- ナノ -

その笑顔が勇気をくれる


着替えを終えた受験者たちは、不安いっぱいな顔で結果発表を待っていた。ざわついている会場内で、水世は深く息を吐き出して、静かにその時を待っていた。


「こういう時間、ドキドキするよな」

「うん。でも、やれることはやったと思うから」

「今更どうこうしても、結果が変わることはないしな」

「障子も水世も冷静だな」

「いや、そうでもない。俺も実際、緊張はしてる」


全然見えねえよ。ケラケラと笑う砂藤は、肩の力が抜けており、幾分か緊張がほぐれたようだった。

HUCやギャングオルカが退場し、会場の片付けが終わると、巨大モニターや舞台が設置されていった。準備が整った後、現れた目良は舞台に上がると演台の前に立ち、一度受験者を見回して口を開いた。


「皆さん、長いことおつかれさまでした。これより発表を行いますが……その前に一言」


そう言うと、目良は採点方式についての説明を行なった。二次試験は、ヒーロー公安委員会とHUCによる二重の減点方式となっており、危機的状況でどれだけ間違いのない行動をとれていたのかを彼らは審査していた。受験者たちには元々持ち点が与えられ、それをどれだけ減らすことなく行動できていたのか。それが今回の合格基準だった。

目良の後ろにあるモニターが起動したと思うと、五十音順で合格者の名前がずらりと並ぶ。皆血眼で自身の名前を探し、モニターを見続けている。水世は一番左端から順に見ていき、ぱちりと目を瞬かせた。

「誘水世」と、確かに己の名前が表示されている。驚いたようにその文字を見つめた彼女は、ハッとして右下へと視線を移動させた。最後の合格者の名前は「遊左」であり、そこにイナサの名前はなかった。


「轟!」


呆然とモニターを見つめる水世の耳に、イナサの大きな声が届く。振り返った彼女は、轟の前で立ち止まる幼馴染を、ハラハラした様子で見守った。

イナサは鋭い瞳で轟を見下ろしたと思うと、思いきり頭を下げた。勢いが良すぎるあまり、頭部が地面とぶつかっており、轟も僅かに体を跳ねさせて驚いている。


「あんたが合格逃したのは、俺のせいだ!俺の心の狭さの!ごめん!!」

「……元々、俺がまいた種だし……よせよ」


イナサの声に何事かと様子を見ていたクラスメイトたちは、轟が落ちたという事実に驚きを隠せないようだった。A組は轟と爆豪の、クラスのツートップが揃って不合格という結果なのだから。ここぞとばかりに悪い顔をして嫌味なことを言う峰田を飯田が遠ざけるなか、緑谷や八百万は心配そうに二人を窺い、なんと声をかけるべきなのか思い悩んでいるようだった。

水世もまた、頭を下げたまま動かないイナサを見て、視線を下げた。

全員の確認が終えた頃、受験者たちにプリントが配られていった。それには採点内容について詳しい記載があり、水世は手渡されたプリントに目を通した。


「水世、どうだった」

「90点。“個性”の能力に幅がある分、もう少し応用を利かせたりした方がいい、って感じ」

「それでも高得点じゃねえか」


100ある持ち点から、ボーダーラインは半分である50点であり、プリントにはどの行動が何点引かれたのかが箇条書きで並んでいた。水世のプリントには、要救助者の居場所が不明な際に不用意に瓦礫を動かすのは危険である、救助に鎖を用いるのは注意が必要である、など書かれており、これは今後の反省点やアドバイスにもなるだろうと、素直に受け止めた。

しかし、何故。水世はふと疑問を感じて首を傾げた。この試験は減点方式であり、50点未満が不合格。加点されることはないため挽回は望めないシステムとなっている。それなのに、どうしてボーダーラインを下回った時点で、その受験者を退場させなかったのだろうか、と。

水世がプリントを見つめながら一人考えていると、目良が話をはじめたため、彼女は顔を上げた。


「合格した皆さんは、これから緊急時に限りヒーローと同等の権利を行使できる立場となります」


それは、敵との戦闘や事件・事故からの救助などを、ヒーローの指示がなくとも自己判断で動けるようになる、ということである。しかし、それに伴い各々の行動一つ一つによって、大きな社会的責任が生じるということでもあるのだ。


