- ナノ -

僕たちは真逆で似ている


八百万と共に昼食を食べた水世は、セメントスに現代文のプリントを提出しに彼女と別れて職員室へと足を運んでいた。プリント提出は特に問題もなく終えたため、そのまま教室へ戻ろうとしていた彼女だったが、ふとお茶を買い忘れたことを思い出し、食堂へと後戻りした。

食堂に設置されている自動販売機には、様々商品が並んでいる。上鳴や切島はよく炭酸飲料を、蛙吹は水をよく買っているのを水世は知っている。今度自分も試しに買ってみようなんて思いながらお茶を買った彼女は、今度こそ教室に戻ろうと、食堂を出た。


「相澤先生、と……心操くん?」


広々とした階段の踊り場についた彼女は、目に入った二人組に瞳をぱちりと瞬かせた。名前を呼ばれた二人は同時に彼女の方を振り返ると、心操は少し目を丸くして、小さく頭を下げた。それを受けて、彼女も頭を下げた。


「こんにちは。昨日は、通行止めしちゃっててごめんね」

「いや、べつに……」

「……前も一緒にいたけど、相澤先生と訓練してるの?」


心操は僅かに目を見開いて、ちらりと相澤の方に視線を向けた。水世は聞いてはまずいことだっただろうかと、少し気まずそうな顔を浮かべた。しかし相澤は特にはぐらかすことも言い淀むこともなく、一言肯定の言葉を返す。

彼の体格が良くなった理由は自分の予想通りで、水世はやっぱりかと納得したようだった。

心操は、一般的に見ればそれなりに筋肉もついている身体ではあるのだが、ヒーロー科の生徒と比べてみると、些か薄い身体つきをしていた。しかし今の彼の身体は、以前よりもずっとずっと鍛えられている。言い方が悪いが、素人なりに調べて行っていたトレーニングを続けていたのだろう。実際、ヒーローを目指す生徒はそういった者が多い。専属トレーナーやジムに通うにも、金銭というものが必ずついて回る以上は、よほど余裕がある場合でなければその恩恵を受けることは難しいのだから。

彼の“個性”は戦闘向きとは言いづらいために、地力を鍛えるという方向性しかない。そのため必死に努力を積み重ねてきたのだろう。それが一学期の体育祭を経て、報われるか否かの瀬戸際にいるというのが、今の彼の状況であった。


「心操くん、集中力ありそうだし、忍耐強そうだし、コツコツと積み重ねていくこととか得意そうだし….…そこに相澤先生の指導も加わったら、もっともっと強くなりそうだね」


先生、結構スパルタでしょ。そう言って笑った水世に、心操はそっと相澤を見て、なんと答えるべきかと口をモゴモゴさせた。当の本人がいる前で肯定するのも失礼だが、しかし否定するのも、と内心困っているのだ。水世自身には一切の悪気もないために、余計に返答がしづらい。しかし、仮に相澤がいない場で言われていたのなら、彼は間を置いて頷いていたことだろう。


「まあ……厳しい、けど……でも、的確な指摘してくれるから、すごい、ありがたいかな」


言い終わって、心操はどうしようもない羞恥心を覚えた。どうして本人の前で言わなければならないんだ、と。しかし彼にはこれ以上にマシな回答が浮かばなかったのだから、仕方がなかった。

彼の答えを聞いた水世は、そっかと笑った。彼女もまた相澤に“個性”コントロールの個別訓練を受けている身であるため、彼の言葉にはとても共感していた。

個別の“個性”コントロール訓練は、相澤から声をかけ、放課後に行っている。相澤の方が多忙であるため、彼の都合に合わせているのだ。教師としての仕事がある中で時間を取らせて申し訳ないと水世は常々感じているが、いかんせん“個性”をコントロールできないというのは死活問題であるため、彼に甘えている現状だ。

しかし、心操の訓練もしていたとは。彼は学科も異なるため、自分以上に相澤と予定を合わせることは難しいだろう。それにヒーロー志望とはいえ、元の基礎能力はそう高いわけでもない。それを考えると、なるべく時間をかけて見てやるべきだ。自分との訓練を減らして、彼に集中してあげた方がいいのではないか。水世はふとそんなことを考えた。


