- ナノ -

新たに始まるための助走


仮免試験を終えた翌朝、一階にある共有スペースの掃除をしている緑谷と爆豪の姿に、水世だけでなくクラスメイトみんなが驚いたように目を瞬かせた。

曰く、昨晩二人は喧嘩をして、その際戦闘沙汰にまで発展したために謹慎処分を下されたらしい。掃除は謹慎中の罰則なようで、先に手を出した爆豪は四日間、緑谷は一日短く三日間寮内謹慎となっていた。

事の顛末に皆呆れ返って「馬鹿じゃん!」「ナンセンス!」など言いたい放題である。しかし流石に自分たちが悪いという自覚があるようで、二人とも言い返すことなく、また掃除機を動かす手を止めることもなかった。

これから始業式だというのに、夏休み明け早々に謹慎。それを満月はケラケラ笑っており、お腹を抱えるくらいの勢いだ。《爆発野郎ざまあ!》なんて言葉も聞こえてきて、水世はこっそり苦笑いを浮かべた。













「みんないいか!?列は乱さず、それでいて迅速にグラウンドへ向かうんだ!」


シュババッ、なんて効果音がついてきそうな速さで両手を動かしながら指示を出す飯田に、瀬呂が呆れた様子で乱れているのは飯田であることを指摘するなか、水世は視線をやや下へと向けながら、麗日の前を歩く。

入学式のときは“個性”把握テストを行っていたために出席できなかったが、今回は四月とは状況や事情も異なるからか、相澤から何かしら言われることもなく、始業式が行われるグラウンドへと皆向かっていた。


「聞いたよ――A組ィィ!」


皆が靴箱から靴を取り出しているなか、懐かしいような、そうでもないような。相手を小馬鹿にしたような声がかかった。きっと彼だろう。ぼんやりとその声を聞きながら、水世は振り返った。


「二名!そちら仮免落ちが二名も出たんだって!?」

「B組物間!相変わらず気が触れてやがる!」


案の定、隣のクラスに在籍する物間が、それはもう悪い顔を浮かべて、楽しそうに言い放った。それに対する上鳴の発言は何気に辛辣なのではないか。一人そんなことを思いながら、水世は上履きを靴箱に入れた。


「さてはまた、オメーだけ落ちたな?」


切島の言葉に、お腹を抱えながら高笑いをした物間は、途端に黙り込んでくるりと背を向けた。あの情緒の振り幅も、ここまでくれば尊敬の念を抱きそうなくらいの切り替えである。水世がそんな見当違いな関心をしていれば、靴箱にB組の面々が集まってきた。


「こちとら全員合格。水があいたね、A組」


自信満々に、そして余裕の笑みを浮かべる物間の後ろでは、鉄哲が笑顔でA組に手を上げ、拳藤は呆れた顔で物間を見ていた。他のメンバーも不思議そうにしていたり、興味なさげであったりと、各々の反応を見せた。

B組の全員合格という報告に、落ちてしまった轟は責任を感じているようであったが、クラスで合格者数を競っているわけでもないのだから気にする必要はない、と切島がフォローを入れている。相変わらずな物間の態度には皆すっかり慣れきっていて、このままでは一種の様式美、お約束、にまでなっていきそうであった。


「で、やっぱり、仮免に落ちたのは君かい?」


先程の愉快そうな声が一変し、冷めきった態度で物間が言った。その視線は水世にのみ向けられている。普段A組に敵対心を剥き出しにして、事あるごとに張り合っている物間だが、たとえライバル心を持っているとしても、ここまで冷たい声や表情を向けたことはない。そのため、切島や上鳴は瞳を瞬かせて物間を見ていた。


「……期待に添えなくて申し訳ないけど、私は合格したよ」


眉を下げて、水世は少し口角を上げた。困ったような、少し元気のなさそうな笑い方の彼女を見つめ、物間は鼻で笑った。


「君が?へえ……随分と甘い試験だったんだろうね。君みたいな偽物がヒーローの卵として認識されるなんて」


敵対心ではなく、敵意。物間が水世へ向けているのはそれであった。彼のあんまりな言いように、流石にクラスメイトたちも黙っていられず、何人かが言い返そうとした。しかしそれよりも先に、物間が少し後ろを振り返り、バツが悪そうな顔をした。