「皆さんご存知の通り、オールマイトという偉大なグレイトフルヒーローが力尽きました。彼の存在は、犯罪の抑制になるほど大きなものでした」


他のヒーローが弱いというわけではない。単に、彼が強すぎたのだ。故に、彼にばかり頼りきりになっていた。それがこれまでの時代であった。しかしオールマイトという大きな支柱を失った今、心のブレーキが消え、増長する者は必ず現れていく。これから均衡は崩れ、世の中は大きく変化を見せていくだろう。目良はそう語ると、受験者の顔を見回しながら、大きく口を開く。


「次は皆さんが、ヒーローとして規範となり、抑制できるような存在とならねばなりません。今回はあくまで仮のヒーロー活動認可資格免許。半人前程度に考え、各々の学舎で更なる精進に励んでいただきたい!」


合格者たちへ力強く告げた目良は、次は不合格者たちに向けて、チャンスが残っていると話した。


「三ヶ月の特別講習を受講の後、個別テストで結果を出せば、君たちにも仮免許を発行するつもりです」


その言葉に、爆豪、轟、イナサは表情を変えた。

目良が述べた“これから”に対応するためには、より質が高いヒーローが、なるべく多く必要となる。一次試験は“落とす試験”であった。だが二次試験は落とすのではなく、なるべく育てていくため、ボーダーラインを下回った時点であっても、最後まで会場に残していたのだと目良は説明した。


「学業との並行でかなり忙しくなるとは思います。次回四月の試験で再挑戦してもかまいませんが――」


目良が判断を委ねるように言葉を止めれは、鬼気迫るような気合たっぷりの返事が上がった。

救済措置の提示に、緑谷たちは安心したように轟へと駆け寄った。峰田は一人ヒエラルキーがどうのと言って引き止めようとしているようだったが、今度は障子に止められていた。


「すぐ……追いつく」


呟くように返した轟に、緑谷や飯田は笑顔で頷き返した。

その後合格者は仮免発行の手続きや、証明写真の撮影があったりで、会場を出る頃には空はすっかり茜色が差していた。水世は自分の仮免許を見つめ、一枚写真を撮るとそれを伊世と重世に送り、免許を財布の中にしまった。


「おーい!」


ドドド、なんて音が聞こえたと思うと、イナサが大きく手を振りながら雄英生の方へと向かってきていた。彼は轟に、「正直まだ好かん!」と潔く、堂々と宣言すると、それに対して先に謝っておくと言って、謝罪を告げた。その謎の気遣いを見ながら、水世は少しおかしそうに笑った。

ぐるりと、彼が水世を見た。途端に静かになったイナサは水世を見つめたと思うと、満面の笑みを浮かべて駆け寄った。


「水世ちゃん!合格おめでとう!」


目の前に来たイナサは、自分のことのように嬉しそうな顔をして、水世に祝いの言葉を伝えた。水世もそれに笑顔でお礼を返そうとした。しかし、口を開いて喉から言葉を出す前に、動きが止まる。

何故、自分だけが合格したのだろう。水世の脳内に、そんな疑問が浮かぶ。理由は理解できている。イナサの言動はあの場においてマイナスでしかなかった。それを本人だって自覚しているからこそ、不合格という判断を受け入れている。しかし、それでも、彼女は納得ができなかった。

委員会側の判断にではない。イナサの不合格に対してでもない。「中途半端な自分が合格した」ということを。まっとうな彼を差し置いて、合格した。その事実に納得できなかったのだ。

ヒーローになりたいわけでもないのにヒーロー学科に在籍し、そうして、最近になって、やっと彼女はスタートラインの上に立った。誰よりも遅れて、誰よりも後ろにいる自分が、ずっとヒーローを目指して頑張っていた彼を差し置いて。何故、どうして。そんな疑問が頭を支配して、水世は表情を曇らせたと思うと、少しずつ顔を下げていった。

ヒーローとして正当な行動を見る試験だ。水世は自分の行動が確実な正解とは思わないが、明らかに間違っていたとも思わない。救助も戦闘も、ヒーローとして、という自覚のもと行ったのだから。しかし、これは、彼女自身の心の問題なのである。

“個性”への恐怖も、己への嫌悪も消えていない。自身の“個性”がどれだけ人を傷つけてきたかも自覚している。救うことより、傷つけたことの方が多いとわかっている。ヒーローになりたいなんて言ったものの、しかしやはり、自分は向いていないとどこかで思っているのも確かだ。せめてそれを口にしないように気をつけようとは思っているが、それでも考えてしまう。この世界はそう甘くはないのだから、夢や理想だけで進んではいけない。気持ちだけではどうにもならないこともある。

