり抜けるが、向こうから攻撃ができてる以上、すり抜けの部位は任意で決めれるのは確定だな》
《カウンターがいいってこと?》
《ああ。だが、それは本人が一番わかってるだろうよ》
パンチを繰り出した状態のままの彼の腕を、鎖はすり抜けている。ここからどうするかと思考を飛ばす水世だったが、ミリオは瞬時に振り返ると、再度彼女の腹部へ拳を突き出した。
先程はヒビが入っただけであったバリアだったが、しかし今度は、パキン、と音を上げたと思うとそのままバリアは綺麗に割れてしまった。まずい、そう感じて即座に移動しようとした水世だったが、それより先にミリオの拳が水世の腹へと到達し、直撃した。
重たい拳が叩きつけられ、水世は小さく呻き声を上げると、地面に崩れ落ちて、腹部を押さえながら四つん這いのように体を丸めた。
《判断が遅かった、かも》
《経験の差もある。それより、大丈夫か?》
《これくらいなら、大丈夫。お腹抉られた時の方が痛かった》
《アレ以上の痛みなんざ早々ないだろうよ》
瞬く間に半数以上が倒され、残るは近接主体のみが残された。いったい何が起こったのか誰も理解できていないようだった。すり抜けとワープという二つの能力に、尾白は無敵ではないかと声を上げた。
「なにかカラクリがあると思うよ!」
「すり抜け」の応用でワープしているのか、「ワープ」の応用ですり抜けているのか。それがどちらにせよ攻撃方法が直接的なものである以上、カウンター狙いが妥当。緑谷の言葉は、水世と同じ考えだ。
「何してるかわかんないなら、わかってる範囲から仮説を立てて、とにかく勝ち筋を探っていこう!」
「おお、サンキュー!謹慎明け緑谷スゲーいい!」
咳込みながら、水世は僅かに顔を上げて彼らの様子を見た。
すり抜けが“個性”と仮定して、ならばワープはどう行なっているのか。どう応用したらワープという形になるのか。彼女が思考を巡らせていれば、ミリオの体が地面へと沈んでいった。
《沈んでる……?すり抜けるとして、地面も可能ってこと?》
《ならあれは、沈んだんじゃなく落ちたんだろうさ》
《地面をすり抜けて、中で移動してるってことかな……》
「必殺!ブラインドタッチ目潰し!」
その声に、水世は思考を止めた。ミリオが最後尾を狙うことを予測していたのだろう、緑谷がカウンターを仕掛けている。しかしやはり、カウンターへの対抗策もしっかりと考えていたようで、緑谷もまた強烈なパンチをお見舞いされた。
そのまま、流れるように残っていた近接主体の“個性”持ちの生徒たちも軽々倒されていき、そうして残ったのは、上半身裸のミリオだけであった。