「俺の前で、随分な言いようだな。笑えないぞ」


ゾッとするような、無感情な声だった。我関せずな態度であった伊世の声だ。彼は不愉快そうに表情を歪めながら物間へと歩み寄っており、咄嗟に拳藤が間に入った。


「伊世、落ち着きなって、な?これから始業式だし、早々に喧嘩はまずいよ。物間も謝りな!もとはと言えば、水世に失礼なこと言ったのが悪いんだから!」


宥めながら眉を下げた拳藤は、物間を振り返って眉をつり上げると、説教するように声を上げる。しかし物間はそっぽを向いて、謝罪する気はないようだった。そんな彼の態度に、伊世が僅かに眉を反応させた。


「イナサくんに、会ったの。久しぶりに。元気そうだったよ」


おずおずと、水世が声を上げた。伊世は不機嫌そうに眉を寄せながら彼女の方を見ると、アイツと一緒だったのか、と呟く。だがすぐに納得したように、ああ、と口を開いた。


「アイツ、もしかして不合格だったのか?だから、少し落ち込んでんのか」


ぱちりと、水世は瞳を瞬かせながら頷いた。よくわかったね。そうこぼした彼女に、伊世は不機嫌さを少し潜めていつもの無愛想な顔に戻った。


「――わかるさ、おまえのことは。一緒に過ごしてきたんだから」


水世の方へ寄っていった伊世は、あんま気に病むなとだけ言って彼女の頭を撫でると、玄関を出ていった。どうやら機嫌は多少なおったようで、水世は安堵したように息を吐いた。


「そういえばァ、ブラドティーチャーによるゥと、後期ィは、クラストゥゲザージュギョー、あるデスミタイ。楽シミしテマス!」


やや気まずい雰囲気な中、ポニーが空気を変えようと思ったのか、A組へと話を振った。初耳であった情報に、少し雰囲気が明るさを取り戻しはじめる。どんな授業だろうかと皆が期待を膨らませていれば、物間がポニーになにか耳打ちをした。


「ボコボコォに、ウチノメシテ、ヤァ……ンヨ?」


どうやら意味は理解できていないのだろう。ポニーは不思議そうに物間から教えられた言葉を復唱している。その後ろで高笑いをしながら首を斬るポーズをする物間に、拳藤が目潰しをしていた。


「オーイ。後ろ、詰まってんだけど」


ふと後列から聞こえてきたその声に、飯田は慌てて謝罪をして、クラスメイトに注意をしながら、進むよう促した。いつも整えられている彼の髪はいつのまにやら乱れきっていて、いったい何があったのだろうかと水世は思わず凝視してしまった。

どうやら普通科の生徒たちのようで、先頭には体育祭で緑谷と戦っていた心操の姿がある。久しぶりに見る彼の体は、以前よりも筋肉がついており、幾分かガタイが良くなっているようだった。そういえば、彼はヒーロー科への編入希望であった。それを思い出した水世は、彼の身体つきの変化に納得したように頷いた。

グラウンドには全学科、全学年の生徒が集まっており、人口密度に水世は少しばかり居心地が悪くなった。生徒の整列が終わると同時、朝礼台に乗せられた踏み台の上に、根津が上がった。


「やあ!みんな大好き、小型哺乳類の校長さ!」


そんな挨拶から入り、根津は最近は自慢の毛質が低下したという話をはじめた。睡眠が重要、生活習慣の乱れが毛に悪い、などあまり関係ない話を長々と行っている。水世は人間の毛並とは髪の毛のことでいいのか、なんてことに思考を飛ばしてしまっている。


生活習慣ライフスタイルが乱れたのは、みんなもご存知の通り、この夏休みで起きた“事件”に起因しているのさ」


その言葉から、根津の雰囲気が一変する。それを生徒たちも感じ取り、皆無意識に背筋を伸ばした。思考を飛ばしていた水世も根津を見つめると、真剣に聞く姿勢へと入った。

柱――オールマイトの喪失。その事件の影響は、人々の予想を超えた速度で世界に現れはじめていた。これから社会には、大きな困難が待ち受けていることを暗示しているように。そうしてそれは、ヒーロー科の生徒たちにとっては、顕著に表れていくことを根津は語った。