「……言っとくが、おまえの訓練も心操の訓練も、どっちもそう大差はないぞ。なんだったら心操の場合はある程度自主練ができるが、おまえの場合は無理だろ」


呆れたようなため息を落とした相澤の呟きに、水世と心操は不思議そうに彼を見た。


「えっと、すみません……何の話ですか?」

「どうせ、自分より心操の方に集中してあげた方がいいんじゃないか、とか考えてたんだろ」

「……よくわかりましたね」

「急に難しい顔になったからな、大方そうだろうと思ったよ。おまえは慣れが必要な分、期間を空けるのは返って良くないぞ」


なるほど。納得している水世をよそに、心操は二人に交互に視線を移して、あの、とおずおずと口を開けた。


「それ、俺が聞いてて大丈夫な話題ですか?」


気まずそうな表情と声音の心操に、水世は僅かに首を傾げた。だがすぐに察したのか、軽く笑った。


「大丈夫だよ。私も心操くんと同じで、相澤先生に個別で訓練してもらってるだけだから。でも、みんなには内緒にしてるから、ここだけの話にしておいてほしいかな」

「そう……誘さんも鍛えてるんだ。なんか、そういうのとは無縁と思ってた。“個性”であれこれできるし」


言い終わって、今のは言葉が悪かったのではないかと、心操は心の中で呟いた。感じが悪いし、何より、妬み嫉みがまるっきり出ている。

彼にとって、水世と彼女の兄の“個性”は、それはもう羨ましいものであった。あれだけ様々できたなら、ヒーローとして活動するのに申し分ない。敵向きだと言われてきた己の“個性”とは大違いだ。きっと、幼少期からも周囲の目を集めていたのだろう。そう思うと、どうにも劣等感のようなものを覚えて仕方がなかった。

そんな己の醜い部分に嫌悪を感じながら、バツが悪そうに、心操は目をそらした。


「前も言ったけどさ、“個性”のヒーロー向きとか、敵向きとかは個々の考えにもよると思うし、その“個性”をどう使うかが、重要だと思うの」


それは確かに、一学期に彼が水世に言われた言葉であった。


「私の“個性”を、みんなすごいって言ってくれる。でも、私はそうは思わない。私は、私の“個性”を肯定的な目で見れない。ずっとそうなんだよね。私の“個性”は、ヒーロー向きじゃないって思ってる」

「なんで?あれだけ万能で、人の役にも立てるだろうに、ヒーロー向きじゃないわけ?」


少し語気が強くなり、言葉に棘が出てしまったが、今度はバツの悪さなんて心操は感じなかった。散々、その“個性”ではヒーローには向かないと間接的に言われ続けてきた彼には、今の水世の言葉は嫌味としか思えなかった。

水世は苦笑いを浮かべると、万能じゃないよ、と呟いた。


「伊世くんは、ほとんど万能だと思う。でも、私は欠点が致命的すぎるから。だから、自分の“個性”はあんまり好きになれない。嫌いなわけじゃないよ。でも、素直に好きと頷けない」


ぐっと眉を寄せて、唇を引き結んだ心操を見て、水世は眉を下げたが、しかし微笑んだ。


「でも、私は一生、この“個性”と付き合っていくの。生きていくの。だから、いつか好きと言えるようになりたいって……胸を張れるようになりたいって思ってる」


胸を張れるようになりたい。それは、自分だってそうだ。彼女の発言に僅かの目を丸くしながらも、心操は一人心の奥で呟いた。

たとえ敵向きの“個性”であっても、ヒーローに憧れることは間違いではないと信じている。コンプレックスの塊のようなこの“個性”でだって、人を助けることはできるのだと。この“個性”を好きだと思えるように、周囲に引け目など感じずに胸を張っていられるようになりたいと。

自分とは正反対の位置にいるような彼女が、まさか一番共感できる相手とは、皮肉だ。心操は視線をそらした。


「なら、余計に訓練時間を減らそうなんて考えるべきじゃないな」


その言葉に、水世はすみません、と苦笑い気味に返した。

これ以上二人の邪魔をするのは申し訳ない。彼女はそう思い、一度時間を確認すると、頭を下げて教室へと戻るように階段を上がっていった。

彼女の背中をぼんやり眺めた心操は、どうにも複雑な心情が晴れず、視線を下げた。


「……“個性”の悩みは、何もおまえだけが抱えてるわけじゃない。周囲と当人とで感じ方や考えに差異が生じることも、珍しいことじゃない。誘は誘で、“個性”にコンプレックスがある。おまえみたいにな」


そもそも、彼女と心操は境遇は違えど“個性”にコンプレックスを抱えた点は同じであり、どちらも「自分の“個性”で人を救う」ことに関しての悩みだということは、その場では相澤のみが知っている。似た悩みの相手がいれば良い方に転ぶのでは、そう考えて以前互いを紹介したのだが、どうにも上手くはいかないようである。相澤は出てきそうになったため息を飲み込みながら、軽く髪を掻いた。