こんな自分が、スタートラインに立ちながらも未だに進みきらないくらい中途半端な自分が、どうして。

完全に俯いてしまった水世は、スカートを強く握り締めながら、それでもお礼は返さなければ、と口を開こうとした。


「水世ちゃん。俺、気にしてないッスよ。水世ちゃんが合格したこと、本当に嬉しい」


水世に目線を合わせるようにしゃがんだイナサは、少し困ったように笑いながら、大きな手のひらで彼女の頭を撫でた。


「不合格は俺の自業自得っス。水世ちゃんはヒーローとしてを考えて、正しいことして合格したんだから、俺に引け目感じる必要なんてないっスよ」


普段よりも抑えられた声量で、イナサはスカートを握り締める水世の両の手をそっと外し、自身の両手で優しく包みながら、穏やかに大丈夫とこぼした。


「俺は、水世ちゃんが優しい子だって知ってるから。だから、合格したのも当然だって思うんスよ。俺の幼馴染はすごいだろ!って、自慢したくなるくらい!」

「……私より、イナサくんの方がすごいよ。いっぱい頑張って、いっぱい勉強して、ヒーローになるんだって一生懸命努力してて……私なんて、全然……」

「努力に差異はないし、比べるものじゃないっスよ。水世ちゃんも一生懸命頑張ってきてた。今も頑張ってる。たくさん我慢しながら、たくさん傷つきながら、必死に立ってるじゃないスか」


僅かに顔を上げた水世を覗き込みながら、イナサは彼女の瞳をまっすぐに見つめた。

いつだって、イナサは水世を案じてくれていた。彼女がいじめられているところを見ればすぐに助けてくれたし、一人でいれば隣に来てくれて、水世が家を追い出されたのを見つけた時には、「うちに帰ろう」と手を引いてイナサの家に泊めてくれたりもした。

水世にとって、イナサはいつだってヒーローだ。ヒーローであり、太陽だ。立ち止まるばかりの自分を振り返って、わざわざ足を止めて、時に手を握り、時におぶって進んでくれる。そんな存在なのだ。


「俺は、水世ちゃんが合格したの、すごく嬉しい。悔しくもあるけど、この結果は俺自身の心の狭さが生んだことで、水世ちゃんが気に病む必要はまったくないんスから」


彼女の手を握ったまま、イナサは水世を元気づけようと、腕を上下に小さく動かす。そうして髪の隙間から覗く金色を見て、イナサは片手で彼女の前髪を押し上げた。


「笑って、水世ちゃん。水世ちゃんは笑った顔が一番かわいいから。それに俺、水世ちゃんの笑った顔、とっても好きなんスよ」


ぱちりと瞬きをした水世は、じっとイナサの顔を見つめて、照れたように小さく笑った。その表情にイナサも笑顔を見せると、彼女から手を離して立ち上がった。


「……イナサくん、ありがとう。私、これからも頑張る。イナサくんも頑張ってね」

「うん。俺もすぐに仮免貰って、水世ちゃんに追いつくっスよ!」


ニッと笑って帽子を被り直したイナサは、ふと真剣な表情へと変わった。


「水世ちゃん。あのさ、気をつけてね」


突然の言葉に首を傾げる水世に、イナサは言葉を選びながら、心配そうに眉を下げた。


「母さんから聞いたんスけど、なんか、近所で嫌な事件が起こってるみたいなんスよ」

「嫌な事件?」

「うん。こんなめでたい時に言うことでもないとは思ってるんスけど……でも、心配だから」


イナサは詳しくはその事件について話さなかった。だが、こうして自分に伝えるということは、何か関係がある、もしくは自分の近辺ということなのだろうと考え、水世はわかったと頷いた。


「なんかあったら、いつでも連絡するんスよ」

「うん」

「絶対っスからね!」


そう言って、彼は駆け足で士傑生の群へと戻っていった。それを手を振って見送った水世は、気合を入れるように胸の前でグッと拳を握り、少し先で彼女を待っていたクラスメイトたちの方へ駆け寄った。


「水世と幼馴染、立場が逆だったんだね……」

「立場が逆……?」

「なんつーか、アイツ、あんな小さい声も出せるんだな」

「うん?」

「彼は、大胆さも繊細さも、どっちも持ってる人なんだね☆」


クラスメイトの反応に、水世は困惑気味に首を傾げた。中にはどこか複雑そうな顔をしている者もいるが、彼女にはその理由が検討もつかないため、「イナサくんは強くてかっこいいんだよ」と笑っておいた。