「二、三年生の多くは取り組んでいる“校外活動ヒーローインターン”も、これまで以上に危機意識を持って考える必要がある」


ヒーローインターン?一年生、特にヒーロー科の生徒たちが不思議そうに首を傾げたり、ヒソヒソと話をはじめた。職場体験と似たようなものなのだろうかと、水世も不思議そうに根津の話を聞く。


「暗い話は、どうしたって空気が重くなるね」


そう続けた根津は、大人はその空気をどうにかするため頑張っている最中であること、生徒たちにはその頑張りを受け継ぎ、発展させられる人材になってほしいことを告げた。


「経営科も普通科も、サポート科もヒーロー科も、みんな社会の後継者であることを忘れないでくれたまえ」


最後にそう締めくくった根津は、ぴょん、と踏み台を降りた。彼が朝礼台から降りると踏み台が撤収されて、今度はブラドが朝礼台へ上がった。彼は生活指導のハウンドドッグから最後にいくつかの注意事項があることを伝えると、スッと朝礼台から退いた。

マイクの前に立ったハウンドドッグは、見るからに怒っていた。何せ、常時犬のような唸り声を出しており、喋り出してからもほとんどが人語ではなく犬のそれであったのだから。最後に大きな遠吠えを上げた彼の様子に、一年生は皆絶句しているようだった。


「ええと、『昨晩喧嘩した生徒がいました。慣れない寮生活ではありますが、節度をもって生活しましょう』とのお話でした」


ほとんど理解できなかったが、ブラドは慣れなのかなんなのか、完璧に通訳をしてみせた。それならば最初からブラドが代弁すればよかったのではないかと誰もが思ったようだが、しかし口に出す者はいなかった。

喧嘩した生徒、というのは十中八九緑谷と爆豪で間違いないだろう。これはもう立派な問題児扱いではあるが、致し方ないことだった。

こうして始業式は滞りなく行われ、三年生から順に教室へ戻っていった。


「じゃあまァ……今日からまた通常通り、授業を続けていく」


淡々と話す相澤を前に、芦戸は後ろの席の蛙吹へと耳打ちをしている。それを見て目をカッと見開いた彼に、芦戸はゾワリと肌を震わせた。


「ごめんなさい、いいかしら先生」


スッと挙手をした蛙吹は、始業式で根津の口から出たヒーローインターンというものについて質問をした。それはクラスメイトの誰もが疑問に思っていることで、自分も気になる、と口々に声が上がった。それを受け、その説明は後日やるつもりだったが、と頭を掻いた相澤だったが、合理性を見て簡単に説明をしてくれた。


「平たく言うと、“校外でのヒーロー活動”。以前行ったプロヒーローの下での職場体験……その本格版だ」


なるほど、と納得するように皆が頷くなか、ガタッと音を立てながら立ち上がった麗日は、体育祭の頑張りは何だったのだと声を上げた。背後での大きな音に、飯田も思わず肩を跳ねさせている。


「ヒーローインターンは、体育祭で得た指名をコネクションとして使うんだ。これは授業の一環ではなく、生徒の任意で行う活動だ。むしろ体育祭で指名を頂けなかった者は、活動自体難しいんだよ」


元は各事務所が募集する形であったそうだが、雄英生徒引き入れのためのイザコザが多発したことから、生徒自らがコネクションを用いて参加する形に変わったのだと相澤は話した。その説明で麗日も納得したようで、早とちりしたことへの謝罪をして、おとなしく席に座った。


「仮免を取得したことで、より本格的・長期的に活動へ加担できる。ただ一年生での仮免取得はあまり例がない。敵の活性化も相まって、おまえらの参加は慎重に考えてるのが現状だ」


体験談など含め、後日詳しい説明や今後の方針を話すことを告げると、相澤は廊下で待機していたマイクに声をかけた。彼は相変わらずのテンションの高さで教室へ入り、早速英語の授業を始めた。